12 眠れぬ夜に……
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すぅすぅと規則正しい寝息が、下から聞こえてくる。どうやら霧は、早々に寝てしまったらしい。
だが高坂は緊張の為か、まだ眠ることが出来なかった。ベッドに身を横たえたまま、彼はじっと天井を見つめている。夜の闇に慣れた目に、円形の蛍光灯カバーがボンヤリと暗く浮かんで見えた。
「高坂、まだ起きているか」
左側から、くぐもった声が聞こえる。布団を頭から被り背を向けた秋山の、小さな声だった。
「……ああ」
高坂が頷くと、秋山が寝返りをうつ。衣擦れの音がした。こちらを向いたエルフの美女が、布団から緑色の目だけを出して高坂の横顔を見つめている。
こうなったのは、ジャンケンでベッドに入る順番を決めたからだ。
二人が常にベッドで眠り一人が床という順番なら、全員三日に一回床で寝れば良いだけなので、それ程辛くないだろう――という秋山の提案であった。
「いいね!」
霧は諸手を上げて賛成し、高坂は肉が喉に詰まっていた為、その時は何も言えなかった。
ついでに高坂は前日が床だったので、今日はベッドで寝るべきだと霧が言い出した為、秋山もこれに賛成。結局は美女二人がジャンケンをして、今日ベッドで眠る順番を決めたのだった。
――そこで秋山が勝利を収めたから、こうした状況になっているわけだが。
「酒が……足りなかったのだろうか?」
濃い藍色にも見える薄闇の中、秋山に横顔を見られたままの高坂はドギマギとしていた。かつて好きだった女性が隣に寝ていて、自分を見ているのだ。
いや、今だってまだ彼女のことが好きなのかもしれない……。
高校生の頃の秋山は、クールビューティーを絵に描いたような無口キャラであった。しかし中身はどうも、抜けた所があるようだ。今の質問で彼女の内面が少し見えた気がして、高坂はちょっとだけ嬉しかった。
「いや……普段と違う環境に戸惑っているんだと思う……酒が足りないってことは無いと思うぞ」
「うん、そうか。そういえば男性と同衾するなど、初めてのことだしな。戸惑って当然か」
秋山の言葉で、またも高坂の胸がドキンと跳ね上がる。彼女も同い年だから、今は二十七歳のはず。しかし男性と同衾したことが無いとなれば、まさか彼女は――と思ったからだ。
それで、うっかり高坂は身体の向きを変えてしまった。秋山を正面に見たくて、寝返りをうったのだ。緑色の目と茶色の目が合い、二人は同時に肩をビクンと震わせている。
「な、なんだ……いきなり」
小声で言う秋山は、困ったように眉根を寄せた。けれど高坂から視線を逸らせようとはしていない。
「あ、いや――何でもない」
「あのな、高坂。わたしは思ったのだ。幼い頃、よく父母に頭を撫でて貰っていた。そうしてくれたら眠れるかも知れんから、良かったらわたしの頭、ちょっと撫でてくれぬか?」
「えっ……」
「嫌か? それともわたしが、お前の頭を撫でてやろうか? しかしそれだと、わたしが眠れなくなってしまう――あ、でもわたしの頭を撫でたら、高坂が眠れなくなるのか……困ったな」
布団から飛び出た細長い秋山の耳が、ピクピクと動いていた。困ったり悩んだりしている時、どうやらエルフの耳は少しだけ動いてしまうらしい。
「いや、いいよ。秋山が眠るまで、俺で良ければ頭を撫でさせてくれ」
高坂は微笑んで、秋山の願いを受け入れた。もしも彼女に頭を撫でられたら、逆に緊張して余計眠れなくなるだろう。そうすると、お互いに眠れなくなるだけだ。
どうせ秋山に触れたら心が高ぶってしまうのだし、それなら彼女の頭を撫でて眠らせてやった方が、効率がいい。
そう考えた高坂は掛布団からそっと手を出し、闇の中でもキラキラと輝く秋山の金髪に手を触れた。
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「あんた達、なにやってのよぉーーー!」
寝癖を付けた青髪の下で、憤怒の形相を浮かべる霧がベッドの上に立っていた。それを見上げつつ、高坂はゆっくりと目を開ける。昨夜はかなり長い時間、秋山の頭を撫でていたはずだ。なので睡眠が不足していた。
そういえば秋山はどうしたのだろう――と思い寝返りを打とうとしたら、左腕になにやら重い感触がある。高坂が顔を左側へ向けると、窓から入る朝日を反射してキラキラと光る秋山の頭があった。
甘くて爽やかな秋山の髪の香りを胸いっぱいに吸い込んでから、高坂は昨夜の流れで彼女の頭を二度、三度と撫でる……。
「んっ……、んんっ」
――って、秋山ぁあああああ!
高坂は思わず目を瞑って眠り続ける金髪エルフを凝視し、それからベッドの上で腰に手を当て怒り心頭の霧に目をやった。
「先輩、いつの間に陽華ちゃんとぉぉおお!」
「いつの間にって、お前、これは事故だろ!?」
「信じない! なによそれ! 陽華ちゃん、すっごい幸せそうに寝てるじゃない!」
ダンッと秋山の横に足を落とし、霧が怒りをまき散らしている。これでようやく目が覚めたのか、金髪のエルフが薄っすらと目を開いた。
「……あ、おは……よう、お母さん」
まだ寝惚けているのか、秋山が高坂の左胸にギュッと顔をうずめる。どうやら昨夜頭を撫でられたことで、幼い頃の記憶が戻ってしまったらしい。
そして、ついさっき頭を撫でられたことも、彼女の記憶を混濁させるのに役立ったようだ。どうやら秋山は高坂を、寝ぼけ眼に母親と勘違いしているらしい。
「お母さんじゃ、ないでしょー!」
寝惚けている秋山を、霧が強引に引きはがす。そして居丈高に言った。
「ちょっと陽華ちゃん! しっかり目を覚ましなさいッ!」
「ん……ああ、霧様ではないか」
ようやく頭が働き始めた秋山陽華は霧と高坂を交互に見て、顔を真っ赤にしている。
「あっ、わたし、今何かしたか? 何か言ったか?」
霧が人の悪そうな笑みを浮かべて、大きく頷いた。
「先輩に抱き着いて、お母さん――って言ってたよ。二十七歳にもなってぇ~~~ぷーくすくす」
「ふむ、そうか……ならばいい」
秋山は憮然とした表情を浮かべた後で、何事も無かったかのようにユニットバスへと向かっていく。洗顔と整髪の為だ。基本的に無表情の彼女は、決して霧にペースを乱されないのだった。
「霧、どいてくんない? 俺も準備して、すぐに仕事いくから。お前と違って、自由に休めるわけじゃないから」
「……あい。ああ、今日はつまんないのぉ~~~」
「じゃ、帰るか?」
「ううん、帰んない」
「あ、そ」
出かける準備が終わると、高坂と秋山は慌ただしく職場へと向かった。
「いってらっしゃーい! ね、先輩! 今日はあたしと一緒に寝るんだからね、よろしく!」
高坂と秋山が一緒に玄関を出ると、霧はニンマリと笑い見送りながら言う。
エルフの美女は「そういう順番だ、分かっている」と答え、冴えないサラリーマンは額に手を当て頷いていた。
「地獄だな、こりゃ……」
――言いながらも、内心では天国と思わなくもない高坂である。
そうして出かけた二人は駅まで向かう途中、少しの間だけ肩を並べて歩いた。秋山が恥ずかしそうに口を開く。
「昨夜は、ありがとう。頭を撫でてくれたから、ゆっくり休むことが出来た」
「……頭を撫でるくらいで良ければ、いつでも」
高坂も顔が赤くなるのを感じながら、照れ隠しに頬を掻いている。互いに恥ずかしくて、目を合わせることが出来ない。
だというのに別れ際、二人はしっかりと見つめ合って言う。
「「――じゃあ、また今夜」」
高校生の頃、学校帰りにどうして言えなかったのだろう、「――また明日」と。
当時その勇気があったなら、今の二人の関係は、違うものだったかも知れない。
――高坂は少し考えながら歩いたが、結局その答えは出ないのだった。
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