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11 秋山陽華のやりたいこと

 ■


「先輩、おっかえりぃ!」

「お、おかえり、高坂……」


 玄関のドアを開けると、小柄な霧が飛びついてきた。彼女の左目は青い髪で隠れているが、右目はくるくると表情を変える猫のようだ。

 霧はいかにも寂しかったと言わんばかりに唇を尖らせて、高坂の腕に纏わりついてきた。


 そんな彼女の姿に少し引いているのか、秋山が目のやり場に困りつつ廊下に立っている。緑色のパーカーを着て、白いズボンを履いてた。

 どういう訳か今日の彼女は頭の右側で長い金髪を纏め、降ろしている。その姿がやたら可愛くて、高坂は腕に絡む霧を半ば無視して秋山に「ただいま……」と静かに言うのだった。


 一瞬、霧の眉間に皺が寄る。だが何事も無かったかのように高坂の手を引き、一つしかない部屋へと彼を連れていった。


 部屋の中にあるテーブルにはコンロが置かれ、その上に土鍋が鎮座している。そして白で統一された食器が三方に並べられていた。

 他にも昨日は見なかったパステルピンクのノートパソコンがベッドに上に置いてあり、クッションが三つほど増えている。有体に言って、狭い部屋にモノが増えていた。


 食器やクッションは秋山の部屋から調達し、食材は二人で変装しつつスーパーへ買い出しに行ったらしい。高坂はそうした説明を霧から聞くと、「へぇ」とあまり興味が無さそうに頷いた。


「さあ、おあがりよ!」

 

 霧が土鍋の蓋を開き、真っ白い湯気が部屋の中に立ち上る。肉と野菜をキムチで煮た香ばしい匂いが部屋いっぱいに広がって、三人の食欲を刺激した。

 

 エルフの秋山は冷蔵庫からビールを持ってきて、食器の側に置いていく。今朝、二日酔いになっていた高坂としては、遠慮したいところであった。


「あ、俺はいいや」


 座布団の上に腰を下ろしながら手を左右に振る高坂を見て、霧が眉を吊り上げている。


「先輩、いつからそんな虚弱になったのよ!?」

「いや、明日も仕事だからさ」

「む……高坂。わたしだって明日は仕事だぞ」

「ああ……そういえば秋山、今日は休みだったのか?」

「うむ、今日はな。しかしやりたい事があったから、ゆっくり過ごした――というわけでもないぞ」

「やりたいこと?」

「そ、それはな……その……」


 白い頬を指でポリポリと掻いて、秋山が緑色の目をパステルカラーのノートパソコンへと向けた。口はモゴモゴと動いているが、余りにも小声で高坂の耳までは伝わってこない。

 そんな彼女に代わって、霧が笑顔で言った。


「陽華ちゃんね、小説家になりたいんだって。だから、ずっとアレで何か書てたよ」

「そんなっ……霧様――ハッキリ言わないでも……!?」


 ■■■■


 三人で鍋をつつきながら、高坂は結局ビールに口を付けた。秋山=エルフィーネ=陽華の話を聞いているうち、何となく飲みたくなったのだ。そもそもキムチ鍋という時点で、酒を飲まないなど考えられない選択なのであった。


「――だからな、人間の文化を知ろうと本を読みまくっていたら、自分も書いてみたくなったのだ。変な話ではなかろう」

「うんうん、陽華ちゃんはまったく変じゃない。だから照れなくってもいいじゃん」

「しかし、やはり照れる……」

「分かるよ。あたしも最初は友達に歌ってる姿を見られるの、恥ずかしかったからね~~~」


 鍋から小皿に肉をよそいつつ、霧が陽華の話に相槌を打つ。高坂は鼻先にビールの缶を付けたまま、二人のやり取りをなんとなく見つめていた。

 

「それで就職せずに、コンビニでバイトをしながら新人賞を目指しているのか?」


 ボンヤリと言う高坂は、その選択があまり理解出来ない。小説だったら就職しても書けるし、家を飛び出してくる必要など無いのではないかと思うからだ。


「そうだ――人間の中で暮らさなければ、人間の気持ちは分からん。それで――……」

「でもさ、陽華ちゃんの書いてる小説って、異世界転生モノでしょ? むしろエルフ市に居た方が描けそうじゃない?」

「異世界とエルフ市は違うし――ていうか霧様、内容を高坂に言わないでくれッ!」


 珍しく秋山が両手をブンブンと振って、困り顔を浮かべていた。表情が滅多に変わらない彼女にしては、とても珍しいことである。


「へぇ、霧は読ませて貰ったのか?」

「うん。かなり面白くってさ、ネットでも人気あるみたい。でもさ――主人公が転生したギタリストで、楽器を弾いて戦うって、ちょっと先輩みたいじゃない?」

「いや、俺はただのサラリーマンだぞ。ギターなんてもう……」

「そ、そうだ、高坂とはまったく関係ないからっ……!」


 秋山が顔を真っ赤にして、否定している。その姿が面白いのか、霧が手を叩いて喜んでいた。


「で、しかも、ペンネームが秋山エルフって、もうね、そのまんまだから――アハハハハッ!」


 笑いながら転がり足をバタバタと動かす霧を睨み、秋山が恨めしそうに言う。


「霧様に読ませるんじゃなかった……」

「なんでよ? あたし、その小説なら賞、取れると思うよ」

「本当か?」

「うん――アニメ化したら、あたしが主題歌……歌いたい。ううん、歌わせて」

「そ、そんな先の話、だってまだ一次審査だって分からないのに……」


 新しいビールを取りに行きながらも、秋山は満更でもない表情だ。酔いか照れか分からないが、赤みの差した頬で嬉しそうに笑っていた。

 そこで丁度二人になったから、高坂は昼間、桐生から連絡があったことを霧に告げる。


「――なあ、霧。昼間、桐生から電話があってさ、あいつ、なんでlineの返事を返さねぇんだって怒ってた。あと、霧の居場所、知らないかって」

「あー……、あたし、着拒してるから。で、なんて答えたの?」

「知らないって――なんかさ、霧の言ってたこと、少し分かっちゃったから……」

「それって、ずっとここで暮らしてもいいってこと?」


 急に表情をパァァッと輝かせた霧を正面に見て、高坂は無表情のまま「ううん」と小さく唸る。


「あんたァ、つれないねェ」

「どこのバァさんだよ」

「霧ばァさんと呼んどくれよォ」

「あのな、冗談はおいといて、お前さ――今でも歌うことは好きなんだろ? 秋山の小説がアニメ化したら歌いたいって。そう言ってた時のお前って、凄いキラキラしてたから……」

「ふっふっふ――……キラキラしてるあたしのこと、抱きたくなった?」

「だから冗談はやめろって……!」

「これは冗談じゃ、ないんだなぁ~~~」


 四つん這いになって高坂へ迫る霧の頭に、秋山がビールの缶を乗せる。「ひゃ! 冷たい!」と立ち上がった青髪の女ボーカルは、恨めしそうに金髪エルフを睨んで腕組みをした。


「あによ、文句あるの、陽華ちゃん!?」

「別に無いが――それより今日からは、一体どうやって寝るつもりなのかと思ってな」


 秋山の疑問に、高坂と霧が首を傾げている。


「いや――昨日はわたしと霧様がベッドを占拠してしまったが、考えてみればここは高坂の家だろう? 家主がいつも床では疲れも取れんと思うし、交代でベッドを使えば良いのではないかと思ってな」


 高坂は口の中へ入れていた肉を一気に飲み込んで、思わず喉につかえてしまう。ドンドンと胸を叩いていたら、心配そうに霧が背中を擦ってくれた。同時に秋山が新しいビールを開けて、差し出してくれる。

 お陰で彼は「俺がずっと下で寝るよ」と、言いそびれてしまうのだった。

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