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激突 最強対最強


 砂で出来た船が日が暮れゆき赤く染まる砂漠を行く。船に乗り込むは三十人近い≪昇陽≫の神理者たち。

 全滅状態の支部を立て直すために駆出しも、中堅も、ベテランも、達人もいる。

 人間も、肉食獣の獣人も、草食獣の獣人も、小動物の獣人も、猛禽の獣人も、蟲人も、ハーフイフリートも、魔導の民もいる。

 命刀士も、蟲甲士も、沙装士も、霊喰士も、暗殺士も、陰陽士も、炎術士も、地術士も、呪眼士も、死霊術士も、真言術士もいる三十人近い一団。

 他の神理連からの邪魔がなければ央都を制圧して余りある戦力を誇る一団である。

 その船頭に立つのは一人の女だった。


 齢は二十の半ばを過ぎたころだろう、よく日に焼けた褐色の肌。

 容姿が美しいわけではないが生命力に満ちた魅力、体格は女性相応に平均的。

 身におびている武器と言えるものは腰に差した二本の短い棒程度。


 彼女の名は【武威殺し】のナムル。

【武威】とは鬼種の中で三本の指に入る強者の二つ名である。十数年前≪絶望≫の獄へ魂を取り戻さんと熟練の神理者たち三十人が襲撃し、帰ってきたのは満身創痍のただ一人だった。その神理者曰く、三十人の神理者たちは【武威】ただ一人になすすべなく敗れ去ったそうである。

 

 そして彼女ナムルはその【武威】と凄絶な一騎打ちの末に見事にうち果たして見せた。

 ゆえに【武威殺し】。

 あえて誤解を招くことを恐れずにこう称そう、彼女ナムルこそが当世において並ぶ者なき最強の神理者だと。 

 そのことに異を唱える神理者は≪昇陽≫にはいない。≪蒼天≫にもいない。≪晩鐘≫も前衛ならばと条件付きで認めるだろう。

  

 ナムルを船頭に行く船はやがて央都の城壁前へとたどり着きただの砂へと戻り崩れ去る、長旅も終わりと一団の気が緩んだ時そこでナムルの体が少し揺らぎ一団の神理者たちが次々と倒れ伏していく。

 彼女らが感じていたのはの心臓をつかみ取られるがごとき圧迫感、その感覚に熟練の神理者であるナムルは覚えがあった。呪眼術の基本にして奥義である魔術【竦見】である。

 

 本来は相手を少しすくませる、それだけの術である。だが過去に達人の呪眼士が放つ【竦見】を受けたとき今のように心臓が止まるかのような圧迫感を感じた。

 術を受けた彼女に向って天から降ってきた極彩色のターバンと外套の男が刃風を放つ。ナムルは腰から短棒を構え振り上げる、すると砂漠の砂が隆起し、幾条も吹き上がり刃風をかき消し男へと殺到する。


 彼女ナムルは沙装士、この砂漠すべての砂が彼女の剣であり、鎚であり、弓であり、盾であり、鎧である。


 一条の砂流を宙で跳ね回避する男、勢い余り砂流は城壁へと突き刺さり容易く貫通し大穴を開ける。

 男は上下左右前後から襲いかかる砂流を回避しナムルへと宙を駆け、ついにナムルを命刀の間合いへとおさめた。

 振り下ろされる命刀、対し受ける短棒は砂がまとわり剣の形を成していた。砂剣に万物両断せしめるはずの命刀が食い込むも刀の腹を砂に抑えられ両断できず。


 一瞬止まった男の体に追いついた砂流が殺到、男は命刀士にとって四肢よりも重要な命刀から手を放し間一髪のところで回避し大きく後退。潰され金属塊に成り果ててゆく命刀の音が虚しく響く。

 極彩色の男が楽しそうに、褐色の沙装士も楽しそうにしばしの間にらみ合う。


「やあ【武威殺し】のナムルだっけ、初めまして」

「……まさかあんたシェザードか?」

「そのとおり」

 陽気に笑う男にナムルが笑みを深める。

 神理者シェザードの姿と名は何百年もの間、神理連で語り継がれてきた。

≪月夜≫に所属する神理者として、邪霊の分体として、そして最強の命刀士として。


「で、何の用?」

「今度央都の支部長になってね、挨拶しておこうかなと」

「挨拶ね……」

「そう挨拶、ところでお嬢ちゃんなかなか可愛いね。一緒に一晩どうだい?」

「興味はあるけど、それ以上に興味があるのはアンタが噂通りの強さかどうかよ」

「興味あるの、じゃあこれ終わった後どこかふけこむ?」

「私が勝った後なら悪くないね」

「じゃあ無理だね、俺が勝つわけだから」


 あえてもう一度述べよう彼女ナムルこそが当世において並ぶ者なき最強の神理者だと。

 そのことに異を唱える神理者は≪昇陽≫にはいない。≪蒼天≫にもいない。≪晩鐘≫も前衛ならばと条件付きで認めるだろう。だがしかし≪月夜≫の神理者たちはこう反論する。 最強はシェザードであると。


 命刀術の開祖は優れた風術士であり真言術士だった。彼は風術の中から接近戦に使えるものを抽出し、万物両断せしめる真言を刀に刻み命刀と名付けその両者を操るすべを命刀術と名付けた。

 開祖の名は――イブリス。

 そう、命刀術とは最強たる者が自らのために生み出した術理。ゆえにこそ命刀士には自らが最強であると示す義務がある。


 片や沙装士の開祖はイブリスを倒すためにその生涯をかけた人間。彼はイフリートが火と風の魔術に長じるのは火と風から生まれたからだと考えた。

 ならば人間は土と水の魔術に長じるが道理。

 そう考えた彼は地の魔術を極めそれを用いて戦うすべを沙装術と名付け、ついにはイブリスに一撃を叩き込み深手を負わせたという。

 開祖の名は――アーダム、人間の始祖アーダムである。

 そう、沙装術とは最強たるものを倒すために生まれた術理。ゆえに沙装士には命刀士を倒し最強を否定する責務がある。


 そして今、地獄において最強の存在と沙装士が対峙した。

 双方共にこの激突を避けようという気もなし、だが……

 

「なんだ今すぐにやりたいところだけど……後ろの連中安全な場所にもっていっていいかい?」

「いいよ、どうぞ。後ろの連中が気になって負けたって言われたくないしね」

「あんがと、いや話が分かる男でよかった」

 そう言ってナムルは後ろの一団を砂で作った船に押し込み、砂漠に波を起こしてこれまで通ってきた道へと運び戻した、その速度は速くほんの少しの時間で地平線の向こう側に見えなくなった。

 

「さあって、始めるかい。さっさと腰のもん抜きなよ」

 そう言ってナムルはシェザードが腰に差した刀を抜くように促す。

 先ほど潰れた命刀は試しのために持ってきた二流品。今腰に収まる命刀こそがかつてイブリス自ら鍛え、真言刻んだ命刀。これを上回る命刀は地獄において一本のみ。


「いや、さっきこっちが先手とったからね。お好きにどうぞ」

「フェアだねあんた、友達にゃあなれそうだ」

「そう言ってくるとありがたいね」

 構え短棒に砂をまとわせていくナムル、それをただ見ているシェザード。


 先ほどの一連の小競り合いでは勝負は全くついていない。

 そも命刀士が沙装士と戦うときには距離を取るのが定石、なぜなら沙装士が操る砂は当然ではあるが自らに近いほど強く、早く、正確に操作ができる。そして命刀士は一度命刀を砂に絡めとられれば取り戻す術がなく敗北は必至。


 それでもなおシェザードには達人と呼ばれる程度の沙装士ならば切って落とす自信があった、それをナムルは軽々と超えて見せた。ならば次からは本来の勝負へと戻る。

 いかに命刀士をとらえるか、いかに沙装士にとらわれずに首を落とすかの勝負へと。


「さて、行くよ」

 長い準備を終えた褐色の沙装士が短棒を振り上げる、その動きに合わせ砂漠が鳴動。噴き出した砂が天へと昇りあがり時ならぬ砂嵐を生み出す。

 沙装士の常套手段、砂粒一つ一つに気力を込めたそれは一瞬で集まり武器へと変わり襲い掛かる。並みの神理者ならばすでに生殺与奪の権利を握られたに等しい。


 鳴動は止まず、ついには砂漠が津波のごとく隆起し城壁をはるか超える高さまでそそり立ち、全てを飲み込むがごとき濁流となって極彩色の命刀士へと迫る。

 シェザードは特に驚きもせず後方へと跳んだ、その跳躍は軽々と城壁を超え央都の中まで体を運ぶ。


 当然ナムルは津波とともに追う、津波が城壁に衝突しこの世のものとは思えない破砕音を響かせ城壁を容易く破り捨てる。同時にシェザードが無造作に刃風を放つ、巨岩のごとき城壁の破片は容易く両断するもナムルが操る砂の壁を突破はできず。


 刃風放ち砂塵を集め生み出される武具を感覚で避けながら高速で後退するシェザード、それを追う津波が中央の大通りを貫いていく。刃風を防ぎ褐色の沙装士は考える。

(強いけど私がまず勝てるって程度だね)

 だが、それでも彼女は油断をしていなかった。シェザードの奥の手を一つ知っているからである。 


 シェザードが最強の命刀士であると各神理連では語り継がれている、何故か?

 答えは単純明快、シェザードと戦って生きて帰ってきた者たちがいるからである。いや生きて帰らされたものたちといった方が正しいか。

 彼は少なくとも直接的には誰も殺そうとしない、殺そうと思えば殺せるはずなのにである。


 シェザードと戦い敗れ戻ってきた≪昇陽≫の命刀士にナムルは話を聞いたことがある。

『まあ、正直強かったよ、けれど絶対に勝てないって程じゃなかった。あの瞬間まではな、こう刀を自分の目の前に横に掲げるわけわからん構えをしてよ、その次の瞬間から今までのは何だったんだってぐらい速くなりやがった。その後は何もできなかったよ。気になって調べたが呪眼術にそういう術があるみてえだな、自分自身に呪いをかけて自分の身体能力を跳ね上げるって術がな。刀を鏡代わりに使ってるんだろうな』

 その男は鷹の獣人で≪昇陽≫でも一、二を争う命刀士だった。


 再戦したらどうなるかと聞くと彼は答えた。

『よしてくれよ、あんなのに勝てるわけがないだろう』

 その話をして少し後に彼は≪昇陽≫から引退していった、駆出しだったころから世話になった先輩だった。

 よく『この翼で本当の空を飛ぶんだ』と少年のように言う人だった。

 その心が完全に折られていた。


 今自分は先輩の心を折った男と戦っている。

 勝たねばならない先輩のためにも、≪昇陽≫のためにも、そして自分が地上へと戻るためにも。

 何度目かの攻撃、宙に集めた砂を巨大な鎚にして面を攻撃する。

 その攻撃が初めて極彩色の外套をかすめたとき、シェザードが刀を目の前に持ってくる構えを取った。


(来る――つぅ!)

 そう思ったときには既に刃風に肩を切り割かれていた。

 先ほどとは十倍に達するであろう数、倍する速度の刃風が砂の守りをぬって襲い掛かる。返しの砂は音を置き去りにする速さに上り詰めた命刀士にかすりすらしない。


(長期戦になったら負けだね)

 首や心臓といった急所は絶対に死守、それ以外は砂を肉に変えて即回復。

 人間の肉は土から、血は水から出来ている。一流の沙装士である彼女にとって砂を瞬時に肉に変えることは難しくはないが血は減る一方だ。


 沙装士の後ろに回り込む極彩色の影、死角に飛び込んだにもかかわらず周囲の砂が破裂。

 その衝撃で動きが止まる、逃さず津波が移動し命刀士との距離を零へと変える。

 砂剣と鍔迫り合った時点で敗北するシェザードは大きく後退。その顔は初めて笑顔から驚愕へと変わっていた。


(何を驚いてんだい、あんた速いって言ったって雷よりは遅いだろう)

 シェザードは知らない。沙装士からいずれ挑む相手と定められていたことを。

 その速さについてゆく為に雷放つ魔物を相手取り訓練を積んでいたことを。都市国家ならば滅ぼすに足る魔物を訓練に使うというその狂気的な執念を。


 一度の攻防の後に攻守が完全に入れ替わる。

 攻勢に出たナムルは音を超える速度を出すシェザードを容易くとらえ、確実に逃げ場が少ない地表へと追い詰めてゆく。


 幾度も攻防を経てついに音を超える速度で舞う極彩色の外套が中身の右腕ごと引きちぎられた。シェザードから刀と腕を奪うのは沙装士としては開祖アーダム以来の偉業である。

 この状況でなおもナムルは油断はしていなかった、自分にまだ切り札が残っているのだ。相手にはもはや手はないと考えるのは慢心が過ぎる。


「現れよ、我が分け身」

 シェザードの声が響く、それは命刀士としての敗北を認める声であったが勝利を求める声であった。

 真言によって一瞬にして現れる幾人もの極彩色のターバンと外套をまとった男たち、真言術の奥義の一つ。自らが知る強者をうつしだす魔術。


 これが切り札かと身構える沙装士の前で分け身たちがさらに術を唱える。

『現れよ、我が分け身』

『『『『『現れよ、我が分け身』』』』』

『『『『『『『『『『『『『『『『現れよ、我が分け身』』』』』』』』』』』』』』』』

 ほんの数舜の後には百の数をこえたシェザードにナムルは取り囲まれていた。

(……おいおい、嘘だろ)


 彼女は何に驚いたか。達人の域に達した真言術士ですら長々とした真言を必要としほんの刀一振りさせるのが限界の魔術を僅か二言で発動する技量か、それを長々と維持する気力か、それとも純粋にこの状況か。

 呆ける間もなく百人の命刀士が一斉に眼前に刀を横に構える。音を置き去りにする命刀士がこれで百人。

 

 褐色の沙装士に極彩色の群れが襲い掛かる光景はさながら嵐のようだった。

 至近距離まで間を詰め動きを止めようとする者たち、距離を取り刃風で切り刻もうとする者たち、そしていまだに数を増やそうと真言唱える者たち。

 

(こりゃ無理だね、しかたない使うか)

 自分に向かってくる五人目のシェザードを殺したところで限界が来た。

 刃風に引き裂かれ、体を両断され上半身と下半身が分かれる。

 ゆっくりと緩慢に思えるほどの速度で砂の津波へと落ちていく。


 その落ちゆく上半身が突如崩れ砂へと変じ津波へと飲み込まれていった。

 何が起こるかを察したシェザードたちは央都を巻き込まないために一斉に宙へと上がった。津波が形を保てず崩れ落ちてゆく、一瞬の静寂。

 

 そして静寂を破る激震する央都周辺の砂漠、二本の巨大な……央都を軽々と掌に載せれそうなほどに巨大な腕。これなるは沙装術の奥義、自らを砂とし砂漠そのものを自らの体とし人の身であった時の何百倍もの砂を操りきる魔術。開祖以外使いこなす者のなかった秘儀。心弱ければ悠久の砂漠に魂を溶かされる禁術中の禁術。


 常人はおろか神理者だとしても生き延びるにはひざまずき許しを請う以外ない強敵。

 それに対し隻腕のシェザード、つまり本体がとった行動は笑みを深め首筋を親指で指すこと。どのような余裕かそれは『この首を獲ってみろ』という挑発。


 挑発に応じ襲い来る砂の巨腕。対し一致団結し真言唱えるシェザードたち。

 光り輝く巨大な壁が宙にそびえ一瞬拮抗。だが、砂漠が瞬時に干上がるように腕へと質量を移動させ壁を破りぬく。

 腕が移動する瞬間に指が王宮をかすめて無残な傷跡を刻む。


 百いたシェザードたちが腕に握りつぶされ半じ、叩き潰され半じ、放たれる砂嵐の激流に引き裂かれ半じ。

 結果残った十三人のシェザードたちは直径五メートル程度の球形の壁を張りその中に立てこもることに成功。二本の巨腕は球形を挟み込み握りつぶそうとするも揺るぎもしない。


 巨腕はさらに砂漠から莫大な砂を吸い上げ、央都周辺の砂漠を地獄の底まで届きそうなほどの大穴へと変え、真言で出来た壁をゆがませ軋ませる。

 その質量、その質量を動かす力、その力を操る魂の消滅すらいとわぬ狂気。それら全てがシェザードに襲い掛かる。 


 実のところを語ればシェザードがこの状況から逃がれることは容易いことだった。時と空間を渡れば簡単に逃げ延びることはできる。

 沙装術の開祖アーダムと戦った時は術が切れるまで逃げ回ることで勝利した、だが今回はその戦いより数百年がたっている。

((((ここで逃げたら成長がないよね))))

 極彩色の男たちはそう思い、正面から砂漠を受け止め打ち破る道を選んだ。


『『『『■■□□■□□■■』』』』

 十三人のシェザードたち、十二人は壁を維持し本体が逆転のための術を練る。彼らの口から漏れ出る真言は人の耳にとらえることができる速さを完全に超え、何か甲高く耳に響く奇音にしか聞こえはしない。

 

 史上最高の真言術士たちが創った強固な壁、潰そうとする砂獏そのものとなった沙装士。 

 この勝負はシェザードが逆転の術を完成させるが早いか、ナムルが潰すが早いかの勝負。

 勝負の天秤は留まることなくゆれ動く、真言で出来た壁に巨大な破壊音とともに無残なヒビが入る。

 ヒビは止むことなく幾つも走り、奔り、旋り、ついに壁が潰れた。


 限界をこえ消え去るシェザードがの分体たち、本体の鼻先まで砂が迫ったとき万言を費やされた術が発動する。

「消えろ」

 その一声に込められた意思によりまずシェザードの目の前の砂が消失、消失は止まず空気に音が響く速度で莫大な量の砂が消え去ってゆく。術に込められた意思が魂の消滅をいとわぬ執念に勝ったがゆえに。

 

 ほんの数舜後には王都周辺の砂は全てが消え去り後には地獄の底まで続くような穴だけが残った。当然ナムルがさすがにここを使うのは後味が悪いと使わなかった央都の下の砂も消えたため央都が落下。

「あ、しまった。留まれ、留まれ、留まれ!」

 シェザードの意思に応え央都は十メートルほど落下してから中空に留まった。

 

 当然、央都に住まう者たちも全員が十メートルを落下。常人が耐えられるわけもなくすなわち住民全員が死亡……ということにはならなかった。

 男も女も、老いも若きも、貴賤問わず全ての住人たちは薄い光り輝く膜によって包まれ一人残らず無傷。これなるは人間たちから≪姦淫≫と≪偏愛≫と≪格差≫と呼ばれる者たちの術。


 彼女らは地獄において最も人間を愛する存在、であるがゆえにこの央都そのものを破壊するがごとき戦闘において全ての人間を守護し、なんと一人としてけが人すら出していないのである。ただ一人シェザードと戦ったナムルを除いて。


 体を無くしたナムルの魂は獄へと向かう、それはまるで川を船でゆくかのような感覚だった。少し揺れゆったりとしているように思えるのに意外なほどの速さで進む。

 すでに央都も遠くになり小さくなり始めていた。

(死んだらこうなるのかい……意外ときもちいもんだねって!)

 ゆったりとした時間の中にいた彼女は突如、強力な力で央都まで引き戻された。


 引き戻された先は先ほどまで殺しあっていたシェザードの掌の上。

(なんか用かよ?)

「ちょっとね。現れよ、土と水よ」

 真言によって生み出された大量の土と水が一塊の泥山となり、そこにシェザードはナムルの魂を放り込んだ。


 泥の塊がうごめき、ひとりでに人の形……ナムルの生前の形へと整えられていく。

 整えきられた泥塊は上体を起こして話し始めた。

「……なんで生き返らせた?」

「いや、死んでたらできないだろう?」

 勝負が始まる前に誘われたこと、その時どう返したかを思い出したナムルは思い出した言葉を返した。


「あたしが勝ったらと言っただろう」

「残念。じゃあね君が平安と共にあらんことを」

 言葉ほど残念そうでもなく、ごく普通の別れの挨拶あるいは特大の皮肉を残し去ろうとするシェザード。


 彼の腕は片方がまだ失われたまま、そこから血が滴りおち地面に落ちて燃える。

 燃えているのだ、血が燃える存在、それをナムルは知っている。

 その体は風、その血は炎、主に最初に地上の主と定められた存在、すなわちイフリート。


 そして彼女が知る最強のイフリートその名が口から自然出た。

「イブリス」

「ん、まだ何か用?」

 イブリスの名に当然のように言を返すシェザード、まさか返されるとは思わず一瞬言葉に詰まり、そして最も知りたいことを聞いた。


「お前の全力はどの程度何だい」

「……さっきの一万倍はいくかな」

 その言葉を聞いたナムルは絶望的な表情をしたがそれに彼は心の中で独白を続けた。

(とは言え、その一万倍にまで君はあと一歩というところだろうね)

 それを声に出すほどにはイブリスは優しくはなく、そのまま去っていった。


 褐色の沙装士はその後姿を眺め、やがて上体を倒し深く呼気をだしてただ一言。

「………………疲れた」

 これまで一度たりとも吐いたことのない言葉を心底から吐き、月光満ちる夜空を眺めながら彼女は眠りについた。


 かくして時間にして僅か五分にも満たない最強のイフリートと神理者の戦いはこうして終わったのであった。


 ◇ ◇ ◇


「かくして時間にして僅か五分にも満たない最強のイフリートと神理者の戦いはこうして終わったのであった」

 シェザードの自分語りが終わり卓は拍手に包まれた、が一人だけ驚いた顔をしている者がいた、ラクダの獣人ダールである。

「イブリス様だったんですか、シェザードさん?」

「そうだけど……まさかダール、君気づいていなかったのかい?」


「失礼ながら全く気付いていませんでしたイブリス様」

「ああイブリスと呼ぶのはやめてくれ。イフリートの風習でね本当の名前は家族のように親しい相手にしか教えないものなんだ」

「分かりました、シェザードさん」

「さーて、じゃあ今日は気分もいいし飲もうか」

 そう言ってイブリスは酒杯を掲げて卓の皆に呼びかけ、それに皆が応え酒宴が始まった。


 ◇ ◇ ◇


 皆様方いかがでありましょうか。

 邪霊王イブリスとその手先たちの物語、戦いあう無法者たちの物語、人を超える者たちのけれども結局は心ある者たちの物語。

 物語は始まったばかり。

 いくつもちりばめられた伏線もまだ意味をなさず、物語の結末も定かならず、されどひとまずは閉幕。

 続きは幕間『沙装士が海を目指すとき』を挟みましてから。

 さて皆様方、今宵はここまで。


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