春沢優
春沢優。
彼女のことを話すには俺が1年生の頃まで遡る。
高校入学当初、俺は恋愛というものに憧れがあった。
特定の好きな人がいたわけじゃない。
玲奈という完璧な少女が身近にいたことを考えても、それ以上に惹かれる女性はいなかったと思う。
けれど、中学の頃玲奈と嫌というほどに釣り合わなさを感じてしまっていた俺はいつからか玲奈を恋愛対象として見ることができなくなっていた。
そんな時俺は春沢優という女子と知り合った。
初めは美術室の前に飾られた彼女の絵画を見たことがきっかけであった。
もちろん、芸術というものを俺が理解などできるはずもなく何が凄いのかと言われれば答えるのが難しいけれど、その絵には俺を惹きつける何かがあった。
今にして考えてみればその絵を描いているであろう人に玲奈のような圧倒的な才能に近い何かを感じ取っていたのかもしれない。
そうして暫くその絵画を眺めていたときに春沢に
「私の絵に何かついてる?」
と話しかけられたのが初めての会話だった。
その時のことは今でも鮮明に思い出せる。
特徴的なのは切れ目に短い黒髪、そして女子にしては珍しい俺と同じくらいの背の高さ。
飾り気のない純粋な素材の綺麗さ、派手な金髪の玲奈とはまるで対極のようで近い何か。
初めて見た時不意に思い出した、玲奈に好意を抱いていた当時の自分の気持ちを。
そこから俺は時々春沢と話すようになった。
と言っても、俺はクラスでも目立たない生徒だったしかたや春沢は美術部の期待の新人。
彼女が描いている絵を美術部員がいないときに見にいって、そこで春沢と話すくらいだった。
春沢は同学年に玲奈がいたこともあって、入学当初目立つわけではなかった。
美術部では有名だし、もちろん彼女の華麗さに気付いていた人も多かっただろうけどあまり人と積極的に会話するタイプでも無かったし当時の友人もクラスで中心となるようなタイプでは無かった。
俺は春沢に惹かれていることを感じていた。
話せば話すほど、心地よさがあり無理をしなくてもいいと感じられた。
決して長くはない期間だったけど、玲奈にある意味縛られ続けた俺の今までとは違うどこか夢のような時間だった。
そうして、俺は初夏の太陽が煌々と刺す日冷房のかかって冷えた美術室で春沢に告白した。
なんて言ったかはもう思い出せない。
必死に自分の気持ちを言葉にしようとは思ったけど、実際にそれが春沢に伝わったのかはわからない。
けど、どんな答えが帰ってきたのかは鮮明に覚えている。
「ごめん。新城とは付き合えない。」
そんな言葉だった。
フラれることを全く考えなかったわけではない…けど、どこか期待した答えが返ってくるんじゃないかって思い込んでいたのかもしれない。
それは春沢が当時の俺にとってとても居心地の良い存在だったから。
玲奈と同じような輝く才能を持っているのに、幼なじみの玲奈と違っていつも比べられるわけじゃない。
そんな自己満足のようなものを恋愛感情と勘違いした俺は当然フラれた。
春沢にも分かっていたのだろう。
俺は春沢という少女を見ているようで全く見ていなかった。
自分の弱さを正当化する理由を春沢に求め、それでいいという証を欲しいがために恋人という関係を望んだ。
それ以降、俺は春沢と話すことはなくなった。
理由としては単純なものだったけど春沢と話すのが気まずかったし、何より申し訳ないと思った。
その後の彼女のことは1年生の秋頃から本橋香織の紹介で仲良くなったと玲奈から聞いた。
そのときには学年で最も人気のあった滝谷遼という男子生徒と付き合っているという噂を耳にしていた。
滝谷はテストの順位表では玲奈にいつも次に見るほど優秀であったのと、拓哉がとんでもないイケメンがいるんだよって羨ましそうに語っていたのでどんな人間かはある程度分かっていた。
滝谷の隣で楽しそうに笑う春沢を見て、どこか安心した自分がいた。
玲奈と釣り合わなかった俺を正当化するみたいに、やはり才能のあるもの同士は惹かれ合うのではないかと。
そして時刻は現在に戻る。
保健室から出て教室へ戻る階段下で長らく話すことのなかった、彼女とまた話すことになったのだ。
「春沢は…何でここに。」
うまく声が出ているのだろうか、春沢のことは吹っ切れたつもりだったけれどそんな内心とは裏腹に体は動いてくれない。
「まあ建前の理由としては怪我してた高嶺さんがいなくなったのに気付いて、大丈夫かなって思ったから。」
春沢は気付いていたのか…。
もし俺が高嶺に声を掛けなかったとしても、春沢がどうにかしてたのか。
少し複雑な気持ちだな。
「建前ってことはそれ以外にも何かあるって意味でいいんだよな?」
俺は含みを持たせた言い方の春沢に聞いて欲しいであろう質問を返す。
「ええ。本心は新城のことが気になったから。新城は怪我した高嶺さんより酷い顔してたし。」
え、どういうことだ?
って言葉を必死に飲み込む。
「多分、持久走で疲れたからだよ。というかこっち見てたのか。」
「それもあるけど朝から調子良くなさそうだったし。」
「それは…。」
恐らくストーカーの件でいつもの自分を演じる余裕がなかったからかもしれない。
そんな差異に春沢は気付いてたのか。
前からどこか鋭い感を持っているとは思ってたけど、まさかここまでとは。
「でも、あんまり心配いらなそうね。今はだいぶマシな顔つきになってきた。」
「そうか。」
高嶺と話したからかな。
自分の中でリラックスできたのかもしれない。
高嶺を介抱するつもりが逆に俺が元気を貰ってたのかもな。
心の中で高嶺に感謝する。
「ずっと、聞きたかったんだけど何で美術室来なくなったの?私にフラれたから?」
唐突に俺が話したくないトップの内容をズバッと聞いてくるな。
春沢は確かにこういう性格だった。
脈絡もなく自分の疑問を相手にパッと投げかける。
「まあ、それもあるけど…。俺は春沢に申し訳ないと思ってたからさ。」
「そう、私は結構来ないかなって待ってたんだけど。」
「そりゃ行きづらいだろ。それに俺は美術部じゃないしな。」
どこか会話が噛み合っていないような感じがする。
春沢は俺のことを友人としてまだ見ててくれたのか。
でも、俺は到底そんな気持ちにはなれなかったし春沢も俺の真意に気付いていると思っていた。
「まあ、それならそれでいいけど。ーーーで、次はいつ来るの?」
何でだ。
ってツッコミそうになった。
「行かないよ。何でまた行く流れになってるんだ。」
あれから一年弱経っている。
もう春沢との距離感もわからない。
「もう、気まずくないわよね?こうして話してるんだから。」
やっぱり、こいつはわからない。
玲奈より圧倒的に会話が成立しない。
俺が凡人すぎて理解できてないだけか?
「あの頃よりは気まずくないけど、今更またどんな顔して話せばいいんだよ。」
「いいんじゃない、前みたいに話せば。私は恋愛感情はともかく人間としての新城はかなり買ってるつもりだから。」
こんな言葉でも嬉しくなってしまう、自分を必死に抑える。
以前のような関係に戻ってもいいのか…俺はまだ春沢に申し訳ない気持ちが残ってる。
「悪いけど、俺はもう…。それに春沢はもう彼氏いるんだろ?友人だとしても2人で話すのは気が引ける。」
そんな言い訳を作ってでも必死に逃げようと画策する。
滝谷がどう思うかなど微塵も考えていないのに。
「それもそうね。じゃあ、遼のこと紹介する。3人でなら気にならないわよね?」
諦めてくれるわけじゃないのか。
「分かった、それでいいよ。そのうちな。」
こっちが引くしかないな。
永遠に終わらない気がする。
「じゃあまたね。」
用件を終えるとあっさり振り返り返って離れていく春沢。
そうだ、こいつはそんなやつだった。
わがままで、センスの塊で、よく周りが見えてるそんな奴と俺は玲奈を重ねてたのか。
恋は盲目っていうのかもれないけど、春沢と離れた今だからこそ前よりしっかり見えそうだ。
玲奈の代わりなんかじゃなくて春沢優というただの女子生徒として。