春沢優の過去2
彼は唐突に現れた。
私はその頃…やはり新城と話しておきたいと、臆病な自分を振り切ろうとしていた時。
すぐには話しかけるのは難しかったけれど、今なら…そんな風に思っていた。
しかし、そんな考えを見越したように彼は私の前に現れたのだ。
私は、彼のことを知りもしなかったけれど…いきなり、話しかけられて警戒度は高まったと思う。
彼にもそれに伝わったようで
「ああ、すまない急に話しかけてしまった。俺は滝谷遼、君と同じ1年生だよ。」
彼はそう名乗った。
その名前には聞き覚えがあった。
確か、クラスメイトの香織が彼のことをとてもイケメンであると言っていた気がする。
近くで見ると整った顔をしている。
誰と比べて整ったと思ったのだろう…私は考えるのをやめた。
「これ、君の絵だろ?」
彼は小さなパンフレットを私に見せてきた。
そこには私の絵が紹介されている。
「ええ、そうだけど。」
私の絵が全国大会に出展されたことで、それで少し前にインタビューを受けたことがあった。
雑誌の記者だっただろうか…写真を何枚か撮って話したくらいだけど、こんな記事になっていたのか。
顧問の先生に受けた方がいいと言われて特に何も考えず受け答えしていただけだったから、記憶に残らなかった。
「とても良い絵だと思ったんだ。俺は美術関係にそこまで詳しいというわけではないけど、気に入ったよ。」
「そう…それはありがとう。」
私にとっては、自慢というわけではないけれど聴き慣れた感想。
私が欲しいのはそんな言葉じゃない…いや、私は何を思っているのだろう。
「絵を見ても感じたけど、実際に話してみるとやはり勘違いじゃないみたいだ。」
「なんのこと?」
彼は何を言っているのか…
「いや、君は確かに美人で絵が上手いだろうけど…それだけじゃない。」
さらっと褒められたけど、私にはそんなことはどうでもよかった。
気になるのは次の言葉
「君は飢えているんだね…今描いている君の絵は美しくない。」
「…、あなた…一体。」
私は彼が言ったことで内心びっくりしていた。
出展されている絵は夏前に描き上げたもの。
それはつまり、新城が…側にいた時。
その時の絵と今私が手掛けている絵は違う。
先生や部員のみんなには褒められたけど、私自身は納得できなかった。
「俺は君のことを理解できるよ、君が今味わっている感情もまとめて救い上げられる。」
目の前にいる彼の印象は当初の爽やかな美少年というものからかけ離れていた。
私は彼のことをどう思っているのか…うまく言語化できないけれど、強いて言うなら『不気味』。
私のことを見透かしているようなその瞳が怖かった。
「怖がる必要はないよ。君が誰のことを考えているのかは知らないが、君を今の状態から立ち直らせることはできる。」
「そんなことあなたに…」
新城でもない彼が私を立ち直らせるなんてことできるはずがない。
それだけは決してないと思っていたのに
「じゃあなんで君はそんな顔をしているんだい?」
「私の顔…。」
「それは揺らいでいる人の顔だよ。自分の考えに自信が持てず、道が見えていない人間の顔だ。」
私の顔はそんなんだっただろうか。
入学した頃…私に悩みなんてなかった。
頑張って、絵描きとして成長することだけをただ考えていた。
しかし、ここ最近の私は酷く揺れている。
新城に出会ってからの自分は…まるで自分を見失ったみたいだ。
「君が優れた才能を持つ人だということは俺でも明らかにわかる。だからこそ、もったいないと思うんだ。」
彼は一呼吸を置いて
「君には深い人間との関わりは必要ない。俺なら君のことを以前の君に戻ることができる。」
「昔の私に…」
新城と元の関係に戻っても…私はきっと悩み続けるだろう。
語り合うのが楽しいと思う一方、彼が私を見てくれないのはわかっている。
それが酷くもどかしい。
「そうすれば、君は何も考えなくて良い。俺なら君にそんな悩み事をさせることは決してないよ。」
「考えなくて良い…。」
私は悩みたくなかったのか…新城と話すことで悩み続けるのなら、そこまでして私は何をしたかったのだろう。
「俺の手を取って…俺と共に行こう。」
彼は手を差し出してきた。
その手は私が以前のように絵を何も考えず楽しく描くことができるために最短路なのだろう。
大きな波に飲まれるように、私は彼のことを拒むことはできなかった。
私はなんで、新城と話したいと思っていたんだっけ…。
時間はすごい速度で過ぎていった。
少し前の私とは思えないくらい、悩みは消え失せていた。
新城のことを考えるのも、日に日になくなっていき…今ではほとんど思い出すことはなくなった。
彼氏としての遼はとても素晴らしい人だった。
今まで出会ってからの人間でこれほど心地いい相手はいなかったであろうと思うくらいに。
私たちが恋人の関係になってからも、良好な関係を築くことができた。
彼は必要以上に踏み込んでくることはないし、これからもそうだろう。
普通の高校生のカップルからしたら、とても冷めた関係だと思われるかもしれない。
その代わり、彼は私の悩みを尽く消していった。
人間関係の悩みなんてものはなくなった。
充実している…とはこういう時のことを言うのだろう。
私はそう言う意味では間違いなく過去にないくらい楽しんでいた。
「ねえ、優。紹介したい友達がいるんだけどいい?」
香織はある日、そんなことを言ってきた。
秋に入ってすぐくらいだっただろうか…。
私はそこまで人間関係を伸ばしたいタイプではなかったけど、香織は入学当初から良くしてくれているので友達を1人増やすくらいなら問題ないだろうと思って快諾した。
「蘭堂玲奈です。香織とは以前から仲良くしていたんだけど、私とも仲良くしてくれるといいな。よろしくね。」
彼女を見た時感じたものは…圧倒的な美しさ。
今までここまで完成された人間を見たことはない。
遼を見た時、近いものを感じたけれど…彼女から感じるオーラはそれ以上のものだった。
それくらい、彼女は規格外で…驚いてすぐに言葉が出なかった。
「春沢優よ。こちらこそ、よろしくお願いするわ。」
彼女のような人は…誰にも寄りかからずに生きることができるのだろうかと純粋に疑問を抱いた。
香織と玲奈とは…とても長く付き合っていると思う。
1年生の秋から結果的には現在に至るまでずっと。
クラスでも良く話すし、時々は3人で遊びに行ったりもした。
香織も玲奈も私とは違った考え方をしていて、それはとても面白いと思った。
玲奈は学年1の成績で、容姿はそれ以上の規模で1番を取れるだろう。
香織も、男女ともに人気が高く…いつも周りの人に気を配っている印象だ。
その上、玲奈や私のことをとても大切にしてくれているのはすごく感じられる。
そうして、彼女たちと過ごしていくうちに…私はあることに気づいた。
気づいたのは偶然だったのかもしれない…ある時視線を感じたら、その先には彼がいた。
私のことを見ていないことはすぐにわかった。
視線の先には、私の友人。
その表情は以前に見たことのあるもの。
「あ、そうだったのね…。」
考える必要はなかった。
あれだけ悩んでいたことだったから。
そうか…新城が見ていたのは玲奈だったんだ…。
長い答えにようやく辿り着いた気がした。
1年生ももう少しで終わると言うくらいの、3月に入ったばかりのある日
「玲奈…少し話いいかな?」
私は玲奈に話しかけた。
玲奈と2人きりで話すのは、かなり珍しいことであったが言葉はすんなり出た。
「うん、もちろん大丈夫だけど。どうかしたの?」
玲奈はこれから帰ると言うところで荷物をまとめていたが、私の話を聞くために手を止めてくれた。
「玲奈は新城と知り合いなの?」
私がそう言った時、玲奈の瞳が少し揺れた気がした。
「新城くん?ーーーうん、幼なじみだけど。」
幼なじみ…想像以上に、深い関係だなと思った。
けど、玲奈の口振りでは…今はあまり関係がないと言外で告げたようなものだった。
「そう、なんだ。」
私は玲奈が新城の想い人であることはすぐに理解できたけれど、玲奈から見た新城はどうなのだろうと思ったが…玲奈は全く意識していないのだろう。
「優は、新城くんと話したことあったっけ?」
私も新城も人間関係が広いとは言えない。
とても狭い人間関係の中で生きているだろう。
だからこそ、玲奈にとっては私と新城の関わりは疑問なのかもしれない。
「それはーーー」
素直に答えればいい…絵を通じて知り合ったと。
あの日、新城の表情を見た時話したいと思ったから、友達のようなものになったって。
「ううん、なんでもないわ。なんとなく気になっただけよ。」
言えなかった。
私は玲奈に新城のことを話したくなかった。
いや、玲奈でなくとも話したくない。
私と新城の思い出を誰かに、知られたくない…だって、それは私だけの。
私だけのなんだろうか…私にそんなことを言う資格があるのか。
「そうだったんだ。私も今の彼は詳しく知らないけど、よければ私から何か伝えようか?」
玲奈は歯切れの悪い応答をした私を勘違いしたようで、提案をしてくれた。
「いえ、違うの。なんでもないわ、大丈夫。」
「そう?何かあったら気兼ねなく言ってね。」
私は玲奈に言えなかった…何も。
その上、思い出したくなかった感情まで少し思い出してしまい…憂鬱な気分になった。
「また悩んでいるのかな、優。」
喫茶店に入って、遼は私に尋ねた。
「え…よくわかったわね。」
遼は最近魔法使いなんじゃないかって思うことがある。
彼は本当に私のことをよくわかってくれる。
「優はわかりやすいからね。」
「そんなことないはずよ。」
自分では結構うまく隠せているつもりだ。
遼からしたら、バレバレなのかもしれないけれど。
「で、何があったんだい?」
「まあ、そうね…遼に聞いてもらおうかしら。」
「ああ、彼氏なんだから当然だよ。」
私は遼に起こったことのあらましを説明した。
玲奈のことや、新城のことを伏せて話したので…話が少しわかりづらくはなったと思うけれど、遼は何も言わず最後まできちんと聞いてくれた。
「なるほどね…。」
遼は少し考え込む仕草をして
「優は物足りないのかもしれないね。」
「物足りない?」
「優は、今のままじゃ満足できないのかもしれない。君のいいところは、自分自身であることが美しく見えることだ。」
「それがどうしたのよ。」
「普通の人であれば、本性を晒すことはとても怖い。自分を偽ることが、相手に好かれることだと本能的に思うわけだ。」
「なぜ本性を晒すことが相手に好かれないことに繋がるのよ?」
「人間は醜く、愚かなものだからさ…好かれたい相手には、その相手が見たい自分を演じることが結果的にその相手によく思われる最短ルートだと考えるんだよ。」
「私にはよくわからないわ。」
人とそこまで深く関わったことのなかった私には、その感情はよく理解できない。
好かれたいと思って接したことなんて一度もなかった。
合わない人というものは、そのうち離れていくものだと考えていたし…引き止めなきゃって思ったことも…なかった…はずだ。
「でも、最近の優は違うんじゃないかな?」
「どういう意味よ。」
「君は誰かのことを考えているってことだよ。意識的か無意識かはわからないけれどね。」
「それは…。」
思い当たる節がないでもないけれど、それは遼と付き合うと決めた時に捨てた感情だったはずだ。
「俺は、優の偽らない本性を気に入っている。君がそうやって本当の心をぶつけてくれるのが…楽しくて仕方ないんだ。」
「趣味が悪いと言われたことはないかしら?」
「ないこともないかな、でも…そこに嘘をついてしまうのは俺らしくないからね。」
「それもそうね。」
初対面から、あの時の私を否定してきた男だ。
今更何を言われても驚くことはないだろう。
「今は悩んでもいいんじゃないかな?夏ごろの君と今の君じゃ少し状況が違う。」
「状況…。」
「そう。あの時は悩めば悩むほど底に沈むような雰囲気だったが、今はそうは見えない。だから、答えが出るまで考えるのがいいかもしれないね。」
遼はそう言って笑った。
彼が言うことは時々私の理解を超えることがある。
でも、私にとって必要なことを言ってくれているのは間違いないと断言できる。
「ええ、そうすることにするわ。いつもありがとう、遼。」
「彼氏としては当然の務めだからね。」
彼がその後呟いた「そろそろ頃合いかな。」と言う言葉は私の耳には入ることがなかった。




