恋人と弟
夏休み目前となれば、どのような生徒でも少しはワクワクするものだろう。
夏の風物詩である異常な暑さや、コンビニに売っているアイスやスイカにとてつもない魅力を感じたり。
それは少なくとも雛元高校に通う生徒たちは、夏休みの到来を楽しみにしているのだった。
そして、本日は待ちに待った、終業式の日。
今日さえ乗り切れば夏休みはすぐそこなのだ。
「新城は大丈夫なの?」
クラスメイトで友人の春沢優は私にそう聞いてきた。
「うん。怪我はもうだいぶいいみたい。」
どうやら昨日は勝手に病院以外のところに出歩いていたみたいだけど。
まあ、愛理ちゃんが着いているなら多少は安心できる。
「そっか。それならよかった。」
優も心配してくれていたようで、ほっと息を吐いている。
「ねえ、2人とも!そんなことより、夏休み何するか決めない?」
いつも一緒にいるもう1人の友人。
本橋香織。
派手に着飾った制服だけでなくオーラも輝きが見えるほどに普段から明るい性格。
奏多に対して暴言を言ったことは今でも許してはいないけど。
「私は部活で忙しいわ。だからあんまり時間取れないと思う。」
優は美術部で優秀な成績を残している生徒。
今年も絵画の全国大会への出場が決まっていたはずだ。
夏休みが暇なはずがない。
「じゃあ玲奈は?」
「私は…」
頭に思い浮かぶのは奏多のこと。
私の最も愛する人であり、何にも変えられない人。
彼と恋人として過ごす初めての夏休み。
大人びているという評価を同級生や先生に言われる私であっても楽しみで仕方ない。
「玲奈?」
黙り込んでしまった私に怪訝な瞳を向ける香織。
「あ、ごめん。何の話だっけ?」
もう私の頭の中は奏多でいっぱいになってしまった。
「だ〜か〜ら、夏休みだってば!玲奈はいつ遊べるの?」
そうだった、そんな話だった。
「基本的に夏休みの間はそんなに忙しくはないと思う。けど、生徒会にも行かないといけないから。」
私はこの秋、生徒会選挙に出るつもりだ。
理由としては不純なものが大きいかもしれないが。
「あ〜、そんなこと行ってた気がする。ていうか、やっぱ玲奈って真面目。」
「それって褒めてる?」
香織の口調はあまり褒めているように聞こえなかったけれど、多分その通りなのだろう。
「玲奈はそれ以外にも忙しいんじゃない?新城の介護とか。」
優の言葉に私の顔は一瞬で紅に染まってしまう。
「あいつね。」
香織も納得はいっていないようだけれど、ある程度の理解は示してくれているらしい。
私と奏多が交際していることはすでに学内で知らぬ人はいないし、何より私も聞かれれば付き合ってますと答えるため隠す気すらない。
「ちぇ、2人ともノリ悪い。」
「夏休みに一度は遊びにいこ。私も遼と相談してみるし。」
滝谷遼。
優の彼氏だけど、私はどこか彼のことが気に食わない。
良い悪いの話ではなく、どこか不気味というか…恐らく私のように大きな才能を持って成長したであろう彼ではあるがその底は私にもわからない。
「2人とも彼氏持ちか…私も彼氏作りたいな〜。」
香織はガクッと机に頭を着く。
「彼氏を作るために好きな人を作るってなんか本末転倒な気がする。」
と私はトドメを刺してしまったのだ。
終了式が終わり、ようやく夏休みを迎えた私たちだけど喜びに浸ることなく私は帰路を目指す。
「早く。」
私は何がなんでも早く帰りたかった。
待ちに待った奏多と一日過ごすことのできる日々、このために私は奏多がこない学校にも何とか頑張って登校していたのだ。
私は昇降口で靴を履き替える。
「あ、ちょっと待ってくれないかな?」
そこに立っていたのは優の彼氏であり、学年1の人気を誇る男子である滝谷遼。
先ほど話していた人だったのだ。
「ごめんなさい、私急いでいるんだけど。」
私は滝谷くんに連れられ、校舎裏に来はしたけれど気乗りはしない。
私の気持ちは今すぐにも奏多に会いたい…それでいっぱいなのだから。
「時間は取らせないよ。でも、言っておきたいことがあってね。」
「なんのこと?」
「奏多のことさ。」
「…」
彼から奏多のことを聞くことがあるとは。
奏多と仲良くしているのは知っていたけど、私にまで話しかけてくるとは思わなかった。
去年のあの一件以来私と彼の間に接点はない。
「奏多が今回傷ついたのは偶然じゃない。君も知っての通り、何者かが裏で糸を引いていたんだ。」
「そう。」
なんとなく想像はついていた。
もし、奏多が守ってくれなかったら、私はどうなっていただろう。
竹下先輩まで関わっていたなんて、私には想像もついていなかったし…偶然とも思えない。
「仮面の少女。」
「あなたも知っていたの?」
彼はあっさりと犯人のことを話した。
「俺はほとんど何も知らないさ。ただ、今回の件におおよそ彼女が絡んでいたことは想像がつく。」
「それをなぜ私に?」
「君と奏多にうまく行って欲しいからさ。彼女の邪魔で君たちが引き離されるのは俺にとっても望むところではないから。」
「そんなことをあなたが気にするとは思わなかった。」
彼の場合、私と同じように多くのものに無関心だと勝手に決めつけていた。
それは私と同じように望んでいない才能を手にした者ならば仕方のないこと。
他人への干渉は薄れていき、自分の最も優先すべきもののみに全てを注ぎたくなってくる。
少なくとも私はそうであった。
「俺にも君たちがうまくいくことでメリットがあると思ってもらえれば良いよ。何も君たちのためだけにしていることじゃない。」
「なるほど、わかった。警戒しておくことにする。」
元々仮面の少女に関して、私が手を抜くことはない。
彼女がまだ諦めていないことも、そう簡単に諦めるような相手でないこともわかっている。
「ああ、気をつけてくれ。彼女は目的のためならば手段は選ばない。」
滝谷くんの言葉は私に深く刺さった。
これからはさらに彼女の攻撃が強く、そして激しくなることを思い浮かべたから。
でも、そうでもなければこちらも迎え撃つ準備が無駄になるというものだ。
かかってきなさい、全力で…何をしてきたとしても奏多を奪わせはしない。
「おかえり。」
私は家にようやくの思いで着いて玄関を開けたら目の前に奏多がいた。
「た、ただいま…。ーーーじゃなくて、なんで奏多がうちにいるの?」
いつもそんなに大きなリアクションは取らない私だけど、今回ばかりは驚いてしまった。
奏多がうちに来たのは恋人になったあの日以降なかった。
お母さんのことが苦手だから、そうしていたのだと思ったけど…今日はうちに来ているのはどういうことなのか。
「やっぱ姉ちゃん驚いてら。俺の言った通りだったろ、かなにい。」
そうして奏多の後ろから出てきたのは、私の弟である蘭童健人。
「健人の手引きだったの?」
「手引きなんて言い方はどうかと思うな。俺は姉ちゃんが喜ぶかと思って呼んだのに。」
そんなこと言っておきながら、奏多と遊びたいだけの弟に呆れながらも奏多が来てくれたことに対しては嬉しかったので何も言えない。
「悪かったな、勝手にきちまって。」
奏多が申し訳なさそうにしているのを見て冷静になった私は
「ううん、そんなことない。嬉しいよ、奏多とこんなに早く会えるなんて。」
なんとか取り繕った。
部屋に戻って、制服ではなく私服に着替えた私は鞄の中に入っていたものを思い出してリビングで健人と遊んでいるであろう奏多に持っていく。
「お待たせ。はい、これ奏多の課題ね。」
私は先生から渡されていた奏多の分の夏休みの課題を渡す。
「ああ、サンキュ。にしても、不思議な気分だな。」
健人はトイレにでも行ったのだろうか…この場にはいないが、奏多と話しやすいので良しとする。
「何が?」
「玲奈とこうしてなんの気兼ねもなく会えるようになるなんてさ。」
奏多は感慨深そうにそう言う。
私たちは今までクラスや学校で関わることができなかった。
中学の頃は一緒にいたせいで部活の先輩に奏多が暴力を振るわれていたから。
でも、今はそんなことを考える必要はない。
私たちの関係はあの頃よりも前進したのだから。
「学校は何かあったか?」
ここ1週間登校していない奏多は学校の状況がわからない。
もちろん、私とは毎日連絡を取っているけれど、授業がどうだったとか、私はこんなことしてたとかの話しかしていなかったから。
「ううん、いつもと変わらないよ。みんな夏休みだから少し浮かれてはいたかも。」
学校の雰囲気は夏というイメージを表したかのように期待に満ちていた。
「そうか。もう夏休みだもんな。俺は少しばかり早く夏休みになってしまったけど。」
「愛理ちゃんも、もう夏休みなんだよね?」
「ああ、昨日も1日買ってきたゲームをやって遊んでたよ。」
愛理ちゃんはこちらに帰省して夏休みを過ごすようだ。
こちらにももちろん友達はいるだろうけど、奏多と遊ぶことを優先するところを見るとやはり昔からお兄ちゃんっ子なのは変わってないみたい。
「怪我は…大丈夫なの?」
毎日連絡をとって確認していることだけど、私は奏多の怪我が心配でならない。
彼の怪我は私の不注意で起きたことだし、その後悔は頭が痛くなるほどした。
「大丈夫だよ。時々痛むこともあるけど。ーーー来週には包帯も取れそうだし。」
「っ。」
奏多が急に服をたくし上げて傷口を見ようとしたせいで、奏多の腹筋や素肌が見えてしまい私は見てはいけないものを見てしまった恥ずかしさも急激に訪れた。
「あ、悪い。」
奏多も気付いたようで謝っているが
「ううん、大丈夫。恋人だもんね、そんなにおかしいことじゃないよ。」
私も最初こそ恥ずかしかったものの、奏多の成長が見られたことは嬉しい。
部活動はやめてしまったけど、奏多の体は高校生相応のものに成長している。
「いや、流石に配慮が足らなかった。」
「大丈夫だってば。いきなりだからびっくりしちゃっただけ。」
私が奏多のことを見て嫌がることなんて決してない。
他の男子生徒なら嫌悪を抱くことになるだろうけど…時々健人が風呂上がりパンツだけ履いてリビングに来ることもあるけど、無言で私は健人に蹴りを入れていたらそのうちそんなことをしなくなった。
「傷口なんて見ても気持ち悪いだけだからな。俺も自分のとは言え良い気分はしないんだから。」
奏多は悲しそうな表情をしている。
その怪我は私のせいで、させてしまった怪我。
「奏多!」
私は奏多の名を呼びながら、彼をギュッと抱きしめる。
あまり彼の頬が私の頬に密着するくらい。
「玲奈っ!?」
奏多の驚きの声が聞こえるけど、私はやめない。
「私のせいで怪我させちゃったけど、私は奏多の怪我のこと見て嫌な気持ちなんて絶対ならないよ。だって奏多が私のことを守ってくれたから、愛おしさはあっても嫌がることなんて絶対ない。だからそんな悲しい顔しないで。」
「玲奈…。ありがとう。」
そう言って奏多も私の背に手を回してくれる。
その手がとても暖かい。
単なる体温とかじゃなくて、私の体の奥に暖かいものが流れてくるように想いが伝わってくる。
それがとても嬉しくて私もきっと奏多も何も話すことなく、少しの間そのままでいた。
「おい、姉ちゃん何かなにいと抱きついてんだよ。俺も混ぜろ〜!」
突然そんな声が聞こえたと思ったら健人が奏多の背中側から抱きついていた。
「健人っ、おい、危ないって。ってうわ。」
「あ、ちょっと。まっーーーー」
後ろからの衝撃でこちらに倒れ込んでくる奏多に私も流石に耐えきれず男子2人の下敷きになってしまったのだった。
その後健人にはもちろん鉄拳制裁を行い、罪深さを認識させた。
奏多が帰った後も胸の高鳴りが止まらなかったのは、私も奏多に抱きしめられてドキドキしてしまったのか、それとも普通の女子高生のように夏休みを楽しみにしているのか…私にもわからなかった。




