新城愛理
私の1日は目覚めて、写真置きを眺めることから始まる。
「はぁ…。」
その写真には幼い男女が1人ずつ写っている。
1人は活発そうな男の子。
もう1人は如何にもインドアな女の子。
女の子はしっかりと男の子の服の袖を握り締めている。
「こんな風に今でもいられたらな。」
昔の自分のことを思い出して、感傷に浸る。
これがいつも私が朝していること。
それは過去を忘れないという意味でもあるし現在を認めることのできない自分の現実逃避でもある。
こんなことをしても何も変わらないことはわかっているのに。
「愛理〜、さっきの授業わからなかったんだけど、教えて〜?」
授業の合間に私に話しかけてくる少女の名前は小岩井美波。
私のクラスメイトで地方から都心に進学した私に話しかけてくれた数少ない友人である。
「前回の授業で基礎は教えてもらってたから、結構説明端折ってたね…美波、ちゃんと復習しないとついていけなくなるよ?」
「ううぅ〜。だって、合コンとか忙しいんだもん〜。勉強なんかしてる暇ないよ。」
美波は私から見ると少し派手な女の子だ。
他校の男の子と頻繁に遊んでいるし、真面目とは言い切れない。
全国でも有数な進学校であるこの徳進学園では比較的真面目な生徒が多い。
難関大学の合格を目指す人が多いため、美波のような生徒は特殊であることに違いない。
「美波はなんで徳進に来たの?そんなに勉強が嫌いなのに。」
「そんなの、親に行っとけて言われたからだよ。地元じゃ結構勉強はできたし、まさか入学したらこんな勉強させられるなんて思わなかったんだもん。」
「そっか…。それは辛いね。」
「愛理こそ、何で徳進に来たの?わざわざ一人暮らしまでしてさ。」
「それは…えっと、地元から離れたかったから…かな?」
「なんで自分のことなのにはっきりしないのさ。まあ愛理は凄く勉強できるからいいよね〜。」
「そんなこと…ないよ、本当、全然。」
美波に本当のことを言えるはずがない、自分でも気持ち悪いと思っている内心を打ち明けることは本当に怖かったっから。
授業が終わると、私は真っ直ぐ家に帰る。
と言っても1人で住んでいるから誰かがいるわけではない。
我ながら枯れた高校生活だと思う。
2ヶ月経った今でこそ1人の生活にも慣れてきたのだが、当初は帰っても誰もいないこの部屋は私にとってとても寂しいものだった。
いや、1人だから寂しいのではないか…
「にいにがいないから。」
私には1つ年上の新城奏多という兄がいる。
兄妹としての私たちの関係はどうだろう…仲がいいと言えば良いし、そうでないとも言える。
昔はそれこそずっと一緒にいた気がしたが、歳を重ねるに連れて兄妹が一緒にいることは恥ずかしいことなのだと気づいてしまった。
兄もそれを理解していたから、私が突然関わりを絶っても特に何も言ってこなかった。
それに兄には蘭堂玲奈さんという途轍もなく綺麗で、頭が良くて、完璧な幼なじみがいたから…私が一緒にいなくても困ることはないのだろう。
今でも玲奈さんの弟の健人くんとは時々連絡を取っている、基本はお互いの近況を話して終わるのだけど、時々聞くことができる兄の話が私にとっては兄のことを知ることができる数少ない情報源でとても貴重だった。
別に恋愛感情があるわけではないが、私にとって大事な人であることは事実だし、世に言うブラコンと呼ばれるものであることも理解はしている。
しかし、私は自ら兄の元を離れた。
「自分で選んだことなのに…本当情けない。」
離れた地に進学したことに後悔はない。
けれど、兄と何も話すことなく決めてしまったことには少しばかり私の心の中でしこりになっていることは確かだ。
「プルルルル!」
珍しく固定電話が鳴った。
学校から連絡がある時か、家族からくらいしか思いつかないが。
「はい、もしもし。新城ですが。」
「愛理!!お兄ちゃんがっ!!」
聞こえてきたのは酷く慌てた母の声だった。
母は私たちにそこまで干渉しないのだが、その母がこんなに慌てていることが私にとっては驚くべきことだった。
「ねえ、お母さん!!にいにがどうしたの?」
普段外では言わない「にいに」という呼び方をとっさにしてしまうほど私も相当取り乱していたのだった。
母の話を要約すると兄が修学旅行の最中にナイフでお腹を刺されて意識がないということらしい。
「何で、にいにのバカ…。」
玲奈さんを守って怪我したらしいけど、事件の詳しい内容は分からなかった。
私は今の玲奈さんのことは知らないけれど美人だし、頭もいいからきっとにいには玲奈さんを守るために怪我をしたんだと納得はできる。
「にいにが本気で頑張るのは、いつも玲奈さんのためだもんね。」
少し嬉しくて同時に悲しい。
にいにが怪我してしまったのは悲しいし、明日の学校を休んででもお見舞いに行くつもりではあるが…玲奈さんに届かないと知って挫折したにいにの姿を知っているだけに、誰かのために命を張れるくらい頑張ったにいにを褒めてもあげたい。
叶うならば私にもその想いのほんの少しでも大切だと思ってくれていれば嬉しい。
「待っててね、にいに。」
私は実家にそのまま行けるようボストンバッグに荷物を詰めて、部屋を出た。
修学旅行地に向かうために一度実家に戻って両親に合流しなくてはならない。
電車で向かうこともできるけれど、近いとは言えない距離だし…今から新幹線のチケットを確実に入手できるとは限らないから。
最寄りの駅まで到着するとそこに見慣れた顔がいた。
「あれ、愛理じゃん?何でこんなとこいんの、そんな荷物持って。」
小岩井美波。
彼女はいつものように男女数人で遊んでいたらしい。
「ちょっと実家の方に戻らなくちゃいけなくて。明日から学校お休みするかも。」
私は苛立っているわけではないが、急いでいるので少しだけ早口で冷たい言葉になってしまったかもしれない。
「え、そうなの?」
美波が驚いていると後ろから少しチャラついた印象を受ける男子の1人が
「君、美波ちゃんの友達?可愛いじゃん!!この後遊ぶから一緒にきなよ。」
そう言って私の腕を握ってくる。
「やめてください!!」
とっさに私は彼の腕を叩いてしまった。
「今、急いでいるので。」
男子に触れられるのなんて今までなかった。
にいにに触れられるのは怖くないのに、この男子に触れられた瞬間体の奥底から寒気が噴き出たような気がした。
「お、おいちょっと。」
彼はまさか叩かれるなんて思ってもいなかったようで、再度私の腕を掴もうとする。
「はいはい、ストップストップ。ーーー愛理、行っていいよ。急いでんでしょ?」
美波は彼の手を遮って私に駅の方を指差して促してくれる。
「うん。美波、ありがとう。」
私は駅に向かって駆け出した。
電車に乗り、実家に着いた頃には日が暮れていた。
私よりも後にお父さんも帰ってきて、お父さんの運転する車で病院まで向かうことになった。
深夜になってしまうため、お父さんは明日にしないかと言ってきたけれど私は猛反対した。
もし、今日の面会ができなかったとしても明日一番で面会をしたかったから。
お母さんも私の想いを汲んでくれてお父さんを一緒に説得してくれた。
お父さんだって決してにいにのことを蔑ろにしているわけではない。
それでも私は一目でも早くにいにに会いたかった、早く元気なにいにを見て大丈夫だと思いたかった。
病院の面会は翌日の朝になった。
やっぱり深夜からの面会はダメだったみたい。
けれど、にいには意識が戻っていないけど傷自体はそこまで深刻なものではなく時期に目を覚ますだろうとお医者様は言ってくれた。
そして、翌日面会のためににいにの病室に向かった。
お母さんとお父さんは先にお医者様から容体の詳細を聞くみたいで別室に案内されたが、私は病室に行くことにした。
病室のネームプレートに「新城奏多」という文字が書かれているのをみて、本当ににいにが入院しているのだと思った。
急激に胸が締め付けられる思いがしたけれど、この奥にいるにいにに会いにきたのだからここで足を竦ませて立ち止まっているわけにはいかない。
「にいに…。」
入ってすぐにその姿は見えた。
眠っているように見える、何度も見た穏やかな寝顔。
昔は私が声を掛けて起こしたこともあった。
そんな時は眠そうにしながら少し不機嫌な顔で「いつも、ありがとう。愛理。」
そう言ってくれるのが楽しみでもあった。
「起きてよ。にいに。私きたよ、こんな遠くまで。」
私はぽろっと言葉が溢れていたことにすぐには気づかなかった。
気づいたのは目から雫が流れていたから。
にいにが目の前にいるのに、凄く遠く感じる。
私はきっと起きているにいにを目の前にしたらこんな素直にはなれないだろう。
「愛理ちゃん?」
そんなことを考えていたからか、他の人が病室に入ってきていることに気付けなかった。
「玲奈さん…。」
そう、兄が守った幼なじみの蘭堂玲奈さん…もうしばらく会っていない彼女が、私が想像していた以上に美人に成長して目の前にいたのだった。




