夕暮れと密会
ーーー4月末ーーー
俺は生徒会室を後にしていた。
生徒会に興味があったのは1年の頃からだったのだが、その当時はそんなことを考える余裕がなかったので2年になったこのタイミングで秋の生徒会選挙に出馬するのであれば現生徒会にコネクションを持っておくことはマイナスになることはないだろう。
成績は申し分なく、知名度も十分であると太鼓判は頂くことができた。
今のところどの役職に立候補するかまでは決まっていないのだが、学年1位の蘭堂さんも生徒会に加入することを考えていると噂になっていたのでそこには被らないようにしようか…というくらいは決まっているとも言える。
選挙でまで蘭堂さんと競い合うつもりはない。
元々そんなに好戦的な性格でもないし、彼女のことは純粋に凄い人だと思うが俺と同類であることには哀れみすら感じている。
「こんなもの誰も欲しいなんて言ってないのにな。」
ここまで順風満帆という生活を送っているのは間違いない。
今ある悩みといえば周囲から期待される才能というものに答え続けるくらいだ。
そんなもの贅沢な悩みだと言われても仕方ないんだろうな…と自分でも感じているが。
それでも何か捨てられるものがあって、自由に放棄できるなら才能を選ぶだろう。
「才能なんて、いつ枯れるかもわからないのにな。」
子供の頃に言われる天才や神童と呼ばれるような人の殆どは年齢を重ねるにつれてその才能を枯渇させていく。
それは当然なことで、才能なんてものはその時点での周囲と比べた時に普通の人と明らかな差を持った異常値を言うのであってその異常値はずっとそのまま異常であり続けるわけではない。
ずっと才能を維持できるとすれば才能に溺れず努力を続け、それでも尚ある種神から見放されなかった人であるはずなのだ。
神という目に見えない存在を信じているほど宗教に興味はないけれど…そうでなければ今の自分の存在は何なのか分からなくなる。
その証拠に今も俺の才能はそれを枯渇させることなく、出続けているのだ。
「呆れてしまうよな。」
俺はこの才能を枯渇させたいのか…それとも維持したいのか。
期待は裏切りたくない、けれどそれに答え続けるのも自分の中では苦痛に変わりつつある。
その才能を誰かのために使うことが出来たのなら、もう少しマシな人生を送ることが出来ただろうに。
蘭堂さんは早くもその才能の使い道を幼なじみの少年に使うと決めているようだ。
そういう意味では羨ましいかもしれない。
彼女はその瞬間に羅針盤を手に入れたのだ。
自分が進むべき方向と、そのゴールを…。
俺にはそれがない、それを見つけるのが俺にとっての幸福の第一歩なのかもしれない。
「ん、あれは。」
そんな時だった、夕暮れの紅に染まる校舎の廊下の先の方に女子生徒がいるのが見える。
学校に女子生徒がいるのくらい、何の不自然さもない、普通なら。
けれどその時の俺は彼女のことをよく見てしまった。
それ故に不自然さに気づいたのだった。
「何で、あんなところに。」
外見的特徴は簡単に見て取れる。
それは猫の仮面を被っていること。
確かに異常なことだが、演劇部であるなら何かしらに使うことも考えられるし、友達と悪ふざけで着けていることも考えられる。
問題は場所だ。
あの位置は立ち入り禁止の区域のはず、理由としては単に先月窓ガラスが割れてとかで入れなくなったみたいだ。
それ自体は完全に事故だったようだし、ロープで入らないようにわかりやすくしているのに仮面をつけた彼女は入っているようだ。
しかし、何故あんなところに…それが頭の中で浮かぶことであった。
「あっち側には旧校舎くらいしか…。」
学校の位置的に正門、グラウンド、中庭、部活棟、校舎、旧校舎という並びで手前から順になっている。
窓ガラスが割れたのは校舎2階の最奥部付近。
普段、そんな場所に入ることなんてない…俺も生徒会に来ることがなければ授業でもこんな校舎の端まで来ることはないのだ。
彼女は俺に気付いていないのだろう…ただじっと旧校舎のある方を眺めている。
俺はその時、久しく感じていなかった好奇心というものに駆られていた。
それは優と付き合っても、蘭堂さんに負けても得ることのなかったもの。
良くも悪くもドライな人生を送っていた自分に、何か新しいきっかけのようなものをくれる体験になるのではないかと直感的に感じ取っていた。
俺は少し早足で、彼女の方へ近づいていく。
彼女の見ている景色は何なのか…そして彼女は何者なのか…そんな感情しか俺の頭の中にはなかった。
そう、幼い少年のように。
「やあ、君はそこでなにをしているんだい?」
俺はロープを潜って、その先に着いた。
彼女は近くで見ると何か不思議な雰囲気を漂わせていた。
俺に話しかけられて、こんなところにいるのに動揺する仕草もなく、仮面を着けているところを見られて恥ずかしがったりもしていない。
ただただ、俺に気がついたようにこちらに向き直っているだけだ。
「んー、簡単に言えば人間観察かな。」
彼女は短く、そう答えた。
それは俺の望んだ答えになってはいなかったのだが、あくまで彼女はそのまま質問にストレートな解釈として捉えたようだ。
「人間観察…こんなところで?」
こんな校舎の端っこ、全く人も通らないような場所で誰を観察するというのだろうか。
「ほら、あれを見てみなよ。」
彼女は旧校舎の方を指差す。
そこには確かサッカー部の主将の竹下先輩と、この学校に通う人なら誰もが知っている蘭堂さん。
どうやら告白をしているらしい。
「人の告白を見ているのかい?」
俺は内心がっかり…というか少し残念な気持ちになった。
無論、人の告白現場を見てはしゃぐ気持ちもわからないではないが、それはあまりにも普通すぎる。
俺が欲しがっていた、好奇心というものは灰になったかように霧散した。
「そんなものに興味はないよ。」
彼女は吐き捨てるように言った。
今までも体温を感じさせないような話し方だったけど、今のは少し不機嫌さが混じったようなものだった。
「じゃあ何を…見ているんだ。」
正直、告白現場以外に見るところなんてないと思うのだが。
寂れている旧校舎か、その前に並ぶ男女の生徒…あれは何だ。
よく見ると旧校舎の校舎脇から男子生徒が1人見える。
彼も告白現場を見に来たのだろうか。
「私が見ているのは1人だけだよ、今も昔も。」
彼女はそう言ったのを確かに聞いた、小さな声ではあったけれど、確かに聞こえた。
それは彼のことなのか…校舎脇で申し訳なさそうに隠れている何の特徴もなさそうな男子生徒。
「それは彼のことなのか?ーーー何で彼に拘る。」
俺は少し感情的になっていた。
それは自分の中で不思議な感覚でもあった。
俺は目の前の少女に関して特別な感情を抱いてるわけじゃない。
ただ、俺が見つけた特異なものである彼女の好奇心の向く先があんな少年なんて。
「君にはわからないよ、滝谷遼くん。」
「俺のことを知っていたんだな。」
自分の知名度に自信があるわけではない。
けれど、比較的顔の広い方だとは思っているし…彼女が俺のことを知っていたとしても不思議には思わなかった。
そして、少しだけ俺の中の暗い感情が収まっていくのがわかる。
「まあ、知っているよ。有名人なんだから。」
「そうでもないと思うが。君と同じただの学生だよ。」
「へえ〜。」
彼女が少し俺に興味を抱いてくれたのが、嬉しくなった。
恋愛感情があるわけではないはずなのに…そうか、これが承認欲求という奴なのか。
俺も人並みに男子高校生をしていたというわけだ。
「つまらないね。」
彼女はそう一言俺に言ったのだ。
それは珍しく浮かれきっていた俺の頭を鈍器で殴りつけるような衝撃。
「それはどういう意味かな…。」
俺はそう言うので精一杯だった、怒りが体から溢れていくのがわかる。
それを何とか自分の体の中に溜め込んで。
「そのままの意味だよ。君には面白みがない。今までそう言われたことはないのかい?」
「そこまではっきり言われたことはないかな。」
「そうか…。まあ私は他の人と感覚が少し違くて精神的に壊れているからね、気にする必要はないよ。」
そんな言葉で引き下がれるはずがなかった。
今の俺に、他の人間の評価なんてどうでもいい。
確かに君が変わった人なのはわかるが、それを今の俺が受け止めきるには、精神的に耐えきれなかった。
「君は彼のことなら面白いのかい?」
俺は校舎脇の男子生徒を指す。
「そうだね…本当に愛おしいくらい面白いよ。彼以外が煩わしく思えるほどに。」
そうか…そう言うことなのか。
「君は彼に恋をしているのか。」
「変だと思うかい?」
「変だとは思わないよ。」
「私は君が思う以上に彼に依存しているのかもしれない。君からしたら平凡に映るそこの彼にね。」
そうなのか…君にもあるんだね、自分を捧げられる何かが。
「聞いてもいいのかわからないけど、君は何で仮面を着けているんだい?それを外して、彼に会いに行けばいいんじゃないか?」
「それは出来ないんだよ、残念ながらね。ーー今は少なくとも。仮面で偽らなければ彼を直視することもできない。」
「そうなのか。」
それ以上は聞けなかった。
彼女にも複雑な事情があるのは聞いていればわかることだし、聞いたとしても答えてはくれないだろう。
「私の仮面の中が気になるかな?」
彼女は俺にそう尋ねてきた。
「それは気になるけど…でも。」
見てみたいと言う一方で知りたくないと言う思いもあった。
知ってしまったら後戻りができなくなりそうで。
「ふふ、そんな顔をしなくてもいいよ。君にはこの仮面の中は見せない。だって君が見ても恐らく何にも知らないただの女子高生なのだから。」
「そうか。」
仮面の中で笑っていた気がする。
俺はそれが何だか嬉しくなって、心の中で安堵もした。
「まあ勘ぐられても困るからね、ヒントだけ教えてあげるよ。私はーーーー」
「ーーーー新城寧々。そう名乗ったのですか?」
高嶺さんは俺に聞き返してくる。
俺はその言葉に頷く。
彼女からあの日教えてもらった名前…それを隠すこともできたけど、何も情報を与えなければ高嶺さんは引き下がることもしないだろうから。
「そうですか…ありがとうございました。滝谷くんは、その…」
高嶺さんは少し言いづらそうにしているが
「大丈夫、別に彼女の味方というわけじゃないよ。奏多は俺のれっきとした友達だと思っているし、奏多と新城さんとの件には俺は不干渉で行くつもりだから。」
「そ、そうですか。ありがとうございます、では私は失礼します。」
そう言って彼女は俺に頭を下げ、その後集合場所の大型バスの方へ歩いて行った。
「俺も行くか。」
俺は恐らく隠れて聞いているであろう、この件の中心人物に話しかけることなくその場を離れた。




