別れの覚悟
あの後のことはあまり覚えていない...。
というよりは思い出したくない。
「奏多、お茶いれてきたけど飲める?」
玲奈は部屋に入ってきて、少し心配げに声を掛けてくる。
「あぁ、悪いな。色々して貰って。」
「ううん、大丈夫。奏多のことほっとけるわけないから。」
俺は玲奈のいれてくれたお茶を飲みながら冷静さを取り戻そうと心を落ち着かせる。
緑茶の茶葉の風味が傷ついた俺の心に沁み渡る。
今、俺は玲奈の部屋にいる。
猫の面の女と会話したあと呆然と立ち尽くした俺を介抱して、自分の部屋に入れてくれたのだ。
最後に玲奈の部屋に来たのは中学生の頃だったから、もう2年近く訪れていなかった。
一般的な高校生の部屋がどうなのか分からないが、玲奈の部屋はとてもシンプルだ。
勉強机とクローゼット、ベッド、テレビ。
部屋は白と黒のみのオブジェクトなので、とてもシックな印象を受ける。
ポスターや、ぬいぐるみなんかも全く置かれていないため、高校の制服がハンガーに掛かって無ければ男の部屋だと思われてもおかしくは無い。
「中学の時とあんま変わってないんだな。」
「うん、特に部屋を飾る趣味もないし。賞とかはリビングに飾ってもらってるから。」
「あー、そうだったな。」
無論、玲奈の才能は幼い頃から枯れることなく輝き続けているため、そこそこのトロフィーや賞を持っている。
玲奈の両親は娘を溺愛しているため、リビングは玲奈の写真や思い出の品がショーウィンドウに並べられている。
「相変わらずみたいだな。」
「変わってないよ、奏多が来てた頃から健人も私も。」
「そうか...。」
変わってない、それは俺にとって喜んでいいのか、悪いのか今は分からない。あの女の言葉が頭をよぎる。
(「蘭堂玲奈にも春沢優にも君のことを理解することなんかできやしないよ。だって彼女たちは私たちとは住む世界が違うんだもん。そんな人たちじゃきっと君を幸せにすることはできない。」)
俺もあの頃から玲奈に近づけてはいない。
寧ろ更に差は開いているだろう。
それでも、いいと思ってた...けど、改めて他人にそれを言われると自分の中で複雑な感情が渦巻く。
「何があったのか、聞いても...いい?」
玲奈は躊躇いがちに聞いてくる。
俺は玲奈を巻き込みたくない...でも、ここで俺がもし話さなくても彼女ならば自分で何があったのか突き止めようとするだろう。
でも、それよりも先に...
「玲奈...その話をする前に1つ聞いてもいいか?」
「うん。何でも聞いて?奏多に話せないことなんて何もないから。」
やっぱり、玲奈はそういう人間だ。
なら...
「ありがとう。ーーー玲奈、俺に何があったのか知ってるんじゃないか?」
「え?」
玲奈が戸惑っている。
こんな表情を見るのは久しぶりだな。
「ずっと疑問だったんだ。玲奈があんなにあっさりと朝の日課だった散歩を断ったのを許してくれたのも。春沢の件で学校で話したのに、その件について尋ねても来なかった。」
今更振り返ると蘭堂玲奈としては不自然な点が何個もある。
俺の問題を俺より先に気づいて解決するような賢くて、優しい女の子。
その彼女が俺の異常な行動に気づかない方がおかしい...それに気づくのが遅すぎてはいたが。
「玲奈は俺が何かで悩んでいることも恐らく知っていたし、それが何なのか大体予想がついているんじゃないか?」
俺は迷いなくはっきり告げる。
「そっか、そうだよね。やっぱ奏多にはわかっちゃうのか。ーーー凄いね奏多は。」
戸惑った表情をしていた玲奈だったが、真剣な表情でありながらどこか懐かしそうな面持ちで目を逸らさず俺を見つめてくる。
「玲奈…何を知ってるんだ?」
「ん、そうだね。ーーー奏多が悩んでることを多分私は知ってる。」
「多分?どういうことだ。」
「確信が無いの。奏多の悩んでいることが、もし私の考えていることと違ったなら奏多を更に悩ませる原因になっちゃうと思ったから。けど、そんなこと考えるまでもなく、奏多は見ぬいちゃうんだね。」
「そうか…わかった。なら俺の今まで起きたことを話すよ。」
俺の気持ちは決まった。
やっぱり玲奈に隠し事はしない、彼女にそんなことをしても無意味であることはわかっていたのだから。
「ーーーーこれが今まで起きてたことだ。」
「そうだったんだ…あの時のラブレターが。」
玲奈は何かを考え込むような仕草をしている。
「やっぱり玲奈の思っていたのと同じだったか?」
「うん、私も奏多がおかしいのは気づいてた。けど、中学の時のことがあったから直接聞いてもきっと教えてくれないと思って自分で調べてたの。」
やはり玲奈は俺の知らないところで動いていたのか。
面の女が俺のことを守っている誰かのことをほのめかしてはいたが、まず間違いなく玲奈のことだろう。
「玲奈は面の女に心当たりはあるか?」
俺の知りたいことはそれだった。
玲奈が俺の知らない情報を知っているのなら知っておきたい。
少なくとも俺には殆ど情報がないのだから。
「ううん。わかってるのは多分同級生だってことくらい。私ももっと早く解決したかったんだけど、生徒会の手伝いとかで相乗以上に忙しくなっちゃって。」
同級生か…確かに話し方や、手紙の文面から見ても同級生の可能性が一番高いと考えていた。
そもそもが交流関係の狭い俺が他の学年に知られているっていうのもないだろうし。
「そうか…。生徒会も忙しいのに世話を掛けたな。」
「ううん、ごめんね。こうなる前に解決したかったのに。」
玲奈は落ち込んでいる、彼女は自分が傷つくより俺が傷つくのを恐れている。
過去にそういうことがあったから尚更に。
俺はわかっていたのに…玲奈がこういう少女だったのに。
だから
「玲奈…今まで俺に色々気に掛けてくれてありがとう。けどもうやめてくれ。正直玲奈じゃ解決できないだろ?ーーー俺は前にそれで孤立したんだから。もうこれからはただの幼なじみでいよう。」
「嘘…だよね?なんでそんなこと言うの。」
玲奈は信じられないと言うような表情で見てくる。
こんな時に不謹慎なのかもしれないが、こんなに完成された少女がいるだろうか…顔も表情も全て美術品のように美しい。
そんな彼女をここまで追い詰めた俺の罪だ。
「俺は玲奈の才能に昔から嫉妬してた。気付いてたと思うけど。ーーー俺は玲奈とこれからも比べられる生活をしたくないんだ。隣に並んで立つ資格なんかないんだ。」
わかっていたこと…昔はそれでも幼かったから、隣に並んでいられた。
何も気にせず、周りの目も気にならなかった。
けれど、今は違う。
拓哉も言っていた通り、釣り合ってないんだ。
それは紛れもない事実で、認めなくてはいけないこと。
俺が隣にいれば玲奈はまた俺のために時間を使うことになるだろう。
それだけは俺にとって最も許せないことだ。
俺には何もない、春沢のように突き抜けた特技も滝谷のような知性も拓哉のような強い心だって。
そんな人間にこれ以上玲奈の時間を使って欲しくない。
「私は、もっと奏多と一緒にいたい。ーーー他の人なんかどうでもいいの。奏多だけいれば!ーーーなんで離れていっちゃうの、また私間違えちゃったの?」
涙が溢れ出して止まらない。
俺もさっき泣いてしまったが、それよりも遥かに深く思い涙だろう。
「ごめんな、もう決めたんだ。玲奈は俺と一緒にいるべきじゃない。ーーー今回の件で嫌ってほど思い知ったよ。」
「うぅぅ。いやだよぉ、奏多と離れたくない、そんなの無理だよ。」
普段の玲奈とは考えられないくらい取り乱している。
俺も今すぐ彼女を抱きしめて、やっぱり一緒にいようっていってあげたい。
けど、それじゃダメなんだ。
いつまでも寄り掛かったままじゃ俺たちはいつまでも前に進めない。
「今日までありがとう。さようなら、玲奈。」




