戻った日常と変わった日常
春沢と和解してからおおよそ1ヶ月の月日が経った。
6月になり、気温もだいぶ夏に近づいたことで常時25度を上回っていた。
「やっぱ暑い時に食べるアイスは最高だな。」
俺は学校帰りにコンビニで棒アイスを買って、家でのんびり食べていた。
一般的な高校生なら友達とカフェに寄ってティータイムとなるところなのかもしれ無いが、生憎俺にはそんな気軽な友人はいない。
強いて言えば玲奈の弟の健人は誘ったら来てくれるかも知れないが、あいつも姉玲奈と同様既に学校で有名人になってきているため、外でうかつに会話しようものなら健人のファンが俺に飛びかかってきかねない。
そういうわけで俺は1人で満喫するという合理的な結論に至ったのだ。
「6月なのにこんな暑いって、やっぱ地球って温暖化してんだな〜。」
湿気が多いため、日差しがそこまでではなくとも余計に暑く感じるのは正直かなり堪える。
こんな呑気なことを言っていられるのは、例のストーカーがめっきり何もしなくなったからである。
俺をからかって手紙を出しただけで、もう飽きたのかも知れないが…何の音沙汰もない。
「とは言え、誰だか結局わからないままだしな。」
目星がついているわけではないので、俺からできることは何もないので向こうの出方を待っていたんだが何もしてこないのでこちらも肩透かしという感じだ。
玲奈との朝の散歩はあれ以来していない。
もう一度誘えばきっと玲奈も承諾してくれるのだろうが、何となくタイミングを逃してしまって言い出せなくなってしまった。
玲奈からも特に何も言われていないので、彼女自身今は忙しいのだろうと判断していた。
今年は生徒会に立候補するだとかで現役員の人たちに色々教えてもらっているみたいだ。
もちろん直接聞いたわけではなく、そういう噂を耳にしたってだけなので事実とは言い切れないが。
「あっ!!冷たッ!!」
そんな考え事をしていると、アイスが溶け始めて指に流れてきてしまった。
「まあ、せっかくの高校生活だしこんなことばっかり考えてても仕方ないよな。」
俺は何事もなかったように美味しく残りのアイスを食べていくのだった。
「でよ、告白したのに何の間も無くあっさり振られちまったんだよ!!ーーーなんで俺には彼女ができないんだぁ〜〜〜。」
目の前に暑苦しい男がいる。
ただでさえ気温が高いってのに、中庭への連絡通路と言う屋外で話しているせいで余計に暑く感じる。
そして、隣にいる男は言うまでもなく拓哉だ。
「それで?いつものことじゃないか。」
「ひでえ!!友達が落ち込んでたら普通慰めんだろ〜。」
「拓哉の場合、今日だけじゃなくて頻繁じゃないか。そんな告白しまくっても、そうそう成功しないだろ。」
拓哉はれっきとした男子高校生で、恋する男児である。
とは言っても特定の誰かを好きと言うわけではなく1週間に一度くらい誰かに告白している。
もう2周目の人もいるんではないだろうか。
「つってもよ〜。こっちから動かなきゃ出会いなんて来ないだろ?」
「まあそれはそうだろうが。」
俺らが男子高校生あるあるなのかわからないが話をしていると唐突に後ろから声が掛かった。
「お二人さん、おアホな話してんね〜。アホなのは拓哉っちだけかな?」
校則スレスレの改造制服に、エメラルドグリーンのピアスがとても似合う女子生徒。
「なんだとぉ!!」
軽い挑発に簡単に引っかかる拓哉を笑いながらいなす彼女。
「にひひ。拓哉っちは相変わらず面白いねえ〜。」
それは女子バスケ部に所属しており、俺の中学からの同級生である北島澪。
拓哉とは同じバスケ部であるため交流が深く男女関係なくフランクに話しかけてくるため人気が高い。
「っち。こんな奴が次期エースじゃ女バスも終わりだな!!」
「女バスは男バスより去年の成績良かったし、心配しなくても大丈夫でーす。」
「クッソォ!!」
こんな感じで2人はいつも憎まれ口を叩いているのだが、側から見るとすごい仲良く見えるんだよな。
「そういや澪の制服、又原形から離れたな。」
「ん?ーーおお〜それに気づくとは奏多っちはお目が高いね〜。」
澪はよく気づいてくれましたとばかりに声のトーンを嬉しそうに上げる。
「あ?いつもと同じボロッボロの制服じゃねえか。」
拓哉は目を触れるくらい澪に近づけて言う。
「近い!拓哉っちキモい!」
「ひでえ。」
バチんと強烈なビンタをお見舞いし、拓哉は倒れ込んだ。
「おいおい。ってかその制服大丈夫なのか、風紀委員とか生活指導になんか言われたり。」
「ダイジョーブ、ダイジョーブ。うちの学校そう言うところ緩いし。スペアもあるから何か言われたらそっち着てくるから。」
制服のスペアって…そこまで改造したいのか。
「まあ、それはいいが…中学の頃と本当に印象変わったな。」
「えへへ〜。そうっしょ。めっちゃがんばったし!」
澪は中学の頃はそれはそれは地味なタイプの女子だった。
地味と言うのは格好の話で今と性格はそんなに変わっていないんだが、高校に入ってから見事に変貌したわけだ。
俺や玲奈も中学の頃の澪を知っていたので、当時はひっくり返るほど驚いたのを覚えてる。
「でも、奏多っちも変わったじゃん。」
「そうか?自分ではあんまりわからないが。」
俺は昔から目立つタイプではないし、かと言って誰とも話さないってほど閉じこもっていたわけでもないからそんなに大差ないかと思ってたが。
「まあウチほど変わってないけど〜なんか前よりはカッコ悪くなったかも。」
「おいおい。劣化してるのかよ。」
まさか、そんなディスり方があるとは思わなかったわ。
確かに元々かっこいいと思ったことはないが、それを下回るってのは流石にきつい。
「ん〜劣化って言うか、カッコイイっておもう機会が無くなったって感じ。露骨に目立たないようにしてるし。」
「そ、そうか…。」
こいつ、意外と見てやがる。
俺のことなんか興味なんてないのかと思ってたが。
「まあ、そのままでいいんじゃん?ウチは今のカッコ悪いカナタッチも気に入ってるし。」
こいつとは気が合うんだか合わないんだかよくわからない。
昔からこう言う奴だった。
「あんまり嬉しくない褒め方だな。」
俺は苦笑いしながらそう答えるしかなかったのだった。
「遅いんだけど、どこほっつき歩いてたの。」
「無茶言うな、これでもホームルーム終わってからだいぶ急いできたんだけどな。」
「でも、私の方が早かった。」
「そもそも、春沢が先に来てなきゃ美術室には入れないんだが。」
俺は理不尽の怒りを受けて、放課後美術室にいる。
1ヶ月前に春沢との蟠りを解決してから、週に一度美術部が休みの日に美術室に訪れていた。
部活が休みの日にも個人的に活動するほどやる気のある部員はいないみたいなので、俺みたいな部外者がいたとしても邪魔になることはない。
実際、俺が来る日に他の部員を見かけたことはない。
「入れないとしても私を待つくらいのことはして欲しいわね。」
「俺はお前の下僕か何かか!」
春沢ってこんなわがままお嬢だったけか。
一年も話していないと、感覚が狂うが当時から無茶を言ってくるやつだったのは覚えてる。
「で、早速本題よ。これ見なさい。」
そう言って見せてきたのは、見事な水彩画だった。
見事と言うのは素人の俺にでもわかるくらい、すごいってことを表現する精一杯の表現であって、俺が芸術を見る目が備わっているわけではない。
「さすがだな…やっぱ春沢の絵には目を奪われる何かがあるよ。」
「そりゃそうよ。この絵は自信作なんだから。」
フンっと自慢するように胸を張る春沢。
やはり、途轍もない迫力だな…何がとは言わないが。
「と言うか…絵を見てもらいたいなら俺じゃなくて彼氏に見てもらえよ。俺なんかよりきっと高尚な素晴らしいご意見をくれると思うぞ。」
滝谷とはあれからかなり交流を持つことになった。
今ではれっきとした友達と言ってもいいと思う。
少なくとも俺はそう思ってしまっているが。
「ダメよ、遼じゃ。褒めようとしてくれてるのが見え見えだもの。」
「まあな…。」
よくも悪くも滝谷は素直な男だ。
あのルックスと頭脳を持ちながらなんであそこまで純粋な心を持っているのかと驚きを禁じ得ないほどに。
彼女である春沢から絵を見せられたらまず真っ先に褒めるだろう。
それが悪いことだと俺は思わないが…。
「その点、新城はノってない絵を見たら否定もしてくれるでしょ。」
「俺は春沢の彼氏じゃないからな。無理して絵を褒める必要がない。」
もし、俺が春沢と付き合っていたとしら変わっていたのだろうか…いやそれでも変わらなかったと思う。
俺は変われない…幼なじみと並ぼうとする覚悟すらもできない意志の弱さなんだから。
「そう。だから新城の方がいいのよ。」
俺のことを指差しながら春沢はそう言う。
「文句言ってくるやつの方がいいってのは変わってるな。」
「そうじゃないわよ。思ったことを躊躇いなくはっきり言えるところがいいの。新城みたいに私に物事をはっきり言ってくるのなんて玲奈か香織くらいなんだから。」
春沢は確かに絵の才能がある。
けれど、それはあくまでそれだけの話なのだ。
春沢は1人の女子高生であってそれ以上でもそれ以下でもない。
「まあ、俺は春沢のことすごいやつだとは思ってるけど、同時に相当な変人だとも思ってるからな。」
「それはただの悪口だから!!っていうか新城も変人だと思う。」
こういうムキになるところとか…まじで人は見かけに寄らないな。
でも、一年前の俺にはそういうところすらも見えていなかった。
世界には才能のある人間とそうでない人間しかいないみたいな。
そんなアホみたいな考えをしてるから玲奈と重ねてしまうんだよな。
でも、もう一度こうして話す機会を得ることができてよかったと心から思える。
今度は友達として向き合うことが俺としては良い距離感であることを疑いなく信じられるほどに。
今日はいい1日だった。
平穏で、昔馴染みにも会えたし。
こんな日々がこれからも続いていけばいいのに。
夕暮れ時、帰宅路を歩きながらそんなことを思っている。
柄にもないなんてことはわかってる。
でも、俺はもしかしたらこんな日々を望んでたのかもしれない。
玲奈のように才能溢れた人間になんかなれやしない、けど凡人な自分でも誰かとこうして温かい世界で生きていくことが正解なんじゃないかって。
中学の頃失った自信なんて持つ必要はない、十分充実してるじゃないか。
「遅かったね。待ちくたびれたよ。」
家の前に猫の仮面をかぶった女がいる。
女だと判断しているのは、声の高さと背の低さ。
それ以前にスカートを履いているからだ。
嫌な予感がする…俺に優れた直感なんかありゃしないが、体に粘りつくような異様な雰囲気。
家の前の通りに誰も人がいないことや、日が沈みかけ…少しずつ影が覆う範囲が広がっていく。
「えっと、どなたか尋ねてもいいのか?」
俺は言葉を絞り出す。
喉はすでにカラカラだ…声が掠れていないのが不思議なくらいに。
「わかってくれないかぁ。残念だなぁ…あんなに熱烈な手紙を書いたのにぃ。」
手紙?
いや、もう答えはわかってる。
でも、あれはもう終わったと思ってた。
1ヶ月何もして来ないんだからいたずらなんかもう飽きたって。
「そうか…お前が。」
「手紙は読んでくれたみたいだね。よかった〜ドキドキしてたんだよ、読んでくれないんじゃないかってさ。」
陽気に話す彼女。
もう俺には何がなんだかわからない。
そもそも俺と話がしたいのならこんな周りくどい方法を取る必要があるのか?
俺みたいな凡人、普通に話しかけてくれれば最初から悪印象を与えることもないのに。
「で、わざわざ仮面なんか被ってなんの用だ?玲奈のことを話すってまた脅すのか?」
「そんなことしないよぉ〜。君は私のことをなんだと思ってるのさ。今日はーーー宣言をしにきただけだよ!」
「宣言?ーー何を?」
彼女からは感情を感じない…というよりあの猫の仮面なんかよりとても分厚い仮面を何枚も重ねているように真意が全く見えない。
春沢のようにシンプルに自分の気持ちが伝わってくるタイプとはまるで正反対。
考えが読めないというタイプとしては玲奈に近いが、玲奈は俺に対して何かを隠すということを基本的にしない。
「それはねぇ…奏多くん、君のことを奪うって宣言さ。ゆっくり意識して貰うのも考えたんだけど、君のことを守る壁が想像以上に厚くてさぁ。」
守る壁?
なんのことを言ってるんだ…。
「なので、今日しっかり宣言しにきたってわけなのさ。」
「言ってることはよくわからんが、奪うってのは俺と付き合いたいってことで良いのか?」
結局目的がはっきりしない…奪うって言ってもそもそも何から奪うのかもわからない。
「まあ、奏多くんは知らないだろうねぇ。君と君の周りがどれだけ歪んでるのか。それは私にしかわからないんだよ、私だけが理解できる。私だけが受け止められる。私だけが愛してあげられる。ーーーーだから私は君を今の世界から奪うつもりだよ。恋人なんて生温いーーーーそう、君の全てを手に入れて、私無しでは生きていけないようにするの。」
「は…?」
俺の全てを…
「でも、奏多くんもわかっているはずだよ。君は理想を捨てきれない。だからそんなものを捨てられる世界を私が作ってあげるの。」
「さっきから言ってることが訳わかんねえって言ってるんだよ!!!!ーーー俺はお前なんかに何も奪われるものもないし、お前なんかに何も理解なんかできやしない。」
息も絶え絶えで俺は声を張り上げる。
俺は何でこんな感情的になってるんだ、こんな不審者適当にあしらって家に帰ればいいだけだろ。
何で図星をつかれたみたいに体が硬直してしまうんだ。
「うん、今はそうかもね…けどすぐにその言葉の意味がわかるよ。君には結局私しかいない。蘭堂玲奈にも春沢優にも君のことを理解することなんかできやしないよ。だって彼女たちは私たちとは住む世界が違うんだもん。そんな人たちじゃきっと君を幸せにすることはできない。」
「うるせぇぇぇぇ!!!」
はぁはぁともう俺はまともな返答なんかできちゃいない。
ただ、目の前のこいつが気に食わない、そう言い張ることしかできない。
「じゃあ、今日はこの辺りで帰るとするよ。ーーーまた会おうね、奏多くん。」
彼女は俺に背を向け、歩いていく。
今ならこいつが誰なのか、仮面を剥がして正体を掴めるかもしれない。
でも、無理だ…動けない。
いや、正体を知るのが怖いんだ…知ってしまったら決定的に何かを認めざるを得ないような気がして。
俺はその場で立ち尽くすことしかできなかった。
「間に合わなかった…、ごめん遅くなって。奏多、大丈夫?」
立ち尽くした、俺の目の前に生涯の大半を寄り添った少女がそこにいる。
どれくらいの間突っ立ってたのかわからない。
でも俺は彼女を見た時、安堵と涙が溢れた…そして体の硬直が溶けていく。
猫の面をした彼女が怖いんじゃない、俺の矮小な心の弱さを看破されたことが恥ずかしくて仕方ないんだ。
だから
「ごめん…玲奈。少しだけこうさせてくれ。」
俺は玲奈に抱きついた。
こんなこと中学以来かもしれない…もうこんなことはしないって決めたのに。
でも、もう無理だよ。
「うん、大丈夫。もう私がいるからね。奏多のことは何があっても私が守って見せるから。」
そう俺の背に腕を回してくれた玲奈の手が今の俺に何よりも暖かくてそして、疲れ切った心が溶けるようだった。




