第60話 アーシュラさんの過去
私、立花 美桜と妹の菊江が女神システィナに召喚されたのは私が18才の時1894年の秋の事だった。この年の夏、日清戦争が勃発し多くの軍人さんが海を渡って行った。命の奪い合いが行われている事をどこか遠い場所の出来事の様に感じていた私はまさか海どころか別の世界に渡る羽目になるとは思ってもいなかった。
「ほら、姉さん。早く早く!」
「きく落ち着きなさい、あなたも16才となったのですからもう少し慎み深くするのですよ」
この日、誕生日を迎えたばかりの妹の菊江を連れて私は戦勝祈願の為に家の近くに在る神社を訪れていた。家の庭には菊江の名の元となった秋明菊が咲き誇っておりそれを花束にして供えるのだ。菊の花は縁起が悪いと言う人も居るかもしれない、しかし秋明菊の花言葉は【忍耐】今は辛く苦しくともいずれ国に明るい未来が訪れる事を願い捧げるので問題は無かった。
長い階段を上ると途中で額を汗が伝う。その汗を拭いながらゆっくりと上りきると目の前に拝殿が見えてきた。小高い山の中腹に在る神社の境内は荘厳な空気に包まれ、火照った身体を心地よい風が冷やしてくれた。
「はぁはぁ・・・。やっぱり姉さんには敵わないわ」
「きくは最初に勢い良く階段を駆け上がろうとするから途中で息が切れてしまうのよ、ゆっくりと上っていればあなたの方が先に着いていたわよ」
賽銭箱の前に花束を置くと、美桜と菊江は手を合わせて祈り始める。
(どうか戦いに勝ちますように、そしてお互いの国の人達が手に手を取り合い平和に過ごせる時代が訪れますように、それから・・・)
思いつく限りの願いを込めた長い祈りを捧げ終え、振り返った次の瞬間運命の刻が訪れた。
「姉さん、足元に変な模様が!」
「えっ?」
菊江の声で足元を見ると大きな円形の見た事も無い幾何学模様が浮かび上がっていた、そして菊江の身体が円の外に弾き出されようとしたので私は思わず妹の手を掴んでしまった。もしかしたら、この時私が手を掴みさえしなければ菊江はシスティナに殺されずに済んだかもしれないと100年以上経った今でも私の心を苦しめる。そして2人は異世界システィーナに召喚されたのだった。
『私の名はシスティナ、この世界システィーナを治める神です。あなたにはこの世界で災厄を起こそうとしている魔王を討つ為に勇者となって頂きます』
「私の意志は関係無いのですか?」
『あなたは私の言葉に従い魔王を倒せば良いのです』
システィナを名乗ったこの女神は私をまるで下僕か奴隷とでも思っているかの様に振舞っていた、すると横たわっていた菊江が目を覚ました。
「姉さん・・・ここはどこ?」
「きく!無事だったのね、良かった」
妹の無事を喜んでいると、召喚された時に一緒に飛ばされてきたのかシスティナの足元にお供えした秋明菊が散らばっていた。
『何、この薄汚い花は!?』
システィナはそう言うと秋明菊を右足で踏みにじる、それを見た菊江が思わずシスティナの足にしがみ付いた。
「その足を離してください!この花は、今は辛く苦しくともいずれ明るい未来が訪れる事を願って神に捧げた物なのです」
秋明菊の花束を作ってそのまま神社に来ていたので菊江の手は汚れており、システィナの白く透き通ったローブの裾に泥が付いてしまった。
『この私の服を汚すとは・・・その罪、己が命で償いなさい』
システィナが真下に向けて軽く手を振った瞬間、菊江の首が落ちた。
(えっ!?)
何が起きたのか分からず呆然としている美桜、システィナはゴミでも扱うかの様に頭を失った菊江の胴体を頭の傍まで蹴って転がすと秋明菊の花と共に遺体を焼き払った。
『こんな目障りな物がこの空間にあるだけで、吐き気が起きるわ。消毒しないと』
美桜の中で目の前に居る女に対する殺意が沸き上がった、勝てるかどうかは関係無い。この女に大切な者を奪われた苦しみを少しでも味わわせないと気が済まなかった。だがそれを思い留まらせたのは殺される直前に菊江が言っていた言葉。
【今は辛く苦しくともいずれ明るい未来が訪れる事を願って】
(今は耐えよう、きくの無念を晴らせるのは私しか居ない。そして・・・時が来たら妹の仇を取る!それまで私は修羅にだろうとなってみせる)
『立花 美桜さん、余計な邪魔が入って話が途中のままだったわね』
「その名前はやめてください、私の本当の名は別に有りますので」
『あら本当?じゃあ、その本当の名とやらを教えなさい』
(仇を討つまでは立花 美桜の名前は封印する、それが私のきくへの誓い)
美桜は妹への誓いを忘れない為の仮の名前を口にした。
「阿修羅、いえアーシュラが私の本当の名です」
その後、頭を限界まで回転させてシスティナを賛美し機嫌を良くして貰えるだけの加護を貰いシスティナの力を削いだ。全ては妹の復讐の為に。だがそれから1世紀以上過ぎたが立花 美桜は未だ復讐を成し遂げていない。あと何年、何十年を仮の名で過ごす事になるのかそれが分かる者は存在しない・・・。
ちなみに1894年は 竹鶴政孝(ニッカウヰスキー創業者)と 松下幸之助(松下電器創業者)の生まれた年でもあります。




