見えている
体育教師に、授業でおこなうバスケットボールの準備をしておくように、と頼まれる。
そのため、ボクはひとりで体育館に来ている。
バスケットコート二面分の広さがある体育館は、チェーンを引き下ろす音だけが響いていた。
ボクが巻き上げ式のバスケットのゴールを下ろしてまわっている音だ。
体育館を歩き回り、四つあるゴールを下ろした。
それを終え、得点板とボールを用意するために用具室へと向かう。
用具室にはいってゆく直前、
ぐにゅ――
ボクは驚き飛び退いた。
肉の塊。
踏み出した足に、そんな感触があったからだ。
だが、床にはなにも落ちていなかった。
おそるおそる先程の場所をすり足で探る。
足先が、なにもない床で『何か』に触れる。
軽く何度か踏んでみて、屈み込み、そこに手を伸ばす。
そこには確かに何かがあった。
触れている手のひらに感じるものは、明らかに人間の皮膚だ。
両手で擦りあげて全体像を探ってゆく。
すぐにそれがヒトの形をしているとわかった。
ボクが踏みつけた部分は太ももだったようだ。
服を着ていない、小柄で華奢な人間だ。
クチと思われる部分に手をかざすと呼吸を感じる。
首と思われる部分に手を当てると脈もある。
目と思われる部分に触れるとまぶたは閉じられている。
触れるべき部分に触れると、女の子であることもわかった。
すぐにもう一度意識がないことを慎重にたしかめた。
一体なにがどうなっているのかをきちんと調べたい、と思うが時間が足りない。
着替えを終えたボクのクラスの人間が現れてもおかしくない時間だ。
このままにしておけば、ボクがしたように、ダレかにまた踏まれてしまうかもしれない。
ひとまず、体育館のスミっこの方へ転がしておこう。
――気がついたら勝手にいなくなるだろう。
押しのけるようにして壁ぎわに寄せる。
と、床の上に小さな欠片が浮いていた。
女の子の指のあたりの――ツメだ。
十本の手のツメが見えている。
よくよく見てゆくと、足の先の位置にもツメが見えていた。
末端から、じわりじわりと姿を現し始めているのだ。
完全に姿を表すのも時間の問題だろう。
その状態に、ボクは不意に危機感を覚えた。
ダレもいない体育館で、気を失った素っ裸の女の子とふたりきり。
そんな状況をダレかに見られることが、やましいことはないにしても、不利益に思えてならなかった。
――なんとかしなければ。
確実にどうにかできる方法を考えようとするものの、考えている時間もなかった。 脚と腰と思われる部分に手をまわして抱きかかえた。
両腕の中に、確かな人間の重さを感じる。
姿は見えないのに重さだけがある、それがひどく不思議に感じられる。
そんな不思議を堪能している場合ではなかった。
こうしているあいだにも、ヒジやヒザのあたりまでうっすらと見え始めている。
ボクは唯一思いつけたことを実行すべく、急いで体育用具室へと運ぶ。
用具室内の、開いているスペースへと女の子をおろし、体育座りに折りたたむ。
近くにあった跳び箱を崩し、女の子を内側に隠すように最下段から積み上げた。
これで、見え始めていた女の子の姿が見えなくなった。
――この状況を自力でどうにかしてくれればよいが……
ボクとしては、
跳び箱の中で女の子が目を覚ます。
すぐに、体育館内に居る人間の気配と、自分の姿が見えていることに気づく。
女の子は、ボクには想像の及ばないなんらかの方法で再び姿を消す。
そして、ダレの目にも触れることなく、文字通り、女の子は体育館から姿を消す。
……そうなってくれるのが理想的だ。
その時、体育館の外からヒトの声が近づいてくるのが聞こえた。
最後の確認のため、跳び箱のスキマから内側を覗く。
真っ暗な中に、手は肩まで、足は太ももまで現れていた。
傍目に見て、少しだけ怖い。
バスケットボールがいっぱいに入ったカゴを手に用具室を出ると、ちょうどクラスメイトの数人が体育館にはいって来ている。
ボクに気がついて声をかけてくるクラスメイトたちに対し、あいさつ代わりにバスケットボールを二・三個投げつけた。
そのボールで遊び始めたクラスメイトたちのほうへ行こうとしたとき、背後の用具室で小さく音がした。
振り返ると、跳び箱の最上部を内側から持ち上げる素っ裸の女の子がいた。
ボクの想像通り、髪の短い小柄で華奢な女の子だ。
ボクが凝視し続けている理由を、『跳び箱が浮いているから』だと女の子は思っているのだろう。
おどろき固まっているボクを気にもとめず、持っていた跳び箱をそっと下ろす。
跳び箱を大きくまたいで抜け出ると、平然とした顔つきで用具室から出てきてしまった。
ボクにはもうどうしていいのかわからない。




