今年の花見は生憎の雨でせっかく場所取りをしたけれど結局中止になった話
桜の開花予想が出た。東京は3月21日。満開は4月2日の予想だった。
「花見は31日にやるぞ」
部長の一声で決まった。それを受けて僕は花見の段取りを始めた。例年、花見の幹事は僕がやっている。場所取りからセッティングまで。我が社の花見は上野恩賜公園と決まっている。都内でも最も場所取りが困難な激戦区だ。それでも長年やっている僕は穴場を知っている。
東京で開花が宣言されたのは3月21日。予想通りの開花宣言だった。
「今年はどうしましょうか?」
そう尋ねたのは我が社の紅一点、末永紀代美。去年まで花見用のオードブルを頼んでいた喫茶店が昨年末に店を閉めた。今年はどこに頼もうかと心配しての発言だった。
「末永さん、今からそんな心配をしなくても…」
僕は苦笑した。花見をやるのはまだ10日も先だ。
「交差点の先に弁当屋があるからそこに頼めばいいよ」
いちばん若い小暮がそうアドバイスした。若いといっても40代。我が社は平均年齢が高い。だから、昔からやっている行事は重要なイベントだと位置付けされている。
3月28日。花見まであと3日。僕はこのところの天気予報を入念にチェックしていた。当日晴れればいいが…。今まで、花見が雨で中止になったことはない。今回も何とか持ちそうな感じだった。
3月30日。前日の予報では14時頃から雨が降り始める予報に変わっていた。おそらく、31日の花見は中止になるだろう。そう思いつつ、準備を終えた。
3月31日。4時に起床。握り飯をこさえて家を出た。まだ電車は動いていない。僕は自転車にまたがると上野目指してペダルを踏みだした。
午前5時。上野恩賜公園に到着。以前は寝袋持参で泊まり込む場所取りも多く見られたが、ここ数年は夜の11時以降、朝の5時までは公園内への立ち入りが禁止されている。
上野恩賜公園の花見スポットは両側を桜並木に覆われたメイン通りと呼ばれる場所だ。しかし、そこは夜通しシートが張られている。前夜、宴会を終えたグループから場所を譲り受ける形で場所を確保するグループも少なくはない。僕がそこを訪れると、今年も隙間なくシートが張られていた。しかし、この時間はそのほとんどが無人である。無人のシートは定期的に監視に来る公園管理事務所の人たちによって撤去される。多くの人が花見を楽しめるように、そういうルールが最近は設けられている。そういう風に撤去された後のスペースを狙うのがいい場所を取るコツでもある。だが、今はまだそのタイミングではない。
取り敢えず、僕はそこを素通りして、山の方へ向かう。寛永寺清水観音堂がある辺りだ。そこは地面が土だということもあり、敷きっ放しにされているシートはほとんどない。僕より先に来たいくつかのグループが既にシートを敷いているが、場所取りをする余地は十分に残されている。僕は桜の木を眺めた。まだ、五分咲きにも達していないようだ。その中でも枝ぶりのいい桜の木の下を確保した。
6時半頃になると清掃業者が昨夜の残骸やごみの清掃を始めた。この時点で張られたシートはまだ撤去されない。管理事務所がまだ開いていないからだ。
午前8時。留守番のアルバイト2名が会場に到着した。留守番は必要だ。僕が1日中、張り付いていることが出来ないから。僕は一応確保しておいた場所に彼らを陣取らせ、メイン通りの様子をちょこちょこ伺った。無人だったシートに場所取り当番の若い連中がちらほら来ていた。
「今回は無理かな…」
そろそろ業者から花見の備品が届く。今年は山側でやろうと僕は決めて業者に8時半に来るように指示した。たぶん雨で中止になるだろうけど。
備品が到着した。僕はアルバイトの一人を連れて荷受けに行った。車は公園内には入って来られない。運び込まれたのは段ボール20、べニア板2、ガムテープ20、ランタン2、紙皿50、紙コップ100、ゴミ袋等々。まずは段ボールを組み立て、べニア板にガムテープで貼り付ける。これがテーブルの脚になる。四隅と中央に段ボール箱を貼り付けると、それをひっくり返した。立派なテーブルの完成だ。これを二つ。それから脚代わりの段ボールにカッターナイフで切り込みを入れる。切込みを入れた部分を広げると、その中が靴やカバンをしまう収納になる。準備は整った。
「じゃあ、僕は会社に行くのであとは宜しくね。時間までは宴会しようが何をしようが好きに使っていいからね。途中で雨が降ってきたらそこに予備のシートがあるから、それでテーブルとかを覆ってね。空の様子を見てたまに顔を出すから」
そう告げて僕は会社に向かった。
「場所取りご苦労様」
末永が声を掛けてきた。
「雨が心配だなあ」
「まあ、そん時ゃそん時だよ」
部長が僕の肩をポンと叩いた。
「オードブルは2時に届きますよ」
と、末永。
「雨が降ったら、そのまま会社で宴会だな」
部長も中止になる可能性を口にした。
「そうですね。今日はプレミアムフライデーですし」
小暮が他人事のように呟いた。
午後になると、いよいよ空模様が怪しくなってきた。僕は行先表示板に“上野”と記入して会社を出た。中止なら中止でいい。セッティングしてきたテーブルなどは雨でもやるグループが居たらくれてやればいい。けれど、ランタンなど、次回も使える備品は回収しておきたい。
上野に到着すると、ポツリと雨が落ちて来た。同時に携帯が鳴った。部長からだった。
「降ってきましたね」
『中止だ』
「了解です。撤収します」
僕はアルバイトに中止の意向を伝え、伝票にサインした。
「お疲れ。あとは自由にしていいよ」
アルバイトにそう伝えると、隣のグループに目をやった。若い男が雨除けの工夫をしている。
「そちらは雨でも今夜花見をやられるのですか?」
「はい!雨天決行です」
「ウチは中止になりました。なので、このテーブルや予備のシートを置いて行きますから自由に使ってください」
「えっ! いいんですか? 今朝、これ作ってるのを見て、すげーな~、いいなあ~って思っていたんですよ。ありがたく使わせて頂きます」
そう言って彼はぺこりと頭を下げた。
会社に戻ると既に宴会が始まっていた。
「おう、お疲れさん。大変だったな」
部長が言ったのを皮切りに他の社員からも労いの声を掛けられた。
「今まで、中止になったことないんだけどなあ」
社長が呟く。
「今まで居なかった人が雨男なんじゃないですか?」
小暮が言うと、昨年の夏から中途採用で入社していた石山が下を向いた。
「いや、いや、石山さん、こういう冗談を笑って受け入れられるようにならないと、まだまだ会社に馴染んだとは言えないよ」
「はあ…」
石山は苦笑した。そんな石山も酒が入って来ると徐々に饒舌になってきた。そして、宴会は夜の9時頃まで続いた。
帰宅後、深夜のニュースを見ていると、上野恩師公園での花見の様子が映し出されていた。テレビ局の女性アナウンサーが雨カッパに身を包んでリポートしていた。
『雨にも関わらず、花見をやっている強者たちが居ます』
彼女が向かった先はあの若い男たちのグループだった。
『花見、最高で~す』
かなり酒が入っていると見えて陽気な受け答えをしている。
テーブルには多くの料理が並べられている。そして、宴会場を覆うように数人の男たちがシートを持って屋根を作っている。
『雨の中、風邪をひかないように気を付けて…』
宴会風景を見ながら女性アナウンサーがマイクに向かってしゃべっていると、屋根代わりのシートが風で煽られた。その瞬間、シートに溜まっていた水が女性アナウンサーに降り注いだ。
『水も滴るいい女とはまさにこのことでしょうか』
そう言ったキャスターに、ロケを終えてスタジオに戻って来ていた女性アナウンサーがむっとした表情を見せたところで僕はテレビを消して床に入った。