異世界の黒の魔女とおっさん戦士
高い天井には美しい絵が描かれ、壁には魔法の灯りが煌々と輝いている。
豪奢な装飾が施された空間は広く、優美な音楽を奏でる楽士隊が、絶えず音を響かせ続けていた。
その空間の一角にはテーブルがいくつも置かれ、その上に様々な種類の料理が並べられている。それらは見た目も美しく、そのすべてが高級品なのだろう。
この空間に集う者たちの顔は一様に明るく、祝福を告げる声がいたる所で聞かれた。
いつもはだたっぴろいただのホールが今日は祝賀の会場へと変貌を遂げていたのだ。
そんな会場の中で、料理を適当につまんでいたトウコはその黒いまつ毛を伏せて、はぁと小さく息を吐く。
黒い髪に黒い瞳。一般的な日本人の色だが、その色をもつ者はこの会場でトウコしかいない。
他の者はみな、きらびやかな会場にお似合いのきらびやかな色彩を持っていた。
(もう、帰っていいかな……)
皿に取ったプチフールを口に入れ、もぐもぐと咀嚼する。
甘酸っぱいフルーツとサクサクとしたタルト生地がとても合っていて、おいしい。
けれど、そんなおいしい料理を食べても、トウコの心は黒く塗りつぶされたままだった。
ダンスを楽しむことも、料理を楽しむことも……他人との会話を楽しむこともできない。
トウコはこういうきらびやかな場所が嫌いだった。
こうして着飾った人が集まれば、否応なく――
――自分が異世界の人間だと思い知らされるから。
「……っ」
心に浮かんだ言葉にトウコの胸はツキと痛くなる。
トウコはその痛みから逃れるように目を閉じて、深呼吸をした。
(大丈夫。――がいれば、大丈夫)
自分を落ち着かせる魔法の言葉。
トウコ自身、何が大丈夫なのかはわかっていない。
何の根拠もないし、何の保証もない。
ただ、それを胸で呟けば、傾いた心が少しだけ持ち上がった。
「申し訳ありません。家へ帰っても構いませんか?」
食事をしていた皿を給仕に渡し、近くにいた知り合いの騎士に帰宅したい旨を伝える。
本来ならこの場を取り仕切っている王やその他の貴族に挨拶せねばならないがトウコはさらっとそれを無視した。
トウコはこのような場が好きではない。トウコが途中で抜け出すのも毎回の事で、めんどくさい諸事は省略する事をトウコは許されているのだ。
騎士はトウコの言葉に、素早く目配せをし、同僚へと合図を送る。
そして、了の返事と共にトウコを扉までエスコートした。
警備を担当していた騎士の空色の制服の後ろをトウコが歩く。
トウコが歩くと、それに伴って、ベルベットのような生地の黒いAラインのドレスが揺れた。
金糸で繊細な刺繍をされたそのドレスはきらびやかな会場の中でも一際目を引く。
黒い髪は存在を主張するようにサラリとなびき、黒い瞳は灯りを反射し、きらりと輝いた。
この会場にいる者たちはその色にほぅと感嘆の溜息を吐いていたのだが、トウコはそれに気づかない。
騎士は扉付近にいた侍従に後の事を頼むと、トウコに礼をして元の場所に戻って行った。
侍従が馬車を用意した旨を聞きながら、トウコはチラリと後ろを振り返る。
トウコの目に映るのは銀色の髪が眩しい青年。
その隣には菫色の髪のかわいらしい女性が銀色のドレスを着て、優雅に立っていた。
二人は手を取り、楽しそうに笑い合っている。
その姿にトウコの胸がまたツキと痛む。
先ほど持ち上げた心が、また傾いたのを感じた。
(大丈夫。――大丈夫)
トウコは痛む胸を抑えるように、もう一度言葉を心の中で唱える。
扉までやってきたのに、会場を後にしないトウコに気づいたのか、ふと銀色の髪青年と目が合いそうになった。
トウコは慌てて背を向けて、その緋色の瞳から逃げるように、会場を出る。
そして、侍従が用意してくれた馬車に飛び乗った。
「だからねー、マスター……おいしいごはんもおいしいお酒も一人じゃおいしくないと思わない?」
「ああ、思うよ。思うから、お前も誰か連れて来い」
「いないんだよー。誰も付き合ってくれないんだよー」
王都にある宿屋兼酒場。
トウコはがやがやとうるさい酒場のカウンターに陣取り、マスター相手に一人、酒をあおっていた。
マスターの放ったもっともな言葉に、トウコはおいおいと嘆いて、カウンターに突っ伏す。
「いっつもそう言って管を巻きやがって」
「だってマスターはいつでも私の話を聞いてくれるんだもん」
「商売だからな」
「ひどーい」
先ほどまで、高級ドレスを着て、高級な音楽を聞き、高級な食事と飲み物を楽しんでいた人物と同じとは思えない。
黒いドレスはとうに脱ぎ捨て、白いシャツに茶色のスラックス、そこに革製の腰巻を付けていた。
髪は一つにまとめお団子にし、その上からスカーフを巻いている。
酒場は灯りが少なく暗いため、黒い瞳も少しだけのぞく黒い髪も、周りの茶色に交じり、目立っていない。
トウコはきらびやかな場所よりも、この薄暗い酒場が好きだった。
「それより、お前、しばらく見なかったけどどこ行ってたんだ?」
「あー、うん。ご主人様がねー仕事で出るって言うから、ついて行ってた」
「なるほど。そりゃ大変だったな」
「まあねー」
トウコはカウンターから身を起こし、マスターと話しながらもぐいっとグラスを傾ける。
いつもより早いペースでグラスを空けながら、トウコはマスターへと三度目のおかわりを催促した。
「おかわり!」
「おおー、今日は早いな」
マスターは苦笑しながらも、空のグラスを受け取り、いつもの果実酒を出す。
トウコはそれをもらうと、ゴクッと一口飲み込んだ。
「それにしてもお前、ちょうどいいタイミングだな。銀の王子と黒の魔女、それに銅の戦士の巡礼を見れたんじゃないか?」
「……うん、見た」
「おおー、すげーじゃねーか! どうだった?」
「王子は年下で戦士はおっさんで、魔女は同じだったよ」
「……お前、年齢しか見てないのかよ。しかも魔女と同じとか恐れ多いぞ」
マスターが心底残念な人間を見る目でトウコを見る。
トウコはそれにふんっと鼻を鳴らして答えると、べたっとカウンターに頬を付けた。
(だって、私が黒の魔女だし)
木のカウンターは酔って火照ってきた頬をひんやりと冷やしてくれる。
トウコはその感触を楽しみながら、そっと目を閉じた。
トウコは日本人だ。
普通に大学を卒業し、普通に一般事務職として入社した。
仕事にやりがいがあるわけではないが、入社して一年経ち、ようやく慣れてきた所だった。
その日、トウコは先輩たちに飲みに誘われ、課長の悪口を言いながら、女同士で盛り上がっていた。
ビールが好きな先輩をおじさん臭いと笑い、かわいらしいジュースのようなものしか飲まない同僚を子供かって言って笑い……。
そうして楽しい時間を過ごした後、トウコは家に帰る途中で水たまりを踏んだ。
なんてことはない。
昼間に降った雨が蒸発せずに、道路に水たまりを作っていたのだ。
トウコは酔っていてあまり地面を見ていなかったし、大して深く見えなかったそれに思いっきり足を入れた。
しかし、すぐに触れるはずの地面はいつまで経っても足裏に現れない。
トウコが水たまりに入れた足はそのまま吸い込まれ、トウコ自身をも吸い込んでいく。
そして――
――気づけば異世界にきていたのだ。
「え?」
トウコは全身を水に濡らして、間抜けな声を出した。
現れなかった地面はちゃんと出現したようだが、目に入る景色が意味不明だ。
のどかな庭園の噴水につかった全身。
先ほどまで夜だったはずなのに、上を見上げれば青い空が広がっている。
(私、寝てた?)
あまりの出来事にトウコの頭は考えを止めた。
とにかく、噴水から出るか、と座り込んでいた体を立たせ、石を掴み、地面へと足を下ろす。
濡れた前髪が鬱陶しくて、右手で横に流した。
まったく状況が理解できないままに周りを見渡せば、きらびやかな服を着たたくさんの男がこちらへ向かっているのが見える。
その手には銀色に光る物があって……。
「……っごめんなさい」
トウコはわけもわからず謝ると、座り込んでぎゅっと膝を抱いた。
鬼気迫った様子で走って来る男たちも、その手に持っている危険物もトウコにとっては予想外すぎる。
もし彼らが敵であれば、トウコは即死だ。
(神様っ、神様っ、神様っ)
ただひたすらそれを胸で唱える。
どうか夢なら覚めて欲しい。
もし夢じゃないなら、元の場所に戻してください。
必死で願った。
――だが、願いは適わず。
トウコは未だに異世界にいる。
トウコのきた異世界には一つの伝承されている話があった。
それは銀の王子と黒の魔女、そして屈強な戦士が世界を救う話。
そして、トウコはまさに、この黒の魔女の特徴にぴったりだったのだ。
忽然と王城内の噴水に現れたトウコ。
本来なら不審人物として討たれてもおかしくなかったが、黒い髪と黒い瞳が伝承されている話に酷似していたため、王城で保護された。
そして、伝承されていた通りに魔法の力が開花したのだ。
「ねえ、レイベーグ。巡礼の旅って何をするの?」
「うーん。そうだね。何をするってわけじゃないよ。ただ伝承された通りに町や村をまわり、東の果てまで行くんだよ」
トウコが噴水から現れて一年。
その噴水の前にあるベンチに座り、トウコはこの国の第二王子であるレイベーグと話をしていた。
レイベーグはトウコより五つほど若い。
その容姿は伝承されていた銀の王子そのままであり、その縁からトウコの後見人として面倒をみてくれている。
「東の果てに行って何をするの?」
「東の果てにね、水天球と呼ばれる物があるんだよ。それに祈るだけだね」
トウコはレイベーグの話を聞きながらも、わからないと顔を曇らせていた。
そんなトウコをレイベーグは楽しそうに見ている。
「……世界を救うとかじゃないの?」
「いいや、この世界は平和そのものだと思うよ」
長い銀色の髪をゆるく一つに結んだレイベーグがトウコの言葉にあははっと声をあげる。
トウコはその楽しそうな緋色の瞳を見て、むむっと口を尖らせた。
「じゃあ、なんでわざわざ……」
「そうだねぇ。まあ、僕がいて、君がいるからかな」
レイベーグが首を傾けて、優しくトウコを見る。
銀色の髪がサラリと揺れて……。
トウコはそんな仕草に胸が少し高鳴るのを感じた。
(深い意味はないからっ)
トウコはその胸の音をかき消すように、ぶんぶんと首を振る。
黒い髪がサラサラと揺れた。
「えっと、つまり、伝承通りに銀の王子と黒の魔女がいるから、巡礼に出ないといけないっていうだけ?」
「そうだね。一応この国は五十年に一度、王族の誰かが巡礼に出るんだよ。で、今回は銀の王子と黒の魔女である僕らはそれにぴったりだって事だね」
「でも、目的は特にないんだよね?」
「うん。まあ、民の事を思って王族が巡礼してますよって事を印象付けたいんだよ」
「そっか……」
五歳も年下のレイベーグに諭され、トウコは眉間に皺を寄せる。
レイベーグはそれを楽しそうに見ると、トウコの眉間をそっと人差し指で撫でた。
「……トウコはここで待っていてもいいよ?」
レイベーグがじっとこちらを見て、言葉を紡ぐ。
トウコはその緋色の瞳を見つめ返しながら、心がザワザワと波立つのを感じた。
(レイベーグがいなくなる……)
巡礼の旅は一年程はかかるだろう。
レイベーグの言葉に乗り、王都で待つ事もできる。
(その間……私はひとりぼっち)
レイベーグの言葉にトウコは苦し気に胸に手を当てた。
そんなトウコの心の揺れを確認するようにレイベーグはトウコを見続けている。
「……行く」
トウコは少しだけ視線をさまよわせた後、緋色の瞳に答えを出した。
レイベーグがいなくなる。
それがトウコにはとてつもなく悪い事に思えたのだ。
トウコの揺れる黒い瞳を見て、レイベーグは満足そうに頷いた。
巡礼の旅は特に問題もなく進んだ。
王都からは身の回りの世話をする何人かの侍女と二十名ほどの騎士。
それにレイベーグとトウコ。そして、大陸に名を轟かせているという戦士、ガルズが同行した。
王都から共に出発した者以外はそれぞれの領地で警備の兵を出した。
地元の兵が先導し、その後を王都の騎士に囲まれた銀の王子の乗る馬車が続く。
馬車の左右には馬に乗った黒の魔女とその髪色から銅の戦士と呼ばれるようになった屈強な男。
その後ろには侍女の乗った馬車や荷物を積んだ馬車が続き、後方をまた地元の兵士が固める。
その長い隊列は見た目も美しく、一目見ようとたくさんの人が街道へと押しかけた。
伝承されていた話通りに進んでいく巡礼の旅。
トウコは街道から外れた草原に膝をつき、じっと祈りを捧げている人を横目で見ながら、ふぅと少しだけ溜息をついた。
(そんなに祈ってもらっても……中身はこんななのに)
ずっと馬に乗っているため、内太ももは擦れて痛い。
あぶみに入れっぱなしの足首は角度が固定されたままで辛い。
あぶみから足を抜いて、馬から降りて、だらだらと歩けば、さぞ楽になれるだろう。
けれど、トウコはただひたすらに馬の上からまっすぐに前を見続けた。
人々から憧憬の眼差しを感じ、トウコはその理想に沿おうと努力しているのだ。
トウコは自分の姿が人目を惹くものだと痛いほどわかっていた。
トウコの服装はいつも黒だ。
これはトウコが保護された時から決まっている。
噴水でずぶ濡れになり、客室へ通され、用意された服が既に黒であった。
そこからトウコは意思とは関係なく、いつも黒色を纏っている。
この巡礼の最中は黒いシャツに黒いスラックス。黒い毛皮の腰巻を巻き、金糸の刺繍が施されたローブを羽織っていた。
黒い長髪は旅だと言うのに結ぶ事もなく、風にサラサラと靡かせている。
そうして、黒毛の馬にまたがる自分は、さぞ伝承通りの黒の魔女に見えるのだろうとトウコは思った。
「次の街が見えました」
「今日はここまでですか?」
「はい」
前方の警備をしていた騎士が馬を横に並べ、トウコに伝える。
騎士はトウコへ伝え終わると、馬車へと近づき、王子へも報告しているようだ。
途中に休憩を挟みながらも、早半日。
ようやく体を横にできる事にトウコはほっと息を吐いた。
そうして、街につけばまた一段と人の目が増える。
レイベーグも道中とは違い、馬車から降り、決められた道を歩いて行く。
レイベーグが表に出れば、トウコはその左後ろに。
そして、右後ろにはガルズが立つ。
銀色の王子、銅の戦士のそばで黒い服を着たトウコは誰がどう見ても黒の魔女だ。
人々に憧憬と畏怖で崇められる黒の魔女。
トウコは人々の視線を鬱陶しく思いながらも、前を行くレイベーグの後をついていく。
こうして、レイベーグと共にいればトウコは黒の魔女でいなくてはならないのだ。
黒の魔女と呼ばれる事が本意ではないトウコにとっては、それは苦しみでしかない。
けれど、異世界人であるトウコが気軽に話す事ができるのはこの世界ではレイベーグしかいなかった。
レイベーグといれば黒の魔女になるしかない。
しかし……ただのトウコでいられる場所もレイベークの隣にしかなかった。
酒場で一人飲んでいたトウコはカウンターの木の冷たさを頬に感じている内に少しウトウトとしていた。
がやがやとうるさい喧騒もトウコの中には入ってこない。
先日、一年かかった巡礼の旅は終わり、無事に王都へと帰還した。
華々しいパレード、神殿での儀式。
それをようやく終え、今日のパーティはその帰還を祝うためのものであったのだ。
主役の一人であるはずのトウコは途中で抜け出し、考えるのは自分の事。
レイベーグに……五歳も年下の男性に依存している自分について。
噴水で保護され、トウコは自分が昔ばなしの魔女に似ているということはわかった。
ありえない、と一笑していたが、実際に魔法ができてしまい、あれよあれよと地位が固まっていく。
初めからどこか遠巻きであった人達はみな、さらに壁を作り上げ、気安く話すなんてことができなくなった。
そんな中で唯一、気さくに話しかけてくれたのがレイベーグだったのだ。
(我ながら情けない……)
トウコは閉じていた目を開き、ばっと体を起こす。
そして、グラスを手に持ち、ゴクゴクと果実酒を飲み込んだ。
(横恋慕、かっこわるーい)
トウコはそうして自分を茶化す。
先ほどのパーティでレイベーグの隣にいた菫色の髪の女性。
それはレイベーグの婚約者であった。
この世界に来てすぐにわかっていれば良かったのだが、トウコがレイベーグに婚約者がいる事を知ったのは、かなり依存が進んだ後の事だったのだ。
『王城を出ます!』
トウコはあの日の自分の台詞を思い出す。
レイベーグに婚約者がいると知り、これ以上の依存は危険だと悟った。
だから、まずは物理的に離れないといけない、と王城の外へと居を移したのだ。
そこから、トウコの世界は少しは広がったが、魔法の勉強やこの世界の仕組みについての事を王城で勉強していたため、レイベーグとの接触を全て避ける事はできなかった。
(……結局、会いたかっただけなのかな)
ちゃんと、距離を開けたつもりだった。
レイベーグがいなくてもしっかり生きていこうとトウコなりにがんばったつもりだった。
――それでも、トウコはトウコとしていられる時間を捨て去る事ができなかったのだ。
そして巡礼の旅の事を聞かされ、結局はついて行ってしまった。
今日見た仲睦まじい二人の姿と。
巡礼の旅で一緒に笑い合ったレイベーグのまだ少し幼いかわいい笑顔と。
黒の魔女と呼ばれ、距離を開けられる自分と。
突然、異世界に来てしまった境遇と。
ダメだってわかってるのに依存してしまう情けなさと。
一人ぼっちでいる寂しさと。
全部が混ぜこぜになってきて、トウコは目が熱くなるのを感じた。
これはきっとお酒のせいだと決めつけ、じわりと滲むものを必死で止めようと深呼吸をする。
すると、突然、バンッという音と共に、「見つけた」という低い声が響いた。
「え? ガルズ?」
扉の乱暴な開閉音に驚き、流れそうだった涙が引っ込む。
トウコが後ろを振り返れば、そこには巡礼仲間である屈強な戦士。通称、銅の戦士と呼ばれているガルズがそこにいた。
ガルズは目を瞬いているトウコをじろりと睨むとドシドシと歩いて、カウンターまで来る。
そして、トウコの隣のイスを引き、そこにどしんと音を立てて座った。
「え? なんで? パーティーは?」
「……お前と一緒だよ」
「え? ……ああ、抜けてきたんだ?」
トウコは目を瞬きながら隣に座るガルズを見上げる。
ガルズはそんなトウコにふんっと鼻息で答えると、マスターに麦酒を注文した。
銅の戦士の名前の通りの見事な銅色の髪がほのかな灯りを受けて、キラキラと輝く。
「トウコ……こんなとこで何してる?」
「え? いや、飲み直してる」
じろりとクルミ色の目で睨まれ、何を怒ってるんだ? とトウコは首を傾げながら答えた。
ガルズがそんなトウコを見て、はあ、と息をつく。
そして、マスターから麦酒を受け取った。
「……一人でか?」
「……だって、私、一人ぼっちだし」
ガルズの問いに口を尖らせながらトウコが答える。
ガルズはその答えにもう一度はあ、と息をつくとぽすっとトウコの肩を優しく叩いた。
「俺を呼べばいいだろ」
「……でも、ガルズ、パーティーにいたし」
トウコはあー、と声を上げて、ガルズから顔を背けるようにして、頬をカウンターにつける。
ガルズはそんなトウコを見て、またはあと息をついた。
「黒以外も着るんだな」
「そりゃ着るよ。あれはお仕事用。この酒場はお気に入りでようやくできた居場所なの」
その言葉にカウンターにいたマスターとガルズの視線がぶつかる。
マスターはいつも一人で寂しく飲んでいるトウコを気にしていたのだろう。
初めて現れたトウコの連れに探るような視線が混じっている。
マスターの視線の先のガルズの顔はかなり怖い。
高い鼻筋と引き締まった口元は整っているし、鬣のように伸ばされた銅色の髪はきれいだ。
だが、そのクルミ色の目は視線だけで人が殺せそうなほど鋭く、左の頬には魔獣の爪でやられたような古い傷があった。
普通の娘としてふるまっているトウコの連れというにはあまりに不釣り合いだ。
ガルズはマスターの視線に安心しろ、と一度頷くと目線をカウンターの端へと移した。
『向こうへ行け』の合図にマスターはやれやれと息を吐いて、トウコ達から離れる。
ガルズはマスターが離れたのを確認すると、おい、とトウコに声をかけた。
しかし、トウコはガルズの方を見ないまま、なに、とぶっきらぼうに返す。
「……王子に婚約者がいるって知ってたのか?」
「知ってるよ。……一年半ぐらい前からね」
「いいのか?」
ガルズのその問いかけに、トウコの肩がピクッと揺れた。
トウコはそんな自分が嫌であー! と声を上げると、体を起こしてガルズへと向き直る。
「いいとか、よくないとか……。わかんない。知らないっ!」
トウコは自分でもよくわからない感情をそのままガルズに叩きつける。
声を荒げて、じっとガルズを睨みつけて……。
「……」
だけど、睨んだ先にあったクルミ色の目が優しくて、それ以上の言葉を飲み込んでしまう。
そして、一度目を伏せて、唇を噛んだ後、ボソリと呟いた。
「だって……これはただの依存だし。……優しくされて、つけあがっただけだし」
「……そうか」
ガルズの低い声が優しくて、トウコの胸はぎゅうっと苦しくなった。
それを誤魔化し、言い訳のように言葉を続ける。
「……異世界に来て、初めに優しくしてくれたのがレイベーグだったんだよ。魔法が使えたって元の世界には帰れない。黒の魔女だって言われて、誰とも仲良くできなくて……。レイベーグだけが友達で……」
トウコの居場所はどこにもなかった。
唯一レイベーグだけが居場所だった。
『元の世界に帰れなくても大丈夫。僕がいるよ』
『元の世界に帰れないけど大丈夫。僕といれば』
『大丈夫。僕がいれば』
いつそうなったのかわからない。
でも、気づけばトウコは『大丈夫。レイベーグがいれば』と唱えるようになっていた。
「なるほどな……」
胸を押さえて、眉を顰めるトウコを見て、ガルズはその目に炎をギラリと光らせる。
そして、ぐいっと麦酒をあおった。
「トウコ。お前は王子が好きか?」
突然のガルズの言葉にトウコは頭を上げてその目を見た。
まっすぐに見るその目は嘘を許さない。
でも、トウコにはそれに対する答えがなくて……。
「……わかんない。依存なんだろうって自分でも思う。……でも、やっぱりレイベーグが婚約者と一緒にいるとつらかった。自分が捨てられるような……居場所がなくなっちゃうよな」
トウコは話しながらも、自分の答えの情けなさに目をウロウロとさまよわせた。
到底、五歳も下の者に持つ感情じゃないとトウコは思う。
「トウコが望めば、王子と婚姻できるんじゃないのか?」
ガルズの言葉にトウコは目を見開いた。
ガルズの言葉は的確だったのだ。
レイベーグの婚約者は国内の上位貴族。婚約破棄する事に労力はかかるだろうができないわけでもない。
第一王子は既に男子を三人ほど成しているため、第二王子の子供はさほど王位継承権は高くない。
異世界の人間の血が多少交じろうとも、銀の王子と黒の魔女の婚姻となれば、国としては慶賀すべきことだ。
その状況を一応は学んでいたトウコだったが、そんなガルズの言葉に唇を噛んで、首を振った。
「……それは違うと思う。あの菫色の髪の子はきっとレイベーグが好きだよ。私が来る前にちゃんと育んできた物があると思う。……私はレイベーグの未来を壊したくない」
そして、小さく言葉を紡ぐ。
「私はこの世界の異分子なんだよ。……そんな私がレイベーグの世界を壊しちゃダメだ」
依存であろうとなかろうと。
恋であろうとそうでなかろうと。
(レイベーグには幸せになって欲しいから……)
トウコの答えにガルズは一度上を向いて、ふうと息を吐く。
そして、じっとテーブルを睨むトウコの頭にぽふっと手を置いた。
「この国にいて辛くないか? ずっと王子をそばで見るのか?」
トウコはガルズの手の優しさをじっと黙って受け入れる。
そして、ボソリと呟いた。
「……辛い。こんな所いたくない」
異世界で。
一人ぼっちで。
トウコの小さな言葉にガルズはトウコの頭から手を離す。
そして、低い声で……だがはっきりと告げた。
「……わかった。俺が連れて行ってやる。」
「え?」
「こんな国、いる必要ない。……なにが王子だ。くそが」
ガルズは驚くトウコの前でけっとレイベーグを吐き捨てる。
そして、クルミ色の目でじっとトウコを見た。
「お前がこの国にいたのは、王子のそばにしか居場所がなかったからだろう?」
その言葉はトウコの心に染み込んでいく。
「俺がお前の居場所になってやる」
銅色に輝く髪は眩しくて、クルミ色の目は優しい。
「この世界を見せてやる。俺は名の通った戦士だからな。お前ひとり養うぐらい訳ない。いずれお前にもっといい居場所ができればそれでもいい」
トウコは大きく開けた目を戻せないまま、じっとガルズを見続けた。
「行こう。俺と」
トウコとガルズの出会いはたった一年前。
黒の魔女と雇われた屈強な戦士として出会った。
歳は一回りほど離れているが、共に銀の王子のそばにいる者として、自然と会話が増え、気づけば気安く話せるようになっていたのだ。
そうして、トウコが異世界から来た事や中身が意外と残念な事を知っても、ガルズは変わらなかった。
「ガルズ……バカだね。ちょっと巡礼の旅を一緒にしただけで、そんな事言っていいの?」
「いいんだよ。旅では四六時中一緒だっただろ」
「そっか……」
(この世界に居場所がない。せっかくできた居場所は苦しい事ばっかりだった)
トウコの黒い瞳とガルズのクルミ色の目が交じる。
「私の魔法も役に立つかな……」
「役に立つさ」
(私はこの人に縋っているだけだ)
トウコは我慢できなくなったように、両手を自分の目に当てた。
「俺は一カ所に留められるのが嫌いなんだよ。巡礼が終わればこの国に用はない。俺の力とお前の魔法があればどこにでも行ける」
「……ガルズって男前なんだね」
(きっと、この人だって気づいてる)
両方の掌で目をぐいぐいと強く押す。
「まあな。……俺はお前が泣き止めばそれでいいんだよ」
そう言ってガルズはトウコの頭をポンポンと撫でた。
「今の苦しい気持ちも……世界を見て回れば、いつか振り返れる時が来る。そうしたらここに戻ってきてもいいんだ。だから――」
ガルズの手が頭からトウコの背中にまわる。
「行こう。俺と」
トウコは目に手を当てたまま、うん、と頷いた。
10/28活動報告にガルズ視点の小話upしました
11/11活動報告に王子視点の小話upしました
11/12活動報告にガルズの理由の小話upしました
12/14活動報告にトウコとガルズの旅の小話upしました
1/2活動報告にトウコとガルズの旅、ガルズ視点の小話upしました