縫いぐるみの熊五郎
りりぃの四歳の誕生日、タッちゃんが家にやって来て、これどうぞ! と、りりぃの目の前に大きな箱を どん! と置いた。
タッちゃんはお父さんの弟で、りりぃにいつも優しくしてくれる。
だからりりぃはタッちゃんが大好きだ。
それには、ピンクのリボンが掛かっていて、見るからに仰々しい。お母さんもお父さんも、それから勿論りりぃも目をぱちくり。お父さんなどは途中から なんだそりゃ と笑い出し、終いにはつられて、みんなで笑い出す始末だった。
「りりぃ、四歳のお誕生日おめでとう! これはタッちゃんからのプレゼントだよ」
タッちゃんは汗を拭き拭き、さあ箱を開けてごらん、と続けた。
「いいの?」
りりぃは夢中になってリボンを解き、自分の身の丈程もある段ボール箱を開けようと格闘中。
すぐ傍ではお母さんとお父さんが、こんなに立派なものをすいません、とか、お前無理したんじゃないだろうなとか話していたが、中身を確認した処で、りりぃは驚きの余り、もう少しでお漏らしをしてしまうところだった。りりぃには興奮すると粗相をしてしまう癖がある。
「うわぁあ! 大きな熊ちゃんだぁ!」
そこには大きな栗色の、熊の縫いぐるみが入っていた。
「りりぃ、それな、立たせると今のりりぃと同じ位の背の高さがあるんだぜ? 仲良くしてくれよな」
そう言ったタッちゃんにお父さんが
「え? それは凄いな。りりぃ、今丁度身長が百センチなんだぜ? どれどれ」
箱の中から出して、縫いぐるみを立たせ、りりぃに横に並ぶように言った。
「あ! ほんとだ!」
りりぃがお父さんの言う通りにすると、お父さんとお母さんがそう言って手を叩いた。
目の前で見るその熊は、大きな顔につぶらな瞳。お腹も手足もずんぐりむっくり。随分と優しそうに見える。
「タッちゃん、ありがとう! で、この熊ちゃん、何て名前なの?」
抱き締めながらそう言うりりぃに、タッちゃんは
「ん? 今日からそいつはりりぃの友達だから、りりぃが素敵な名前をつけてあげてくれよ」
と笑った。
「え? じゃ、熊五郎! 熊五郎に決定! いい? 今日からあんたは熊五郎よ」
りりぃは縫いぐるみの目を見つめながら、まるで言い聞かせるみたいにそう言った。
「熊五郎? また随分と古風な名前だな。それでいいのか?」
お父さんとタッちゃんは不思議そうな顔をしたが、お母さんだけは
「ああ、この子、ちょっと変わってるのよ。和風テイストが好きなの」
と納得顔をした。
その日からりりぃと熊五郎は何をするにしても一緒だった。寝る時には勿論二人で寝たし、テレビを観る時にも、食事をする時にも、傍らにはいつも熊五郎が居た。今までは一人での留守番は嫌いだったが、熊五郎が来てからは平気になった。
最初は幼稚園にも一緒に行く! と我侭を言ったが、さすがにそれにはストップがかかり、りりぃもしぶしぶ承諾をせざるを得なかった。
りりぃは一人っ子であったが、お友達には弟がいるのよ、と言っていた程、りりぃの中では熊五郎は家族の一員として、大切な存在になっていったのである。
熊五郎が来て三年が経ち、りりぃは小学一年生になった。熊五郎も最初とは様子が違い、年をとった。要するに古びてきたのだ。無理も無い、ただ飾られているのではなく、三年間、毎日のようにりりぃと生活を共にしてきたのだから。
「ねえ、りりぃ、あんたももう一年生になったんだし、縫いぐるみと寝るのはそろそろやめれば? それに古い縫いぐるみにはダニってものが居るらしいのよ。健康にも良くないらしいから」
お母さんは最近、よくそう言う様になった。テレビで観た番組でそう言っていたのだという。
「熊五郎は縫いぐるみじゃない。弟なんだから!」
その度にりりぃは目に涙を溜めながらそう抵抗した。あまりに悔しいので、学校の宿題の作文にその事を書いた。
【わたしには弟が居ます。四歳の誕生日にタッちゃんがプレゼントしてくれました。でも、本当は人間じゃありません。大きな熊の縫いぐるみです。でもわたしは縫いぐるみだとは思っていません。名前は熊五郎。何をするにも一緒です。最近、お母さんはもう一緒に寝るのはやめなさいって言います。ダニってものが居るから健康にも良くないって。わたしが時々咳き込むのは、そのせいかも知れないって。でもわたしにはわかりません。だって熊五郎は家族の一員なんですから。熊五郎に、お母さんってばひどいよね? と言っても、熊五郎はただ笑っているだけです。たぶん熊五郎はお母さんのことも大好きだから、何も言わないのだと思います。縫いぐるみだから言わないんじゃありません。熊五郎はわたしと居る時はとってもおしゃべりなんですから】(作者注 本当はひらがなが殆んどですが、読みにくいので漢字交じりにしました)
この作文は学校の文集に載って、一騒動をりりぃの身に起こした。
「ですから、まだ小さいお子様、特に一人っ子のお子様などは、ぬいぐるみと会話する場合もありますよ。想像力のたくましいお子様などには、縫いぐるみの声が聞こえるというケースもあるのです。一人で二役の、ごっこ、の延長としてですね。ですからそう御心配には及びません」
無理矢理連れて行かれた病院でお医者さんからそう言われて、お母さんはやっと安心したようだったが、学校ではみんなから、からかわれるようになった。
「お前さ、小学生にもなってまだ縫いぐるみと寝てんのかよ? 赤ちゃんみてえ」
「縫いぐるみがしゃべるわけ無いじゃん。幻聴が聞こえるの?」
「やべえ、お前、やべえよ」
クラスのやんちゃ共は、そうりりぃを笑った。りりぃはそんな言われようにも平気だったが、大好きなケン君から言われた一言には少なからずも心を痛めた。
「りりぃちゃん、ダニって、アレルギーや喘息の原因にもなるらしいよ? もし咳が出たりしてたら一緒に寝るのは良くないんじゃない?」
その日、初めてりりぃは熊五郎を椅子に座らせて、自分はベットで一人で寝た。その晩見た夢の中の熊五郎は、りりぃを見て寂しそうに笑って手を振った。口が さ・よ・う・な・ら と、動いた、りりぃにはそう思えた。
「熊五郎! さようならって何よ? わたし、そんなつもりなんかじゃない! ただ…」
ただ、どうだっていうのだろう? わたしはほんの少しでも熊五郎を疎ましくは思わなかったか? 熊五郎にそんな自分の心を見透かされたのではないか?
りりぃは泣きながら目覚めた。椅子の上を見た。熊五郎は昨日と変わらず椅子の上に座っている。でも…もうりりぃには熊五郎の声は聞こえなかった。
その日を堺にりりぃは熊五郎と距離を置くようになった。いつしか熊五郎は部屋の隅から押入れに。押入れから物置にと、その身を移して行ったのである。
更に月日は過ぎ去り、りりぃも大人になった。結婚して実家を出て、子供が出来て、里帰りをしたある日の事だ。
「ねえ、あんた、覚えてる? 小さい頃大好きだった熊の縫いぐるみ」
思い掛けない話題にりりぃは胸が熱くなった。
「勿論覚えてるわ。熊五郎。竜彦おじさんが誕生日プレゼントにくれたのよね。大好きだったわ」
「そうよね。アレね、実は物置にあったのを処分しようと思ったんだけど、なんだかねぇ…それにユマちゃんが生まれたから、ユマちゃんにどうかと思って。業者さんに頼んでクリーニングして綺麗に生まれ変わったのよ。ほら」
母親が示した先にはあの懐かしい姿があった。大きな顔につぶらな瞳。お腹も手足もずんぐりむっくり。優しそうな顔。
「ああ、熊五郎…」
やっぱりりりぃには熊五郎の声は聞こえない。でも。
もうすぐ四歳になる娘のユマが目ざとく熊五郎を見つけると、駆け寄り、抱きついた。
「え? あなた熊五郎っていうの? わたしのおじさんですって?」
そんな娘の言葉を聞いて、りりぃは涙が止まらなかった。
「熊五郎、あなた、ずっと私たちを待っていてくれたの? ごめんなさい…」
「バカだな、りりぃ。ぼくら家族だろ? 何があっても家族ってのは、最後には許し合うものじゃないか…それより喘息にならなくて良かったね…」
熊五郎がそう言って娘のユマを抱き締めたのを、りりぃは確かに聞いた気がした。
今では熊五郎はりりぃの嫁ぎ先で、ユマの友達として生活をしている。勿論年に一度のクリーニングと補修は欠かさない。いつまでも家族でいられる様にと、りりぃが提案したのだ。
娘のユマは熊五郎と楽しそうにお話をしている。それを時々羨ましく思うりりぃであるが、そのうち私も、と希望を捨てていないのは、彼らが家族であるからなのだろう。少なくとも今のりりぃにはそう思えるのだ。