月之影光
少年は佇んでいた。屋上には彼以外に誰もいない。少年の髪は闇のように黒い。
空は蒼く澄み渡り、小鳥がさえずる。雲ひとつない青空から太陽が眩しい光を放っていた。
月に一度、昼休みの後の授業をサボり屋上で風、陽の光、空。これらの自然を楽しむことが彼——月之影光のささやかな趣味であった。
彼は生まれ持って自然を——本当に微弱なのだが操る能力を持っていた。
もし、この能力が家族や友人、たとえ他人であっても知られたら迷惑をかける。なんとなくそんな気がしていた。だからこそ独りのときにだけ、こっそりと自然を操り自然と一つになる。
そんなことに月之影は幸せを感じていた。
五時間目はとうに終わり六時間目の中ごろ、月之影がこっそりと帰ってしまおうかなんて考えていたときだった。
校庭に大勢の車が停まりにきた。教師全員が車で学校に来ているとしても明らかに多い。そんな数だ。
そして、車から降りた男のうち何人かは両手で何かを持っているような気がした。
月之影は絶句した。おそらく、あれは銃だ。
よく映画などであからさまな悪役がデカイマシンガンを担いでいたりする。校庭にいる男たちはまさにそれを思わせるかのような持ち方をしていたのだ。
「おいおい…………見間違いだよ……な」
屋上には月之影以外に誰もいない。ただ、目の前の事がどうしても信じられずに誰かに確認がしたくなったのだ。
結局、月之影は目の前で見た光景を何かの間違いと見なしてしまった。
実際のところ月之影の見た光景は間違ってなかった。校庭にいた男たちは銃器類を持ち学校に突入しようとしていたのだ。
だが誰かがどうして彼を責めることができようか。
誰しもが一度は非日常というものに憧れる。しかし、本当に目の前で非現実的なことが起これば目の前の物事を信じられずに自分に間違いがあったと思い込んでしまう。
それは自然を操ることのできる月之影光とて同様であった。彼とて、精神的には未熟な男子高校生なのだ。
月之影が自らの過ちに気がついたのはそれからすぐのことであった。
月之影が教室に戻る決心をつけ、屋上のドアに手をかけた瞬間のことだった。
「動くな!じっとしていろ!」
校内で怒号が鳴り響いた。怒号は次々に連鎖していく。一つの教室だけでなく、他の教室でも起こっているのだろう。
先程の自らの判断が過ちであったことに気がついたとき、月之影の頬から汗が滲み、頬から顎を伝って行き、雫がポタリと床に落ちた。
「なっ……まさかさっきの奴ら……!!くそっ!」
月之影は乱暴にドアを開け、全速力で走り出した。
「真司っ……!加奈恵っ……!無事でいてくれよ…………!」
幼い頃、月之影は孤児院で暮らしていた。
施設の人が言うには、月之影は父親と思われる男性に「必ず迎えに来るよ」と言われそれっきりだったらしい。物心もついていないころの話だ。
それから月之影はみるみるうちに元気をなくし、とうとう外でぼんやりとするだけになった。その当時、月之影の周りだけはそよ風が吹いていたらしい。
思えば、その時には既に自然を操ることができるということに気がついていたのかもしれない。
そんなある時、月之影に二本の手が差し伸べられた。
倉島真司。相良加奈恵。
最初のうちは遊ぶのに人が足りないから、といういかにも子供らしい理由だった。だがそれはいつしかかけがえのない友情へと変わっていき、今では三人は心で通じ合ってると言っても過言ではないほどに信頼しあっている。
そして同じ高校に進学し今日、事件が起きたのだ。
「あ?なんだ?テメーは」
屋上へとつながる階段を駆け下りた瞬間に学校へ突入したと思われる男の一人と遭遇してしまった。
手には小型の拳銃。まともにやりあえばあっという間に死体が一つ出来上がる。
月之影は思索した。どうすればこの男に勝てるのか。せめて勝てないまでも、動きを止めるには——
「よおおっさん。気持ち悪い格好してんな」
考えた結果、月之影は相手を挑発することにした。煽れば怒る。怒れば動きが単調になる。それを上手く利用できればなんとかなるかもしれない。
果たしてその成果は。
「んだとクソガキィ!死にてえのか!どっから抜け出したのか知らんが、さっさと教室に戻りやがれ!」
成功だった。
カチャリと音を立て、月之影の目前に銃が突きつけられた。
その刹那、月之影は風を操り突風を自らの背後に発生させた。そしてその追い風を利用し、男の腹めがけて突撃したッ!
「このクソガっ……!?あっ……が、ぐ…………っ」
男の撃った銃弾は月之影の頬をかすめ空を切った。
そして男はは呻き声をあげて倒れ伏している。たまたまみぞおち付近にでも当たったのか、突風を利用した突撃がそれほどまでに強力だったのかはわからない。
だが、確かに月之影は自らの能力をを利用して銃を持った男を一人倒したのだ。
「やった…………のか?はは……やればできるもんだな…………」
危機が去ったと理解した瞬間、身体からドッと汗が吹き出た。一歩間違えば自分は死んでいたのだ。
それをほんの擦り傷で切り抜けた。
だが、次はこうはいかないかもしれない。
「もうちょっとうまくやんねえとな」
誰にも聞こえないように、月之影は一人呟いた。
「あ、銃はもらっとくか。わりいな、おっさん」
男を適当なトイレの個室にぶち込んだ後、月之影もまた個室に入り、一人悩んでいた。月之影は所謂手詰まりの状態にあったのだ。
理由は一つ。このままだとどう考えても真司と加奈江を助けることはできないからだ。
なぜなら、全ての教室に銃を持った男が一人いる。このままではたとえ一つのクラスに突入したところで他のところから援軍がやって来て蜂の巣にされるのがオチだ。
つまり、真司と加奈江を助けるには銃を持った男数人と戦って勝つか、気づかれずに真司や加奈江、できれば他のクラスメイトも助け出さなければならない。
自分にそんなことができるのだろうか?答えはNOだ。
そもそもどうしてうちの高校にあんなやつらが?しかも見たところ教室にいる全ての生徒、教師を人質にとり、廊下にいるやつもいた。何の目的で?それがわかれば突破口が開けるかもしれない。
だが、何もわからない。
自分は何もできないのかというもどかしさに頭を抱えた時、頭の中を電流が駆け抜けるような閃きが思い浮かんだ。
3階、月之影の教室がある階だ。その階段近くに二人の男がいた。
「よう、お疲れさん」
「あれ、お前持ち場はどうしたんだ?
「腹壊しちまってよ。今どうなってんだ?」
「なんでもガキが教室にいねーそうだ。どっかでサボってるらしいぜ。ったく、ガキはガキらしく授業うけてろってんだ」
「ま、まて!そのガキの名前は!?」
「な、なんだお前。急に取り乱して。たしか月之影光……だっけな。見ない顔だがまさかおまえが——」
片方がもう片方の股間を尋常じゃない速度で蹴り上げた。
月之影光の閃きというのは、仲間たちに紛れ込むことだった。
男たちは集団で来ている。もしかしたら仲間意識もそんなに高くないのかもしれない。そう思っての行動だ。
結果、わかったのは自分を探しているということ。
何故?自分に何の役目が?まさか能力がばれたのか?ならなぜ?
いくら考えても答えは出ない。そうこうしているうちに乾いた発砲音が聞こえた。
一瞬声が出なかった。銃が撃たれたのはおそらく、月之影たちのクラス。
それが意味するのは——
「真司!!!加奈江!!!」
月之影は力の限り駆け出した。微弱な力を全力で使い追い風を起こし、少しでも速く。
教室のドアを開けた月之影を待っていたのは二人の男。幸いにも傷ついた生徒は誰もいない。
「やっときたか。月之影光。待ってたぜ」
「真司!加奈江!無事だったのか!」
「逃げて!光!あいつらは光を狙ってる!」
「余計なことを言うなァ!」
加奈江が叫ぶと男は怒鳴り、天井に向かって発砲した。
「こうすりゃ来ると思ったぜ。友達思いのやつって聞いてたからなァ」
「…………どうして俺を狙う」
少しでも時間を稼ぎたい。あわよくば説得に持ち込めるかもしれない。
怒りで燃える月之影の心とは対照的に、頭は冷静に物事を判断できていた。
「オメーさ、自然をあやつれるらしーじゃん」
「で、おにーさんたちはそれを役立てたいワケ。わかる?」
男たちの茶化すような口調。まともに取り合う気がないのは火を見るよりも明らかだ。
「そーゆーこと。わかった?はやくしな」
「…………わかった」
これ以上みんなを危険に晒す訳にはいかない。月之影にとって腹が煮えくりかえる気持ちを抑えての苦渋の決断だった。
「待ちな!」
叫んだ声の主は倉島真司。同じ孤児院で育った月之影の親友であった。
「ったくよ、光。お前も能力持ってたんなら言ってくれよ。水臭いぜ」
そう言うと真司は手をかざして自分を含む生徒たち、それから月之影を包むようにドーム状の膜を張った。膜は青白く淡い光を発している。
「実はさ、オレもこういうことができんだ。安全はオレが保証する。やっちまいな!光!
「真司……!ああ!」
月之影の声はわずかに涙ぐんでいる。自分の他にも能力を持ってる仲間がいた。それが親友だった。彼の人生でこれ以上に嬉しいことはなかった。
「やめろ……ガキィ!やめろ!いいのか!?俺たちについてくれば金をやる!いくらでもだ!」
月之影は先程と同じように追い風で速度を上げ、最大限の蹴りを男たちにぶちかました。
「いらねーよ、んなもん」
月之影は涙を拭いながら言った。
その後は順調に進んだ。自由になったクラスメイトの一人が警察に連絡し(能力のことは伏せて)事は終わりを迎えた。幸いにも死者は一人もいなかったらしい。
だが、その後月之影光、倉島真司、相良加奈江の三名が姿を消した。警察は今回の事件と何らかの関係があるとみて捜査している。
夕焼けの中、月之影光たちはで歩いていた。
能力を狙う奴らがいるからにはもう学校にはいられない。みんなをいつ危険に晒すのかも知れないのだ。
「光。これからどーするよ」
「とりあえず能力はもう使わないようにしないとな」
今回の事件の原因は自分の不注意による能力の漏洩。それによって悪用しようとした人間たちが徒党を組んでやってきた。月之影はそう考えている。どこから自分の能力の情報が漏れたのかはわからないが使わないに越したことはない。
「……それより加奈江、本当によかったのか?ついてきて」
相良加奈江は二人について行くことを選んだ。
自分には月之影や真司のように能力があるわけではない。ただ、幼い頃から三人はいつも一緒だった。だから。
「うん。二人がいなくなるくらいなら私も一緒に行く。私たちには困る親もいないしいいでしょ?」
三人は顔を合わせて笑った。どこへ行く当てもない。だが、三人一緒ならなんとかなる。そんな気がしていた。
だが、今回の件はこれから三人を取り巻く事件のほんの序章、プロローグにすぎない。これから自分たちの身におこることを三人は何も知らない。




