78話
遅くなりました!!
王都から引っ越してきて、二年。ばあーちゃんの古い知り合いだという自称「大家」のザッシュさんを、こんなに緊張して見たことはない。
カイン様も周りの状況を忘れたかのように、緊張した面持ちでザッシュさんを見ている。
そんなザッシュさんはいつも通り小さくため息をつき、くっと顎を上げて口を開く。
「お前のいいところは決断が早いところだが、もう少し事柄の背景と状況判断に長けなければならない」
うぐっと言葉に詰まりつつ、まさかの第一声が小言。さすがザッシュさん……。
「歴代の“緋炎の魔女”に次代の候補となりそうな娘を何十人と見てきたが、お前のような猪突猛進で中途半端にしか情報を得ないで行動する危ない候補は数百年ぶりだ」
さらにわたしの耳が痛くなる。
「……はい。すみません」
申し開きようがない。
しゅんと頭を下げて謝ると、ばあーちゃんが「ふんっ」と胸を張って偉そうに言う。
「ほぉら、怒られた。お前は人の話を聞きやしないからねぇ」
「お前は放任し過ぎだ。何のためにアリスを俺の元に避難させてきた。ちゃんと見張っていろ、と言ってきただろう」
ザッシュさんにじろりと睨まれるが、ばあーちゃんはどこ吹く風とばかりに口をへの字に曲げる。
「あたしだって子守を四六時中している暇はないんだよ」
「酒飲んで寝てたじゃないか」
「あんたもじゃないか。それに小守りなら、早々にそこの若造に押し付けたっていうのにこのザマだよ。騎士道もたまに強引に捻じ曲げないと、女は飽きるんだっていうのに」
「お前のように力技で何でもやろうとするな。それにこの事態はお前もしくじったからだろう?」
「……ああ、そうだよ」
チッと盛大に舌打ちして、ばあーちゃんはザッシュさんから目をそらした。
と、ドォオン! という轟音と共に地面が上下に大きく揺れる。
とっさに近くにいたカイン様にしがみつき、カイン様もわたしを掴んで支えてくれたが、これは地震じゃないとすぐわかった。
ロードル元侯爵側から土埃と悲鳴が上がる。
黒い魔力が立ち込める中からにょっきりと突き出ている骨ばった巨大な手が、手当たり次第に地面を叩いている。
近くにいるロードル元侯爵側の陣営は的にされたようで、魔法使いが応戦するが余計に居場所を教えるだけのようで、剣士は剣が折れて役に立たない。
魔獣の手があちこち叩きつけるたびに轟音が響く。
ブライント議長はすぐに指示を出し、魔獣の足から距離を置きつつ魔法使いを中心に体勢を立て直す。
「ああいうバカが今までも時々出て、前にも尻尾を開放したんだ。あの時はこの辺りはまだ森だったが、薙ぎ払った大地は草原になってしまった。木が育つほどの力がなくなったのだ」
そこでザッシュさんは大きくため息をつく。
「四十年前のこともそうだが、あの親子は本当に面倒な人間だ。ログウェル家のこともアレが裏から手を回したのはわかっていた。ジェシカがアリスを連れてこちらに避難させておけばよかろうと思っていたが、人の執念というものはねじ曲がって根深く酷いものだな」
その言葉に、わたしはハッとして顔を上げる。
「……じゃあ、ばあーちゃんが辞めて王都を出たのって」
「たまたまログウェル家の困窮と時期が重なった、とは言えない。お前をジェシカから引き離そうとしたのだろう。お前がうちに来てしばらくしたら、あちらからの『客』は多いからな。まあ、皆我が家を『見失って』どこかへ行ってしまっていたが」
「それってザッシュさんが守ってくれたってことですよね」
「俺は『目』。お前を積極的に守ることはできない。俺に与えられえた使命は『見ていること』だ。たまには俺も休みたい。家全体を『目』にして閉じていただけだ」
ああ、それで相手には見えなかったってことか。
閉じていただけって言うけど、そうやってずっと守ってもらっていたんだ……。
初めて知ったけど、思い当たることがいくつもあることに気がつく。夜働くことに反対はされなかったけど、絶対起きていて(本人は酒盛り中と言っていたけど)見守ってくれていたんだ。
さっきまでの緊張はあっという間に消え失せて、カイン様にしがみついていた手の力も抜け――え? しがみ!?
「いつまでしがみついている」
目を細くしたザッシュさんが言うや否や、わたしはパッと手を離して距離を置くと、カイン様が少し残念そうに笑う。
「ほら、くるよ」
言うや否や、ばあーちゃんは両手に炎をまとわせて放つ。
それに続くように周りの魔法使いもそれぞれの属性の魔法の塊を放つ。
ちょうどこちら側を叩きつけるように振り上げられた“魔獣”の手に、放たれた魔法が次々に当たっていく。
その様子を見てカイン様が眉を潜める。
「……全然傷つかないな」
「当り前だ。あの程度の威力で本体が傷つくものか」
「ババアの魔法はどうだ」
「ジェシカの?」
そう言ってザッシュさんは、近くで「爪をあっちの陣営に落としてやろうじゃないかっ!」と宣言し、賛同した魔法使い達と射的でもするかのように魔法を打ちまくっているばあーちゃんを見て、少しだけ目を伏せた。
「……今までの多くの“緋炎の魔女”は魔獣に敬意を払っていたが……。こいつは例外だ。爪位なら切り落とすだろう」
「いいの!?」
他人事のように言うザッシュさんに思わず突っ込むが、やはり気にしないとばかりの顔でうなずく。
「爪は生える」
ごもっとも!!
そんな感じで双方の陣営が魔獣の手に攻撃を加えている最中、手にもっとも近い位置から離れず混乱して周囲の状況が全く目に入っていない人がいた。
――ロードル元侯爵。
彼は髪を振り乱し、余裕の笑みを一変させて焦りと混乱に顔を歪ませていた。
「なぜだ!? なぜ制御できない。体はどこだ。魔力は出ているのに実体化が進まない。足りない。これじゃあ足りないのか!? 何が!?」
同じことをわあわあ叫んでいるが、彼の頭上では暴れる魔獣の手と魔法が被弾して飛び散る魔法の残骸が飛び交っている。正直非常に危険な場所にいるのがわかっていないらしい。
「か、カイン様。あの人捕まえなくていいんでしょうか」
そっと指をさすと、カイン様はその先のロードル元侯爵の姿を見て眉を潜める。
「捕まえようにもあの位置は難しい。と、いうかなぜ攻撃されないのだ?」
「……リリシャムの指輪を持っているからだ。本体の意識も一部起きたようだな。それならやりやすい、か」
ふむ、とザッシュさんは一人うなずいて歩き出す。
「ザッシュさん!?」
「少し本体に視覚的な情報をくれてやるだけだ。だが少々意識が混乱しているな。アリス、そこの伯爵と一緒にあの手の動きを止め、意識に隙をつくってくれ」
「どうやって!?」
サラッと無理難題を言ってのけたザッシュさんの背中に叫んで問うが、彼はスタスタ大混乱の中へと歩いていく。
サッと近くを見渡してばあーちゃんに助けを、と思ったが――。
「やった! 剥がれた! ザマーミロォ!!」
「「「おおお!!」」」
賛同して一緒に爪を落としにかかっていた仲間と歓声を上げていた。
ムリ。あの人には何も言えない。
「アリス」
カイン様に呼ばれ、わたしはどうしたらわからないまま不安な顔を上げる。
「カイン様、わたし初歩的な魔法しか使えません。炎で束縛する、という方法もあるのですが、正直うまくいくかどうか」
「そのことだが、あの大家は『手の動きを止め、意識に隙をつくれ』と言っていた。おそらく驚かせろ、ということだ。意識に隙が出れば大家がなんらかの形で接触するのだろう」
「驚かせるって、あの手をですか!?」
視覚がないって言うのにどうやって?
答えを求めるように口をつぐむと、カイン様は真面目にうなずいて何かを掴んだ右手をわたしに突き出した。
そして、それを見てわたしの目は点になる。
「「「…………」」」
ふぅうううちゃあああん!?
驚いわたしの目が訴えたのが分かったのか、カイン様は重々しくうなずく(いえ、うなずかないでくださいよ)。
「フーを、アリスの副魔法で巨大化させよう」
「「!?」」
固まるわたしとフーちゃんを見ないように、カイン様はそっと目を閉じて作戦を説明する。
「フーを魔獣の手に握らせる。驚いた手は動きを止めるだろう。その間、あちらの陣営は魔法を放つだろうから、こっちの陣営はフーの守る意味での援護射撃をする。どうだ?」
イヤイヤと激しく柄を振るフーちゃん。
そうだよねぇ、と同意しかけたのだが――カイン様の次の言葉でわたしは女の友情のもろさを痛感する。
「仕方がない。ならば、作戦伝達はフーからババアへ。アリスは俺の腕を膨らませて欲しい。できるならあの魔獣の手と同じくらいに」
……腕を巨大化したカイン様が、魔獣の手と腕相撲?
「……」
一瞬にしてカイン様の姿形の不恰好さと滑稽さと、それも大勢の人々の前で晒すのかといういろんな考えが瞬時に浮かんだ。
「フーちゃん頑張って!!」
「!?」
ブワッとフーちゃんの毛先が逆立ち、まるで「裏切り者!」と叫ぶように毛先をざわざわさせる。
「ご、ごめんなさい、フーちゃん! でも、カイン様が腕だけ巨大で魔獣と腕相撲なんて見たくないの!!」
でも、巨大なホウキなら大丈夫。だってフーちゃんはばあーちゃんの魔法具ですって言えば、たぶんみんな納得する。――今までもそうだったから、きっと大丈夫。
それでもフーちゃんはいやいや、と柄を振るが、カイン様から鶴の一声が放たれる。
「この作戦が成功したら――お前とあのデッキブラシ専用の部屋(掃除用具入れ)を作ってやろう。ついでにマットも付ける」
「――!!」
この瞬間、恋する乙女はファイターとなった。
11月滑り込み!!
リアル本業が忙しく、ご無沙汰してます。
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