76 話
フーちゃんは人気がないにもかかわらず、ずいぶん高いところを飛んでいく。
星も少なく、月も細い暗い夜。
普段はフーちゃんの先にランタンなどの灯りをともしているけど、今日はそれもない。
だけどフーちゃんは迷いなく進む。
冷たい夜風に気を取られることもなく、どんどん近づく不安と――大きな魔力。
無意識にわたしの体が震え出し、カチカチと歯が小さな音を立てる。
そんなわたしに気が付いたのか、後ろでわたしを支えるように乗っているカイン様がギュッと抱きしめてくれた。
大丈夫、なんて言葉はなかったけど、背中から伝わるぬくもりが安心を与えてくれる。
ようやく震えが止まった頃、今度はフーちゃんに異変が起きた。
ビクッ!
まるで急ブレーキをかけるかのように空中で止まると、毛先を威嚇した猫の尻尾のようにボンと膨らませ、ブルブルと震え出す。
「フーちゃん!?」
柄をなでても震えは収まらない。
きっとわたしと同じなんだ。
「フーちゃん、少し戻ろう。そしてわたし達を下ろし……」
下ろしてもらってそこから歩くから、と言いかけた時だ。
ヒュルルルル……ドパアァン!
震える笛の音のような音の後、眩しい光が辺りを照らす。
とっさに目をつぶった瞼の裏が、白く明るく見えるほどの光。
「! 閃光弾か。まさか」
カイン様がハッと息を飲む。
閃光弾――それは夜戦開始の合図だ、と学園で習ったことがある。
「フーちゃん、離れて!」
ビュンッと、やや上昇しながら後方に下がる。
バアアッとあちらこちらで火が照らされる。
それと同時に人の怒声と金属音のぶつかり合う音が響く。
「始まった! 奴はどこだ!?」
先に目を開けて状況を確認しているカイン様。
わたしもようやく目を開けてみると、真っ暗な草原の一部が松明などに照らされた戦場となっている。
数的には百人もいないかもしれないけど、初めて見る戦場に目を見開く。
「アリス、場所を変わろう。後ろに下がるんだ」
そう言ってカイン様は、まるで飛び降りるかのようにぶら下がる。
ぎょっとしたわたしだったが、あわてて後ろに下がって前を開ける。そこへカイン様が反動をつけて戻った。
スラリと剣を抜くと、カイン様はフーちゃんに指示を出す。
「形勢が変わった。シナスさんだな」
「え?」
「ほら、ロードル側と思われる集団が仲間割れしているだろ」
言われてみれば、騎士や魔法使い達と戦う統一性のない服装の集団が、互いに戦っている個所が出てきている。
「あの人は内部分裂させるのが得意なんだ。騎士より諜報や工作員になりたい、と本人が言っているくらいにね」
離れた位置から全体を見渡しているが、誰が誰だかよくわからない。
本当はロードル元侯爵を探さないといけないんだろうけど、赤い髪のばあーちゃんならわかりやすいかと探すが、こっちも見つからない。
「ここは封印の地じゃない。もう少し先だ」
「じゃあ、ばあーちゃんもそこに!?」
「行こう」
震えを克服したフーちゃんは、戦場を大きく迂回して飛ぶ。
でもわたしが感じる以上に、フーちゃんは漏れ出る何かを感じていたと思う。震えは止まったけど、毛先が尖ったように膨らんでいるのはそのままだった。
「! あそこだ」
カイン様の背中の横から前をのぞくと、灯りが輝いている場所がある。
――そして禍々しい魔力も漏れ出している。
「そんなっ! この間封印直しましたよね!?」
「やつはやっぱり封印を解こうとしているんだ。 親子そろってバカなことを!」
ギリッとカイン様が歯を噛みしめる。
「このまま行く。いいかい? アリス」
「はい!」
前にばあーちゃんとカイン様と三人で大事な話をした岩の上に、黒いローブを着たロードル元侯爵と、数人の護衛が剣を構えて立っている。
その岩のすぐそばにばあーちゃんと魔法省の第二議長ブライント様、そして騎士と魔法使い達が交戦しながら叫んでいる。
「アリス、しっかりフーをつかんでいろ! 行くぞ、フー!」
了解とばかりに、フーちゃんがロードル元侯爵の方へ急降下する。
「「!」」
こちらに気が付いたロードル元侯爵の護衛が二人空を見上げ、一人が矢を構える。
とっさにわたしはチュニックの飾りボタンを引きちぎり、急いで大きく膨らませて思いっきり投げつける。
「「!?」」
まるでブーメランのように回転しながら、護衛の真ん中へ落ちていくボタンに護衛達は乱れ、その隙にカイン様が飛び降りてロードル元侯爵へ切りかかった。
ロードル元侯爵は右手に持った剣でカイン様の剣を受け止め、そのまま大きく振り飛ばす。
わたしはフーちゃんに、ばあーちゃんの方へと連れて行かれた。
「あんた、なにをやっているんだい!?」
続いてどうして来たんだい、とばかりに呆れたようすのばあーちゃんは、わたしの頭へ軽く拳骨を落とす。
「ザッシュはどうした!? 一緒じゃないんかい」
「ザッシュさん? いなかったらしいよ」
「あのうすらトンカチ大トカゲめ!! 帰ったら燻してやる!」
ギリギリと怒りの形相でわけのわからないことを叫ぶばあーちゃんの横で、ブライント議長が袖を引く。
「ジェシカ殿、伯爵が足止めしておりますぞ。今のうちに」
「え、ああ、あの若造やるじゃないか! あとでたっぷり頭をなでてやろう」
「いや、それ、本気で嫌がりそう」
「だからするんだよ。わかってないね」
――わかりません。
ばあーちゃんが両手を前に着きだして、両方の親指と人差し指を合わせて三角形を作る。
「くれぐれも殺さぬように。生きて捕えよとの王命ですぞ」
「現場の苦労も考えて欲しいですわ!」
ハッと吐き捨てるように言い、指先に力を込める。
「マイダーリン、飛びなぁ!」
「喜色悪いわ、ピンクババア!!」
岩の上から応戦しながらも、元気なカイン様の怒声が飛んできた。
よかった、と思いつつこのやり取りは場違いじゃないかな、と思ったのはわたしだけかな。
「衝撃、よぉーいぃ、ドン!」
ばあーちゃんの作った三角の指の間から、岩めがけて火柱が噴き出る。そしてそのまま岩を粉砕した。
「「「「!」」」」
他の人と同様に爆風に目を閉じ、すぐ顔を上げるけど土埃が舞い上がっていて何も見えない。松明もいくつか消えており、それをあわててつける魔法使いの姿がある。
「ゴホゴホッ! けむいし何も見えないじゃん」
やり過ぎだよ、とばあーちゃんを見るが、その顔は険しくなっている。
「タフな中年だねぇ」
――いえいえ、それをあなたが言いますか?
なんて口が裂けても言えないけど、とりあえず心の中でツッコんでおく。
砂埃がおさまって見えたのは、大きくくり抜かれたかのような岩の残骸の前に立つロードル元侯爵と、数人の護衛の姿。格好は薄汚れて所々千切れていたりしているけど、特に大きな傷を負っている様子はない。
足元の草原からは、渦を巻くように濃い魔力が沸きだしている。
「まさか左手に指輪を隠していたとはね。あの時火傷で癒着したとばかり思っていたけど、四十年も指輪の魔力に当てられてよく無事だったもんだよ」
憎々しげに睨むばあーちゃんの言葉に、ブライント様もうなずく。
「アリス、大丈夫か」
「カイン様」
すぐそばに、少し吹き飛ばされていたというフーちゃんを持ってカイン様がかけ寄ってくる。
フーちゃんにごめんと謝りながら、カイン様から受け取る。
「……四十年、か」
ふと昔を思い出すように穏やかな目をして、ロードル元侯爵が低く笑いだす。
「お前たちが何と言おうと、我が父は国のために命を落としたのだ。力を持って安定と平和を保つのに何をためらう。あるべき力をなぜ使わない? たった一人の女の魔法使いが独り占めしていいはずがない。これは国のものだ。
過ぎたつ力、と父を妨害し、炎にのまれたわたしを救ってくれたのは父だ。父に救われたわたしには、父の意思を継ぎ成し遂げる義務があるのだ」
グッと緊張感が高まったこの場で、たぶんわたしとばあーちゃんだけが違った。
うわぁ、いい年してファザコンなんだぁ。しかもなんかおかしな方向に思い込んでいるし。
と、心の仲だけでドン引きする。
一方ばあーちゃんは、目を細くして呆れた表情をしている。
「バカだね、バカ息子。親子ともども思い込みもいいところさ。言っとくけど魔獣の力は国のものじゃないよ。あたしら“緋炎の魔女”の一族が守るべき宝さ。ずっと眠っていてくれるようにと、代々子守をしているんだ。よそ様のもん欲しがって自分のものにして、あんたらの発想はコソ泥だね、ガキ大将」
ばあーちゃんの言葉に、ロードル元侯爵が怒って目をつり上げる。
「黙れ、下民! 貴様の一族など初代の栄光にすがっているだけの害虫ではないか! 過ぎたる力を後ろ盾に国家に食いつく害虫だ!!」
「その害虫を飼おうとしているのはお国だよ。ログウェル家を盾に、この土地を盾にと代々やってくれるんでね、そろそろ開放してもらいたいよ。まあ、そのログウェル家が断絶寸前ってところでお国もいろいろ騒いでいるけどねぇ」
「ああ、いいとも。今から解放してやるさ」
ロードル元侯爵はニヤリと凶悪に口を歪めて笑うと、左手を突きだして右手で手袋を取った。
握りしめた形で完全に癒着してしまっている左手は、手首から先が赤黒く変色してしまっている。
続いてスラリと腰から短剣を抜き、勢いよく左手の親指の付け根めがけて振り下ろし、まるでそこをこじ開けるかのようにグリグリと差し込んだ。
「ひっ」
おもわず口を押え、わたしは眉間に皺を寄せる。
カイン様が「まさか」と小さくつぶやいて、腰から短剣を抜いてロードル元侯爵へ投げる。
その短剣は護衛が防いでしまい、カイン様が剣を構えてかけ出して叫ぶ。
「あいつはアリスの血を持っている!」
「なんだって!?」
驚いた声をあげたばあーちゃんが、そのままわたしに言う。
「あんた血を取られたのかい!?」
「え、あ、うん」
「バカだね、アホだね! まったく自分の価値を全然知らないんだね!!」
「攻撃だ!」
ブライント様も命令を下す。
「あのね、初潮を迎えた処女のうちの一族の、特に魔力持ちの血は封印の力を弱めるんだよ。だからこそあんたをずっと手元に置いていたんだ。カインにも散々怒られたはずだろう!? なんだってあちこち動き回っちまうかね、このオタンコナス! とっとと若造に貰われてしまえばよかったんだよ!!」
「ええぇええ!?」
砲撃が始まって騒がしいのに、わたしは顔を真っ赤にして呆れた顔をしたばあーちゃんからあとずさる。
「言うと無駄に意識しそうだったし、無理強いは本意じゃないとか若造が言うから黙っていたんだけど、やっぱり言っちまっていたほうが良かったよ。一目ぼれしたとか若造もかわいいこと言うからうなずいたけど、最悪な結果じゃないか」
「うぅっ」
一目ぼれ、ですか? カイン様が!?
いえいえ、平凡なわたしのどこにですか!? あ、パン? 胃袋掴んだの?
何も言えなくなったわたしの耳に「やめろっ!」というカイン様の怒声がとどく。
ハッとして顔を上げると、ロードル元侯爵が血だらけの左手に小瓶を傾けていた。
その小瓶から流れるのは――わたしの血。
「やっぱり殺す!」
ばあーちゃんが構えた。
でも、その先でロードル元侯爵は嬉しそうに笑った。
読んでいただきありがとうございます。
来週も更新しようと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。