73 話
本当にご無沙汰してます。
気合を入れたフーちゃんは、そりゃあもう、速かった。
わたしが薄着なのに気づいたカイン様が、自分の上着を脱いで着せようとしたけど、速さ重視のフーちゃんの上ではうまくいかず、何度も落ちそうになった。
最終的に、カイン様は上着を脱ぐことはできなかったが、わたしと密着して上着の中にかろうじて包み込むことに成功。――わたしは寒さなんて吹っ飛んだよ。
両手離して騒ぎたい気分だったけど、そんなことをすれば落ちる。
ただただカイン様のお屋敷に早く着きますように! みんなが無事でありますように! と、必死に念じて気をまぎらわせた。
さすがのフーちゃんも全速力に疲れが見え始め、お日様が空高く上った頃、ようやくサマンドの町が見えてきた。
「カイン様、あれ!」
両手をフーちゃんから離すことなく叫ぶと、背中に感じるカイン様がハッと息を飲むのが分かる。
わたしが見つけたのは、立ち上る白煙だった。
本当なら町はずれに下りて徒歩でお屋敷に、というのが一番なんだろうけど、あの白煙を見てはそうは言っていられない。
「フーちゃん、お屋敷に!」
了解! とばかりに、堂々と町の上を飛んでログウェル伯爵邸へと向かう。
お屋敷を取り囲む外壁の内側から白煙が上っているのがわかり、わたしはギュッと唇をかみしめる。
開け放たれたままの門の内側に下りて、正面からお屋敷を見る。
東側は二階部分まで崩れており、そこから白煙が上っている。西側は無事なようだが、正面の玄関は壊れて傾いたドアに、窓ガラスが割れて踏み荒らされたようなテラスが見える。
「行こう」
カイン様はスラリと剣を抜き手に取ると、まっすぐに歩き始めた。
わたしも疲れたフーちゃんを抱きしめて、周りの様子を伺いながらあとに続く。
――と、バタバタとお屋敷の方から複数の足音が駆け足で近づいてくる。
ガチャガチャと金属音がするから、きっと武装していると思う。
思わず立ち止まって身構えたわたし達の前に、朝見た騎士達と同じ格好の人達が現れた。
「誰だ!」
剣を構えた騎士達に、カイン様は剣を下ろす。
「カイン・ヴェネス・ログウェル。この屋敷の主だ。責任者はどこだ」
カイン様の名前を聞いて、騎士達が目線で何かを伝え合う。
「執事のイパスは無事か? 連れて来れば、わたしが本人だと証明してくれるだろう」
「では、しばしお待ちを」
騎士の一人がお屋敷の中へ消える。
「あの、どうしてあちらだけ崩れているんでしょうか?」
こそっと小声で後ろから聞くと、振り返らずにカイン様が答える。
「おそらくオババ達が追ってきたのがわかり、あわてて“転送門”を壊そうとしたんじゃないかな。ちょうどあの辺りの地下にあるからね」
ため息をつきながら、カイン様は小さくボソッと呟く。
「……絶対賠償請求してやる」
はい、そこはとっても大事です!
やがてお屋敷の中からではなく、前庭の方から人影が現れた。
「カイン様!!」
少しよれた服と乱れた髪、そしてあちこち小さな傷の手当てをしたあとがあるイパスさんが、呼びに来た騎士を振り切るように走ってきた。
わたし達のまえにいた騎士がサッと前を開け、イパスさんに道を開ける。
「無事か? けが人はどうだ?」
「こちらのけが人は数えるほどです。命の危険がある者はいません。それよりもお留守をお守りすることができず……」
「いい。仕方がないことだ」
片手をあげてイパスさんの謝罪を遮り、サッとお屋敷の東側へと目線を移す。
その目線でカイン様の言いたいことがわかり、イパスさんはサッと手をお屋敷へと向ける。
「まずはお確かめされた方がよろしいでしょう。ご案内致します」
そうしてわたし達は崩れかかった東館のほうへと歩き出した。
。・☆。・☆。・☆。・☆。・☆
お屋敷の玄関から東館へ通じる廊下には、騎士が数人がかりで片付けと崩れ具合の様子などを調べていた。
先頭を歩くイパスさんに連れられて、廊下の曲がり角までやってきた。そこには破壊された天使の彫刻が横たわっており、わたし達はその彫刻の転がった先にある部屋へと入る。
そこは音楽室らしく、ピアノはないものの、バイオリンやフルートのような楽器がほんの数点飾ってあった。だがここもほとんどが大破しており、赤い絨毯の敷かれた床の一部には大きな穴が開いていた。
上を見上げれば空まで何か所か見えるほど崩れており、二階からは傾いたイスが今にも落ちてきそう。
見上げていた顔にパラパラと建材の屑が落ちてきて、大穴からはくすぶった細い煙がくずぶっており、穴の開いた天井から外へと登っている。
じっとその大穴を見ていたカイン様が、急にホッと肩の力をぬく。
「カイン様?」
フッと笑ってカイン様はわたしを振り返る。
「あの大穴のあったところには、もともとピアノがあったんだよ。母が昔弾いていた。あそこにあるフルートとバイオリンは祖父母のものでね。どうしても売ることができなくて飾っていたんだ。フルートとバイオリンが無事だったのがわかって、ちょっとホッとしてしまったんだよ」
でも、とわたしは周りを見渡す。
「ピアノが……」
粉々に吹き飛んでしまったのか、欠片すらないように見える。
「ああ、ピアノは売ってしまったよ。今となっては売って正解だった。ここに置いておいたら間違いなく粉々だったからね」
「さようです。あの時はつらい選択でしたが、当家の事情を知った方が大事に引き取ってくださいましたので」
「じゃあ、カイン様のお母様のピアノは無事なんですね」
「はい。いつでも買い戻して良いと言われております」
疲れた顔で微笑んだイパスさんだったが、スッと笑みを消して大穴へと近づく。
その穴をのぞき込み、カイン様へ頭を下げる。
「ご案内いたします。足元にお気をつけください」
そう言って大穴の中へ足を入れる。
わっと驚いて数歩近づいたわたしは、その大穴の中にあちこち崩れた階段があるのを目にした。
「地下室、ですか?」
「そうだ。我が家の“転送門”はこの下にある」
半円を描くようにカーブした階段の先の部屋は、やはり入口の重厚なドアは粉々に壊れており、白い石作りの部屋の中からは淡い光が漏れていた。
部屋の中からはまだ細い煙が出ていたが、それは燃えカスのようなものだった。
さきほどの音楽室の半分ほどもないこじんまりした空間は、攻撃魔法の爪痕が白い壁を黒く塗りつぶして残っている。
「壊れていない?」
天井も一部崩れた部屋の中にありながら、青く淡い光を放つ“転送門”はきれいな魔法陣のままだった。
「ここを見張っていた者は、追手が迫っていることを察知するや“転送門”の破壊を始めました。しかし、そうはさせまいと、転送中であった“緋炎の魔女”様が反撃され、こうして無事に“転送門”は残ったのでございます」
さすがばーちゃん! 荒れ狂う魔力の流れの中で魔法を練り上げて放つなんて、やっぱり普通じゃないよ!!
すごいすごい、と心の中でばーちゃんをひとしきり褒めちぎる。
武勇伝のような終わり方で締めたイパスさんだったが、カイン様はどこか遠い目で上を見上げる。
「……ようするに、この大穴はあのババアの仕業というわけだな」
「「!」」
わたしもイパスさんも、ビクッとして体を震わせる。
「……『大事の前の小事』と、おっしゃっておいででした」
「そうか」
カイン様は頭が痛そうに目をつぶった。
「緊急事態だったからしかたないことではあるが……」
ふぅっとため息をついて、顔を上げたカイン様はそのまま静かに“転送門”へと近づく。
「カイン様?」
なにを、という前にカイン様は立ち止まり、間近にある青い光に照らされる。
スッと剣を抜いたカイン様は、左手の人差し指を少し傷つけて、にじみ出た血を“転送門”へと投げ飛ばす。
ウォオオオン……
青い光が紫色に変わると、今まで見えなかった石畳の床が“転送門”の中に見えるようになった。
カイン様は黙って“転送門”の中に入り、片膝を付いてしゃがみ込むと、床の石を取り外して何かを手に取る。
また“転送門”の光が青くなり始めると、カイン様はあわてて魔法陣から飛び出して距離を取った。
「カイン様何しているんですかっ! 危ないです!!」
「ああ、大丈夫だよ。ちゃんと中和したからね」
「え?」
カイン様が“転送門”の中心から取ってきた、細長い気箱をわたしに見せる。ちょうど、毛筆の筆が二、三本入るかどうか位の大きさだ。
その箱の表面の汚れを払うようにして、カイン様は箱に目を向けたまま続ける。
「この“転送門”を作ったのは、初代の“緋炎の魔女”だと言われている。それと、我が家には代々語られる話があってね、その中の一つに、この“転送門”の魔力の流れを一時的に中和して止めることができるという話がある。今はそれをしたんだよ」
そう言って、細い木箱を上着の内ポケットへとしまう。
「それ……なんですか?」
カイン様は困ったように微笑む。
「もしもの場合の最終手段に使う、と言われているんだ。使わないことを祈るよ」
もしもっていうのは――封印が解けた場合ってことですよね!?
再びあの禍々しい強力な魔力を思い出し、わたしはゾッとした。
「祖父の遺品に俺宛ての手紙があった。まるで今回のことを予知するかのように、魔獣復活について心配していたな」
四十年前の事件を経験しただけに、カイン様のお祖父様も危惧していたんだろう。
カイン様は剣を腰に下げた鞘にしまう。
「イパス、馬を。準備ができしだい、オルドへ向かう」
「はい」
「アリスもとりあえず着替えて」
「わたしも行きます!」
おいて行かれてたまるかと言い返すと、カイン様は「大丈夫」と笑う。
「ちゃんと連れて行くから、支度をするんだ」
「はい! すぐ!」
と、言ったもののわたしの服はここには無い。家まで戻らないと。
「アリス様のお着替えもご準備できておりますので、ミレイに案内させます。玄関ホールでお待ちください」
そう言ってイパスさんは「さあ」とわたしを促す。
わたしが玄関ホールまで戻ってくると、デッキブラシを穂先で抱きかかえるようにして大騒ぎしているフーちゃんの姿があった。
すぐそばには唖然とする騎士の姿がある。
「デッキブラシは無事ですか!?」
思わず叫ぶと、騎士がわたしを驚いた眼で見て首をひねる。
「そ、掃除用具が足りずに借りて来たんだが……」
「ああ、それじゃあ無事なんですね! すみませんが、このデッキブラシは使わないで下さい。お願いします!」
「あ、ああ」
「良かったね、フーちゃん!」
思わず手を叩いて喜んだ。
――騎士が心配そうな目をしてわたしから離れたけど、気にしないわ。
読んでいただきありがとうございます。