72話
ご無沙汰してます。
うっすら朝日が顔を出した頃、わたしとカイン様とフーちゃんは、騎士団本部へと向かう馬車の中で揺られていた。
わたしの前に座るカイン様は、ずっと眉間に皺を寄せて黙って考え込んでいる。
フーちゃんはそっとわたしに寄り添ってくれているが、馬車内の重い雰囲気に気圧されして話しかけることもできない。
そっとロードル侯爵邸の広間で集まっていた騎士の人にもらった肩掛けを手繰り寄せ、自然とうつむいてしまう。
こうしている間にも、指輪を持ったロードル侯爵がどこかに行ってしまう。
そしてふと、指輪のことはまだカイン様に話していなかった、と気づく。
「……ぁ」
小さく漏れた声に気づき、カイン様が眉間の皺を消して顔を上げる。
目が合ったわたしは反射的に俯くが、ここまできたら隠しことをしている場合じゃないなと覚悟を決める。
ゆっくりと顔を上げると、わたしの言葉を待っているカイン様と目が合う。
「カイン様、わたしが知っているすべてを話します」
だから……怒らないでくださいね?
本当は口に出したかったし、叶うならいつものようにおどけて「エヘッ」とわらってみせたりしたかったんだけど――――とてもそんな雰囲気じゃありませんでした。
。・☆。・☆。・☆。・☆。・☆
お話は五分で終わった。
だが――――わたしの覚悟の終わりはまだ来ない。
目の前には右手で額を抑えて俯くカイン様。
初代の指輪をロードル侯爵が持っているんです! しかもあの閉じられた左手の中にあるんです、って手短に話した。
話を聞いて、目を見開いて驚いたカイン様だったが、次の瞬間、その顔は豹変する。
……なんていうかな。
たとえて言うなら『美貌の暗殺者』でしょうか。いや、美貌って男女使えたよね。 『麗しの~』がいいかな。でも『暗殺者』は変わらない。
無表情で目も何の感情も移さず、じっとわたしとただ目が合っているだけ。
こわっ! 怖すぎますよ、カイン様。
フーちゃんもびっくりし過ぎて、ホウキの毛の部分が猫みたいにブワッと広がっている!!
「……アリス」
「!」
ビクッと返事の代わりに体を震わせ、おそるおそる口を開く。
「……はぃ」
特大のお叱りを覚悟するわたしに、カイン様は目をつぶってため息をついた。
ゆっくりと背もたれにもたれ、前髪をかきあげる。
「……もういい。本当に危ないことばかりする」
「す、すみません」
あわてて頭を下げるが、カイン様はいつもの口調に戻って「もういいよ」と繰り返す。
「済んだことは仕方がないし、もうあいつに話しているんだろう?」
「はい。アンソニー様には言ってます」
「だったら、あいつもこの事態に急いで動いているはずだ。とにかく、これから行く騎士団の本部で情報を得よう」
「は、はい!」
「で? 他にないだろうね」
にっこりと笑ったカイン様の笑顔から、なぜか黒くて冷たいオーラを感じる。
わたしは反射的に何度も首を縦に振る。
「ありません! ありません、もうないです!」
「本当に?」
「本当です!」
拝むように両手を合わせて訴えて、ようやく信じてもらえた。
――隠し事は二度とするまい。
。・☆。・☆。・☆。・☆。・☆
騎士団本部につくと、暗めの青い毛の短い絨毯が敷かれた応接室に通された。
フーちゃんはただのほうきと演技していたので、わたしが持って馬車から降りた。
騎士の人に「こちらへ」とフーちゃんを預かられそうになったから、絶対持っていきますと胸に抱くようにして歩いた。
おかげで時々すれ違った人に、驚いた顔をされた。
案内してくれた騎士は「お待ちください」と言って、すぐに一礼して出て行き、わたしとカイン様は同じ長椅子に座って誰かを待つ。
シンと静かな部屋にいると、どうも落ち着かない。
長椅子の縁に立てかけたフーちゃんは、あいかわらずただのホウキを演出しており、少し間を開けて座るカイン様は、話し相手になってくれそうもない。
気まずい雰囲気の中、じっとしていると再び眠気が襲ってきて一人必死で戦った。
やがてバタバタと走る足音が聞こえてきて、やや強めにドアがノックされ開けられる。
「すまない、遅くなった」
入ってきたのはロードル侯爵邸で会ったジョゼフさんだった。
「いや、そっちは大丈夫なのか?」
「正直良くないが、説明が先だろう?」
軽い笑みを見せて、わたし達の向かいの長椅子の真ん中に座る。
「さて、と。まずはあの預かった厄介なものは、ここに待機している魔法使い達に渡した。一応証拠品なんで、報告書を上げてもらうようになっている」
良かった、とホッと一息つく。
できるだけ早く出してもらって、雪山に帰って元気になって欲しい。
「次は、ログウェル領のここ数年の異常気象についてだが」
「それはいい。先にロードル侯爵はどこに行った?」
ジョゼフさんは話を途中で遮られたことを怒らず、カイン様を指差す。
「……やはり、か」
「え?」
訳が分からず、わたしは二人を交互に見る。
「アリスから聞いた話で、なんとなく予想していたがな」
「その話、聞きたいんだけど」
ジョゼフさんが眉間に皺を寄せる。
「ロードル侯爵は初代“緋炎の魔女”の大事な指輪を持っている。おそらく“緋炎の魔女”が使役した、強大な魔獣との契約の指輪だ」
「……確かに、保管されている初代“緋炎の魔女”の指輪が偽物であると、今代の“緋炎の魔女”が宣言して捜索していたらしいな。魔法省の一部と王城の上層部の一部の揉め事に巻き込まれて、今の今まで情報が出て来てなかったんだ」
ジョゼフさんが「はあっ」とため息をついて、頭を抱える。
「なぜ今になって情報提供されたんだ?」
カイン様の問いに、ジョゼフさんは顔を上げた。
「陛下の一声さ。王命だよ。『早朝三時をもって、フラベル・イル・ロードルの爵位、全権限を停止し、国家反逆罪の疑いを持って束縛する』と、やっと陛下が口にしたのさ。
モラス殿下の愚行のあとも、フラベル氏を陛下は支援しているし、フラベル氏も陛下に忠誠を見せていたはずだった」
「親子二代で繰り返すつもりか」
ギリッとカイン様が奥歯を噛みしめる。
「ならば行き先はうちのオルドだ。町の先に広がる平原に行くはずだ」
「シナン隊長が一隊を率いてすでに向かっている」
「行方不明じゃなかったのか?」
「彼なら潜入捜査をしていたよ。よりによってフラベル氏の一派が集めた傭兵になって」
「傭兵!?」
「あの人なんでもやるからねー」
「そうじゃない!」
バンッとテーブルを叩く。
「傭兵を集めていたと言うのか!? なぜ領主である俺に連絡がない!」
「うちも王城からの情報で、慌てて援軍を送っている。ただ、間に合うかどうか」
「間に合わせろ! 俺もすぐに立つ」
「無駄だ。間に合うわけがない」
ジョゼフさんのはっきりした言葉に、カイン様が訝しむ。
「どういうことだ?」
「……フラベル氏の一派には、魔法省の一部も含まれていてね。王都外れにある“転送門”を使った形跡が認められた。“転送門”を守っていた数人が重傷だ」
“転送門”――陛下の許可以外では絶対に使われず、普段は固い守りに閉ざされた転送用魔法陣のこと。転送と言っても、行けるのは魔力の流れが強い場所にある“転送門”にだけ。
限られた場所にしか“転送門”はないので、ほとんど使われることはない。
王都にある“転送門”は王城と郊外の塔の二つ。地方に数か所と言われ、地方の場所は公にはされていない。
使用するにも数人優れた魔法使いが必要で、魔力の流れに沿って転移することから、彼らの魔力でかじ取りを行って目的地の“転送門”までたどり着かないと行けない。
つまり、フラベル氏は無断で使用したのだ。
これは重罪にあたる。平民なら死刑や過酷な労働に一生つけられるだろうし、貴族ですら
生涯幽閉になる可能性もある。
“転送門”は限られたごく一部の人達しかその場所を全部知らない、とされている。元王族であったフラベル氏なら、知っている可能性もある。
「ログウェル領の近くに“転送門”があるんでしょうか?」
それらしいものは見たことないし、ばぁーちゃんからも聞いたことがない。
聞いたわたしは見ず、カイン様はさっきテーブルに叩きつけた自分の手を見たまま、何度かためらって口を開く。
「ある。…………伯爵邸の地下だ」
「「!」」
大きな声が出そうになって、わたしは手で口を押える。
ジョゼフさんは険しい目をカイン様に向ける。
「悪い知らせがある。シナス隊長が調べたところ、出口となる“転送門”が壊された可能性がある。完全に壊されたのではないようで、なんとかたどり着けるかもしれない、と魔法省にいた当代の“緋炎の魔女”に協力してもらい、後を追っている」
「壊されたって、それじゃあお屋敷に何かあったってことですか!?」
「それはわからないが、可能性はある」
「そんなっ!」
お屋敷のみんなの顔がグルグルと頭の中に浮かんできて、わたしは言いようのない不安を覚える。
「行きます! 今からその“転送門”に!」
「無理だ。立ち入り禁止だ」
「だって、そこしかないじゃないですか!」
「使えば、いかなる場合でも許可のない使用は重罪。しかも舵取りの魔法使いはいないんだ。まず使えない。あなたはまだ見習いだろう? 一人でどうこうできるものじゃない」
ぴしゃりと正論を叩きつけられ、わたしは何も言い返せなかった。
“転送門”は扱いが難しい。途中で魔力が切れたりしたら、そのまま流され続けるしかない。魔力が持っても、うまく出口の“転送門”に魔力をつなげないと、やっぱり流されて別の出口を探すしかない。
「カイン様……」
わたしは、じっと動かないカイン様の様子をうかがう。
前髪で目元が隠れていたが、ふとゆっくり顔を上げる。
そこから見えた目には、さっきのような戸惑いのようなものはなかった。
「フー……。フーがいる」
「え?」
呟いたような声から、フーちゃんの名前を聞き取る。
わたしの横に立てかけていたフーちゃんを、カイン様と一緒に見つめる。
「……そっか! フーちゃんなら間に合うかも!」
期待を込めるわたし達を見て、ジョゼフさんはポカンとした顔をして、そっとカイン様に右手を差し出す。
「お、おい。カイン? 大丈夫か?」
「大丈夫だ。きっと間に合う」
力強くジョゼフさんにカイン様はうなずくが、多分意味が違う。
わたしはフーちゃんを手に取り、カイン様との間に立たせる。
「お願い、フーちゃん。みんなが危ないの!」
「おいおい」
今度は明らかに心配した顔をして、ジョゼフさんがわたしへ手を伸ばす。
「落ち着け。それはホウキだ」
「いや、フーと言う」
「…………」
妙なものを見る目をカイン様に向け、ジョゼフさんは口を閉ざした。
そんなジョゼフさんに構わず、わたしはフーちゃんから手を離して拝むように両手を合わせる。
ちなみに「ただのホウキ」を演じているフーちゃんは、手を離した途端にテーブルにぶつかりながら倒れた。
「お願い、フーちゃん!」
「頼む、フー」
「「…………」」
少しの沈黙があり、フーちゃんはピョコン、と勢いよく立ち上がった。
「!」
ジョゼフさんは驚いてビクッと体を震わせ、目を真ん丸にしている。
フーちゃんは、毛先の半分でドンと自分を叩いて見せた。
「ありがとう! フーちゃん」
「急ごう! こうしている間にも、お前の愛しいあのデッキブラシが戦いの道具にされているかもしれない」
「!」
カイン様の言葉を聞いて、フーちゃんの柔らかな毛先がブワッとタワシみたいにとがって広がった。
「……デッキブラシ? なんです、それ」
「ん? 知らなかったのか。オババが言うには、我が家の古いデッキブラシに恋しているらしい」
「フーちゃんが!?」
「ついでに図書室の羽ホウキは、フーを慕っているらしいが、背丈と年下なのを気にして一歩前に進めらないらしい」
「まさかの三角関係!?」
わたしの知らないところで、フーちゃんにモテ期が到来していた。
「それより、すぐ出発しよう」
「そ、そうですね」
すっごく詳しく聞きたいけど、それは全部終わってからにしよう。
愛しいデッキブラシさんの危機とあって、フーちゃんは毛先の先を両方丸めて拳みたいにして気合を入れている。
「……あの、カイン」
ちょっと忘れられていたジョゼフさんが、遠慮がちに呼ぶ。
「ああ、紹介がまだだったな。このホウキは魔法具だ。しかもオバ……当代の“緋炎の魔女”のな」
ばぁーちゃんの名前を出すと、ジョゼフさんは「ああ」とすんなり納得する。
すごいな、ばぁーちゃんの知名度。意思のある魔道具でもすんなり納得させるなんて……。普通ならまだ「え? こんなのあるなんて知らないよ」なんて、質問攻めになるところなのに。
「そういえば、よく短時間で許可が下りたな」
「“転送門”のことか? そりゃあ“緋炎の魔女”が王城に乗り込んできて、陛下に直訴したのさ。陛下も今回の件に関しては議会を通さず、独断で許可したってわけだ」
「さすがオバ……いや“緋炎の魔女”だな」
「……お前、“緋炎の魔女”となんかあったか?」
「何もない。爪の先程も、何もない」
「……」
きっぱり言い切って話を切り上げるが、ジョゼフさんは微妙な顔をした。
「よし、窓から行く」
そう言ってカイン様が部屋の窓へと歩き出す。
「わたしも行きます!」
フーちゃんを抱いて後を追うと、カイン様が困ったような笑みで振り返った。
「わかっているよ。どうせついてこようとするんだから、目の届くところに連れて行く。そのかわり、危なくなったらすぐに非難するんだ」
「はい!」
フワッとフーちゃんが宙に浮き、わたしが前になってカイン様と一緒に乗る。
「ちょっと待て」
あわててジョゼフさんが、腰に下げていた剣を鞘ごとカイン様へ渡す。
「持って行け。お前どうせ売り払って、ろくな剣ないだろう」
「すまん」
「俺らもすぐにかけつけるからな」
ジョゼフさんに見送られて、わたし達はログウェル領へと飛んだ。
フーちゃんは気合を入れて飛んだ。
途中何度肩掛けが飛ばされそうになったことか……。というか、わたしドレスのままなんでしたぁああああ!!
読んでいただきありがとうございます!