71 話
ご無沙汰してます。
…………あ。
ぼんやりした視界が上下に動いている――いや、わたしが動いている。
ハッとして顔を上げると、膝を抱えて座ったままのんきに居眠りしていたらしい。
「起きたかい?」
ビクッとしてその声のほうへ振り向けば、片膝をたてて座るカイン様の姿があった。
「す、すみません」
「謝る必要はないよ。休むことは大事だ」
いえいえ、カイン様。座って休むならまだしも、わたし完全に寝ていましたから。よだれとか垂らしていませんよね、わたし。
鏡もないから、とりあえず手で口元を触って確認する。
「あ、あの、わたしどのくらい寝ていたんでしょうか?」
「気にするほど長くは寝てないよ。特に何も様子は変わらないしね」
にっこりと微笑まれて、わたしは少し恥ずかしくなってうつむく。
「さて、そろそろ真夜中を過ぎただろう」
えぇっ! それが本当なら結構わたし寝てますよ。
やってしまった、と顔を上げると、ちょうどカイン様と目が合う。
「アリス、これを」
そう言ってカイン様が、錆びた鉄格子の隙間を通して何かを投げる。
一度地面を弾んでわたしの近くに転がってきたのは、一本の銀のフォーク。
「フォークですね」
拾い上げて裏表を確認しても、別に変わったところはない。
「そうだよ。あと、ちょっと危ないけどこれも」
今度はわたしからやや離れた位置に、カシャンと投げられたのは銀のナイフ。
もしかして、さっきフィレイジー様からもらったものだろうか。
ナイフも拾い上げて見ても、やっぱり普通のナイフっぽい。ただ、さすが侯爵家の銀食器というべきか、磨かれてとてもよく切れそう。
「あのぉ、カイン様」
これをどうするんですか? と目で問えば、カイン様はにっこり笑う。
「アリスの副魔法で大きくして欲しいんだ。できたら、剣くらいの大きさに」
「剣……」
わたしは手に持つ二本を見つめる。
「わかりました」
うなずいてから、わたしは周りに集めていた精霊の入った針金ボール、一つずつに目を向ける。
「あなた達に危害を加えたりしないわ。きっとここから出してあげるから、どうかじっとしていてね」
今から使う魔力は火の魔力を使わないけど、魔力を使うだけで過剰反応しないようにとお願いした。大丈夫かなぁ。
不安を感じながら、できるだけ静かに副魔法を使う。
一つの針金ボールがポォッとうっすら光ったけど、すぐに消えて静かになる。
それを見てホッとしつつ、作業に集中する。
カイン様は剣くらいの大きさって言ったけど、あまり間近で見たことがない。
目をナイフから離さないまま、口を開く。
「あの、このくらいですか?」
「あぁ、そうだね」
柄と刃のバランスとか良くわからず、全体的に同比率で膨らませてみたけど、大丈夫だろうか。
「では、そちらに渡しますね」
大きくなったから、地面を滑られるように思いっきり手放す。
じゃりじゃりとこすれる音がしたが、鉄格子の間からカイン様がナイフの柄を掴む。
「軽いな」
手にして驚くカイン様。
「基本的に重さは元の形と変わらないんです」
「慣れない重さだが、仕方ない。ありがとう。フォークのほうは念のためアリスが持っていなさい」
フォークで戦えるかな、と疑問におもいつつ、見たことはないけど『刺又』という武器のようなものが日本にあったなぁと、真似て大きくしてみる。
身の丈くらいの大きさフォークが出来上がり、重さはともかくちょっと大き過ぎたと今更ながら後悔する。
カシャン! ジャラジャラ……。
音がしたので良く見ると、カイン様が自分にはめられていた足枷の鎖を切っていた。
「切れ味は良いな」
さすが侯爵家の銀食器。
「正直、子爵がこれを差し出してきた時は役に立つものかと思ったが、そういえばアリスがいたと考え直してもらっていて正解だったな」
「あ、わたしお役にたてました!?」
ちょっと嬉しくなって弾んだ声で聞けば、カイン様は笑顔でうなずいてくれた。
うわぁ、やっぱりついて来てよかった! と感激したのもつかの間。一瞬でカイン様の顔から笑みが消え、目が細められる。
「……アリス。勘違いしちゃいけない。もともと言うことを聞かなかったのは悪いことだよ」
「は、はい」
ビクッとして小さく縮こまるわたしを見て、カイン様はまたにっこり笑う。
「さて、そろそろ暇をしよう」
カイン様はフーちゃんの縄も切る。
わたしは精霊が閉じ込められた針金ボール三つを左手に抱え込み、顎で支えて持ち上げる。
「……アリス、一つよこしなさい」
「お願いします。顔が動かせないんで」
あはは、と笑うものの、カイン様は苦笑していた。
いえね、右手でフォーク持たないといけないからね。この大きさ改めて、ちょっと失敗したって思ったよ。
。・☆。・☆。・☆。・☆。・☆
錆びた鉄格子でできた牢屋の入り口の錠は、鈍い音を立てて壊れる。
カイン様が蹴破ると、ギィッと重い音を立てて開く。
サッと先にフーちゃんが出てきて、わたしの牢屋の錠の前に浮かぶ。
「フー、どくんだ」
わたしの牢屋の錠も壊そうとしたカイン様だったが、フーちゃんは毛先の束を錠の穴に突っ込んでごしょごしょと動かす。
カチ。
「「!!」」
フーちゃんが「どんなもんだい」とばかりに、柄を踏ん反り返して毛先で扉を押す。
やはり重い音がして開く。
「あ、ありがとう、フーちゃん!」
三つの針金ボールと、フォークを持って外に出る。
「できるなら先にやれ、フー」
疲れた顔でため息をつくカイン様に、フーちゃんは「了解」とばかりに毛先をピッと上げる。
「アリス、精霊を」
「では、この子を」
わたしは一番弱っている精霊のボールを差し出す。
カイン様はその子を上着の内側にある隠しポケットへとしまう。
「先に俺とフーが行く。アリスは後ろだ。いいね?」
「はい」
この地下牢へ降りる階段の上まで静かに歩いて行き、扉の前で外の様子をうかがう。
「フー」
小さくカイン様が言えば、フーちゃんは心得たとばかりに、また毛先を鍵穴へと差し込みごしょごしょと毛先を波打たせる。
カチ。
小さな音がして、フーちゃんが鍵穴から毛先を引き抜く。
そしてカイン様が慎重に、ゆっくりとノブを回してほんの少しの隙間を開けると、素早くフーちゃんが飛び出していく。
「なんだっ!?」
「ぐえっ!」
その声を合図にカイン様も飛び出して行き、わたしも遅れながらも扉から顔を出す。
そこには、仰向けに倒れた二人の私兵が転がっていた。
二人とも剣を取る暇もなかったらしく、一人は喉を抑えて苦悶の表情のまま硬く目をつぶっている。
「フーが喉を突いていたおかげで楽にすんだ」
「すごいね、フーちゃん」
二人で褒めると、フーちゃんはちょっともじもじしていた。
そうだよね。フーちゃん恥ずかしがり屋の女の子だもんね。
「カイン様。フーちゃんはきれいなものが好きです。リボンとか」
「よし。無事に戻ったら、必ず贈ろう」
「!」
フーちゃんが前のめりになる。
「本当だとも」
カイン様がうなずくと、フーちゃんは文字通り舞い上がり、ゆったりと一回転すると、今出てきた地下牢の扉を柄で押し開く。
「よし。こいつらを隠すか」
カイン様と一緒に二人を扉の向こうへ寝かせ、一人が持っていた鍵の束を取って閉じ込める。
「フー、先を頼む」
ピッと毛先を上げたフーちゃんは、天井スレスレまで上がって飛ぶ。
わたし達は少し後からフーちゃんの様子を見ながら進む。
やがて、フーちゃんが止まり、ブワッと毛先を広げる。
わたし達は足を止め、カイン様はすぐ身を隠すところがないか目線を走らせるが、運悪く部屋のないただの廊下だった。少し戻れば部屋があったが、背中を見せていいのかと悩んでいると、前から急いで向かってくる足音が聞こえてきた。
バクバクと大きくなる心臓の音を聞きながら、わたしはギュッと大きくしたフォークを握りしめる。
カイン様も剣もどきのナイフを持つ手に力を入れ、まっすぐに前を見据える。
そして、ついに――――。
「!」
前から現れた一団の先頭の人があわてて足を止め、目を大きく見開く。
「か、カイン!」
「ジョゼフ、か」
ホッとした声を出したカイン様の体から、力が抜ける。
そのまま横に立ち、困惑するわたしに言う。
「大丈夫、味方だ。彼は騎士団だ」
「騎士、団?」
まだよくわかっていないわたしは、じっと十人くらいの騎士の人たちは見る。あ、後ろにローブを着た人もいる。彼らは魔法使いだ。
ジョゼフさん、というカイン様と同じ年くらいの、濃紺の短髪の騎士がふっと笑みを浮かべる。
「連絡があって助けに来たんだが、大丈夫なようだな」
「なんとかな。しかし、えらく大げさに来たな」
そう言うと、ジョゼフさんは急に目を鋭くさせる。
「ロードル侯爵が動いた」
「……早急過ぎる。罠ではないのか?」
「罠、というなら、それはお前たちの救出をさせることだ。この屋敷にはすでに侯爵の姿もない」
「わざわざ罠に乗ったのか?」
「いや。罠でもなんでも、最悪な場合、彼女を“緋炎の魔女”のところへ行かせるしか方法がないんでね」
チラリとわたしを見るジョゼフさんに、カイン様は眉間に皺を寄せる。
「なにがあった」
「それはこちらが聞きたい。今まで慎重に行動していた侯爵が、夜会を早々に切り上げ、自分に従っている一派を連れて王都を出た」
「いつの話だ」
「夜中前、という話だ。ちなみに今は早朝の四時」
「ジョゼフ、そろそろ」
他の騎士がジョゼフさんに声をかける。
「そうだった」
思い出したかのようにジョゼフさんは、ポンと手を打つ。
「この屋敷の捜索が始まる。幽閉された侯爵夫人の証言の証拠集めみたいなもんだが、お前さん方はひとまず騎士団預かりだ」
カイン様はわたしと目を合わせてうなずく。
「魔法省に渡したいものがあるんだが」
そう言ってカイン様がジョゼフさんに、精霊が閉じ込められている針金ボールを見せる。
ジョゼフさんはすぐに察しがついたらしく、スッと目を細める。
「……いきなり厄介なものだな。魔法省にすぐにでも渡して解放したいが、一度騎士団預かりとなる」
「すぐ対応できるよう、魔法省に連絡を入れておいてくれ。まだ二つある」
カイン様に言われて、わたしも小脇に抱えていた針金ボールを差し出す。
うわぁ、と言いそうなほどジョゼフさんは顔を歪め、額に手を当ててため息をつく。
「わかった。すぐに手配する」
軽くジョゼフさんが後ろを振り向くと、男性の魔法使いの一人が進み出て三つの針金ボールを受け取る。そして彼はそのまま元来た道を戻っていった。
「この道をまっすぐ行け。その先に小さなホールがあるから、そこに他の騎士達がいる」
「わかった」
それで、ジョゼフさん達はまた先へと進み、わたしとカイン様だけが残る。
「フー、お前はどうする?」
上を向いてカイン様が聞くと、フーちゃんはポテッと落ちてきて床に転がった。
どうやらただのホウキになったらしい。
ひょいっとフーちゃんを掴んだカイン様を、わたしはあわてて止める。
「わたしが持ちます! フーちゃん女の子ですから」
なんてもっともらしいセリフがペロリと出てきたが、実際はホウキを持つ正装したカイン様が似合わな過ぎるから見たくないだけ。
「じゃあ、そっちを持とう」
フーちゃんを素直にわたしにくれたものの、差し出されたカイン様の手が握ったのは私が持つ巨大なフォーク。
「いっ、いえ! これも軽いですし」
「いや、見た目的に女性に二つも持たせるのは気が引けるよ」
笑いながらカイン様は、わたしの手から強引にフォークを奪い取り「軽いな」と、軽く上下させている。
「じゃあ、行こうか」
「……はい」
歩き出して、すぐ後悔する。
剣もどきはまだしも、巨大フォークを持つカイン様。全然似合いません!!
読んでいただきありがとうございます。