68 話
ご無沙汰してます。
ゴクリ、とアンソニー様の息を飲む音が聞こえた気がした。
わたしはまっすぐアンソニー様の目を見つめたまま、小さくこくっとうなずく。
「そうか。さすがに侯爵様を前に緊張したか」
やんわり微笑んで、わたしのすぐ横に座る。
「どこだ」
ひっそりとささやかれた声に、わたしは左手に握り拳を作り膝の上に乗せ、右手でなでる。
「びっくりしました」
と、言えば、アンソニー様がわたしの膝の上を見てうなずく。
「わかった。お詫びに甘いものを取ってこよう。先程侯爵様にもお勧め頂いたことだし」
「お願いします」
「おとなしく待っていなさい」
「はい」
アンソニー様は立ち上がると、人ごみの中へと消えていく。
……たぶん、ブランかその他の人に連絡しに行ったのだと思う。こう言ってはなんだが、できたら少しでいいので、本当にスイーツを持って帰ってきて欲しい。
わたしが具合悪いことを理由に休憩させてもらい、その隙に家探ししようとおもっていたけど、まさかこんなに早く見つかるなんて思ってもみなかった。
用が済めば、こんな居心地悪い慣れないところなんて長居無用。さっさと帰るのが一番だよね。
当初の予定でも、短時間で見つからなくても危険があるから早く退散しようって話だったし、その場合はブランたちが引き続き潜入して、魔力を探すって手はずだった。ブランだって魔力がわかるし。
だから、ちょっとくらい美味しい目にあってもいいと思う。
食べ物に罪はない。うん、そうよ。だからアンソニー様、プチケーキ一つでいいから持ってきてください!
祈るように人ごみを見つめていたから、誰かが近づいてきたことに全然気が付かなかった。
「エメリー」
そして、わたしは早くもお役目を果たしたのでと、本日の偽名をすっかり忘れていた。
「エメリー」
もう一度声がして、聞いたことがある声だと顔を上げると、怪訝な顔して見下ろしているカイン様がいた。
うわっ! と本気でびっくりして、体がビクッとなりつつも声が出なかったのは良かった、と思う。
「び、びっくりしました」
「……さては名前忘れてたね」
「へへへ」
へらり、と誤魔化し笑いをするが、カイン様は肩の力を抜くように息を吐く。
「君らしい」
……それってどういうことでしょう?
笑顔のまま疑問に思うわたしの横に、カイン様はゆっくりと座る。
「あの、ご挨拶はいいんですか?」
「ああ、あまり傍にいるのも他の派閥に牽制されるからね」
「あの、カイン様」
「ん?」
と、言いかけて、指輪の話をカイン様が知っているかどうかという疑問が沸いた。
この件はアンソニー様の話だったから、カイン様に話していいか確認を取らないといけない。まぁ、あとからわたしとアンソニー様そろってお叱りを受けるだろうし、その時にアンソニー様が話すかもしれないけど。だからと言って、今この場でわたしが話すようなものではない。
アンソニー様だって、さっき隣に座ったのに周りを警戒して言葉を選んでいたし。
「……あの、美味しいスイーツがあるって言われたんですけど、どこにあるんでしょう?」
結局わたしは話を逸らした。
カイン様は一瞬呆気にとられていたが、やがてクスリと笑いながら辺りを見渡す。
「ああ、多分あっちだろうね。アンソニーは?」
「ちょっと席を外されました。あ、あっちなんですね」
「君を置いて? ふーん」
カイン様から不穏な雰囲気が漏れ始める。
なんかアンソニー様の罪が増した気がした。
「あ、ちょっとお仕事関係らしいですよ!」
だから、とっさにかばったつもりだった。お仕事関係の話となれば、わたしがそばにいてはいけないだろう、という軽いつもりだったのだが。
「仕事、ねぇ」
目を細めたカイン様は、どうやら何かに気が付いたらしい。
細めた目でわたしを見るのをやめてほしい。思わず目線を下に下げ、そのままあらぬ方向へとそらして逃げる。
あぁっ! なんだってこんな目にあわなきゃならないの!
どうせ怒られる未来なら、先においしいものの一つや二つ食べなきゃやってられないようね。うん、そうだ。
そうと決まれば、わたしは開き直って目線を上げる。
「カイン様、わたしスイーツが食べたいです」
「そう。一緒に取りに行こうか」
「でも、アンソニー様に待つように言われました」
「大丈夫。すぐそこだし」
そう言ってカイン様は立ち上がり、わたしに手を差し出す。
少し迷ったものの、アンソニー様がスイーツを持って帰ってくる可能性があったとしても低いし、もし持って帰ってきたとしても、それは食べる量が二倍に増えるだけでうれしいことだと瞬時計算して手を取る。
歩幅を合わせてくれたカイン様と一緒に、テーブルのある場所まで行く。
そこには、前世で最後に見たのはいつだったか。
ケーキ屋さんのショーケースの中で輝くケーキに負けないくらいの、見事に飾り付けられたスイーツの数々があった。
果物がこんなに光を反射するなんて……何かでコーティングしているみたい。ベリーたっぷりのタルトケーキや、生クリームやカスタードケーキがこれでもかと盛られたプチケーキ、色づけされたチョコレートの山。焼き菓子に、涼しげなゼリーの炭酸割りは、フルーツポンチみたいなものかな。プリンとプティングの違いも良くわからないわたしにとって、この一角はとんでもなく輝いて見える!
うわーっと、声をなくして立ち尽くすわたしを、カイン様はおもしろそうに目を細めて見ていた。
「よかったね」
「……はい」
視線はスイーツに定められたまま、わたしは思いっきり生返事を返す。
そんなわたしにカイン様が苦笑しているなんて、頭の隅にすら思わず渡された皿を無意識に受け取る。
そして、約二分後。
「エメリー、それ以上は……」
ハッと気が付けば、トングで取ったプチタルトの乗るスペースが皿の上にはなかった。
カイン様から差し出された皿には、すでに桃のようなカットされた果物と、赤く色づけされたチョコレートが一つ乗っており、わたしはそこへプチタルトを置く。
「言っとくけど、これ選んだのは君だからね」
「~~~~!」
なんということでしょう。
言われるまで何を選んだかなんて気にしてなかった。
いえ、自分の手持ちの皿の内容ですら把握していない。
「粗方取ったと思うよ。戻ろうか」
「……はい」
恥ずかしさのあまり、ややうつむき顔でうなずく。
え? 水分? もちろん、飲み物までばっちり途中で頂きましたよ。
。・☆。・☆。・☆。・☆。・☆
さっきまで座っていた長椅子に戻る。
アンソニー様はまだ戻っていなかった。
座るや否や、さっそくカスタードケーキを頬張る。
「おいしい!」
「うん、良かった。……当分甘いものは食べられないかもしれないよ」
「!」
後半ボソッと呟かれた言葉に、わたしは二つ目のケーキを行儀悪くもザックリとフォークで突き刺してしまう。
「…………」
そろ~り、と顔を上げるも、そこには普段と変わらないカイン様の顔があり、だからこそか、今はその微笑が――――恐ろしい。
「今夜どんな用があってここに来たかは、後日ちゃんと聞くからそのつもりで。それから、ちょっと今夜は用事があるんで送ってあげることはできないけど、アンソニーにしっかり頼むから早めに帰るんだ。いいね?」
「は、はぃ」
もごもごと咀嚼しながら小さくうなずく。
大丈夫です、すぐにでも帰りますよ! だって用件は済んだんですから。
「あの、カイン様の用事って?」
「……まぁ、ちょっとした世間話をするんだよ。長くなりそうだけどね」
そう言ったカイン様の顔が厳しいことに気づき、わたしは妙な不安を覚える。
「待ってたらダメですか?」
急にわたしが言うものだから、カイン様は自分が険しい顔をしていたことに気づいて、柔らかく笑って見せる。
「ダメだよ。遅くなるし」
でも、とわたしが食い下がろうとした時だった。
「あ、きたきた」
カイン様が人ごみの中にアンソニー様を見つける。
「ここにいて」
アンソニー様が近づく前に、カイン様は立ち上がって歩いて行く。
そして少し離れた先で、わたしに背を向ける形で立ち話をする。
じっと二人を見ていると、アンソニー様の顔が眉間に皺をよせ、それからうなずいて何かを耳打ちしている。
短いやり取りが終わると、カイン様は一度私を振り返り、笑顔を見せて立ち去った。
代わりに近づいてきたアンソニー様が、ため息交じりに言う。
「お説教覚悟だね。今夜は用件も済んだし、早めに帰ろう」
「……はい」
「しかし、すごい量だね」
「あ、あげませんよ!」
「え、いらないよ。食べるまで待ってあげるから。それから帰ろう」
「はーい」
すっかり食欲は失せていたが、アンソニー様に感づかれないように食べ始める。
――視線で人ごみに消えたカイン様を探しながら。
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