6 話
今日もよろしくお願い致します!
誤字などについては明日まとめてなおします。
沈黙が流れる。
「り、リリシャムですか……」
沈黙が辛くなり、だが言えたのはそこまでだった。
”緋炎の魔女”が退職した、というのは魔法省にとって不祥事に近いものらしく、公にはなっていない。つまり彼女は今も王都で生活し、魔法省の仕事をしているというのが一般常識なのだ。
「聞けばお年はかなり上のようだが、40代との話もある。なかなか忙しい方のようなんだが……」
「あ、あのっ!」
ん?とカイン様は顔を上げた。
「あの、リリシャム様にお会いしてどうするんです?」
「話があるんだ。それだけなんだが、いくら魔法省に申請しても連絡がなくてな」
「でも、こんな田舎にいるとは思えませんよ?」
探すなら王都でしょ、と遠まわしに言えば、カイン様はゆっくりと首を横に振った。
「実は手紙をもらっているのだ。消印がこの町だったので、探しているのだ」
それを聞いて、わたしは心の中で全力でばぁーちゃんを罵った。
きっと面倒くさくてその辺から出したに違いない。
手紙をもらったということは、カイン様はばぁーちゃんの知り合いなのだろうか。でも会ったことないらしいし、なによりばぁーちゃんから「勝手にあたしのこと話したりするんじゃないよ!もし話したりしたら魔法省の誰かにくれてやるからねっ!」と、すごい剣幕で釘を刺されているのだ。わたしのスローライフ生活に暗雲をもたらされては困る。
……よし、早々にお引取り願おう。
「あの、カイン様、このあたりでは余所者は目立ちます。失礼ですが、わたしはカイン様以外に最近見た方はいません」
「……そうか」
目に見えてがっくりと肩を落としたカイン様。ごめんなさい。
「世話になった。何か礼がしたいが、俺のマントは……と」
キョロキョロと周りを見渡したので、わたしはハンガーにかけていた黒いマントを差し出した。
そのマントを受け取ったカイン様は、なにやら内ポケットを探っていた。
「これしかないんだ」
そう言ってわたしに差し出したのは大銀貨1枚。ちなみに夜の店の日当4日分だ。ちなみに小銅貨10枚で大銅貨1枚となる。銀貨、金貨も同様だが、小金貨1枚あれば家族4~5人が1ヵ月楽に生活できる基準とされている。だが、金貨なんか庶民はほとんど見ない。
「いいですっ!いただけません」
お腹すいて行き倒れていた人からもらえない。むしろそれで家に帰ってくれ。
「しかし」
「わたしこう見えても人気のパン職人なんですよ」
「確かに、あのパンはうまかった。店はどこだ?」
「あ、店はないんです。まだ売り歩きで」
語尾は濁してへへっと笑ってごまかした。
「それはもったいないな。このパンは高いのか?」
「えーっと、基本の白パンや野菜パンは大銅貨2で、ドライフルーツとかナッツを入れると大銅貨3くらいで売ってます」
「安いな」
カイン様は目を丸くして驚いていた。
「小銀貨くらいするかと思っていた」
「そんな、とんでもない」
いくら物価が上がっているとはいえそこまで上げれば誰も買わない。ちょっと利益が少なくても、作ったパンを嬉しそうに買って食べてくれているのを見るほうが嬉しい。
「出資してやりたいが、あいにくと今の俺にはその財もない。残念だ」
見てるこっちがびっくりするくらいに肩を落とす。
「い、いえ!気に入ってくださったなら、次はぜひ買って下さい。わたしはいつか自分の店を持つことを夢見て頑張っていますので」
あ、余計なこと言ったかなと思ったが、まぁ小娘の夢くらいすぐ忘れるだろう。
「そうか。いつもはどこで?」
「安息日は休んでますが、火の日と金の日は大通りの朝市におります。あとの日はぶらぶらと歩いて売ってます」
「そうか。覚えておく」
そう言ってカイン様はトレイを寝台側のイスに置くと、そのままゆっくりと立ち上がった。
「行かれますか」
「あぁ、女性の部屋に長居してはいけないだろう」
もう一晩泊まってますよ、なんて揚げ足はとらない。このまま何事もなく帰ってもらおう。
部屋を出てリビングにきてもザッシュさんはいなかった。いたのはただのホウキと化したフーちゃんだけ。
「本当に世話になった」
玄関を開けると、午前中の日の光りがサァッと入ってきてカイン様の銀髪をキラキラと照らした。
「いえ、どうぞお気をつけて」
こくっとうなずいて去っていくカイン様を見て、わたしはほっと安堵の息をついた。
段々と小さくなったカイン様の後ろ姿を確認し、ドアを閉めてリビングを見ると、いつの間にかザッシュさんが立っていた。
「帰ったか」
「はい。カイン様というそうで、その、ばぁーちゃんを探しているようでした」
「だろうな」
「え?」
知っていたというような口ぶりに、わたしはじっとザッシュさんを見上げた。
「……あの人、ばぁーちゃんからの手紙を持ってるって言ってました」
フッとザッシュさんは鼻で笑う。
「おおかたこの町の消印だったのだろう」
正解です、とうなずいておいた。
「ジェシカには俺から言おう」
そう言って話を切り上げようとしたので、わたしは1歩踏み込んで「あのっ!」と声を出した。
じっと見下ろされた目に怯まず、わたしは目線を合わせたまま尋ねた。
「あの人誰なんですか!?」
数拍間が空いたが、ザッシュさんは立ち去ることなくわたしを見ていた。
どうやら答えてくれるようだ。
「あの男はカイン・ヴェネス・ログウェル伯爵。つまりここら一帯の領主だ」
「はっ?」
ポカーンと口を開けてマヌケ面を晒した。
お腹をすかせて行き倒れていた彼が領主とはとても思えない。
「つまり、ジェシカが全財産と今も得た報酬を貢ぎこんでいる男だ」
「知ってます!」
そう。ばぁーちゃんがあの日得た退職金と邸を売った多額のお金は、ログウェル伯爵家に渡されたのだ。そして今も多額の報酬を受けながら、そのほとんどをログウェル伯爵家に送っている。
「口外するな」
それがばぁーちゃんがログウェル伯爵家の誰かに言った唯一の言葉らしい。今もその約束は果たされているのか、ログウェル伯爵家と”緋炎の魔女”リリシャムの話は聞かない。
わたしはここに来て3ヶ月経ったある日にザッシュさんから聞いた。彼なら知っているだろうと、わたしがしつこく聞いたので渋々話してくれたのだが。まさかあの人が当主とは。
「お金、まだ足りないんですかね」
「さぁな」
あの人の口からお金を無心する言葉がでるなんて考え付かないが、ただ先代の伯爵がこしらえた事業の多額の負債、領地を襲っている冷害と食糧難。とにかくログウェル伯爵家は大変だという認識が、領地一帯に広く浸透している。
あれだけの美形なら、他家と婚姻をと思うのだが、もはや彼の美貌を持ってしても娘を嫁がせ支援する家もないのだという。
「そういえば、お前に手紙だ」
渡された手紙は上質の封筒で、家紋の入った蝋で封がしてあった。
「稼ぎ時だな」
「そうですね」
一目でそれなりの貴族からの手紙とわかるそれを、わたしはカイン様の心中を思いながら複雑な気持ちで受け取った。
読んでいただきありがとうございました。