64話
お久しぶりです。
もっと早く更新したかったのですが……子ども達から胃腸炎もらいました。ノロウィルスって大人がひどいんですって!!
久々に、大通りでパン売り。
いつもより多めにパンを焼き、ロバのアレンシアに荷台を引いてもらって張り切って店をだした。最近休みがちだから、せめてものお返しにと、ドライフルーツや木の実を入れたパンを多めに準備した。
「おはよう。今日はいるのね」
「出稼ぎにも出ているんだって? 頑張りな」
「遠方まで行っているんだってねぇ。大変だね」
……どうやらわたしは、遠方に短期間出稼ぎしているらしいです。もちろん噂です。
まぁ、確かにウロウロしてるので、間違いじゃないかな。出稼ぎじゃないけど。
愛想笑いとあいまいな返事でうなずき、接客を続ける。
やっぱり具入りのパンが売れたなぁと、残り少ないパンを見ていた時、ふと前にお客が立つ。
「いらっ」
しゃい、と続くはずだった言葉を飲み込む。
パンを並べた荷台の前立っていたのは、不機嫌な顔全開の茶髪のメイド――ミレイさんだった。
「おはよう、アリス」
朝にそぐわない棒読みの挨拶。
「ど、どうしたんですか?」
挨拶も忘れて目を丸くしていると、ミレイさんは一度目を閉じ深く息を吐いた。
「……どーしたもこーしたもないわよ」
「何かあったんですか?」
「大アリよ」
ミレイさんはムスッとしたまま、並んでいるパンを一通り見る。
「丸パンを十。そっちのドライフルーツ入りの大きいパン、残っている二つもね」
差し出された籠に、わたしは残っていたほとんどのパンを入れる。
渡された代金をエプロン下のバックに直し、売り切れのカードを荷台の前にたらす。
これでお客さんを気にせず、ミレイさんと話ができる。
「お邪魔かしら」
パンの入った籠に白い布を被せ、ミレイさんは小声で聞いてきた。
「いえ。もう残りも丸パン三つですし」
「そう? なら、少し話してもいい?」
仏頂面が消え、遠慮がちに聞くミレイさんに、わたしは「どうぞ」とうなづく。
「……知ってるかしら? あのお嬢様が来てるって話」
「えぇ。昨日ザッシュさんに聞きました。……婚約者候補だとか」
語尾はやっぱり、言うのが辛くて小さくなる。
「候補と言っても強引なのよね。貴族社会はよく知らないけど、でも良くない噂の家から上の身分の家に養女に行くなんて、普通でも考えられないわよ」
「ザッシュさんも似たようなこと言ってました」
「しかもよ、性格がコロッと変わってるのよ!」
ダンッと荷台を手で叩く。
「性格って、前は身内の方が亡くなった直後だったからじゃないですか?」
「かもしれないけど、あの身の変わり方はすごいわ。いくら侯爵家の後ろ盾があるからって、こっちは丁寧にお断りしてるのに、まるで脅すような言い方で滞在してるのよ! しかも女主人になったつもりなのかしら! 今日はこの町の町長達を始め、商工会の会議にも同席をするっていうのよ!? 信じられないっ!」
「ようするに、自分を売り込んでいる、と」
「そうよ!」
荷台にパンの入った籠を置き、ミレイさんは憮然とした顔で胸の前で腕を組む。
「カイン様は好きにさせておけ、だし。祖父もよ。リズさんも淡々とお世話にしてるし、やきもきしてるのはわたしだけみたいで、バカみたい。お使いに出れば気分が晴れるかと思ってきたんだけど」
「晴れました?」
「全っ然! あなたなんでそんな普通なの! もうちょっと何か言ってもいいのよ!?」
いや、そんなこと言われてもなぁ。
いい言葉が浮かばなかったわたしは、正直に言うことにした。
「自分を信じろってカイン様に言われましたので、おとなしく家にいることにしたんです。きっとカイン様には、何かお考えがあるんだと思います」
それを聞いたミレイさんは、なぜか口をポカンと開けて呆けていたが、やがて来た時と同じ仏頂面に戻る。
「……なにそれ。わたしだけまるで蚊帳の外じゃない」
「え?」
「あー、やだ、わたしったら一人でイライラして馬鹿みたーい!」
言ってから、両手を上にあげうーんと背伸びをする。
よし、と背伸びしてリラックスしたミレイさんは、すっきりとしたいつもの顔に戻っていた。
「安心したわ。わたしはわたしで探るって知らせるわね。それから、夜のパンもお願いね。お代はフーちゃんに渡すわ」
「わかりました」
「じゃあ、戻るわね!」
パンの入った籠を持つと、ミレイさんは何度か振りむいては手を振り、お屋敷へと帰って行った。
それを姿が見えなくなるまで見送り、わたしも片付けを始める。
片付け直前に声をかけられ、残りの丸パンも売れた。
帰り道、アレンシアは軽くなった荷台を足早に引いていく。
「帰ったらブラシをかけてあげるね」
何度かアレンシアに話しかけつつ、わたしも歩く。
なんとなくだけど、ミレイさんがイライラしてたことに、わたしは少なからず安心したような妙な安堵感を持っていた。
ザッシュさんは無愛想で心配性。昨日もわたしのためを思って言ってくれたんだろうけど、慰めとかそういうのは一切なかった。しかも昨日出かけたまま、とうとうわたしが起きているうちには帰ってこなかった。
家に帰ると家の裏で荷台を外し、アレンシアを小屋に入れて真新しい水を用意する。
荷物を家の中にいれて、お金をなおしに部屋に戻るとフーちゃんが掃除中だった。
「フーちゃん、夜もカイン様のお屋敷にパンを届けてほしいんだけど、頼める?」
やはりフーちゃんは「任せて!」と言わんばかりに、心強く引き受けてくれる。
ありがとう、フーちゃん!
お礼にザッシュさんが帰ってきたら、艶出し借りて塗ってあげるね!
そしてわたしは、小屋で待つアレンシアの世話に向かった。
。・☆。・☆。・☆。・☆。・☆
夜。すっかり日が暮れるのが早くなったので、フーちゃんは堂々と空を飛んでカイン様のお屋敷へとお使いに行ってくれた。
ザッシュさんがまだ戻らないので、わたしは今、一人でリビングにいる。
食欲はないけど、こういう時は思い切って贅沢しようと、台所の奥の小さな食品置きの部屋に行く。
その床には氷の魔石を利用した冷暗所が二つある。一つはばぁーちゃん達秘蔵のお酒が多く保管されているもので、もう一つはほぼ冷蔵庫。バターや湿気防止のためにドライフルーツを保管している、わたし専用の温度の低い食品保管庫だ。
「んーっと、あった!」
取り出したのは、マオス産の上質なバター。カイン様のお屋敷で使用しているものと同じで、前におすそ分けしてもらったのを、大事にとっておいたもの。
朝作った残りの野菜スープと、焼き立てパンにマオス産のバター。
シンプルだけど、御馳走だ。
少し時間はたっているが、外はカリッと、中はふわっと湯気の出る丸パンを半分に割り、貧乏性を今日だけ封印して、たっぷりバターをのせて頬張る。
口の中にふわっとバターの甘みと香りが広がって、唾液がどんどん溢れてきて、いますぐにでも飲み込みたくなるが、ここはグッと我慢して咀嚼する。
本当ならニ個、三個と食べれそうだが、今日は一個で満足できた。
半分だけスープを食べ、溶けないうちにとバターを冷暗庫へ戻す。
バターを戻してリビングに戻ると、窓の外にフーちゃんが、普通のほうきが立てかけてあるように立っていた。
「おかえり、フーちゃん」
窓を開くと、フーちゃんはスィーと中に入ってきた。
フーちゃんが持って行ったパンの入った籠の中に、リンゴが二つと、手紙が一通入っていた。
もしかしてカイン様からかも、と期待を込めて手紙を手に取ったが、違った。
少しがっかりしたものの、籠をテーブルに置き、ミレイさんからの手紙を開く。
……思った通り、愚痴のオンパレードだった。
ミレル様が今日どこに行っていたかとか、お屋敷の食事にやたらと注文をつけるとか、メイドを専属でつけてほしいとか、などなど。
食事はカイン様と一緒なら文句は言わないが、一人になると決まって「庶民的すぎる」と愚痴をこぼすらしい。料理人がおらず、ミレイさんや通いのアマさんが作っているのが気に入らないらしいが、元ログウェル伯爵家メイド長補佐のリズさんが、無言の圧力を笑顔でかけて黙らせているらしい。さすがです、リズさん。
メイドについてはカイン様も「当家に余裕はありません」と一点張り。ミレル様は侯爵家から呼ぶと言っているが、そこはイパスさんが「NO!」と断っているそう。
そんなイパスさんも、最近ストレスが溜まったのか、休憩時間に紅茶に砂糖を入れて飲むようになったと書いてある。ちなみにイパスさんは、お酒は仕事に支障がでる場合があるからと、元から飲まない。
そして最後に、ミレイさんはとんでもないことを書いていた。
“ 最近氷の精霊達と仲良くなったんだけど、今日愚痴ったら、さっそくイタズラしてくれたわ! でも小さなことよ。夜中にミレル様のお部屋だけ冷やすの。ほんのちょっとよ! これで熱でも出して、少し黙ってくれないかしらね!! ”
バレたらただじゃすみませんよ! やめて、ミレイさんっ!!
さっそく精霊に頼むことだけはやめるようにと返事を書き、翌朝、フーちゃんに急いで届けてもらった。
ただ、想定外だったのは、そのパンの籠を受け取ったのがイパスさんだったということ。
しかも折りたたんだだけの手紙ともいえないそれは、もちろんイパスさんに見つかり、その日ミレイさんはこっぴどくお叱りを受けたそうだ。
……すみません。
。・☆。・☆。・☆。・☆。・☆
三日後、町にはミレル様の噂が広がっていた。
大通りの朝市で営業用の笑顔でパンを売るわたしに、いやおうなく入ってくる噂の数々。
カサンドの町長や商工会、ログウェル伯爵家を訪れるお客様の対応にも、ミレル様はとにかく姿を現しているらしい。
カサンドの町ではすでにミレル様は『ご領主様の奥様内定』とされている。
……なにかしら。このもやもやとしたような、いらいらしたような、何とも言えない気持ちの悪い感情。
嫉妬? これが嫉妬っていうのかな。
嫉妬なんて嫌だなぁ、しなきゃいいのになんて言っていた自分を殴りたい。
しなきゃいいってもんじゃない。自分で制御できない感情。
ユーザーの無理な要求や理不尽な文句、それらにも開発側としては精一杯努力し、満身創痍ながら笑顔で引き渡しの現場にいたし、自分は感情をコントロールできる人間だと思っていたのに……。
笑顔の裏で、頭の中ではカイン様とミレル様が一緒にいるところなんて想像してしまう。
こういう時はどうしたらいいのかな。
ヤケ食い、するような食欲はないし。愚痴ろうにも、ミレイさんはわたしを上回って愚痴るだろうし。
結局、作った笑顔を貼りつけたままパンを売り、下ばかり見て無言のうちに帰宅した。
ロバのアレンシアに愚痴ってもいいかもしれないが、それならフーちゃんに愚痴ったほうがいい。きっとフーちゃんなら何かジェスチャーで、返事をくれる。
そう思いながら家の中に入ると、黒い大きな影が立っていた。
「ザッシュさん!」
久々の長い外出から帰宅したのだろう。黒いローブを羽織ったままだった。
「おかえりなさい! どこ行ってたんですか」
「集金だ」
うそつきー!!
嘘とはわかっているが、あえて口には出さないでスルーする。
「ジェシカは起きたか?」
「え?」
もちろん姿を見ていないので首を傾げる。
ザッシュさんは「はぁ」と短く小さなため息をつく。
「封印の地での儀式の跡は、魔力と体力が極端に消耗するから部屋にこもって寝ているはずだ。酒でも抱えて寝ているんだろう。アレだけで一週間は大丈夫だ」
アル中です!!
「いっ、いたんですか! ばぁーちゃん!!」
「たぶんな。まぁ、そのうち出てくるさ。お前がいないうちに、案外家の中をウロウロしていたかもしれんぞ」
そういって茫然とするわたしを置き、ザッシュさんは台所の奥の冷暗庫から、真新しいお酒の瓶を持ってもどってきた。
「ずいぶん噂になっているな」
「……そうですね」
ぶすっとして答えると、ザッシュさんはローブの中から一通の手紙を取り出してわたしに差し出す。
「気分転換だ。行って来い」
受け取った手紙には、マデリーン様の名が書かれている。
仕事かぁ。 今は何にも手に付かない感じなんですけど。
いつになくやる気のないわたしに、ザッシュさんはお酒を一口飲んで呟く。
「シナス、という騎士が行方不明らしい。気を付けろ」
「え?」
シナス、というと、あのカイン様の苦手とした元先輩騎士のシナスさん?
「そうだ」
グビグビと水のようにお酒を飲んでいたザッシュさんが、また何かを思い出して口を開く。
「今夜、八時。ローウェスの『青い岬』に行け」
「『青い岬』ですか?」
前に働いていた酒場の名を出され、わたしは何度か瞬きをする。
「仕事はやめた、というかやめさせられたんですが……」
「行くかやめるかは自由だ」
それだけ言うと、ザッシュさんはくるりと踵を返し、二階へと上がってしまった。
なんで肝心なこと言わないんだろう、もうっ!
読んでいただきありがとうございます。