62話
遅くなってすみません。
マズイ。これはやらかした。
だってカイン様ったらペルジャを握りつぶしたまま、タレがあふれて手を汚していることも気になってないみたい。目線は正面のどっかを見たまま動かない。
聞いていい疑問と、そうでない疑問があるというのは知っている。
暗黙の了解というやつだ。
でもさ、恋愛とかにもそういうのあるっているのは知ってたけど経験なし。とっさに出た時の解決方法ってなに?
とりあえず、言ったことなかったことにして、別の話題に切り替える。
……我ながらベストだ。
しかし、堅物カイン様の石化を解除できなかったらどうしよう。
……大阪のおばちゃんのノリで、バシッと肩を叩いて「LOVEじゃなくてLIKEだよ!」なんて言ってみようか。いや、やるしかない。
そう思って左手を上げてみるも。また疑問が浮かんだ。
いや、その前にLOVEとかってこの世界に言葉ないなぁ。ダメじゃん!
あっさり解決した疑問だったが、新たな問題が起きた。
……上げたこの手をどうしよう。
むなしく下ろすしかないな、とわたしはそっと力を抜いた。
そして力を抜きすぎて、下ろす位置を間違えた。
力なく下ろした左手は、カイン様の肩をかすめる。
その小さな衝撃でカイン様はハッと我に返り、まずつぶれたペルジャを見て、そしてわたしを振り向く。
「「…………」」
沈黙。
だが、この間、わたしの顔はバカ正直に体温が上がっていた。
あと数秒このまま見つめあっていたなら、わたしは今、腰かけている噴水に飛び込んだに違いない。
「大丈夫。俺はアリスのことが好きだよ」
右手はペルジャで汚れていたが、真面目な顔をしたカイン様はやっぱり美形だった。
カイン様はわたしの肩に手を添えようとして……、動かした手が汚れていた、というかペルジャを握りしめたままだったことに気が付く。
「しまった」という言葉はなかったが、あきらかに表情がそのことを物語っていて、わたしは思わず噴き出した。
「……アリス」
がっくりと肩を落としたカイン様が、恨めし気にわたしを呼ぶ。
「あはは、すみません、カイン様。でも早く食べないと、本当に冷えてしまいますよ?」
冷めたペルジャはおいしくないと言っていたカイン様は、わたしに言われるがままそっぽを向いて右手に持ったペルジャを食べる。なんだかちょっとヤケ気味。
そんなカイン様を見て、わたしは正直ホッとした。
仕事で受けた気まずさと男女の気まずさって、こんなにも違うものなのね。できるなら男女の間での気まずさは避けたいわ~。
そんなことを考えているうちに、ペルジャを食べ終えたカイン様は、噴水の水を左手で汲み上げて左手を洗い流した。
顔を上げたカイン様に、すっかり落ち着いたわたしは胸の前で手を合わせた。
「ご馳走様でした! ペルジャ美味しかったです」
笑うわたしに、カイン様は力なく笑い返す。
「それは良かった。またいろんな町の美味しいものを教えるよ」
「約束ですよ? また一緒に食べましょうね」
「もちろん。といっても、俺が紹介するものは大衆向けの露店ものだけどね」
「それが一番美味しいんですよ!」
食事は楽しく食べる。これが一番。
いくら珍しく、美味しい料理でも作法や人の目を気にして食べる料理は、本当に味気ない。結婚式に呼ばれて帰宅した後、なぜかお茶漬けやラーメン食べてた。
「さて、戻るか」
「はい」
カイン様が手綱を引くと、馬がブルルッと鳴いてゆっくり歩き出す。
わたしも後に続くが、さっきよりずっと近くを歩けるようになっていた。
そして広場を出てしばらく歩いていると、いつの間にか並んで話しており、内容もいつもの他愛のない話になっている。
いつも何気なくカイン様を見てたけど、今はちょっとだけ意識している。
カイン様の態度はいつもと変わらないし、わたしの態度だって変えたりしていない。だけど、こうして話しているのが「楽しい」じゃなくて「嬉しい」に変わっていた。
そんな嬉しい会話は弾むように続いたけど、あっという間に町長のお屋敷にたどり着いてしまう。
早朝出た時と同じように裏口から入る。
別に悪いことしたわけじゃないのに、こっそりと無意識になっているわたし。それに気が付いてカイン様はクスッと笑う。
「大丈夫。町長には話をしてあるし、別に誰に迷惑をかけたわけじゃない。俺は馬を戻すから、先に部屋に戻って休むといいよ」
「わかりました」
こうしてわたしは自分の与えられている部屋に戻った。
そして仰向けに寝転がった寝台の上で、今朝の出来事をゆっくり思い出す。そして後半からは、寝台の上で転げまわる。
全然意識してなかったわけじゃないけど、改めて自覚すると、わたしはカイン様が好き……だよね。多分。そうだと思う。
で、カイン様も好きだと言ってくれたわけだし……。
これって両想いっ!?
え、でも、情から来た好きという可能性もある……かもしれない。
うわぁ、なんだろうコレ。
好きって愛なの!?
詰め寄るわたしに、カイン様があの真面目な顔で「愛してるよ」なんて言ったら……。
うわぁーっ!!
その場で倒れる自信があるよ、わたし。悶死ってこういう時に使うんだよね!? できそうだよ、わたし。
意味なく叫びたくなる。しないけど。
そしてわたしはあることに気が付く。
行きの馬車が同乗だったということは、帰りもそうだということに!
「えー! どうしよう」
もちろん嬉しい悲鳴というやつだ。
にやける口元は、とてもカイン様には見せられない。
明日帰る予定だと思いだし、せっかく仲良くなったケティさんやホード君との別れより、カイン様との同乗を喜んでいる自分がいる。
ケティさんとホード君へのちょっとした罪悪感を覚え、わたしはすぐに部屋を出て二人に会いに行った。
そしてケティさんの編みグルミの商品化の話に耳を傾け、ホード君と必死に遊ぶ。
だが、浮かれるわたしに神様は味方をしてくれなかった。
昼前にカイン様が顔色を変えて、わたしとホード君が遊んでいる部屋へやってきた。
ちょうどお馬さんごっこをしていたので、わたしはたいそう驚いたが、カイン様の顔を見れば何かあったのだとすぐわかった。
「すまない。一足先に戻ることになった。アリスは明日、予定通りに戻っておいで」
「え!? あの、すぐ支度しますよ!」
ホード君を背に乗せたまま、わたしは言ったのだが、カイン様は首を横に振る。
「悪いが、俺は馬で戻る。アリス、最後の挨拶を頼んだよ」
そう言って四つんばいのわたしの前に片膝を付き、そっとわたしの頬に右手を添える。
近づいた緑の目が、なぜか悲しげに見える。
「カイン様?」
雰囲気をよんだホード君は、話すこともなく黙ってわたしの背に跨ったまま。……うん、下りてもいいよ?
完全にホード君がいないもののように、カイン様はゆっくりと顔を近づけてきて……。
優しく触れるようなキスを、わたしの右頬に落としてくれた。
カチンと固まったままのわたしの頭を、カイン様が優しくなでる。
「気を付けて帰っておいで。 絶対アリスを裏切るようなことはしないから」
それだけ言うと、カイン様スッと立ち上がって部屋を出て行った。
わたしは左手をついたまま、右手でキスされた頬に触れた。
え、えぇえええええええええええ!?
ボンッと顔から火が、いや、煙が出そうになった。
異常に顔が熱い。
ドキドキとやけに大きく聞こえる心音に戸惑い、硬直していたわたしはホード君がいつの間にか背中から下りているのにも気が付かなかった。
カチャッと音がして、部屋に誰かが入ってきた。
とっさにカイン様が戻ってきた、と思って顔を上げたわたしだったが、入ってきたのはケティさん。
そのケティさんに、ホード君が爆弾を落とした。
「おねーちゃんチューされたよ」
ひえっと声にならない悲鳴を飲み込み、わたしの異常上昇中だった体温は一気に下降。
一方ケティさんは固まったまま目をパチクリさせると、わたしを見てなぜか目を輝かせる。
ツカツカと歩み寄ってきたケティさんは、今だ四つんばいのわたしの前に両ひざをつき、わたしの両肩をしっかり握った。
「ぜひ、詳しくお聞きしたいわっ!」
「はひっ!?」
いつにない気迫を身にまとったケティさんは、あわあわ狼狽えるわたしを離してくれなかった。
それどころか一気に質問攻めしてくる。
「なにがあったの!? そういえば今朝二人で出て行ったわよね? 特別な用事とは聞いているけど、あなたまで同行するなんて。しかも帰ってきてから様子がおかしいし!」
うまく説明できないわたしの横で、ホード君が子どもらしく見たままをそっくりそのまま口にする。
「りょうしゅさまがきたらね、ほっぺにチューした! パパとママみたい」
なるほど、ケティさんは今だアツアツ夫婦なんだね! ……とは話が切り替わらない。
「まぁーっ! いいわね! 初々しいっ!!」
「え、あ、いや……」
どもるわたしに、ケティさんはぐいぐい詰め寄る。
「大丈夫よ! 言い寄られて戸惑う気持ちはわたしもわかるわ! こういう時は経験者に全部話して気持ちを落ち着かせるのが一番よ!」
「え、あの、そうなんですか?」
「そうよ!」
うんうんと力強くうなずくケティさんを見て、恋愛初心者のわたしはコロッとひっかかった。
「じ、実は……」
床に座り込んだまま儀式の話はもちろんせず、ペルジャを食べたあたりからの話を顔を真っ赤にしながらたどたどしく話した。
その間ケティさんは嬉しそうにうなずきつつ、「それで?」と目を輝かせていた。
もう顔から湯気が出そうになった頃、ようやく話を終えて、わたしは顔を下に向けたまま動けなくなった。
ケティさんはとってもいい笑みを浮かべ、黙るわたしを飽きることなく見ている。
「いいわぁ。若いって」
「あ、でも」
ふと思い出したのは、去り際のカイン様の台詞。あまり聞いてなかったけど、思い出すとかなり不安なことを言っていた。
あの、とわたしは不安気に顔を上げる。するとにこにこしていたケティさんも、笑みを消して首を傾げる。
「どうしたの?」
「いえ、実は最後に『絶対裏切るようなことはしないから』て、真剣な顔で言われたんです。今になってなんだか心配になってきて」
まぁ、とケティさんは眉をひそめる。
「それは嫌な予感がして当たり前だわ。一体どうしたのかしら? そういえば、あなた達が出ている間に早馬で手紙が届いたわ。ご領主様宛だったから、お義父様が預かって……それと関係があるのかも」
「何かあったんじゃ!」
さっと顔を青くしたわたしに、ケティさんは静かに首を横に振った。
「落ち着いて。もし領地に関係することなら、うちのお義父様も話を聞くはずよ。でもそうじゃなかった。と、いうことはご領主様に関わることなんだと思うわ。でも、ご領主様はあなたに後で帰るように言った。今から追いかけても追いつけないし、ご領主様のお仕事を邪魔するだけかもしれないわ」
「でも……」
「下手に焦ってはダメよ。こんな時は冷静になって周りをちゃんと把握するの。まずはご領主様の言われた通りに明日帰る。そして明後日ご領主様に会って、きちんと事情を聞くのよ。いい?」
言い聞かせるように目を見てケティさんはわたしに強く言った。
「はい」
「何かあったらすぐ帰ってらっしゃい。いつでも相談に乗るわ!」
ぎゅっと抱きしめられて、背中をポンポンと叩かれる。
「……もし、昔の女が乗り込んできても、ご領主様を信じてドンと構えるのよ。こういうのは引いたほうが負けなのよ」
ぎゅっと抱きしめる腕の力が強くなり、ケティさんは絞り出すような声を出した。
……昔何かありましたか?
「が、頑張ります」
「いつもいるのよ! 未練たらしいのが。無駄に気が強いから気を付けて。もし何か言われても気にしなくていいのよ」
そう言って、ケティさんはしばらく「昔わたしもね」と過去の壮絶な女のバトルを低く語りだした。
……恋愛って戦いなんですね。
読んでいただきありがとうございます。
「甘い話が書きたい!」と何度か書きましたが、やっと書けた気がします。
さぁ、最終章(予定)頑張ります!