58 話
ご無沙汰してます。
「カイン様?」
険しい顔のカイン様に、わたしはおそるおそる声をかけた。
するとカイン様は、ハッとして表情を緩めた。
「あぁ、すまない。少し考えていたもので」
険しい顔して考え事って、あんまりいいものではないですよね。
そんな心の声が届いたのか、カイン様は力のない笑みを浮かべた。
「ちょっとした昔話だよ。やっぱりアリスは“緋炎の魔女”の血筋なんだなぁと思って」
「え?」
カイン様はふっと肩の力を抜いて、大雨が降り続く窓に近寄ると厚めのカーテンをひいた。
「大きな声では言えないけど、でもこの町のほとんどの人が知っている昔話だよ」
わたしに背を向けたまま、カイン様はゆっくりと話し出した。
「この町がまだ町でもなく、名前も無かった頃の大昔。この町に今でも残るどこかで“緋炎の魔女”が生まれたという話だよ。
混沌とした争う世界の中に現れた七人の魔法使い。全ての魔法の基礎を作り上げ、多大なる力を持った契約獣を従え世界を平定し、自分達は上にたつことをせず、また静かにいずれかの土地に身を隠した七人の魔法使い。ある者は国に仕え、ある者は人に紛れ、ある者は契約獣と消えた、と言われているけどね。“緋炎の魔女は”生まれた土地に戻ったと言われている。そこで弟夫婦と国に仕えながら暮らしたんだ。契約獣を連れてね。
アリスの家ではどう伝わっているんだい?」
体半分振り向いたカイン様に気づくのに、少し時間がかかった。
いきなり“緋炎の魔女”の話が出てきたので驚いていたのだ。
「あ、いえ、うちは分家ですし、あまり良くは知らないんです。本家だとちゃんと伝わっているんだと思いますが。わたしが知っているのは世界を平定し、また国に仕えたってことです。その盟約が今も根付いているから、わたし達の一族は“緋炎の魔女”を代々輩出しているんだって聞いてます。弟がいたとかそういった話は初めて聞きました」
昔聞いた話は昔話というより、まるで言付けのような簡潔なものだった。
彼女がどこで生まれたというのも知らないし、どんな魔法を繰り出したのかというのも、契約獣はどんなものだったのかというのさえ伝わっていない。ただ国に仕え、代々“緋炎の魔女”を輩出しなくてはならない、とだけ小さな頃からしつこく教えられた。
だから火の魔法使いに認定された時は、漠然と“緋炎の魔女”になるのかなぁって思ってたけど、ばぁーちゃんについて修行してから、段々その責務に恐怖を覚えてこうして逃げ回っている。
だって前世平の社員でただただ業務をこなし、過労死に近い短命な人生だったのだ。少しはのんびり生きないし、重責とかストレスで胃に穴が開きそうだ。
事なかれ主義にどっぷりつかってましたので、今更責任ある立場で頑張るとか結構勇気がいる……。
「国のみんなが知っているのは多分似たようなものだよ。彼女は何も残さず消えたからね。この町では弟がいたから、少しだけ彼女を知る人が多かったんだ。ただそれだけだよ」
「あの、弟さんの子孫の方もいるんですか?……この町に」
それが気になったのはごく自然なことだったと思う。
遡れば遠い遠い親戚なのだし、もしかしたらわたしよりそっちの家系にもっとすごい火の魔法使いがいるかもしれない。……わたしより“緋炎の魔女”に相応しい人が。
半分振り返ったままのカイン様は、じっとわたしを見て黙っていたが、ゆるゆると首を振った。
「この町にはいないよ。確かに彼の子孫はいる。でもアリスが考えているようなことはなくてね、彼の子孫には一切魔力が伝わっていないんだよ。今現在も属性持ちですら現れず、血族自体が少数なんだ」
そんなカイン様をじっと見て、わたしは知らず知らずのうちに両手を握り締めた。
「……よくご存知なんですね」
「俺も当主になって初めて知ったことだよ」
「……契約獣ってどうなったかも知ってるんですか?」
「知っている。だけどこれは今の“緋炎の魔女”から話されるべきだから、この場では答えられない」
やっぱりな、とわたしはどこか嫌な気持ちになった。
悲しいというか、疎外感というか、どうしてわたしは知らないのだろうか、と。
ばぁーちゃんとカイン様は知っていて、どうしてわたしは知らないのか。でもそれは知ろうとしなかったせいだし、ずっと立場から逃げていたわたしのせいでもあった。
それがわかっているから、なおのこと自分が嫌になる。
俯いたわたしに、カイン様はゆっくり近づいてきた。
丁度下を向いたわたしがカイン様の靴の先を見つけ、ゆっくりと顔を上げる。
そこには優しく微笑むカイン様がいた。
「知るのはいつでも遅くはないよ。ただ君の場合は重責を伴う。だから当代もギリギリまで君の自由にさせたんだと思う」
「ギリギリ?」
カイン様の言葉に疑問を持ち、わたしは少し眉間に皺を寄せた。
「どういうことですか?カイン様」
笑みを消したカイン様は、まっすぐわたしを見て口を開いた。
「……ジェシカ・リリシャム。彼女は副魔法持ちだ。彼女の副魔法は“先見”。少し先の未来をみる、時の権力者がこぞって欲しがる宝だ。だがその代償は命。彼女は金山を得る為にその力を数度使っている」
ひゅっと喉の奥が鳴ったような気がした。
息が止まったかのように体が動かなくなり、そのうち目が口が下に引っ張られるように開く。
「ずっと隠していた副魔法を短期間に数度発動させ、彼女の体は耐えられなくなっている。おそらくもう使うことはないだろうが……、それでも体は元には戻らないだろう。自分で言っていたが、もってあと数年と言って……アリス!?」
途中でぐらりと視界が揺れ、気がつけばカイン様の腕の中でどうにか立っている状態だった。
「すまない。やはり言うべきではなかった」
悲痛な顔で謝るカイン様に、わたしは小さく首を振った。
「いえ、ありがとうございます。……そうですか。知って良かった」
少なくともこれ以上仲間外れにはされない。
「すまない、アリス。恨むなら俺を恨んでくれ」
「え?」
まだふらつく頭を上げると、きれいな緑色の目が強く輝いていた。
「ログウェル家を建て直すために無理をさせた。全て俺の責任だ」
「えっ! ちょっと待ってください。カイン様のせいではないですよ?」
没落したのはログウェル領を狙っている、悪い貴族様がいろんなところで暗躍したせいであって、カイン様とは直接関係ない。むしろ質素倹約して頑張っている。頑張りすぎて空腹な人とか初めて見たし。
「ばぁーちゃんは先々代伯爵様と約束したので頑張ったんだと思います。命を削るって良く分かりませんが、でもそれほど大事な人だったんだと思います! だから……上手く言えませんが…………」
だんだんと俯き加減になっていた顔を、わたしはグッと上に上げた。
「少なくともカイン様は悪くないです! わたしも恨みませんし、そもそもばぁーちゃんが決めたことですから、恨んだりしたらばぁーちゃんにわたしがひどく怒られそうです」
少し無理して笑ったわたしの顔を見て、カイン様はひどく弱弱しく笑った。
「……祖父から俺宛ての手紙が残っているんだが、その内容の一つに君の師匠との話もあった。彼女がなすことに感情的にならず、常に領地優先で考えろ、と。それが彼女の願いだと。……都合のいい話だ」
「でも、それがばぁーちゃんのしたいことだと思うんです。ばぁーちゃん、あぁ見えて一途なんですよ。まぁ、一途過ぎて一緒の墓に入らせろっていうのはちょっと怖いですけど」
結構重いよね、その想い。よく先々代伯爵様と奥様許したなぁと思う。
「とにかく大丈夫です!」
わたしはふらついていた足を叱咤して力を入れ、姿勢を正してカイン様の腕の中から離れた。
「あのばぁーちゃんがすぐ死ぬとか考えられませんし、明日の早朝には儀式をするから元気な顔してやってきますよ! あ、そうだ。それでどうして“緋炎の魔女”の話になったんでしたっけ?」
話題を変えよう、と話の発端を蒸し返した。
カイン様はまだわたしをかわいそうだと言わんばかりに見ながらも、一つうなずいて話を続けた。
「“緋炎の魔女”リリシャムはこの地で生まれ、そして亡くなったのもこの地だ。つまり彼女はこの地埋葬された。そしてそれからこの地は火の属性持ちが多く生まれるようになった。この町の人々は火の加護と呼んでいるが、火の精霊は何らかの理由でこの地に集うようになり、今もずっと歴代の“緋炎の魔女”が中和して暴走を食い止めている」
「ここにお墓があるんですか!」
うちのお墓は代々貴族でないので町の共同墓地だった。本家も似たようなもので、そこに“緋炎の魔女”リリシャムは埋葬されていないとは聞いていた。そもそもどこで死んだのかも不明だとされていた。
「お墓、というかそれらしきものはない。ただこの町のどこかに埋葬された、というのは確かだ。おおよその位置も弟の子孫の家には伝えられている」
「んーと、つまり、わたしが魔法を使いやすいっていうのは、その火の加護ってやつのせいなんでしょうか?」
「だと思う。特に君は“緋炎の魔女”の一族だ。火の加護が特に強く現れていてもおかしくない」
一族、と言ってももはや初代リリシャムの血はほとんどないに等しいくらいですが、それでも火の加護とやらは通用するんですね、と一人突っ込んでおく。
「アリス」と、呼ばれてカイン様を見上げる。
するとカイン様は胸ポケットから懐中時計を取り出して、わたしに見えるようにぶら下げた。
「早く寝ないと早朝の儀式を寝坊するよ?」
くすっと笑ったカイン様に、わたしはふふっと笑い返した。
「パン売りしてるわたしが、起きれないわけないじゃないですか。カイン様こそ寝坊しないで下さいね」
「そうか、それもそうだ。じゃあ、一緒に寝ないかい? アリス」
「え!?」
サラッと言われてうなずきそうになったが、どうにかそこは押さえられた。
「一緒!? 無理ですよっ!」
ぶんぶんと首を大きく横に振り、赤くなりそうな顔を見せまいとそらす。
「いや、もちろん俺は長椅子で寝るし、寝台までは一緒にしないから」
「無理ですぅううう!」
わたしはそのまま扉まで急いで走った。
「いや、やましい気持ちとかそういうんじゃなくてっ! 話をっ!」
「おやすみなさいませっ!」
必死で何かカイン様が言っていたが、そんなの聞こえてませんとばかりに扉を乱暴に閉めて逃げるように飛び出した。
わたしの部屋はカイン様のすぐ隣だったから、こんな顔を誰にも見られず移動できた。
部屋に入ってすぐ寝台に潜り込んで「うーうー!」とわけのわからない声を搾り出し、ジタバタと一通り暴れていた。
なんてこというんですかっ!カイン様!!
思い出すたび恥ずかしくなったわたしだったが、旅の疲れが出たのかいつの間にかぐっすりと眠ってしまった。
。・☆。・☆。・☆。・☆。・☆
…………。
……熱い……。
喉がカラカラで今すぐ水が欲しい。冷たくてもそうでなくてもいいから、とにかく何か飲みたい。
でも目を開けようとしても力が入らない。
手足も重りをつけたかのようにだるくて力が入らず、指1本動かすのも億劫だ。
とにかく全身が厚い。まるで高温の電気毛布に包まれているかのような感じで、一番熱いのは目の辺り。もやもやとした熱気が漂っているような感じがする。
熱いよぉ……。
泣き言を言いたいくらいだが、そんな声すら出ない。
たちの悪い風邪にでもかかってしまったのだろうか。
大事な儀式があるというのに、なんて最悪なんだろう。
……ばぁーちゃんの高笑いが聞こえる。
風邪なんかひいてどうすんのさって笑ってる。
あぁ、こりゃ絶対死なないよ。ほら言った通りでしょ、カイン様。
……カイン様?
何だかぼんやりと白いものが、段々形と色をはっきりさせてくる。
あんなに熱かった目がじんわりと下がっていく。
まだ声は出なかったけど、うっすら開いた目がその人の心配そうな顔をとらえた。
少しだけ身じろいだ体を、その人は毛布の上からあやすように軽くポンポンとたたいた。
「大丈夫だよ、アリス。少し火の精霊にあてられたみたいだね」
寝台に腰掛け、左手はわたしの額に。右手はわたしの左肩において安心させてくれる。
「……カイン様」
カラカラの喉からかすれた声が出た。
カイン様は黙ってうなずくと左手を額から離し、背中の下に回して少しだけわたしの上半身を起こした。そして右手でサイドテーブルから水の入ったコップをとり、わたしの口に近付けた。
冷たい水をコップ半分程飲んで、わたしが口を話すと静かにまた横たえてくれた。
「もう大丈夫。そのままお休み、アリス」
再び左手が目を覆うように額に置かれると、わたしはちいさく「はい」と答えて不思議なほどすぐに眠りについた。
だから半分夢だと思っていた。
まだ暗いうちに目が覚め、額に乗る手とと右手を握るカイン様に驚いて飛び起きたのはご愛嬌。
それに気がついて起きたカイン様も、必死であれは夢ではなかったとぶつぶつ呟いているわたしを見て
「大丈夫そうだね」と笑った。
「熱の原因は火の精霊に好かれたせいだよ。魔法を使って魔力を消費したらいいんだけど、アリスは一応普通のお嬢さんってことになってるからねぇ。あ、そろそろ時間だ」
懐中時計を見てカイン様はすぐに立ち上がった。
「急がないと口の悪いババアに何を言われるか」
ボソッと呟いたカイン様は、上着を取ってくると言って部屋を出て行った。
「あ、準備しなきゃ!」
わたしも我に返るとあわてて出かける準備をした。
その時随分体が軽くなっていて、あの熱はどこに発散されたんだろうかと首をひねるも、すぐさまカイン様が呼びに来たのであわてて返事をしたのだった。
読んでいただきありがとございます。
また来週頑張って更新したいと思います。
どうぞよろしくお願い致します。