56 話
今日は節分ですね。豆まきしますか?
「ただいまー」
フーちゃんを片手に家の中に入ると、ザッシュさんが顔を上げた。
「オルドに行くとは本当か?」
先に帰宅してそのまま酒盛りを始めたばぁーちゃんに聞いたらしい。
わたしは片付けとかいろいろあって、今帰ってきた。
ちなみにわたしは夜になると人目も少ないので、安全性も高いフーちゃんで帰って来ている。ばぁーちゃんは魔法省公認の鳥の魔獣に乗って移動しており、契約者以外は背に乗せず、言うことも聞かない。しかも警戒心が強いので、ばぁーちゃん以外の人間が近づこうものなら鋭い牙の並んだ大きな口を開けて威嚇していてくる。
そんなわけでわたしもあまり近づかないでいたし、見ることも余りない。
記憶が正しければ、巨大な茶色い鷹のような姿だった気がする。
ただ魔獣と契約すると魔力を供給して躾けしなきゃならないらしく、普通の魔法使いは小鳥か鳩くらいの伝達用魔獣を多く持つらしい。
そう、とりあえずばぁーちゃんは一握りの魔法使いが持つ、規格外の魔力を持っているのだ。
「はい、行きます。3日後ですが」
「……そうか」
それっきり黙ると、飲みかけていたグラスを一気に飲み干して立ち上がった。
「ザッシュさん?」
「寝る」
短いいつものそっけない声だったが、何だか気になってしばらく後姿を見ていた。
「……ジェシカさん」
見送った後ばぁーちゃんに目線を移すが、こっちは相変わらずの酔っ払いだった。
「んー? 気にするんじゃないよ。あんたは見学しにいくだけなんだから。それより明日も早いんだろう? 寝な」
「うん。おやすみ」
うなずくばぁーちゃんに頭を下げ、フーちゃんと自室へと引っ込んだ。
「ねぇ、フーちゃん、みんな何を話そうとしてるんだろうね」
寝仕度を済ませて寝台に上がったわたしに、フーちゃんは何のリアクションも見せず、ただスーッと寝台に近づいてきて側にいてくれた。
「……ありがとう、フーちゃん」
どうせ3日後にはオルドの町に行くし、嫌でもその時わかるだろう。
でもその時に備えての心構えっていうのは必要だと思う。前世では新しい依頼を受けるだびに、これから起こり得るかもしれないアクシデントに対して対策を練って仕事を進めたものだ。いきなり要求が追加されるのも当たり前だったし、大幅な修正で時間をくうものの〆日は変わらないとか。
でも今回のことは全く予測が立たない。
想定できる未来の不安と、想定できない未来の不安はまるで違う。
だから言葉はしゃべれないけど、フーちゃんが側にいてくれることは何よりありがたいものだった。
。・☆。・☆。・☆。・☆。・☆
「あたし、馬車嫌なんだよね」
オルドの町への出発前夜、ばぁーちゃんは欠伸しながらわたしに言った。
「あたしゃいつのもように、スィーッと行くからさ。あんた若造と先に行きな」
「えーっ! わたしもフーちゃんで行くよ。1泊宿泊代浮くし」
「ケチくさいこと行ってないで、言うこと聞きな! 若造1人で行かせる気かい?」
「護衛さんも行くよ?」
「ごちゃごちゃ行ってないで言うこと聞きなっ!」
最後は怒鳴られてしまった。
経費がかからないようにと思ったのに、どうしてばぁーちゃんはわかってくれないのかな。
はぁっとため息をつくと、ばぁーちゃんからは「こっちがつきたいよ」と小声で愚痴られた。
翌日カバン1つを持ち、鬘を被った普段着でお邸に行き、昨夜ばぁーちゃんに言われたことをカイン様に話した。
「なるほど、話はわかった。きっと腰が痛いのだろう。今ある馬車は借り物だから、クッションが不十分だということだ」
「そうかぁ、あぁ見えてももうすぐ70ですからね」
そうだよ、見かけは美魔女だけど長旅は辛いんだ。だから魔獣と短時間で行くつもりなんだ。
「わたしもフーちゃんで行くって言ったんですけどね。旅費も浮くし、わたしがいなかったら馬車いりませんよね?」
「確かにそうだが、馬車を貸している店は儲けがなくなる。これも人助けだよ」
にっこりと微笑まれ、そのまま馬車の扉を開ける。
そしてそのままどうぞ、と促されてしまった。
乗り込もうとして、わたしは見送りに出ていたミレイさんが持つフーちゃんを振り返った。
「フーちゃん、お邸の護衛任せたよ」
ピッと毛先を半分持ち上げて了承する。
「行ってきます」
「後は頼む」
わたし、カイン様の順に馬車に乗ると、お邸の警備兵で今回護衛として同行するビィラウさんが馬に乗り先導を始めた。
ガタンと馬車が動き出し、こうしてオルドの町への1日が始まった。
「オルドの町へはビークの森を通ると数時間早いが、盗賊の被害が納まったとはいえ少しでも危険は避けたい。今回はアルシュの村を経由して行く。アルシュは村と言ってもオルドとカサンドへの中継地として、そこそこ栄えているから宿も多いし賑やかな村だ」
「オルドの町とアルシュの村は近いんですか?」
「半日かかるかどうか、というところだ。同じくカサンドからも半日より少しかかる程度だからな。だいたいの旅人が1泊し、しかも時間も日のあるうちから滞在するので露店商も多い。時間があったらまわって見よう」
「いいんですか!?」
うなずくカイン様に、わたしは頭を下げた。
「ありがとうございます! 楽しみぃ」
つい鼻歌を歌ってしまおうかと思ったくらいうかれたわたしは、窓から遠くなるカサンドの町並みを見ていた。
しばらくしてカサッと紙が擦れるような音がしたので、少しだけ目線を前に向けると、向かいに座るカイン様が手にした書類を読んでいるところだった。
忙しいんだな、と思ったけど、酔いませんか?
わたしは前世プログラマーだったのに、あまりに打ち込みすぎてパソコン酔いしたことがある。あれは眼精疲労が原因だったかもしれないが、車はもちろん、電車や新幹線の中でも長時間の本読みやネットをしたせいで何度も酷い目にあった。
「あの、カイン様」
控えめに呼ぶと、カイン様も顔を上げてくれた。
「酔いませんか?」
「え?」
一瞬意味が通じなかったようだが、どうやらわたしが書類に視線を送っているのがわかったらしく、あぁっとうなずいてくれた。
「平気だよ。ちょっと見直していただけだからね」
「そうですか」
そして2時間経った頃だろうか。
わたしのお尻は感覚を失いつつあった。
いや、性格には痛覚が鈍くなったというか、硬くなったというか……。
時折り話して気を紛らわせていたものの、話題にも限界があるし、カイン様は合い間に書類を見たりしているし、何とか気取られないように堪えていたんだけど、やっぱりもう無理みたい……。
両手で支えておしりを浮かせてみたり、体重を半身に傾けてみたりいろいろしたけど、もう限界っ!
止めて下さい、とお願いしようと顔を上げると、わたしより先にカイン様が口を開いた。
「アリス、あの、もう少し行くと人気のないところがあるから。それまで頑張れるかい?」
労わるような目に、わたしは一瞬キョトンとなったが、モジモジしているのがトイレと思われたことに気がついてあわてて首を振った。
「ちっ、違いますっ! お尻が痛くって!」
「え? お尻?」
つい馬車の衝撃から庇うように両手で触ってしまっているわたしを見て、カイン様は「あっ」と小さく気がついて声を出すと、どうしたものかと目をそらした。
「えっと、それは休憩してもどうにもならないね」
「ですっ!」
力強くうなずいたわたしだったが、ふと今更ながら気がついた。
「あっ、そうだっ!」
わたしはお尻を庇っていた両手を反対にして、クッションに魔力を注ぎ込んだ。
最初からこうすれば良かった。そうすればお尻が痛くて悲鳴をあげなくてすんだのに
イメージは焼きたての山型パンのように、ふっくらと弾力性をつけた。まぁ、どちらかというと風船のように少し硬めのふっくら感だけど、硬かった今までの薄い座布団並のクッションより断然マシだ。
見た目からもわかるようにふっくらしたクッションに、わたしはホッと一息をついた。
厚みもあるので衝撃も少なくなってお尻に優しい。
「あっ、カイン様の方もしますね」
「え?あぁ」
同じようにクッションに厚みを持たせると、カイン様も最初は気持ちがいいと褒めてくれた。
だが、数十分すると、書類から顔を上げたカイン様の顔色が悪かった。
口元に手をやったり、目を覆ったりしてどうにも気分が悪そうだ。
「……酔った」
「えぇっ!?」
どうやらフカフカすぎて逆に頭が揺れて酔ったらしい。
これは予想外ですっ!
でも副魔法は膨らませることはできても縮められないので、すみませんカイン様。
今日は我慢して下さい……。
。・☆。・☆。・☆。・☆。・☆
そして夕方までカイン様は何とか耐えた。
アルシュの村に着くと、宿屋に酔ったカイン様を寝かせて、わたしはビィラウさんと買い物に出て来ていた。
本当は看病しようとしたんだけど、せっかくだから買い物をしておいでと青い顔して追い出されたので、せめてお土産をと果物屋を探していた。
夕方になり風が冷たくなってきた時間帯にも関わらず、露店が並ぶ道はわりと人が行き来していた。
ビィラウさんは30半ばの日焼けした肌とがっしりした大柄な体型の護衛さんで、いつもはログウェル伯爵邸の警備を担当している。実は昔負傷して退役したお父さんがカサンドに戻ってきて始めたのが、ログウェル伯爵邸の警備の仕事だったらしい。でも負傷した肩が悪化して腕が上がらなくなり、4年前に辞めたそうだ。
カイン様のことも知っているそうで、自分がログウェル伯爵家の警備の仕事に就くと実家に報告しに行った時は諸手をあげて喜ばれたらしい。
ちなみにお嫁さんと息子さんもカサンドに呼び寄せ、今は実家のすぐ側の借家にいるそうだ。
「ま、自分より腕の立つ主を守るなんて変な話だけどなぁ」
ワハハッと笑って、また露店の前で足を止める。
「おっ、これは食べやすいぞ」
手に取ったのはバナナみたいな果物。ただし皮の色がオレンジ色。
代金を払って宿屋に戻る。
ビィラウさんと御者さんは同室で、カイン様とわたしはそれぞれ個室が取られていた。
「カイン様気分はどうですか?」
ぼんやりと目を開いたカイン様は、ゆっくり状態を起こして申しわけなさそうに笑った。
「情けないな。もう大丈夫だよ」
「……すみません、やり過ぎて」
シュンとうなだれたわたしの頭を、カイン様はやさしくポンポンと叩いた。
「大丈夫。明日はあの半分の厚さにしてくれると助かるよ」
そういわれて、わたしは顔をあげた。
「わかりました。あ、これお土産です」
あのオレンジ色のバナナを見せる。
「コリスか。小さい頃、食欲のない時はこれをよく食べたものだ」
「今食べれますか?」
うなずいたのを確かめたわたしは、5本ついていた房から1本もぎ取るとそのまま皮をむいて差し出した。
「はい、あーんして下さい」
笑顔で差し出したまでは良かったが、カイン様は固まってしまった。
「はい、どーぞ」
それでもコリスを再度差し出すと、カイン様はどこかの乙女のように少しだけかじった。
「もっとどうぞ、カイン様。食欲やっぱりまだないですか?」
「いっ、いや、そうじゃないんだが……」
なぜかしどろもどろと言い返すカイン様。
もしや味が変なのか、とわたしは差し出していたコリスをパクッと食べてみた。
味は甘味があり、まんまバナナだった。
「美味しいですよ? あ、これ食べちゃったんで、もう1本むきますね」
さすがに食べかけを差し出す躾けはされていない。
食べかけのコリスを膝に置いて、新しいコリスをむいて差し出す。
「はい、どーぞ」
「あ、あぁ」
迷ったようにコリスを見ていたカイン様だったが、さっきより大きく口に含んで食べてくれた。
「美味しいですね」
「そ、そうだね」
何だかよそよそしい態度のカイン様だったが、2口目を口に含もうとしてハタッと動きを止めると1度顔を下に向けなにやら考え込んだ。そして顔を上げてこう言った。
「やっぱり自分で持つよ」
「あ、やっぱり恥ずかしかったですか?」
年上の男性にするもんじゃないですよね、と笑いながらコリスを渡したのだが、受け取ったカイン様はしばらく顔を赤くして俯いてしまった。
……どうやら相当恥ずかしかったようです。
読んでいただきありがとうございます。