54 話
お久しぶりです。
やっとインフルより復活しました。
リズさんは白髪交じりの黒髪をきっちりと後頭部に結上げ、いつも姿勢正しく無駄口を聞かずキビキビと動く古参のメイドさんだった。
「イパス様がお呼びです」
朝が早いもの同士のマイラさんとミレイさん、そしてわたしの3人が寝泊りする部屋にリズさんがやってきたのは、もうすぐ深夜となる時刻だった。ちなみにマイラさんは先に寝ていた。
面倒だが手早く再びメイド服に着替え、リズさんとともに3人で向かったのは執務室ではなく、同じ3階にある書斎だった。
ここは本がとにかく沢山並べられており、カイン様が休憩でよく使う部屋だ。
リズさんがノックをすると、すぐに扉が開いた。
「失礼致します」
お辞儀をして中に入ると、沢山の本が納められた棚に囲まれ、中央の長椅子にカイン様がゆったりと座っていた。横には招き入れたイパスさんが立っている。
「ではこれで」
リズさんはそのまま書斎を出て行った。
「座って」
対面にある長椅子を示され、ミレイさんとわたしは並んで座った。
「まずこの茶葉だが」
言い出すと、イパスさんがコトリとテーブルに缶を置いた。
いつの間にかミレイさんがイパスさんに渡していたようだ。
「とりあえず怪しいものはなかった。普通のもののようだ。だが用心に越したことはない」
「……ミレル様にはどう言い訳致しましょうか?」
ミレイさんの問いかけに、カイン様はそっと目線を横に外した。
「……お前のあの(・・)言い訳でいい」
「かしこまりました」
イパスさんもミレイさんを見て深くうなずいている。
2人とイパスさんには伝わるものがあったようだが、わたしにはさっぱりだった。
「話を変えよう」
わたしが口を出す前にカイン様はコホンと咳き払いした。
「明日から本格的な調査が始まる。地下牢に閉じ込めている襲撃者の尋問も始まる。と、いっても下っ端の2人だが」
襲撃者を捕らえたのだが、相次いで口に仕込んでいた毒を飲んで自殺してしまっていた。ただ今生き残っている2人は1人は氷漬けで捕獲され口の中から毒を取り出され、もう1人は躊躇した隙に捕獲された。
捕らえてわかったことは、彼らの言葉が通じないということだった。
またも下っ端かとカイン様は落胆していたが、ビークの森に出た盗賊の時と似たようなものだったことから、おそらく根っこは繋がっていると見ている。
実はカイン様は襲撃犯の捕縛を報告することについて、当初悩んでいた。
なぜなら貴族の殺人は死刑が普通だからだ。
直接手を下したかどうかは関係なく、その一味全員が罪に問われる。
事情を知らない彼らが自殺できずにいても必ず近いうち死刑になるから、黒幕としてはなんら問題はないのだろう。プロはそれを恥として自殺するから。
あっという間に闇に放り込まれるの懸念したものの、隠蔽していたと言われるのはログウェル伯爵家としては汚名である。
結果、カイン様は下っ端2人を切り捨てることにしたのだ。
「異国の罪人を使った犯罪という汚点はすぐにもみ消される。ファービー子爵のご遺体も今は魔石で凍らせて保存しているが、調査が終わり次第葬儀を行うそうだ。フィレイジー殿の子爵拝命も同時期になるだろうな」
ふぅっと軽く息を吐いたカイン様は、何かに気がついたようにわたし達の後ろにある扉を凝視した。
「……アリスを」
小さなつぶやきを聞き取り、イパスさんが静かに動いてわたしを立ち上がらせると、そのまま部屋の隅に立ち並ぶ本棚とカーテンで死角になる場所へ連れて行った。
口に人差し指をあてるイパスさんを見て、わたしも黙ってうなずいた。
ミレイさんは素知らぬ顔をして立ち上がり、カイン様から少しはなれたところに立った。
イパスさんがカイン様の横に戻ると、タイミングを見計らったようにドアがノックされた。
「どうぞ」
カイン様が返事をすると、ミレイさんが扉を開けた。
「夜分失礼致します」
入ってきたのはフィレイジー氏だった。
「どうなさいました?」
長椅子から立ち上がったカイン様は、手で対面の長椅子に誘った。
フィレイジー氏が長椅子に座ると、カイン様はテーブルの上の茶葉の缶をわざわざ持ち上げてミレイさんに渡した。
それを見ていたフィレイジー氏は目を細めた。
「それは?」
「疲れが取れるお茶ということで、ミレル嬢から頂いたのです。いかがです?」
「いえ、わたしはその手の茶は好みませんので」
「ではワインはどうです?高級なものではないですが、マオスの良い品ですよ」
そこで初めてフィレイジー氏が、フッと口角を上げた。
「ご冗談を。マオスの良い品というワインは数が少なくなかなか手に入らないものですよ」
「ではぜひ」
目線で合図されたミレイさんは、黙って頭を下げて書斎を出て行った。
ミレイさんが用意してくるまでの間に雑談でもするのかなぁ、なんて思っていたが、始まったのはいきなりの宣言だった。
「伯爵、どこまでご存知かは存じませんが、わたしの父は用済みになったようです」
カイン様もイパスさんも顔色を変えず、笑みを完全に消したフィレイジー氏を見ていた。
「わたしは子爵家を継ぐ者です。潰されるわけにはいきませんので、卑怯な物言いをしているのは重々承知の上です。この度父が滞在を申し出たのは自分の身の危険を感じたからでしょう。元々小心者であった父が、よくも今まで存命できたなと驚いているくらいです」
「……それにあなたは関わっていないと?」
「個人的には関わっていませんが、当家としては無関係とは言い切れないでしょう。我が家は長らくその隠れ蓑として使われていましたので、今回父が起こした行動はかの方々(・・・・)にとって予想内であったと思います。今後当家は切り捨てられる立場となるでしょうが、わたしも当主となるからには堪えて見せるつもりです」
淡々と告げるフィレイビー氏に、カイン様は冷たい笑みを浮かべた。
「次席書記官という立場はなかなか大変なものだと伺っています。そこへ当主としての責任。お忙しくなるでしょう」
「トカゲの尻尾切りにはさせません。せめて一矢報いるつもりです」
「……今夜はなぜ、とお聞きしても?」
「もちろん家を守るためです。わたしには夢があるんですよ」
「夢?」
訝しげに反芻したカイン様に、フィレイビー氏はうっすらと笑った。
「早く落ち着いて家族を持つことです。人質にされる者は少ないほうがいいですからね。当主として直系の子孫を残したいというのは当たり前ですから」
カイン様は黙ってその言葉を聞いていたが、ふと目に力が篭った。それを見てフィレイビー氏も何かを目で応えている。
沈黙が訪れて時計の秒針の音が嫌に大きく聞こえだした頃、ミレイさんが晩酌の用意をして戻ってきた。
テーブルにワイン、グラス、チーズ等が乗った皿を置くと、ミレイさんは静かに部屋を出て行った。
イパスさんがポンッとワインの栓を開けた。
ふんわりと果実とアルコールの香りが漂う。
それぞれのグラスにワインを注ぎ、イパスさんがテーブルを離れると、2人はただグラスを上に上げただけで口をつけた。
「……飲物はストレートに限ります。覚えておいて下さい」
グラスに残るワインを見つめたままフィレイビー氏は呟いた。
のちのちこの意味をしっかり考えておけばよかったと後悔する。
「あなたはうちが欲しいとは思わなかったのですか?」
次に仕掛けたのはカイン様だった。
「……正直魅力を感じたのは最初だけです。知れば知るほど失せました。うちには無理です」
「そうですか」
フッとかすかに笑ってカイン様はそれ以上何も言わなかった。
代わりに話題に上ったのはミレル様のことだった。
「仲が良いと伺っていたですが、なかなかお会いになりませんね」
「兄妹とはいえ年頃の娘です。気難しいものですよ」
これ以上会話が発展することもなく、そう長くないうちに場はお開きになった。
フィレイビー氏が退出した後、もう遅いからと特に何も言われずわたしも部屋に戻って寝ることにした。
そして翌日、朝食をミレル様の部屋に1人で運んだ時に言われた。
「あなたお茶のいれ方が下手なんですってね。あの茶葉は他の人に渡してちょうだい」
「は?」
「せっかくのお茶が台無しなんて、飲んでももらえないわ。貴重なお茶なんだから、ちゃんとお茶を入れることができる人に渡してね」
はぁっと呆れたようにため息をつかれ、わたしはこれが昨夜カイン様とミレイさんが言っていた『理由』かと気がついた。
確かにわたしのお茶はミレイさんのお茶に比べれば美味しくないけど、ため息をつかれるほど酷くはないと思うんだけどなぁ。
結局3日後、調査を終えて検死官達が帰る日までフィレイビー氏とミレル様は一度も顔を会わせることはなかった。
帰りも馬車が別々に用意され、乗り込む直前になってようやくミレル様がフィレイビー氏の横に並んだくらいだ。
しかもお互い目線を合わせることなく、それぞれにカイン様にお礼を述べていた。
結局ファービー子爵の死因は夜盗による襲撃によるものとされ、ゴジップ好きの貴族社会にあっという間に広がった。
いわく、没落寸前の伯爵家になぜ厄介になったのか、そして夜盗が入ったのか。実は隠し財産があるとか、ファービー子爵家も実は危ないのだとか、などなどだ。
これらは全部マデリーン様からの情報だが、どれもこれも尾ひれがよく付いている。
ミレル様の話もあり、実は彼女を浚おうとした夜盗だったとの話もあるそうだ。おかげで彼女の評判にも影がつき、それを擁護するような話もなければ兄であるフィレイビー氏も沈黙を通しているので、果てはカイン様とミレル様が恋人で、その仲を認めないファービー子爵を暗殺したなんて話もあるらしい。
それを聞いたときはさすが驚いて声を上げてしまった。
マデリーン様は「馬鹿馬鹿しい」と一蹴していたし、そんな仲ではないのはわたしが1番知っているが、なんだか笑い飛ばせないでいる自分がいた。
モヤモヤしてたので、ログウェル伯爵家がドタバタしている時丁度仕事で出張していたばぁーちゃんが戻ってきたので愚痴ってみた。
「はっ!あの若造には過ぎた噂だね!!あの若造にはそんな噂より考えることがあるさ」
「そうだね!夜盗が割ったっていうガラスの請求書がきて頭抱えてたよ。イパスさんがケチるわけにはいきませんって、そこは曲げなかったんだって。薄くて曇りのないガラスなんてすっごく高いよね!」
「……そうかい」
のちのち悪の元締めが掴まった日には、しっかりその辺も請求しないとねなんて言うわたしを見るばぁーちゃんの目が、ちょっとだけ冷たかったのは気のせいだろうか……。
読んでいただきありがとうございます。
また頑張ります!!