53 話
あけましておめでとうございます。
とてもうれしいことにアリアンローズ一次通過しました。
もう次落ちても後悔しません!
完結に向けて頑張ります!!
襲撃があったその日、厳重な緘口令の賜物か、最後にカイン様がわざわざ広場に赴き、町長とともに来年の実りを願う言葉を言って無事収穫祭は終了した。
わたしは結局ミレイさんにくっついてミレル様のお世話や、台所でパンを焼いたりして過ごしていた。
カイン様も結局休みなく襲撃の後始末に追われていた。
ミレル様は基本部屋に閉じこもったままで、こちらから伺わなければ何時間でも呼び鈴がならなかった。
そりゃそうだ。父親が亡くなったんだもの。1人でいたいだろうし、泣きたいだろう。
「さて、ちょっとついて来て」
夕食を食べ終わったミレイさんに連れられ、台所で1人分の使用人用の夕食をトレイに乗せて2階へ上がる。
「あの、それって?」
「あぁこれ?子爵様のお部屋で警護してる人の分よ」
わたしは目を見開いた。
「警護、してるんですか」
「今はお部屋を移動してるけど、何があるかわからないもの。あぁそれと、アリスさんは執務室のカイン様のところに連れて行くから心配しないで」
「え?」
「ほら、1人になると危ないし」
「でも」
「……ご遺体見たい?警護の人が別室で食事中、側にいなくちゃならないのだけど」
わたしは静かに首を横に振った。
「あの、ミレイさんは……」
「わたしは平気。でも蛇とかミミズは嫌い」
思い出したのか、ちょっと嫌そうに眉をしかめていた。
ミレイさんに送られて執務室の前に来ると、そのまま彼女は踵を返して子爵様の部屋へと向かった。
ノックをして返事があったので執務室に入ると、カイン様が執務机の向こう側に座っており、イパスさんが書類を手に、その側で何かを報告していたようだった。
「変わったことはなかったかい?」
「いえ、特には。ただずっとお部屋に篭られています」
それを聞いてカイン様は小さくうなずく。
「今日使いを出した。おそらく子爵の身柄を引き取りに、嫡男のフィレイジー殿から返事が来るだろう。王都から来るにも城勤めの仕事もあるから、2、3日でやってくるなんてことはないだろうが、その前に王都から上級調査員が派遣されるだろう」
上級調査員という言葉には聞き覚えがあった。
国の直轄の貴族専門の調査部門で、揉め事や貴族の死などには必ず彼らが出てくる。もちろん老衰や病死であっても、今回の殺人のようなものであっても貴族の死には必ず調査が入る。
「調査員達が来るまで今の状況は変えてはならないので、しばらくアナさん達には休んでもらうことになった。今いるメイド達も調査が終わるまではこのまま雇い続ける。アリスも申し訳ないが、しばらく自由にパンを売りに出ることはできない。わかったね?」
「それは仕方ないですね。変な行動をするとすぐ疑われますから」
実は学園で上級調査員の噂がたったことがあったが、とにかくしつこく疑うのが仕事だと聞いた。どこかの貴族は早く帰って欲しくて裏金を渡そうとして、それが元で更に数日滞在されたのだとも聞いた。
「アリスは見習いでミレイに付いているということになっているから、ミレイと一緒に行動してくれ」
「わかりました」
それはそうとわたしの立場だが、没落したとはいえ十数年前までは栄華を誇っていた伯爵邸は広く、つい最近来たメイドさん達もお互い一同に集まったのは今朝の避難が初めてだという。それまではイパスさんとリズさんというメイドが二手にメイドを受け持って指導していたそうだ。おかげでわたしは見ない顔だが、パン作りのため台所に篭っていたということになっており、特段怪しまれずにすんでいた。
数日後、調査員派遣の知らせが届き、その翌日フィレイジー氏より返事が来た。
内容によるとすでに王都を出発しており、父の調査に立ち会うとのことだった。
襲撃から1週間後、調査員が3人やってきた。
そしてその日の日が暮れる頃、フィレイジー氏も到着した。
「この度は本当に申し訳ない」
出迎えたカイン様が悲痛な面持ちで告げるが、フィレイジー氏はあっさりしたものだった。
「いえ。無理を言って宿泊させてもらったのです。天命でしょう」
中肉中背で、見た目は鍛えているとは見えないが、黒髪は襟足まであり、神経質そうな目も黒目で年は20代半ばのように見えるが、とにかく第一印象はとっつきにくい人という感じだ。
「ではこちらへ」
カイン様が体をそらすと、イパスさんが綺麗に腰を曲げて客間へと先導して行った。
それをミレイさんの横に並んで見送ったのだが、最後までフィレイジー氏の顔は無表情のままで冷たく感じた。
そしてわたしは無意識に階段を見上げた。
父を亡くして部屋に閉じこもって、話すのはカイン様とだけ。食事はほとんどカイン様と一緒だが、食が細いのか、それとも精神的ショックからかほとんど残されているという。気晴らしにとカイン様がテラスでのお茶に誘ってようやく出てくるくらいだ。
そんなミレル様は兄が到着したというのに部屋から出てこなかった。
玄関ホールから持ち場へと移動しようとしていた時、イパスさんが戻ってきた。
「丁度良かった。調査員の方々を呼んで来てくれ」
「かしこまりました」
ミレイさんはスッと頭を下げた。
今客間に入ったばかりなのに?と疑問が顔に出ていたのか、イパスさんは本来なら言わなくていい言葉を付け加えてくれた。
「すぐに子爵様を確認したいとのことだ」
「ではミレル様も?」
と、わたしが口を挟むと、イパスさんは首を横に振った。
「ミレル様はこのままで」
つまり呼ばなくていいようだ。
イパスさんと別れすぐに調査員の方々を迎えに2階へ向かった。
調査員の方々は小太りの40代の人、茶色の長い髪をきっちり後ろに縛った線の細い30代半ばの人、やはり線は細いが見習いという20代そこそこの男性3人。それぞれにカバンを持って客間へとやってきた。
中に入ってすぐカイン様とフィレイジー氏、そして調査員の方々が出てきて、ファービー子爵の部屋へと歩いていった。
「ちょっと怖いわね、御子息」
台所でパンを焼く準備をしていたわたしに声をかけてきたのは、マイラという19才のメイドだった。料理が得意で、普段はキッチンメイドとして料理長の補佐もしているそうだ。この邸では調理担当している。
最初彼女の料理をカイン様も一緒に食べると聞いた時、本当に驚いたそうだ。自分は使用人の食事担当だろうと思っていたのに、大したものは作れないと半分泣いてイパスさんに抗議したそうだ。でもカイン様が普段似たようなものを食べていると聞かされ、最近ようやく緊張せずに作れるようになったのに、調査員に子爵様がくるなんて聞いてないとさっきもため息をついていた。
現状を維持する為に、新たに料理人を雇うわけもいかないのでお互い諦めてもらうしかない。
マイラさんはマオスの郷土料理チットーゼを準備していた。
これなら文句はないだろう、という話だ。
「貴族様って肉親の突然の死にも動じないって聞いたけど、目の前で見るとは思わなかったわ。お嬢様のほうは相当まいっているのにね」
「そうですねぇ」
とりあえず同調してうなずく。
「それにしてもとんだ事件ね。ここを出るときには緘口令の署名を書かされるわね。まぁ、そのうち広がったりするけど」
やれやれ、とマイラさんは手を動かす。
「3日の派遣がこうも伸びると、なんだか心配だわ」
「元の職場がですか?」
「そうね。居場所がなくなったらどうしよう。箔が付くからって言われてきたんだけど、高望みしないからちゃんと元の職場に戻りたいわ」
「元のってどこですか?」
「王都にある商家よ。まぁ、このままここで雇ってもらえるなら話は別だけど!」
最後は茶化すように笑う。
確かに民間人が貴族のお邸に奉公に上がるには敷居も高ければ、コネが絶対必要となる。身元引受人ともいえる後ろ盾がいるし、下級貴族の家の者が行儀見習いなどと称して上級貴族のお邸に行くこともある。そうした経験がある者は女性なら縁談に最大限の箔付きで望めるし、男性なら有望株としての箔がつき出世の道が開けるという。
「大丈夫ですよ。わたしも心配だったので執事様にお聞きしたのですが、わたし達の元の職場には伯爵様が配慮してくれているそうですよ」
黙って芋の皮むきをしていたミレイさんが、視線をこっちに向けて話した。
「なら安心ね!」
マイラさんは姿焼き用の鶏肉を取り出して、塩を入れたたっぷりのお湯で煮始めた。こうすることで臭みが消え、焼いたときのパリッとした感触がでるそうだ。
夕食の準備が始まってすぐ、イパスさんが台所にやってきた。
「ミレル様はお部屋でお召し上がりとのことだ」
「かしこまりました」
ミレイさんが頭を下げると、イパスさんはすぐ出て行った。
「何よぉ、みんなで食べれるようにチットーゼ用意したのに」
やや不満げなマイラさんが口を尖らせた。
「1人で食べるチットーゼなんてマオスじゃただのチーズかけよ」
生まれて数年前までマオス育ったマイラさんは、小分けする為の食器を探しに棚を開けてぶつぶつ言っていた。
給仕などはイパスさんやリズさん、そしてもう2人が担当してやっていた。マイラさんが感想を聞きに行った相手はその2人のメイドさんだった。
夕食についての苦言はなかったと聞き、マイラさんはホッと胸をなでおろしていた。
「あら、今日は召し上がっているじゃない」
ミレル様のお部屋から食器を下げて戻ってくると、マイラさんは嬉しそうに目を細めた。
「わたしもお部屋に行ってびっくりしました」
完食なんて初めてだ。
「お兄様がいらっしゃったから、きっと食欲が戻ったのかもしれませんね」
「そうかしら」
疑問を口にしたのは隣に立つミレイさんだった。
「身内が来て安心したならどうして一緒に食べないのかしら?伯爵様とはご一緒するのに」
「うーん、やっぱり調査員の方々の手前恥ずかしいとかじゃないですか?」
「身内と伯爵様がいるのに、それだけで拒否するかしら?」
うーんとミレイさんは首を傾げていた。
機嫌よく明日の仕込を始めたマイラさんを見ながら、わたしとミレイさんは洗い物を始めた。
しかしチットーゼはメイドさんや警備員さんにも大好評で、最後の一滴まで芋や野菜につけて食べきったといわんばかりだった。その際パンが非常に役に立ったとも言われた。
鍋がすごいキレイでしたよ。
ミレル様はほとんど毎日湯浴みをされる。
今夜もそうだろうと1階の浴室を準備していたのだが。
「部屋から出たくないの。今日はいいわ」
あっさりとお断りされた。
「ではお湯とタオルをお持ちします」
「ええ。あぁあなたは残って」
ミレイさんと立ち去ろうとしていたわたしを、ミレル様は長椅子に座ったまま呼び止めた。
「わたしでしょうか?」
「そうよ」
一瞬ミレイさんと顔を見合わせたが、そのままミレイさんは部屋を出て行き、わたしは緊張して立っていた。
色気のある、という表現がふさわしい微笑を浮かべ、ミレル様はゆっくり立ち上がると奥の寝台のサイドテーブルから何かを持って戻ってきた。
「あなたはカイン様のお知り合いだったわね?」
「はい」
右手に持つ缶に目線を送ったまま、ミレル様はゆっくり近づいてきた。
「これを渡したかったの」
差し出されたのは紅茶の缶のようだった。
「こちらはお茶でしょうか?」
「そうよ。お父様も愛用していたもので、寝る前に飲むと体が温かくなってぐっすり眠れるの。わたくしも時々飲むのだけど、今のわたくしにはカイン様に御礼をすることが出来ないから、せめてもの気持ち。あなたからさし上げてちょうだいな」
毎日お疲れのようですし、とミレル様は伏せ目がちにつぶやいた。
わたしは受け取っていいものかどうかわからなかったが、手を出さないのも失礼かと両手を缶の下に差し出した。
ちょっとだけ重みが加わり、ミレル様は手を離した。
「何度かさし上げようとしたのだけど、お断りされるの。だからこっそり、ね。もちろん眠れるお茶だって伝えてかまわないわ。わたくしからだと受け取っていただけないもの」
寂しそうに言うミレル様に、わたしは頭を下げた。
「お受けします」
「お願いね。でも兄には間違っても出さないで。兄はこの味が嫌いなの」
「かしこまりました」
微笑むミレル様は傷心から立ち直ろうとしている、健気なお嬢様といった感じで、昔病弱だったと聞いても今は治ってお元気なんですね、と言えなくもないように見えた。
少ししてミレイさんともう1人がお湯を運んできた。
「自分でするわ。昔の病気の跡があるの」
見せたくないから出て行ってということだろう。
そう言われれば「でも」なんて言い返せず、わたし達は部屋の外に出た。
付き添ってきたメイドをミレイさんが返したので、わたしは廊下に誰もいないことを確認してさっき頂いた缶を見せた。
「茶葉?」
「子爵様も愛用なさっていたそうですよ」
ミレイさんは缶をじっと見つめた。
「これ先にわたし達で飲んで確認しましょう」
しばらくして冷えたお湯とタオルを持って下がった後、さっそくミレイさんが紅茶をいれてくれた。
ふわっと香ってきたのは鼻に抜けるようなすっきりとした香り。
警戒しながら飲むと、特に痺れや苦味もなく、少し甘味さえ感じる香り豊かな紅茶だった。
「おいしいですよ」
「そうねぇ」
ミレイさんはカップを見つめて、まだ納得できない様子だ。
「おかわりもらいます」
自分でいれて飲んだのだが、なぜか先ほどより美味しくなかった。むしろあのわずかな甘さが消えている。
「あれ?なんで?」
首を傾げたわたしに、ミレイさんが目を細めてポットを指差した。
「お湯の注ぎ方よ。良く見てて」
こうしてミレイさんの紅茶のいれ方レッスンがスタートした。
「こんなのカイン様に飲ませてたの!?」
わたしのいれたお茶を飲んだミレイさんは目を丸くしていた。
一応学園で習ったんだけど、ミレイさんの合格点には程遠かったようだ。
「……カイン様ったら甘いんだから……」
ぼそりとつぶやかれた一言に、わたしは出すもの拒まず飲み食いしていたカイン様の笑顔を思い出した。
あの笑顔の裏でひきつっていたんですね、カイン様。
カイン様の優しさが仇になった瞬間だった。
読んでいただきありがとうございました。