52 話
黒髪の令嬢はファービー子爵令嬢のミレル様だった。
背の高い方で、スラリとしていながら女性としての凹凸がはっきりしていた。それに艶やかな黒髪が印象的で、大きな目が今は涙で潤んでおり、美女度がハンパない。
正直絵になる2人というのは、こういうことかと納得したくらいだ。
「あの、こちらの方は?」
食事を運んできたメイドに自分が紹介されたので、ミレル様戸惑った様子でカイン様を見ていた。
「アリスです。わけあって家族のように親しくしている者です。こちらに滞在される間は彼女もあなたの側につきます」
「まぁ、そうなんですの?」
安心したような微笑を浮かべ、ミレル様がわたしを見た。
「ミレルよ。よろしく」
「あ、アリスです。よろしくお願い致します」
イマイチ状況が理解できていなかったが、とにかく頭を下げて挨拶をした。
「あぁ、食事を持って来てくれたようだ。あなたも少し食べたほうがいい」
「でもわたくし……」
弱弱しく俯き言葉を濁すミレル様に、カイン様はいまだ彼女が抱いている自分の左腕を引き抜き、そっと両手で肩を抱いた。
「辛いのはわかりますが、これからあなたも忙しくなるのです。泣いてばかりはいられませんよ」
「……はい」
やはり弱弱しく返事をしたミレル様に、カイン様は1つうなずいて顔を上げ手を離した。
「食事はミレル嬢の部屋へ運ばせます」
「あの、ぜひご一緒に。……1人ではまだ不安です」
今にも泣き出しそうな目がカイン様を見上げる。
「いいですよ。では先にお部屋へお戻り下さい。わたしはこちらの整理をして、すぐに参ります」
「はい」
そう言ってミレル様はわたしの横を通り過ぎ、静かに部屋を出て行った。
それを見届けると、まだ呆然として立っていたわたしの前にカイン様がやってきた。
「彼女はしばらくここに滞在を希望している。俺はそれを受け入れようと思う。アリスには彼女についてもらい、何か気がついたらすぐ報告して欲しい」
「えっ?」
どういうことですか、と訴えるわたしの目を見て、カイン様はすこし声を落とした。
「彼女はファービー子爵の娘だが、嫡子の兄とは腹違いだ。彼は野心家で父とは違う性格の男だが、妹はかわいがっていたと聞いている。だが彼女は兄が怖いと滞在を申し出てきた。正直彼女の噂がたったのが2年程前だ。それまでは病弱で地方の別荘で療養しているとされていたのに、どうもそうは思えない」
「……わかりました。ミレル様にお付きします」
「頼む。それから、俺はしばらく君に今までより他人行儀になると思う」
それはそうだ、とわたしは思ったのだが、カイン様は急に何かを堪えるかのように顔をゆがめた。
そしてトレイを持つわたしの手に、自分の手を重ねた。
「けして嫌いにならないでくれ」
「は?」
マヌケな声が出たが、カイン様の表情は変わらない。むしろ重なった手が強く握られる。
まずい、トレイを落としそうだ。
「大丈夫ですよ、カイン様。わたしどんなカイン様でも大好きですよ」
だから手を離してください。トマトスープを絨毯に落としたら、どんだけ苦労するかわからない。
トレイを持つ手に力を込めると、スルリとカイン様の手が外れた。
「……本当に?」
ポツリとこぼしたカイン様を見ると、なんだが呆けていた。
「どうしたんですか?カイン様。わたしもイパスさんも、それに口は悪いですけどばぁーちゃんもカイン様が好きですよ。ザッシュさんだって、あんな無愛想な態度とってますが、氷の精霊を援護に行くよう言ってくれたみたいです。だからカイン様が嫌われ……あれ?」
気がつくと、なぜかカイン様はがっくりと床に膝をついていた。
頭も抱えているようで、なんとなくだがわたしが行ったことが原因なのかな、と思ったが何が原因か自分ではわからない。
かける言葉を捜して沈黙していると、カイン様はよろよろと立ち上がった。
「大丈夫だよ、アリス。ミレル嬢の部屋はミレイに聞くといい。おそらく彼女を部屋へ送った後こっちに戻ってくるだろう」
そうカイン様が言うと、タイミングよくノックの音がした。
「失礼致します」
入ってきたのはミレイさんだった。
「ミレイ、アリスをミレル嬢の部屋へ案内してくれ」
「かしこまりました」
「アリス、何かあったらミレイへ言うんだ。わかったね?」
「はい」
こうしてわたしはミレイさんと執務室を出た。
まずは2人分の朝食を準備するため台所へ向かい、持っていた冷めた朝食も温めなおして2人でミレル様のお部屋へと運んだ。
3階の執務室とは反対側の1室にミレル様の部屋はあった。
ノックをして「どうぞ」と返事があったので、わたし達は静かに部屋に入った。
その部屋はまだカーテンが閉まっており、その隙間から朝日が差し込んでいるだけの薄暗いものだった。
「お食事をお持ちしました」
ミレル様は黙って長椅子に座っていた。
「こちらにご準備させていただきます」
切り出したのはミレイさんだった。
やはり何も言わないミレル様の前のテーブルに、わたしは簡単だが暖かい食事を並べていく。
「カーテンも開けて宜しいですか?」
ミレイさんが聞く。
「……いえ、そのままにして」
ようやく聞こえたのは小さなものだった。
「もう日が昇っております。ご安心なさってもよろしいかと」
「……いいの」
これ以上はミレイさんも言えず、わたしと目が合うとうなずいて横に並んだ。
すっかり傷心されている様子のミレル様は、俯いて座っているだけだった。
「伯爵様はじきにお見えになりますが、こちらに控えさせてもらってよろしいでしょうか?」
「……いいえ、1人にして」
「かしこまりました」
ミレイさんに続き、わたしも部屋を出ることにした。
パタンと扉を閉めた時、カイン様が歩いてくるのが見えた。
「ご苦労。彼女の様子は?」
答えたのはミレイさんだった。
「はい。ご傷心なさっておいでです。カーテンも閉めたままで良いとのことでした」
「そうか。わかった」
軽くわたしにうなずき返すと、カイン様はミレル様のお部屋をノックして入って行った。
階段を下りていると、ミレイさんが振り返った。
「わたし食事まだなの。一緒にどう?」
「あ、はい」
そういえばわたしもまだだった。
廊下で何人かのメイド達とすれ違ったが、みんな黙々と仕事に取り掛かっていた。
そういうわけで食堂はすっかり片付けられており、さすがにここではと使用人用の食堂へと足を運んだ。本来なら今朝の食事もここで取るべきだったが、緊急事態で奥まったこの場所では安全が難しいと許可されたそうだ。
「おいしいわね、このパン!」
カスタードクリームをたっぷりつけ、ミレイさんは喜んでくれた。
「話に聞いていたから楽しみにしてたの。今朝はクリーム付きなんて豪華だわ」
「話、ですか?カサンドの町に住んでるんですか?」
「いいえ。今は別の所に住んでて、今回は特別にやってきたのよ。あ、誤解がないように行っとくわね。わたしは伯爵様と顔見知りだけど、それってここの執事長のイパスの孫だからよ」
にこっと笑って自分を指差すミレイさんを見て、わたしは一瞬目を見開いた後口を大きく開けた。
「孫!?お孫さんっ!」
「そうよぉ。よろしく!あ、でもこれ他の人には内緒。知っているのは年配メイドのリズと警備の3人だけ。ちなみにリズは元ここのメイドよ」
「えぇええ!」
「古巣に戻れるって喜んでたわ。まぁ、ミレル様が滞在なさるって話でわたしとリズは延長して残るわ。だからよろしくね」
わたしは何度も首を縦に振った。
「よろしくお願い致します。よかったぁ、カイン様にお仲間がいっぱい出来て!」
「もっと早く呼んで欲しかったんだけどね」
笑顔で2個目のパンにクリームをたっぷりつけて、幸せそうに食べてくれる。
「……ミレル様も食べてくれるといいんですが」
ふと出したその名に、ミレイさんはあきらかに嫌そうな顔をした。
「似てる名前っていうのも嫌だわ。あのお嬢様どうも変だわ」
「え?でもお父様が亡くなったのなら、あぁいうのが普通なんじゃないですか?」
「態度はそうなんだけど、わたしが集めていた情報と食い違うのよね。確かに黒髪の御令嬢って話だったけど、実は彼女の目撃情報って今から7年前、彼女が10才の誕生日パーティーまでなのよね。その後ひどく風邪を悪化させて部屋から出られなくなったって話しがあって、いつの間にか別荘にいて、2年前に元気に社交界デビューしてるの」
「お元気になったってことじゃないですか?子どもの時の病気も、大人になると治まることも珍しくないですし」
実際わたしが前世でそうだった。
小児喘息を持っていて、小さいときから発作がでていたが、大人になると段々軽度になり回数も減っていた。いつの間にか徹夜で仕事をしても平気な体になっていた。
ミレイさんは目を瞑って首を横に振った。
「そうでもないわよ。別荘っていってもかなり遠方だし、そんなところに馬車で何日もかけて、弱って死にそうなくらい衰弱してる娘を送るかしら」
「それはそうですねぇ」
「しかもその別荘っていうのも、正直ファービー子爵の王宮務めだけの給金じゃ管理できないんじゃないかって話もあるしね。なんせ、王都の邸を改築までしてるし、領地のない貴族が正直そこまで贅沢できるとは思えないのよね」
ぶつぶつと文句を言うミレイさんは、チラッと目線を下げた。
「やっぱり持ち直そうとしてるログウェル家狙いかしらね。ジェシカ様の金山バレたんじゃないのかしら」
「えっ、そこまで知ってるんですかっ!?」
すっかり動揺したわたしに、ミレイさんは手を振った。
「あ、わたしは特別。直接ジェシカ様から事情を説明されたの」
「ばぁーちゃんが!?……ミレイさんって本当にイパスさんのお孫さんってだけですか?」
もしかすると魔法使いでは、とわたしは疑った。
「孫ってだけよ。ただ、ジェシカ様がこの家に援助するって話をしに来た時、偶然立ち会ったのが祖父とわたしだったってだけ。祖父が病床の先代の了解を得ずにジェシカ様と話をしたのはいけなかったけど、きっと断っても断りきれない状態になったと思うの。それから少しだけ、ジェシカ様とはご縁があるだけよ」
ふふっと笑って片目を瞑る。
「わたしも早くここで働きたいわ。だから今は別のところで修行中なの」
「そうなんですか」
「そうよ。わたしの父もいつかこのお邸に戻ろうと、別のところで執事をしてるわ。筆頭執事になるとおいそれと辞められないからって、ずっと執事のままだし。弟もいてまだ学生だけど、やっぱり執事になるんですって」
ゆっくりと温めた牛乳を飲み、ミレイさんは笑った。
「ま、もうちょっとの辛抱だわ。こうなったら自由に動けるわたしが父や弟に代わって、伯爵様をお助けするの。もちろんアリスさんのこともちゃんと頼まれてるわ」
「え、誰にです?」
「もちろん伯爵様よ。わたし達2人であのミレル様を見張るの。頑張りましょ!」
差し出された手を見て、わたしはうなずいて手を握った。
「頑張ります」
「よしっ、とにかくあの女狐のしっぽを掴むわよ」
「め、狐?」
首を傾げると、ミレイさんはため息をついた。
「あのミレル様のことよ。あれは絶対伯爵様に気があるわ。丸分かりじゃない」
「カイン様頼りになりますからね」
そう答えると、ミレイさんはテーブルに肩肘をつき頭を抱えた。
「……なるほど、これね……」
小さく呟いた言葉は良く分からなかったが、顔を上げたその目はとても痛々しいものを見るようなものだった。
「とにかくミレル様は伯爵様が好きだと思うの。だからこれからアプローチしてくると思うから、そこんとこ覚悟しといてね。伯爵様も演技が上手だから、見ていて笑えるくらい露骨なものがあるかもしれないけど、絶対笑っちゃダメよ?」
「あ、はい」
カイン様の演技はマオスで経験済みだ。
確かにあの甘い演技は、普段のカイン様を見ていたら笑えなくもない。
「あ、じゃあもう1人わたしから紹介しますね」
「紹介?」
首を傾げたミレイさんに、わたしは席を立って台所からフーちゃんを手に戻ってきた。
「フーちゃんです。魔法具ですが、ものすごく頼りになります」
ピョコンと1人で直立したフーちゃんは、やはり柄の上部だけを曲げてお辞儀をした。
対してミレイさんの反応は……。
「やだ、かわいいっ!」
体をくねらせて悶えていた。
「ミレイよ!よろしくね、フーちゃん」
目をキラキラさせたミレイさんは、夜中の奇襲の成果を聞いた後「普通のホウキに混じって迎え撃つなんて!」と、それはそれは褒めちぎっていた。
今年もお世話になりました。
来年もどうぞよろしくお願い致します。