51 話
その夜、リビングで丸まって寝ていたわたしは、誰かの話し声でうっすらと目を開けた。
最小限に落とされた灯りを持って立っていたのはザッシュさんで、ちょうどわたしに背を向けていた。
ザッシュさんが持つ灯りに照らされていたのは、白く淡く光るものが1つ。あの氷の精霊だった。
「フーに応戦は最小限にしろ、と伝えてくれ」
氷の精霊はポワンと1つ輝きを大きくして答えていた。
「お前の相方はカインの側で待機。見つからないように気をつけろ」
もう1度氷の精霊がポワンと光り、ザッシュさんは静かに玄関に向かって歩き出した。氷の精霊も後ろに続く。
それよりわたしはすっかり目が覚めていた。
応戦、とか待機とか妙な言葉が気になってしかたない。
「あのっ」
突然声をかけるが、ザッシュさんはチラッと横目でわたしを見ただけだった。
「寝てろ」
「でも、応戦ってなんですか?」
ザッシュさんは少しだけ考えるように口を閉じた。
「……ログウェル伯爵邸に夜盗が入った。今応戦中だ」
「えぇっ!」
毛布を巻きつけたままあわてて立ち上がると、足早にザッシュさんの下に近づいた。
「大丈夫なんですか!?」
「こいつの相方が行っている。今のところ大丈夫だ」
顎で刺された先には氷の精霊が浮いていた。
それだけ言うと、玄関を開けて外に出る。
わたしもそれについていくと、玄関のすぐそばで、ザッシュさんはしゃがみこんで指で何かを地面に描いていた。
それは文字ではなく図形のようなもので、大きな円を描き、そこに丸とか四角とかみたいなものを重ねていく。
描き終わったら立ち上がり、ポケットから小さな赤い玉を3つ取り出して地面に描いたものの中に放り投げた。
ボッ!
一瞬の火柱が上がって消える。
わたしはそれを目を見開いて見ていた。
地面の模様には焦げ後が3つ残っていた。
それを黙って見下ろしていたザッシュさんに、わたしはおそるおそる問いかけた。
「い、今のなんですか?」
こんなことするザッシュさんを見るのは初めてだったし、今見たものも初めてのものだった。
「……地の精霊に対価を払って援護に向かわせた。このことは黙っておけ」
「精霊に援護って、ザッシュさんそんなことできるの!?」
「ジェシカの頼みで使っただけだ。普段は使わん。期待もするな」
わたしは改めて真剣にザッシュさんを見上げた。
「ザッシュさんって魔法使いなの?」
「これは俺にしかできないことだ。似たようなことをする奴がいるかもしれないが、それはそいつ独自のものだ。習えばできるものではない。それに俺は魔法使いではない」
「じゃあ、ザッシュさんって何なの?」
「大家だと言っているだろう。それ以上言うと援護に向かわせた精霊を呼び戻すぞ」
「えっ、それダメだよ!」
あわててわたしは口を閉じた。
それを見てザッシュさんはちょっと満足気にうなずいた。
「そうだ、こうしちゃいられない!」
わたしは家に戻ろうと踵を返した。
「行くなよ。お前が行ったところで足手まといだ。まずたどり着く前に決着がつく」
「でも」
「でも、ではない。邪魔だ。ジェシカなどぐっすり寝ているぞ」
「えぇっ!?」
「家族ならまだしも、魔法使いは他人の為に私欲で力は使えない。仮にジェシカが動くと、魔力の痕跡を辿られ突き止められる。だから俺が手を打った」
トン、と背中を押された。
「寝ろ。明日にはわかる」
促されて家の中に戻ると、ザッシュさんはそのまま2階に上がって行き、氷の精霊はしばらくその後姿を見るように留まっていたが、やがてわたしの部屋へと消えていった。
わたしはただ立ったまま考えていた。
確かに何も出来ないが、今こうしている間にもログウェル伯爵邸では大騒ぎが起こっているのだ。
グッと手を握り締めると、わたしは寒さもかまわず持ってきたメイド服に着替え、ローブを羽織って家を飛び出した。
。・☆。・☆。・☆。・☆。・☆
走って、きつくなったら歩いて、そしてまた走った。
やっとログウェル伯爵邸の門が見えた時は、ふらふら立った足を奮い立たせて一気に走った。
思いのほかログウェル伯爵邸の周りは静かだった。
裏に回って裏口から中に入ると、庭のあちこちにかがり火のような松明が灯されており、周囲を赤々と照らしていた。そしてお邸にも灯りが灯っていた。
裏の勝手口は鍵が壊されていた。
ドアノブが無残にも揺れており、ドアも半開きだ。
そこから中へ入ると、すぐに警備の人と出くわした。
「なんだ、あんたか」
ホッとしたようにわたしに突きつけていた剣を下ろす。
わたしは剣が下ろされるのを確認してから、口を開いた。
「あの、カイン様は……」
「3階だ」
「ありがとう」と、言いながら彼の横を走り去ろうとしたが、ギュッと手首を捕まれた。
驚いて振り返ると、彼は険しい顔のまま言った。
「伯爵は無事だ。だが子爵がやられた。今は3階には誰も入れない」
(やられた?まさか……)
スゥッと頭から血が引いていくような気がした。
「1人で行動するな。まだ襲撃犯が潜んでいるかもしれないからな。女達はほとんど1階の食堂に集まっている。そこに行け」
それだけ言うと、彼は「じゃあな」と言って行ってしまった。
(亡くなったの?)
無意識に天井を見上げる。
そしてしばらくその場から動けなかった。
「あんたまだいたのかっ」
呆れたような声がして、さっきの彼が戻ってきた。
「ほら、こっちだ」
言われるがままやっと歩き出し、案内されたのは食堂だった。
ガチャリと扉を開いて中に入ると、一斉にみんなの視線が集まった。
一瞬で期待のこもった目が残念と言わんばかりに反らされる。
集まっていたのは7人のメイドと思われる女性達。服装は寝ているところを起こされたようで、夜着に上から何か羽織っているだけの簡単なもので、誰も座らず壁にそって立っていた。
わたしも入り口の近くで1人立つことにした。
誰も離さず、食堂にある時計の針の音だけが聞こえていた。
ひそひそと何人かが話しているが、とても小さく内容はわからない。
ここにいないメイドもいるようだが、一体どこにいるのだろう。もしかしたら3階かもしれない。
そんなことを考えていたら、再び扉がガチャリと開いた。
入ってきたのはメイド服を着た、茶色い髪の女性。
「あぁ、あなたね。こっちへ」
手招きされたのが自分だとわかり、わたしは再び視線を感じながら食堂を後にした。
「ミレイよ。伯爵様がお呼びよ」
「えっ」
弾かれたように顔を上げると、ミレイさんは微笑んだ。
「大丈夫。伯爵様はご無事よ」
安心させるかのように言うと、ミレイさんは歩き出した。
案内されたのは3階の執務室だった。
トントンと扉をノックして「失礼致します」と、ミレイさんが扉を開けた。
開かれた扉を通って中に入ると、俯き加減のわたしにカイン様の声がした。
「アリス、どうして来たんだ」
珍しく焦ったような声だった。
「すみません」
急にザッシュさんの言葉を思い出して、わたしはやはり邪魔にしかならないのだと思った。
「いいよ、もう終わったからね。それより顔を上げて」
言われてわたしは少し考えてから、ゆっくり顔を上げた。
カイン様に大きな怪我はなかった。強いて言うなら、右の手の甲にガーゼが見える。
「あの、お怪我は……」
「俺は大丈夫。イパスも警備兵も無事だ。襲撃犯は二手にわかれて襲ってきたが、庭から襲撃してこようとした奴らが妙なことになっていて、おかげでこっちは3階に入ってきた奴らだけを集中して撃退できた」
詳しく聞くと、庭から襲撃してきた犯人達は地面にめり込んでいたらしい。まるでおぼれるかのように、手足どころか体まで地面に使っていたという。今はもう普通の地面になっており、縄をかけた警備兵も首を傾げているとのことだ。
きっとこれがザッシュさんがお願いした、地の精霊達の援護なのだろう。
「俺はまだこれからいろいろしなきゃならないから、アリスはここの仮眠室で寝るといい」
「いえ、わたしも!」
必死に手伝いますと言いたくてすがりつくと、カイン様は優しく微笑んで肩を叩いてくれた。
「そうだね。じゃあ朝食を作って欲しい。おいしいパンが食べたい。今はみんな緊張したり怖がったりしているが、時間が経てば腹が減るものだ。それにおいしい食事は気分を和ませる」
「はい、作ります!」
「台所まで送るよ。ただ裏の勝手口は壊されていると連絡があったから、警備を1人つけておくよ」
そう言って執務机のほうを振り返った。
「フー」
呼ばれてひょっこり机の裏から出てきたのは、フーちゃんだった。
「フーちゃん!無事だった!?」
見たところ傷はないようだ。
スィーッと流れるようにわたしの足元へやってくる。
「ものすごく助かった。優秀な警備だ。ちゃんとアリスに返すよ」
「あ、あと氷の精霊が片方来てたみたいなんですが……」
「…………」
少し黙った後、カイン様は目をそらした。
「……何かありました?」
「いや、犯人が1人氷漬けにされてしまって、今下でその氷を割っているところだ」
「バレたんですか?」
「いや、またしても不思議な現象だと騒がれただけで、イパスがとりあえず割ろうとさっさと提案して作業している」
この調子で行くと、ログウェル伯爵邸は不思議な現象が起こる奇怪な邸といわれるのではないだろうか。
「じゃあ、外を見張っている人もいるんですよね。あったかいスープとおいしいパンを作ってみんなに食べてもらいます!」
「そうして欲しい」
そして1歩踏み出したわたしは、もう1つ気になることを聞いていなかったことを思い出した。
「あの」
少し遠慮して振り返ると、首を傾げたカイン様がいた。
「……子爵様が襲われたと聞きましたが……」
怪我したくらいならきっとカイン様はこんな顔しなかっただろう。
はっきりと顔をこわばらせていた。
「……亡くなったよ。隣室にいた令嬢には怪我はなかったが、ショックのあまり倒れて部屋で寝込んでいる」
緊張のあまり、深く息を飲み込み一瞬呼吸を止めた。
「……夜盗は偶然でしょうか……」
ポロリと出た言葉に驚いたのはわたしだったが、カイン様は冷静だった。
「偶然ではないだろう。夕食後子爵はしきりに俺と後日話がしたい、と言っていた。しかも今日は帰らず泊めて欲しいと言ってきたのも子爵だ。最初は罠かと思ったが、どうも今思えば怯えているように見えた。元々気弱そうに見えるからそのせいかと思っていたんだが」
「子爵はカイン様が目をつけていた方だったんですよね。この先どうにかなりますか」
「そうだね。1番手を付けやすそうだったんだが、まぁ次の手を打ってみるよ」
「次の手?」
聞き返すと、カイン様は表情を緩めて口に人差し指を立てた。
「まだ言えない。でもきっと近日中には向こうからやって来るよ」
「……はぁ」
生返事をしてポカンとしていると、カイン様は足を進めてわたしに並んだ。
「さぁ、台所まで送ろう。おいしい食事をお願いするよ」
こうしてわたしはフーちゃんを片手に持って、台所へ行った。
ぐつぐつと煮込むのはトマトベースのスープ。余った野菜を全部細かく切って入れ、ソーセージも切って放り込む。とろみをつけるため、ジャガイモをすったものを入れて更に煮込む。
パンは収穫祭で配ったものより豪華にした。
ペジという栗に似た実の甘露煮をふわふわのシュガーミルクパンの上にトッピングしたものと、トピング無しのシュガーミルクパン。ジャムやチーズの他に卵黄と砂糖、そして少しの小麦粉を混ぜて、温めた牛乳を少しずつ加えて温めながらかき混ぜて作ったカスタードクリームを用意した。
疲れた朝は糖分が欲しかったり、塩分が欲しかったり、そして何より味の濃いものが欲しかったのを思い出し、結構しっかりした朝食を作り上げた。
朝日が顔を出した頃にさっそく手伝ってもらい、食堂にいるメイドさん達と散らばって警戒にあたっている警備の人達に食べてもらった。
ありがとう、おいしいと笑顔を見せてくれたので、わたしもようやくホッとして笑えた。
さて、とわたしはカイン様分の食事をトレイに乗せて階段を上がっていく。
執務室へと向かって歩いていると、扉が僅かに開いていた。
「カイン様?」
そっとその扉を押して広げてみると、そこにはカイン様に抱きついてすすり泣く黒髪の令嬢がいた。
一瞬で真っ白になった思考のまま立っていると、程なくカイン様がわたしに気がついた。
(あ……)
目が合った瞬間、わたしはビクッと体が震えた。
そして同時にどこか息苦しさを覚えた。
なんだろうか、と自分に問いかけていると、カイン様の呼ぶ声がした。
「アリス、閉めて入っておいで」
言われるがままわたしは中へと入った。
読んでいただきありがとうございます。