49 話
こんにちは。
真夜中を過ぎても、収穫祭を明日に控えた町のあちこちでは灯りが消えなかった。
予算が決まってから準備した日数はいつもと同じだったが、予算が多い分気合と準備の手間がかかるようで、今もあの灯りの下では最終チェックが行われているのだろう。
丁度その頃わたしは浅い眠りから目を覚ましていた。
夕方に軽食を食べ、あとのことを全部イパスさんにお願いして、まだ日が沈まないうちに部屋を暗くして寝た。最初は眠れず目をつぶっているだけだったが、気がつけば良く寝ていたようだ。
監禁反省室は3日ですんだが、もうあれから20日近く経とうとしている。
4日前に仮面パーティ後初めての仕事で、やや疲れた顔のマデリーン様にようやく会えた。
「毎日分刻みのお勉強とレッスン、マナーを復習させられたわ。ついでに危険回避授業なんて受けさせられてしまって、もう本当に懲りたわ。今夜の夜会だって行きたくないのに、でも最後の夜会になるだろうから出なさいって。あぁ、アリスはどうだったの?」
聞かれたからには言うしかないが、これでどうかカイン様の評判が落ちないようにと南京錠の話はしなかったが、反省文をひたすら書かされたことを言った。
「そう。やっぱりうちのお兄様は鬼ね。反省文なんてそんなものじゃ許してくれなかったわ。しかも両親には黙っておいてあげると言われて、わたくしは逆らうことなんてこれっぽちもできなかったわ」
すっかり元気をなくしてしまったマデリーン様に、わたしは精一杯お仕事させていただいた。
「でもこんなこと言うとまた怒られますが、わたしはマデリーン様に感謝しております。本当にありがとうございました」
深々と頭を下げると、マデリーン様は何かを思いついたようにポンと手を叩いた。
「そうだわ、お礼をちょうだいアリス!」
「え!?お礼ですか?」
高い金額は払えませんと顔に出して心配してると、マデリーン様はふふっとイタズラっ子のように笑った。
「お金じゃないわ。いつもドレスを膨らませるのにパニエを着てるけど、正直今日は疲れているし重いし嫌なのよ。あなた膨らませてくれないかしら?」
「ど、ドレスをですかっ!?」
驚くわたしにマデリーン様は「そうよ」と、当然のようにうなずいた。
試したことがないと言ったが、なら試しなさいと、これまた近くのメイドのスカートで試すことになった。実験台になってくれたメイドさん、ごめんなさい。
結果は成功。布を膨らませるなんて初めてだった。
きっと物なので効果は半日くらいだろう。夜会が終わるまでには充分持つ。
ふくらみはバッチリ、でもいつもより軽いドレスにマデリーン様は大層お気に召して、疲れた顔一つ見せずに夜会に出発された。良かった。
と、まぁそんなこんなで明日、というか朝を迎えれば3日間行われる収穫祭が始まる日となってしまった。
寝台を降りてメイド服に着替えエプロンを付ける。そして鏡台の前に立ち、赤い長い髪をお団子にしてまとめると、おさげのついた茶色い鬘を被った。
……何度も見ても茶色い髪に違和感があるが、まぁ仕方ない。
パチンと領頬を叩いて気合をいれ、わたしは台所へと向かった。
今日から2日間、わたしの戦場はここだ。
届けられた小麦粉の袋の小山に、大きな壷いっぱいの砂糖。バターもケチらず、カイン様はマオスから取寄せてくれた。そしてもうすぐ牛乳が届く。
当初カイン様はわたしが作ってくれるなら安上がりになる、と笑ってくれそれでわざわざマオスからバターを取寄せてくれたのだ。
とりあえず試作品として両手の中に入るくらいの、小さめの砂糖かけのパンを作って食べてもらったのだが、祭りの特別なものとしてはイマイチだった。
そこでわたしが提案したのが、牛乳を水代わりに使ったミルクパンだった。
前世じゃそれこそ普通に食べていたのだが、こっちにはそんな贅沢なもの富裕層しかない。
再度ミルクパンとして作って食べてもらうと、格段に甘さと風味が増した。
トッピングで上にドライフルーツや果物の甘煮を付けようかという提案もしたが、作る量を考えるととても無理だと言う判断に至った。当日わたしを手伝うのは1人なので、工程を増やすことは貰えない人を増やすことになるということだった。確かにそれではいけない。
急いで大量の牛乳の手配をし、頼み込んで夜中過ぎに届けてもらうようにした。もちろん代金の他お礼として、収穫祭で配るパンを渡すことにしている。これはカイン様も了解済みだ。
前日にもらった牛乳で仕込み、寝かせてあったパンを熱した竈に入れて焼いていると、時間通りに酪農家の人達が牛乳を届けに来てくれた。
台所の片隅に牛乳缶を次々に運んでもらい、丁度出来上がったばかりのパンに溶かしバターをサッと塗り砂糖を振りかけて仕上げた。
「こいつは贅沢なパンだなぁ」
2件の酪農家のおじさん達は顔を見合わせ笑って受け取ってくれた。
「いい匂いだ。チビ共が朝から奪い合うだろうな。俺も自分の分を取られないようにしないと」
「誰より早く食べちまって悪いな」
「いえ、こうして無理を言って夜中に作業してもらったんです。これくらい当然です。ありがとうございました!」
「じゃあまた明日の夜だね。もし足りなくなったらすぐに言いな。持ってきてやるよ」
それじゃあと2件の酪農家のおじさん達は、それぞれ農耕馬が引く荷車に乗って帰っていった。
「よし、やるぞっ!」
腕まくりして気合を入れたわたしは、空になった竈に前日仕込んでいた生地を形成したパンを入れて焼き始め、その間に届いた牛乳とバターを使って生地を作り始めた。
仕方ないことだが、こうして最初のほうに作ったパンは配る頃には膨らみがなくなってしまう。そうならない為にも配る前に、再度わたしは副魔法をかけるようにしている。もちろん手違い内容に徹底する為手伝いの人にも言っているが、はたして手伝いの人はちゃんと来るだろうか。
いい忘れたが、わたしの手伝いの人は非常に不安だ。
「お手伝いいたしますよ」
作り始めて少しして現れたのはイパスさんだった。
「ありがとうございます!」
白いエプロンが様になっているイパスさんに、焼き上げたパンの上に溶かしバターを塗り、砂糖をまぶす仕上げをお願いした。
そして夜明けが近づいてきた頃、わたしの予想を裏切ってお手伝いの人がやってきた。
「ごめーん!飲みすぎたぁっ」
プハッとまだ酒臭い息を吐きながら、メイド服を着て現れたのは…………ばぁーちゃんだった。
「すごい、ジェシカさん早起きだね!」
「あたしだってやるときゃやるさっ」
どうだいと胸を張るジェシカさん。
窮屈そうな胸に丸いお尻、腰もくびれていて白いエプロンで強調されている。わたしのふくらし魔法なしでこれってどういうことだろうか。遺伝していない自分が空しい……。
わたしと同じようにきっちり結上げた茶色い髪の鬘を被り、赤い髪を隠したジェシカさんは、見た目ダイナマイトボディの熟女メイド。落ち着きがないから違和感がある。
「これはジェシカ様、裏方をお手伝いさせるにはもったいないのですが……」
妙に恐縮したイパスさんの言葉を、ばぁーちゃんは軽く手を振って止めた。
「いーのいーの、わかってるよ。野暮ったいローブ姿ならまだしも、か弱いメイド姿のあたしに馬鹿どもが食いつくかもしれないからねぇ。そんな心配するだなんて、あの若造もかわい気のある奴だったんだねぇ。ふっふっふっふっ!」
上機嫌で浮かれているばぁーちゃん。
あぁ、カイン様体よくばぁーちゃんを裏方に追いやりましたね。
何かうまいように乗せられたようで、年に何度かしか見れない最上級のご機嫌っぷりだ。
あ、イパスさんまた何か上手いこと言ったらしい。笑顔のばぁーちゃんにバシバシ肩を叩かれている。
「あっちの竈は使わないのかい?」
ばぁーちゃんが指差したのは、使用人用として昔使われていた台所がある部屋だった。
「あっちは今はいいけど、朝になったら仕えないよ。パン以外の食事はあっちで作るんだし」
「ふーん、今なら仕えるんだね。焼き方見せておくれ」
言われるがまま次のパンを焼くところを見せると、ばぁーちゃんは「なーんだ」と言ってわたしが形成したパンを、次々に間続きの隣の台所に運んだ。
「見てな」
まずパチンと親指を弾いて竈の中のゴミを火で燃やす。その後パンを中に入れ、竈の蓋を閉めないで両手の指を広げてかかげた。
火はないが、しばらくするとほんのり香りが漂ってきた。
「え?焼いてるの?」
「パンの一つひとつに集中して火を通すのさ。鍛錬にもなるから丁度いいね。あぁ、あんたの焼き方より半分以下の時間で出来るよ」
実は器用だったばぁーちゃん。
パン作りの最中を使って、まさか集中力の鍛錬しようとは考えても見なかった。
「今回はいいけど、これが祭りが終わったらこれで焼きな。最近本当にサボってばかりだからね」
はぁっと呆れた目でわたしを見た。
「魔法使いにならないって言っても、あんたにゃ才能があるんだ。無理やり魔法使いにさせようとは思わないけど、本当に守りたいものが出来た時、あんたが後悔しないといいんだけどね」
「後悔?」
「おっ、そろそろできるよ!あんたさっさと次のパン持っておいで」
話半分で追い出され、わたしは言われたとおりパンを持ってきて、ばぁーちゃんの焼いたパンを持ってイパスさんに渡し、合い間に生地を作る作業に追われた。もちろん竈の中でパンも焼いて。
収穫祭が始まった。
先触れのせいか朝からログウェル伯爵家の正門前には、たくさんの人達が集まった。
6時を回った頃、イパスさんは手伝いを止め祭りといつもの仕事に取り掛かった。
ばぁーちゃんは合い間にお酒とチーズという朝食をとり、わたしは適当に焼いたパンをつまみ食いして牛乳で流し込んでいた。
配布が始まれば疲れを感じる暇がないほど忙しく、もうすでにいくつ作ったかわからなくなった。
1人1個ということだったが、一体どれだけの人が守るのか。実際町の人だけでなく、外からの参加者にも配られるのだ。
使用人用の台所を、臨時のメイドさん達がウロウロし出した。
いつの間にかばぁーちゃんが焼き、わたしが生地を作って形成、仕上げまで担当することになった。
無言で黙々と作業を続けるわたし達のところへ、カイン様がやってきたのは、なんと夕方だった。
「今日は今準備している分で終わろう」
疲労の色が濃いわたし達と違い、カイン様はいっそ清清しいほどだった。
「若造、あんた人使い荒くないかい」
恨めしげに言うばぁーちゃんに、カイン様はゆっくり首を振った。
「もちろんそれなりの労いは用意している。カーナ領の上物が届いた」
「そいつは嬉しいね!」
生気の戻ったばぁーちゃんは風呂の準備もしててくれ、と頼みさっさと残りのパンを焼いた。
「アリスもご苦労様」
「いえ、カイン様もお忙しかったんじゃないですか?」
「俺はちょっと顔を出すだけで、あとはずっと敷地内にいたよ。アリスの作ってくれたパンのおかげで、いろいろな人と話をすることが出来た。これから掘り下げていきたい話もあったしね」
イパスさんの手配した使用人は全部でなんと15人。警備にも10人が配置されていた。
その人達は全員、本来なら裏になる使用人棟に泊まるのだが、数日だけの滞在で長らく放置しているそこを仕えるようにするのももったいない、とのことで1階と2階に分かれて滞在してもらう。警備の方は夜勤もあるので1階。メイドさんは基本夜勤なしで2階を割り当てられた。ちなみにわたしとばぁーちゃんも、いつも使っている部屋ではなく、他の方と同じで簡易ベットを持ち込んだ相部屋である。
夕食の給仕を断り、メイドさん達はそれぞれの部屋で夕食をしている。
その頃わたしとばぁーちゃんはメイド服のまま食堂にいた。側にはイパスさんが控えている。
いつもと違ってカーテンを引いた食堂には、外に注文した食事が並んでいた。
「今日はご苦労様。明日も頑張ってね」
「まったく、1本じゃ割りにあわないよ」
ぶつぶつ言いながら、すでにお風呂を堪能し新しいメイド服を着たばぁーちゃんがお酒をがぶ飲みしている。
「パンは大好評だったよ。子ども達は目を輝かせてかぶりついていた。大人もそうだし、大通りの方もかなり盛り上がっていた。明日もきっと多いだろう」
「あたしが焼いたんだから美味いにきまってるさ」
煮込んであるお肉をフォークでザクッと刺すと、そのまま口に放り込むばぁーちゃん。
「俺はアリスに言っているんだ。少し黙ってくれないか」
「あんた、先に妻を労いな」
「酒を渡しただろう」
「1本じゃないか」
「明日もある。好きに飲むのは明日にしろ」
「その言葉忘れんじゃないよ」
バチバチッと火花が散るようなにらみ合いをして、先に目をそらしたのはカイン様だった。
「アリス?」
心配そうに見ているのがわたしだと気づくのに数秒かかった。
「あっ、すみません。ボーっとして」
「疲れているんだ。軽く食べたらもう寝なさい」
「はい」
労わるような優しい目で見られ、わたしはあの反省部屋の時に見たカイン様が夢じゃなかったかと思いたくなる。結構怖かったし。
疲れを癒すには食事と睡眠、とばかりに手をのばして煮込み料理を食べていると、ふと思い出したようにカイン様が言った。
「今日は残念ながらうちは何もなかったけど、市井はかつてのような盛り上がりがあったらしい。重傷者はいないがケンカもいくつかあり、数人が負傷したそうだ。ここ2、3年はケンカすらできないような、寂れた形ばかりの祭りだったからな。いいことだと報告された」
「あ、そーだ。アリスに言うの忘れてた」
チャポンと酒瓶から口を離し、ばぁーちゃんが上を指差した。
「ここにいた氷の精霊だけどね、念のためザッシュのところに連れてってもらったから」
「え、いないの?」
まぁ、普段から目にすることはない。彼?彼女?らは部屋から出てこないからだ。
「昨日の夜、アリスが寝ている時だったが家主に来てもらった。もしものことがあってはいけないから避難させたんだが、なぜあの家主は精霊と意思の疎通ができるんだ」
眉間に皺を寄せたカイン様に、ばぁーちゃんは笑って言った。
「適材適所だよ。出来る奴にさせとけばいい。なぜ出来るか?出来るからさ!あっはっはっは」
「……」
ほんのり頬に赤みが差したばぁーちゃんを、カイン様は覚めた目で見ていた。
「でもすごいなぁ、ザッシュさん。それにお祭りも楽しそうですね、いいなぁ」
「最終日は午後に少し時間があるから一緒に行こう」
「はい、お願いします」
(ん?最終日の午後?)
ニコニコしているカイン様を見る目を少し細める。
「……カイン様、わたしの時間を拘束するためにパン作りさせました?」
「もちろんだよ」
悪びれもなくカイン様はうなずいた。
スッと真顔になったカイン様は、チラッとばぁーちゃんを見てすぐ目線を戻した。
「君達は非常に危なっかしいからね」
前科者のわたしは何も言い返せなかった!
読んでいただきありがとうございます。