46 話
こんにちは。
全身エステマッサージは寝た。
最初はものすごく抵抗があり、痛みもあったけど、体がポカポカしてきてあっという間に天国になった。気がついたら、メイドさんが笑顔でわたしの口元を拭っていた。
……その瞬間、抵抗することをやめた。
最後の仕上げにと仰向けで香油を塗りたくられても、全身を写す三面鏡の前にほぼ下着だけで立たされても、着せ替え人形になってもわたしは一切抵抗しなかった。
メイドさん達の前で、自分の胸を大きくするなんて羞恥なこともやった。
ちなみにメイドさん達の意見は素直に受けた。
ドレスを切る前に、ローブを羽織ってマデリーン様のところにも行った。
マデリーン様はちょっと驚いていたけど、顔が出ない分いつもより大胆なデザインのドレスを着るらしく、胸もがっつり盛った。
「大丈夫?」
ハッと気がつくとそこは揺れる馬車の中だった。
今のわたしは最後に見たままなら、髪はアップして金色の小さな花の飾りを数個付け、耳うなじから人束左に巻髪をたらしている。ドレスはハートシェイプラインという胸元が開いたもので、前中央がハートのような形になっている。ドレスの色はオレンジで髪の色に合わせてもらった。
マデリーン様も同じデザインのドレスだが、胸元の開き具合は一緒だが、深さは全然違う。しっかり盛り上がった胸が窮屈そうに納まっている。色は赤。色合いの違うレースをふんだんに使用し、胸元にもそのレースがあるのがポイントらしい。チラリズムというやつだろう。結構見えてますが。
「大変だったようね。まぁ、みんな張り切っていたようだし」
ふふっと思い出したように笑うマデリーン様。
「あなたかなり呆けていたわ。最初なんて間違ってメイドの胸を大きくしてしまったんですもの。覚えてる?」
「えぇ!そうなんですかっ!?」
全然記憶にない。
「しかも1番年配のメイドにするんですもの。あの人顔を真っ赤にしてたわ」
「お、怒っていらっしゃいましたよね?」
おそるおそる聞くと、マデリーン様は笑いながら首を振った。
「驚いていたけど、なんだか不思議がっていて最後には気に入ってたみたい。他の子に触らせて欲しいと言われていたようだけどね」
「あぁ、ならいいのですが、今度謝ります。あとでその方教えて下さい」
「別にいいと思うけど、まぁ、後で教えてあげるわ」
それから他愛のない話をしつつ、馬車はガタゴトと揺れて進む。
しばらくして、マデリーン様は横の席に置いていた箱を開けた。
中から出てきたのは顔の上半分を覆う仮面だった。
赤と黄色の仮面で、目が半円を描いて笑っている。目の端にはそれぞれ羽と宝石が散っていた。
「これをつけてちょうだいね」
「は、はい」
黄色の仮面を受け取りながら、わたしはいよいよだと緊張した。
馬車が止まったのはとあるお邸の大きなテラス。
夜の庭園にあちこちに魔石を使ったランプが照らされており、テラスの部分だけをほんのり明るくしている。
テラスに到着した人達を迎える使用人は、顔を全て覆う白い仮面をつけており、客人は言葉少なく馬車を降りるとそのまま中に入っていく。
「緊張が顔に出るなら扇で口元を覆っていると良いわ」
「はい」
ギュッと握り締めた扇はやはり仮面とおそろいの黄色。縁取りされている短い毛が気持ちいい。
口元を引き締めたまま、わたしはマデリーン様に続いて馬車を降りた。
視界はすこぶる悪い。
マデリーン様の後ろをついていかなければ、間違いなく誰かに当たっていただろう。
会場はガヤガヤとした人々の話し声と、やはり仮面を被った音楽隊が隅で優雅に演奏をしていた。
パーティに参加している人達はみんな仮面を被っているが、その形が様々でおもしろい。
わたし達のような顔の上半分を覆う仮面が大多数だが、本当に口元だけ開いている人、頭から覆う仮面をしている人など様々だ。仮面のデザインも人の顔から動物を模したものまである。
「どうぞ」
いきなり現れた白い仮面の給仕に驚いて足を止める。
マデリーン様は黙って小さなグラスを手に取った。わたしも同じものを手に取る。
まだわたし達は会場の真ん中くらいにしか来ていない。
「こっちよ」
言われるがままマデリーン様について隅に行く。
扇を広げ口元を覆ったマデリーン様が、そっと顔を寄せた。
「しばらくはこの雰囲気に慣れることね。ダンスはわたくしが引き受けるから、あなたは気分が悪いとでも言ってお断りしなさい。ここでは強引に誘うことはルール違反だから、相手もすぐ引くわ」
そんなアドバイスを受けてすぐ、マデリーン様は1人の男性に声をかけられダンスへと繰り出していった。それを見送ったわたしへ、少ししてダンスを申し込んでくれた人がいたが、言われたように断った。
ではまたの機会に、とその人はあっさり立ち去った。
ちょっとだけ罪悪感を感じたが、ダンスなんて何年踊っていないことか。一応学園で教わったものの、あの時は単位取得の一環として踊っただけで正直うろ覚えだ。
しばらくしてマデリーン様が戻ってきた。もちろん先程踊っていた男性も一緒に。
「ではレディ、素敵な夜を」
「えぇ、ありがとう」
そう言って男性は立ち去った。
「何とか断れたみたいね。やっぱり踊ってみる?」
「いえ、無理です。踊れません」
「意外と体が覚えているんではなくて?」
「覚えていても視界が悪いですし、絶対相手の足を踏むと思います」
「ふふっ、それもそうね」
そうこうしているうちに、またしてもマデリーン様は誘われた。
今日のマデリーン様の格好は決して派手ではない。むしろ女性人は顔が見えないからか、かなり胸元が開いたドレスばかり着ている。こういった場所では淑女も大胆になるようだ。
クルクルまわる人達を眺めていたら、狭い視界に誰かが立った。
「できましたらお手を、レディ」
どうやら誘われたらしい。
「あ、いえ、気分が優れませんので」
さっきと同じ言葉を言う。ルール通りならこのまま立ち去ってくれる。
「では座りますか?あちらに個室もあるのです」
ぎょっとして顔を上げると、顔半分を覆う仮面をつけた黒髪の男性だった。
白地に緑の縁の蔓草を模したデザインを施しており、目の部分は薄く切れ長だった。
「あ、いえ」
「では外に行きましょうか。少し風に当たると気分も優れますよ」
いつの間にか男性が前から横に移動している。
「いえ、ここで」
「気分が悪いのでしょう?さぁ、こちらへ」
グラスを持つ手を握られ、背中に回った手に押されてわたしは歩かされた。
「あの、連れがいますので」
どうにか必死に言い訳をするが、男性は聞いてはくれない。
「あぁ、今ダンスをしているレディですね。大丈夫、すぐ戻りますから」
本当だろうか。
考えている間にもどんどん歩かされ、マデリーン様が見えなくなる。
不安げに男性を見上げると、彼はそれに気づいたように口元が笑った。
「ご心配なく。少し風に当たるだけです」
わたしの背に手を回したまま、男性は近くのバルコニーへと連れて行った。
太い柱の奥に全面ガラス張りのドアがあり、ここだけ同じ部屋だと言うのに人気がないせいか別室のように感じた。
ノブを回してバルコニーへ出ようとしたのだが、男性はふとその手を止めた。
「以外に夜風は冷たいですから、少し開けるだけにしましょう。さぁ、こちらへ座って」
そこには休憩用なのか、厚みのあるクッションのついた椅子と、3人は座れるような長椅子があった。
咄嗟に長椅子に座るのは止め、わたしは1人座った。
「何か冷たいものをもらってきます。いいですね?こちらで待っていて下さい」
「……はい」
本当は迷ったが、なんとなく断りづらくなりうなずいた。
男性は1度わたしを見下ろした後、給仕からグラスを受け取るために側を離れた。
(どうしようかなぁ)
そっとわたしは男性の去った方向を見た。
柱で死角になっているのか、誰もわたしの側には来ないし見向きもしない。
立ち去ろうにも結構強引な人だったので、また会場で出会ったらどうなるかわからない。でも今しか逃げられないような気もする。
どうしたもんかと悩み、マデリーン様が気づいてくれないかなぁなんて甘いことを考えていたら、あの男性が戻ってきた。
「ちゃんといましたね」
まるで言いつけを守った子どもを、褒めるように微笑んだ。
(なんだかカイン様に似てる言い方だなぁ)
育ちの言い貴族の坊ちゃんはそうなんだろうか、と最初にわたしを誘った人を思い出す。
「レモン水をもらってきました。スッキリしますよ」
「ありがとうございます」
わたしは差し出されたグラスを両手で受け取ると、そのまま1口飲んだ。
冷たい水がレモンの香りとともに喉を通っていく。
グラスから口を離すと、なぜか男性がじっとわたしを見下ろしていた。
「どうかしましたか?」
「……いいえ。気分はどうです?」
「ありがとうございます。おかげでだいぶ良くなりました」
「では戻りましょうか。お連れの方もお待ちかもしれません」
「はい」
差し出された手をとり、わたしは立ち上がって会場へと戻った。
男性はわたしの左側を手をとったまま歩き、その結果わたしはあまり人目につかないまま元の場所へと戻ってきた。
狭い視界にマデリーン様がこっちに気づいたのが見えると、男性の足が止まった。
「お連れの方がいらっしゃいますね。では、楽しいひと時を」
そう言って左手にキスをすると、男性は立ち去った。
「どこ行ってたのよ。心配したわ。あら?」
キョロキョロとマデリーン様は辺りを見渡す。
「さっきの方は?」
「あ、その、断れずに少し話していただけです」
言いにくそうに言うわたしに、マデリーン様はため息をついた。
「断れなかったのね?ルールはあっても、強引な方はいるんだからしっかりしなきゃダメよ」
「はい、気をつけます」
マデリーン様はそっと扇を広げて顔を寄せた。
「ここは身分があいまいな所なんだから、下手に言いなりになっているととんでもない目にあいますわ。一夜の過ちなんてのも、あながち嘘じゃありませんのよ。例えば飲物に何か入れるとか」
おもわずビクッと肩が震えた。
さっき男性が持って来てくれたレモン水を思い出したのだ。
疑いたくないが、あの時緊張感はほとんどなかった。
「ま、マデ、いえマーニャ様……」
「あら、アニー冗談よ?滅多なことはないわよ」
事前に決めた偽名を呼び合うが、わたしはマデリーン様のように笑えない。
「だいぶ慣れたから、もうちょっと移動してみましょう」
何回かダンスを踊ったマデリーン様は、余裕の足取りでわたしをひきつれ中央に歩いていった。
女性同士、男性同士の輪があちこちに出来ており、すでに同伴者とは離れて独自の内輪を作っているようだった。
そのほとんどは他愛もない話だった。宝石、ドレス、今の王都の流行、最近の自分の趣味についてなど、誰に聞かれてもいいような話があちこちに溢れていた。
「アニー、こちらの庭を散歩できるんですって。ショールも貸してくれるそうだから言ってみましょう」
ついつい気を張り詰め会話を聞いていなかったわたしを、マデリーン様は背中を押して連れ出してくれた。
庭園に出る入り口には仮面の給仕がおり、白いショールを手渡してくれた。
夜の庭園は背の高い木々が生い茂っており、まるで迷路のようになっていた。その間をわずかな明かりのランプが照らしている。
「素敵ね」
花は昼間のように活き活きと咲いていなかったが、空には満天の星が輝いていた。満月も近いのか月も丸い形に近い。
「あまり奥に入ってはダメよ。びっくりするような場面に遭遇するかもしれないわ」
「びっくり、ですか?」
「そうよ。まぁ、わたくしも聞いただけだけど」
給仕が案内していたのは庭に出て右に行くというものだったが、マデリーン様は星が見たいと左の灯りの少ないほうへ歩き出した。
そしてマデリーン様とゆっくり歩いていたわたしの耳に、気になる声が聞こえてきたのはすぐだった。
下が地面のせいか足音が消されていたのだろう。
かすかにだが「精霊」という声が聞こえたのだ。
「アニー?」
立ち止まったわたしに、マデリーン様も足を止め振り返る。
わたしはそっと人差し指を口に当てた。
それを見てマデリーン様も息を飲む。
ゆっくりわたしは声のした方へ足を向けた。
それに続こうとしたマデリーン様だったが、ハッと何かに気づいて顔をそらした。
「誰か来るわ。わたくしが相手をするから行きなさい。でも気をつけて」
小声でそう言うと、マデリーン様は来た道を戻った。
わたしは無言でマデリーン様に膝を折ると、そのまま慎重に進んだ。
そしてまた声が聞こえてきたところで足を止め、身を小さくして息を殺した。
「逃げた精霊の行方はわからないのか。仕返しにくるかと思ったが」
「精霊と言っても知恵がないのではないですかな。現に誰も見てはいない」
「だがあれになぜ気がついたのだ。やはりあの小僧の後ろに誰かいるんだろう」
「あの所有者不明の金山の出資者になったという話ですが、配当金の代表受取人も兼ねているそうで、最近使者が訪れたとか」
「あの魔女もログウェルに住み着いているそうじゃないか」
「死期でも近いのでしょうかな。嘘か本当か知りませんが、先々代伯爵の墓に入るとかわけのわからない話もありますし」
嘲笑いしながら会話は続く。
「あの方は?」
「今日は来られないようだ。まぁ、つぎは収穫祭とかいう祭りだが」
「あぁ、ですがやり過ぎないように。時間はないですが、ここに来て伯爵家に動きが出ていますから」
その時、パキッと小枝を折るような小さな音がした。
ギョッとして顔を上げると、声が大きくなっていることに気がついた。
(歩いている!)
急いで立ち去ろうにも不自然なところを見られたら、それこそ掴まってしまうかもしれない。
ここは迷子の振りをするか、とベタなことを考えていたら、突然後ろに人の気配がした。
ヒッと悲鳴が上がりそうだったのをなんとか堪え、怖くて身を縮めたわたしの両肩を包むように手が乗せられた。
「またお会いできましたね。レディ」
耳元でささやかれた声におそるおそる振り返ると、すぐそこに白地と緑の模様の仮面があった。
読んでいただきありがとうございます。
ちょっとスローペースです。
別作品「勘違いなさらないでっ!」を書き終えて放心してましたw