44 話
こんにちは!
「いやぁ、これだよこれっ!俺が飲みたかったのはまさにこれだよ」
上機嫌で3杯目の紅茶を飲むシナスさん。
その隣では小柄な使者様の顔色が悪い。
わたしが何度も練習して焼いたバタークッキーが、どんどんシナスさんの口に放り込まれる。練習中食べてくれたメイちゃんも、そんな笑顔だったなとふと思い出す。
もちろんこのクッキーも膨らましている。絶妙な膨らし加減を探求した結果、今日のクッキーは渾身の出来だったというのに、肝心の使者様はまったく食べない。
「失礼致しました」
絶対零度の空間に耐え切れず、わたしはそそくさと応接室を出た。
ちょっとだけ使者様と目線があったが、そんな助けを乞われるような目で見られても困ります。無理です。ごめんなさい、と謝罪も兼ねて深々とお辞儀をしておいた。
イパスさんが控えているから大丈夫だろう。
わたしは別室に待機している護衛の方々へもお茶とクッキーを出しに行く。
「失礼します」
ノックして入ると、そこにはすっかり軽装になりつつ、剣は側に置いたままの老若の男性3人が座っていた。
「お茶をお持ちしました」
「ありがとう」
声をかけてくれたのは、1番年配の男性。それでも30代といったところだろう。あとの2人もカイン様と同じくらいか少し上くらいに見える。
紅茶とクッキーを盛った皿を置いて姿勢を正すと、年配の男性と目が合った。良く見ると両脇の若い男性達も少し驚いたようにテーブルを見ている。
「何かございましたか?」
一応学園生活の間にマナーを習ったものの、さほど厳しいものではなかったから何か粗相があったのかも。
「いや、メイドは君1人か?」
「通いの者が2人おります。あいにくと今はおりません」
「ずっと働いているのか?」
「いえ、お世話になって3ヶ月ほどになります」
シナスさんがいるので嘘はつけない、と当初の最近という設定を変える。
なんとなく若い男性のほうも苦笑しているので、わたしはますますわけがわからなくなった。
困惑したことが顔に出たのだろう。先程の男性が手を振った。
「すまない。シナス殿が言っていたことと少し違うのでな」
あぁ、とわたしは気がついた。
「シナス様への特別なおもてなしとお聞きしております。ですが今回は急なお越しで驚きました」
遠回しであるが、今日は水じゃないですよと言っておく。
「シナス殿が同行されるというので、我々も少数で来たのだ。決して軽んじたのではないよ」
「承知しております」
丁寧に頭を下げると「うまい」と声が聞こえた。
顔を上げると1番若い男性がクッキーを食べていた。
もう1人が「こら」と勇めるが、男性はクッキーを勧める。
「さすが伯爵家。いいの食べてますね」
笑うともっと幼くなった男性は次々にクッキーを口にしていた。
「お気に召されたようで良かったです。では、失礼致します」
退出のお辞儀をしても何も言われなかったので、わたしは今度こそ部屋を出た。
次は食事の準備だ。食器やカトラリーを準備する。
そこへイパスさんがやってきた。
「シナス様が来られたのは予想外でした。さて困りました」
顔を曇らせるイパスさんに、わたしは尋ねた。
「何かあったんですか?」
「いえ、シナス様は大変良く召し上がる方なのです。軽く2、3人前は当たり前かと」
「鶏1羽じゃ足りませんね」
クッキーの食べっぷりからして良く食べるだろう、とは思っていたがそこまで食べるとは。
うーんと2人して唸って考えてから、わたしはポンと手を打った。
「ミートパイを作ります。幸い材料はありますので、今から作れば間に合います。あとはマオスの郷土料理ということで、チットーゼを出しましょう!絡めるチーズソースを作れば、あとはパンや茹でた野菜や肉を用意するだけですから」
チットーゼの作り方をリアのお母さんからもらっておいて良かった。あれはばぁーちゃんも気に入ったので、お酒を飲みながら食べたりしている。
「すぐ準備します!」
作るものが決まれば後は必死に動くだけだ。
夕食が始まるとイパスさんが食堂を担当して、わたしは護衛の人達の食事を運んだ。護衛の人達への食事は細かく出さずに、結構一気に出して良いと言われてたので楽だった。
食事を持っていくと驚かれ、2度目に出しに行くと更に驚かれてようやくわけを聞いた。
またしてもシナスさんの話で、今夜はまともな食事にありつけないかもと非常食を準備していたのだとか。
……追加料理なんて作るんじゃなかった。
ちょっとした腹いせに、シナスさんのデザートを少なく盛った。
夕食後もカイン様は使者様と会談するため部屋に篭っていた。
イパスさんがお茶を運び、その他の仕事をする間、わたしは大量の洗い物をせっせと片付けていた。
やっと洗い終わって一息つくと、拭くのは後にしようと取っておいた夕食を台所の台の上に並べた。
せっかくなので、全部の品を少しずつ盛った豪華版だ。日本の会席料理を思い出すが、並んでいるのはワンプレートに、パンとスープだ。
動きすぎてすっかり食欲を忘れていたお腹が、急に元気にそれを主張しだしたのでわたしはまスープを飲んだ。それから茹でた野菜や肉にチットーゼのソースをかけたものを食べ、相性のいいミートパイも食べる。
もぐもぐと1人夕食を食べていると、ギィッと台所のドアが開いた。
「あ、イパスさんさ……」
先に食べてますよ、と言おうとして固まった。
「お、いたいた」
やってきたのはシナスさんだった。
「あー、食べてていいぞぉ。俺は満腹だからなぁ」
はははっと笑いながら近づいてくると、そのまま木の丸椅子に座った。
わたしはごくっとスープの残りを飲んで、手を止めた。
「ははっ、そう警戒すんな」
じっと見たわたしの目が厳しかったのか、シナスさんは大げさに手を横に振る。
「ちょっと話をしに来ただけだ。すぐすむ」
「話、ですか?」
なんだろう、と余計身構えたわたしを見てシナスさんは笑ったまま、台所の窓を見た。
「荒れてるなぁ。前は綺麗な庭園だったんだぜ。この家も真っ白で汚れなんてなくてさ、家の中もあちこち飾ってて、使用人も何人もいて、裏の庭じゃ家畜の鳴き声も賑やかでさ。領地としても実りが豊かでそこに暮らす人々も楽しそうで、大きな問題なんて1つもなかったんだ」
昔を思い出すように、でも淡々と窓の外を見ながら話し続ける。
「おかしくなったのは、あいつの母親が死んで少ししてからだ。あいつはまだ5つになるかならないかで、少し前にはじぃさんも亡くなって、跡を継いだ婿養子の親父さんががんばったんだけどなぁ」
ここでようやくシナスさんはわたしを見た。
「あんたはまだ間に合う。ばぁーさんの力借りてとっとと手を引け。パン屋でも何でも好きなことして生きろ」
「はっ!?」
何それ、と敵意剥き出しで眉をしかめると、シナスさんは真剣な眼差しで言った。
「ここは特別な土地だ。関わるならそれ相応の覚悟がいる。魔法省のジジィ達が何を言ってきたか知らないが、本来ならあんたは関係ない」
ムッとしてわたしは姿勢を正した。
「関係あります」
「”緋炎の魔女”があいつと契約したからか?だったらなおさらだ。ばぁーさんに言って、この土地から出してもらえ」
「なんでそんなこと言われなくちゃならないんですか!」
「あんたが次代の”緋炎の魔女”を継がないからだ」
「は?」
それとこれとどう関係があるのだろう。
シナスさんの目に鋭い光が灯る。
「いいか?この土地は特別なんだ。ここにかかわる者はそれぞれ役目がある。あんたは次代の継承どころか魔法使いになるのさえ拒んでいる、いわば半端者だ。そんな奴がこれ以上この家に関わると死ぬぞ。わかったらばぁーさんに頼んで手を引け。いいな」
話は終わりだ、とガタッと丸椅子を鳴らして立ち上がる。
「ち、ちょっと待って下さいっ!」
勢い良く立ち上がったので、わたしの座っていた丸椅子は大きな音を立てて倒れてしまった。
その音もあってか、シナスさんは立ち止まって振り向いてくれたが、その目に篭っていたのは無関心だった。
その目をキッと睨みながら、わたしは胸の前で拳を握り締めた。
「なんであなたにそこまで言われないといけないんですかっ!」
「あんたの為だよ。あんたの両親が心配してる。魔法使いにならないのなら、継承も何もできないだろうから属性持ちになって家に帰って来いだとよ」
「両親ですって?うちの両親ならジェシカさんを通して言ってくるはずですっ!」
「そのジェシカさんってのが握りつぶしてるから、いろんなツテを使って俺に伝言役が回ってきたわけだよ」
一瞬何を言われたのかわからなかった。
え?という疑問の後に言葉が出ない。
「勘違いするなよ。あんたとあのばぁーさんの間は良好だし、それはあんたの両親も知ってる。でも魔法使いの修行を諦めた娘を返して欲しいと言っている親に、あんたのばぁーさんはノーと言ったんだ。そして全てを処分してこの土地に篭った。何も知らない両親はあわてて連絡をしたが、全部拒否されている。この土地の本当の意味をあんたも両親も知らない。俺は知っているが全部じゃない。でも言わせてもらう。今のアンタじゃこの土地では役にたたない」
ビシッと指を差され、わたしは思わず1歩後ろに後退した。
「カインも全部は知らないはずだ。むしろ俺のほうが知っているだろう。その証拠にあんたをここに置いているからな」
くるりと踵を返すと、シナスさんは少し声を落とした。
「あいつには上手く言ってやるから、あんたはこのまま出て実家に帰りな」
カツカツと歩き出すシナスさんの足音でわたしはようやく我にかえると、爪を食い込ませるくらい拳を握って叫んだ。
「帰りませんっ!」
自分でも思いっきり発した声に、シナスさんは鋭い目つきのまま振り返った。
「今起こっていることが妙だってことは知ってます。でも、そんな状態のままわたしはカイン様だけ残して退けませんっ!」
「役にたたねぇって言ってんだっ」
「やってみなきゃわからないです!」
「わかるんだよ!あんたが死んだらあいつがどうなるかわかるか!?全部知った時自分が巻き込んだせいだと気づいて、あいつが生きる気力を失ったり前に進むことをやめればこの土地は死ぬんだ。あんたその責任をとれるのか!?」
「死にませんよっ!勝手に殺さないで下さいっ」
「いいや、それくらいこの問題は危ないんだ。あいつは小さい時に次々に家族が死んだから、極端に家族の死を恐れている。誰も近寄らせずにいたのに、あいつはあんた達を受け入れた。つまりあんた達が1番狙われるんだ!わかるか!?」
「だからって死んでたまりますかっ!」
ぐぬぬっとお互いにらみ合い、ついにわたしもキレた。
チリッと周りの空間に火花が散り、徐々に室温が上がる。
「能無しかどうか見せればいいんでしょ」
足や腕、体に細い火が波打つように巻きつく。
ハッとしたシナスさんがサッと距離をとった。
「これでも次席卒業なんですよ」
どんどん魔力を上げる。
ジュッと何かが蒸発するような音がして、焦げた匂いもしてきた。
「いざとなったらこのお邸を吹っ飛ばせるくらいの力ならあります。最近は魔法使いの力も落ちてきたなんて言われてますが、わたしは家系のせいか魔力量だけならあります」
更に魔力を上げていこうとした時だった。
「わーったわーった!」
パンパンッと手を叩き、シナスさんははぁっと大きくため息をついて頭を垂れた。
「力技かよ。……育ての親に似たんだな」
「似てませんっ!」
「いいから魔力をしまえ!いい加減魔法省から感知されるぞっ」
言われてハッとしてすぐ魔力を消した。
ムワッとした熱気の中、食べかけの夕食が見事に焦げ匂っている。
「全く、とんでもない家族を持ったもんだなぁ」
「どうです?簡単には死にませんよ」
胸を張るが、実際には実戦経験はないので偉そうには言えない。
シナスさんは遠い目をしてわたしを見た。
「まぁ、あいつがそう簡単に家族を手放すこともしないだろうなぁ」
「え?」
なんでもないと手を横に振るが、そもそも小声過ぎて聞き取れなかった。
「俺が言ったくらいで怖気るなら、あんたの両親の願い通り首に縄つけてでも連れて行こうと思ったんだが、まぁ、いいだろう」
どうやらシナスさんの中で合格したらしい。
「あんたの両親には伝言は伝えたというだけにしとく。にしても、あんたどうして魔法使いになりたくないんだ?ばぁーさんに義理立てしてるのか?」
「え、いえ、そういうわけではないんですが」
「俺は顔が広いから、なんなら新しい師匠紹介しようか?」
「い、いえ!結構ですっ!」
ぶんぶんとあわてて首と手を振ると、シナスさんは胡散臭そうに目を細めた。
「あんたなぁ、俺も今は何とも言えないんだが、この先あいつの側にいたいんだったらいくらでも力を付けとくべきだぞ。それが苦しいことでも嫌なことでも、自分の才能が伸びるんだったらとことん身に着けておいて損はない」
「力、ですか」
思わず両手を見る。
「そうだ。そしてあんたは自分の身を守るんだ。カインの奴は自分の身を守るくらいの技量はある。まぁ、話は以上だ」
片手を上げて踵を返す。
「あ、あのっ!特別な土地って何ですか!?誰がこんなことしてるんです!?」
聞き出そうと駆け寄ったわたしを片手で止め、顔だけ振り向いたシナスさんの眉間には深い皺が刻まれていた。
「そいつはまだ証拠がない。何より先に知るべきはカインだ。土地についても、カインが自分であんたに言うまで待ってくれ」
うなずくこともできないわたしを残し、シナスさんはゆっくりと台所を出て行った。
しばらくしてイパスさんがやってきた。
「ふぉっ!?なぜかわたしめの夕食が炭に!」
「ごっ、ごめんなさい!すみませんっ!!」
……平謝りしたら許してくれました。
読んでいただきありがとうございます。