43 話
「いやぁー!ウハウハだよぉ」
ひゃっほーい、と言わんばかりに浴びるように酒瓶片手に浮かれるばぁーちゃん。
ちなみにここはログウェル伯爵家の応接間。
長椅子にだらしなく寝転び、テーブルにはまだ未完封の酒瓶が置いてある。
「酒臭くなる。食堂へ移れ」
立ったまま腕を組んで睨むカイン様に、ばぁーちゃんはにやっと口元を緩めた。
「祝杯を上げてるんだよ。あんたもどうだい?金がでたんだ。しかもごろごろね」
「知ってる」
「しかも国の奴ら出始めたとたんに、増員分の取り分をなしにしようとしたんだよ。しかもこれからは国も増員させるからって、取り分変更の申し立てなんて話まで持ってきて。頭にきたから、ぜーんぶはねのけてやったよっ!」
あたし頑張ったんだよーと言いながら、ばぁーちゃんは酒瓶をあおる。
「えー、国って結構ずるいね」
わたしは口を尖らせた。
「そうだよ、ずるいんだよ。だからギャフンと言わせてやったんだよ。あたしゃ頑張ったよ」
上機嫌で飲み続けるばぁーちゃんに、カイン様は腕組したまま目を瞑った。
米神にカイン様に似合わない青筋が見えたのは気のせいかな。
チャポンと酒瓶から口を離したばぁーちゃんが、おもしろそうに目を細める。
「それはそうと、なんだか妙なことになってるじゃないか」
「……それは2階の客人のことか?」
苦々しげにカイン様が口を開くと、ばぁーちゃんは、ははっと大口を開けて笑い出した。
「客人だって!?あんた妙なもんに好かれたねぇっ!」
「祖父ほどではないと思うがな」
「あんだってぇえええ!?」
バチバチと火花を散らす勢いでにらみ合う夫婦に、わたしはあわてて仲裁に入った。
「まあまあっ!今日は金山の配当金が入る嬉しいお知らせと、豊作とまではいかないけど、平年並みになった感謝の収穫祭のをしなくてはっ!」
「収穫祭の予算を決めねば、町の者達とも話し合いができませんので」
イパスさんの言葉に、わたしもうんうんと力強くうなずいた。
「そうだな」
「せっかくなんだ。パァーッとやろうじゃないか」
手を大きく広げたばぁーちゃんに、カイン様はたしなめるような視線を送る。
「いいじゃないか。ローウェスもマオスも元に戻ってるし、領地の作物も実ったんだからみんな喜んでるんだ。ここらで領主様がケチってどうするんだい」
「しかし」
「懸念するのは結構だけどね、やるときゃやらないと釣れるもんも釣れないよ」
その言葉に、カイン様はハッと目を見開いたが、すぐさま冷静さを取り戻す。
「民に被害は出したくないんだが」
「そんなこと言ってると、あんたが考えてる以上の被害がでるかもしれないんだ。釣れるかどうかは知らないが、ここは派手に見せ付けといたほうがいいよ。ま、あたしゃ上等の酒と肉がありゃ問題ないけどねぇ」
そう言ってとうとう酒瓶を飲み干した。
黙って難しい顔で考え込んだカイン様を、わたしは黙って見ていた。
多分その視線に気づいたのだろう。カイン様がひょいっと顔を上げた。
「ここ2年味気ない収穫祭だったからね。全盛期ほどではないが、各町に多めの予算を配ろう。イパス、通達準備をしてくれ。あと各町の長を招集してくれ」
「かしこまりました」
すぐに踵を返して、イパスさんは部屋を出て行った。
顔を上げたカイン様は、チラッと二本目を開けて飲むばぁーちゃんを見てため息をついた。
「予算について話したいんだが」
ばぁーちゃんは口から酒瓶を離すと、面倒そうに手を振った。
「あたしゃ口は出さないよ。配当金なら近々ここに届けられるさ。まずは2回に分けてもらうことにしているからね」
「とうとう周囲に情報が漏れるようになる、というわけか」
「そうさね。少し早いが、あたしが受け取るよりあんたが直接受け取ったほうが都合がいいからね。これから妙な客が増えるかもしれないが」
と、言いながらチラッとわたしに視線を送った。
「アリス、あんたは下手に出るんじゃないよ。客人の前ではメイドらしくしとくんだ。いいね」
「あ、はい」
「メイドならその格好はおかしいね。若造、なんかないのかい?」
前のメイドさん達が使ってたのがあるといいな、と思って見ていると、カイン様はわたしを見てなにやら考え出した。
「あの、前の方々が……」
と、言いかけるとカイン様が口を開いた。
「ない。さっそく準備しよう。あぁ、そうだ、いきなりメイド服の者がいると怪しまれるから、すまないが出来上がったら毎日着ていて欲しい」
「そうだねぇ」
にやにや笑っているばぁーちゃんを睨んだカイン様は、床に転がっていた酒瓶をどんっとテーブルの上に置いた。
「それからあなたも注意することだ。わたしが既婚者だと知れるのも面倒だ」
「まったくだよ。あたしの旦那がこんな若造だなんて知れたら、泣いて募ってくる男共が押し寄せてくるよ」
「リリシャムを妻に持つなんて哀れな男だと嘆くの間違いだろう」
「いやいや、夜道で刺されるほうが先だろうね」
「あいにくと剣の腕は鈍っていない」
「おやおや、たのもしい旦那様だこと」
そしてふふふっ、はははっとまたしても乾いた笑いが延々と続いた。
わたしはひっと後ずさり、2人が笑いあっているうちにこっそり部屋を出た。
。・☆。・☆。・☆。・☆。・☆
2日後、メイド服が支給された。
大きなボタン付きの紺色の長袖ワンピースに、靴。中に着る白いブラウスは、襟と袖口にレースがついていてかわいかった。白いエプロンも新調され、白いカチューシャも付いてきた。
「かわいい!」
と、抱きしめて喜んでいるのはメイちゃん。恥ずかしそうに見ているアナさん。
「台所横の小部屋で着替えていただいて結構ですよ」
前は使用人の休憩室の1つだったそうで、今はアナさんやメイちゃんが着た時に、荷物置き部屋としてい使っている。
さっそく着替えたのだが、3人ともお互いを見ては照れたように笑いあった。
そしてどうせ見られるんだけど、着てすぐカイン様へお披露目することになった。
初めてここに着た時のように緊張する3人に、カイン様はにっこり頬笑んだ。
「似合うよ。慣れない格好だろうけど、どうかよろしくね」
頭を下げただけのアナさんに対して、メイちゃんは笑顔で大きく「はい!」とうなずいた。
「汚さないように頑張ります!」
「メイッ!」
あわてて娘を止めるアナさんだったが、カイン様は声を出して笑った。
「汚れを気にすることはない。替えもある」
「でもせっかく新しいんだし」
メイ、と隣で顔色を悪くしたアナさんが必死で止めるが、メイちゃんはカイン様の言葉を納得していないようだ。
「それは仕事着だよ。汚れを気にして仕事にならないなら困るなぁ」
それでも納得していないメイちゃんだったが、部屋を出たあとこってりとアナさんからお小言をもらっていた。
でもメイちゃんの言いたいこともわかる。だって、このメイド服けっこう良い生地使ってるもんね。
こうしてログウェル伯爵家にはメイドの姿が見られるようになった。
町の人達も領主様の所に使用人ができたと、好意的に噂した。なぜなら領主が並みの商家より厳しい生活をおくっているというのは、誰もが知っていることだったからだ。領主の生活がその領地の顔となるのに、平民と同じような基準で過ごさねばならないような財政は、特に商人にとっての悩みだった。
後ろ盾となる領主の財政が厳しいことで、商品の値が買い叩かれることもあるのだ。実際、魔石以外の商品の価格が安定していない。
最初メイド達の素性の話もちらほら出たが、どれもわたし達のものではなかった。アナさんもメイちゃんも周りには内緒にしているらしく、時々自分もその話に加わっているらしい。
「自慢できないのは残念だけど、話したらあたしより優秀な人が来てクビになっちゃうもの。この服を着れなくなるなら黙ってるわ」
すっかりお気に入りのメイド服を着るために、ほぼ毎日通っている。
わたしはパンの本を取寄せた。
ずいぶん長くかかったけど、王都で人気のパンを紹介した雑誌が出たと聞いて町の本屋にお願いしていたのだ。
最近王都で流行っているのはデザートパン。
バターや卵、砂糖をたっぷり使った甘いパンで、その形は様々。でも食べやすいように小さな四角形の形が多い。その中に砂糖で煮詰めた果物や、ふんわり泡立てた生クリームを盛ったもの、高級なところではチョコレートをたっぷりかけたり、中に練りこんだりしている。
貴族の方々はこういったものを綺麗なお皿に盛り付け、更に生クリームやチョコレートなどをたっぷり添えて食べるのだとか。贅沢だ。
見ているだけで涎が…とはいかない。
なぜなら白黒だからだ。
紙は普及しているとはいえ、印刷技術はさほど進化していない。カラーでツルツルの紙なんてない。
スケッチ絵と説明がかかれ、あとは店の名前や金額、お店の話などが書かれている。
それでもメイちゃんは目を輝かせていた。
「チョコレートっていうのは美味しいものなのね。蜂蜜より甘いのかしら」
うっとりしているメイちゃんの横で、わたしはパン生地にバターを練りこんでいた。
「さぁ、わたしも食べたことないなぁ」
本当はあるが、こっちの世界のチョコレートは前世のおいしいチョコレートとはちょっと違っていた。なんというか少し粉っぽく、砂糖の甘さもあるが苦味があった。みんなおいしいというが、あのチョコレートの味を想像して食べたわたしの落胆は大きく、それ以来食べていない。
「さぁ、下ごしらえが終わりましたよ。あとはお花を摘まないと。メイ、いつまで見てるの。お庭でお花を見つけてきてちょうだい」
何種類ものハーブを1羽丸ごとの鶏肉に塗りこんだアナさんが、手を洗いながらメイちゃんを叱咤する。
「わかってるわ。立派な花を見つけてくるわ」
そういってほぼ手入れされていない庭に走っていった。
「テーブルクロスを取り込んできますね」
「あ、お願いします」
何度もこねて折りたたむという作業を繰り返す。
時間は午後だが、今日は朝からアナさんもメイちゃんも大忙しだ。
なんせ今日は配当金が届けられる日なのだ。
使者の一行が1泊するということで、歓迎の意も込めてできる限り贅沢な食事を用意している最中だ。
ただ、来客用のすばらしい食器類はすでに売り払っているので、いつも使っている飾り気のない真っ白な食器類で対応する。お酒はザッシュさんが提供してくれたマオス産のもの。最近作り出しているワインもマオスから届いた。
飾り気のない応接間や食堂には、放置された庭でたくましく野生化した花達を飾ることにした。もともと土がいいので、かなり大振りの花が咲いている。
ただ、寝具はどうにもならないので、あの”氷の涙”を売ったお金の一部を使って急遽そろえた。
カイン様は寝具のランクについて迷っていたが、これからも配当があるたびに泊まるだろうとのことを考え、奮発して上等のランクのものにしたらしい。これで万が一豊かになっても買い換えずにすむだろうとのことだ。おかげで今カイン様が使っている寝具よりいいものがきた。
そしてわたしが作っているのは、王都でも高いパンの部類に入るクロワッサンだ。あとブリオッシュも作る予定。
配当金の使者ということで、きっと舌も肥えているだろうからと奮発した。バターはマオス産だ。
アナさんも恐れ多くて自分の料理は出せないと言っていたが、何品かは外注するし自分は美味しいと思っているとカイン様に説得され、メインの肉料理とスープ、前菜を担当している。
夕方全ての準備を整えてアナさんとメイちゃんは帰った。
わたしは何度もお茶の準備の確認をし、緊張している姿をイパスさんとカイン様に見られ笑われた。
数日前に連絡が来て以来、イパスさんは玄関前の石畳の周りだけでもと必死で除草作業をしていた。おかげでだいぶマシになった玄関先を、1台の無骨な作りの馬車が護衛を連れて通ってきた。
護衛3人とは少ないと思ったのだが、出てきた人物を見てわたしは控える玄関先でポカンと口を開けてしまった。
馬車から出てきたのは小柄な線の細い白髪交じりの男性。そしてこの方。
「よぉっ!出迎えご苦労さん!」
片手を上げて降りてきたのは、3ヶ月前さんざん意地悪されたはずのシナスさんだった。
小柄な使者の男性を柔和な笑顔で出迎えたカイン様の顔が、一気に無表情のそれへと変化したので、かわいそうなことだが、間近にいた彼の肩がビクッとなったのはしかたない。
っていうか、何しにきたんですか、あなた……。