40 話
こんにちは!
勝った。
今、アレンシアと一緒に帰宅中だ。
お日様はもう高い位置にあり、暑いくらいの日差しが降り注いでいる。
明日から商隊は朝市に出店するそうだ。大部分の荷物が無事で本当に良かったと話していた。
どうにか家にたどり着き、アレンシアを小屋に戻す。
「ただいまー」
「おかえ……って、あんた臭いよっ!」
しっしっと手を払いのけるばぁーちゃん。珍しく長椅子に座っていたらしい。
ムッと口を曲げながら、とりあえず腕の匂いをかいでみる。
「あぁ、消毒液か」
「若造の邸も消毒液臭いったらありゃしない!」
「仕方ないでしょ!怪我人がたくさんだったんだから。いたら手伝ってくれば良かったのに」
「あたしが?無理だね」
「……ばぁーちゃん消毒液の匂い嫌いだもんね」
「大ッ嫌いさ」
鼻を摘んでふーんと顔を背けた。
ばぁーちゃんはわたしが生まれるよりずっと前にあった戦争に、何度も強制参加させられたらしい。ばぁーちゃん自身は大怪我することはなかったらしいけど、その時充満していた消毒液の匂いとうめき声はトラウマになっているらしく、医者嫌いもそこからきているようだ。
「ねぇ、ジェシカさん。わたし今日からカイン様のとこでお手伝いするから、しばらく留守にするね。パンもあっちで作らせてもらうようにお願いしたんだけど、朝のパンはいる?」
「なくても死なないよ。酒ならこの間届いたやつがまだあるし」
「だね。じゃあいいね」
これ幸いと飲みだすんじゃなかろうか。時々チェックしに来るか。
「しかしアリスを扱き使うなんて、なんて遠慮のない若造だろうね。アリスもあたしの旦那だからって遠慮しないで、たまにはビシッと言うんだよ。そうでないと、あの若造どんどんつけあがるかもしれないからね!」
「ジェシカさん、それが最愛の人の孫に言う言葉なの?一生懸命援助してたじゃない」
ハッとばぁーちゃんは吐き捨てると、手をヒラヒラと振りながらそっぽを向いた。
「あの若造の外面と接触したあの執事だったから援助してたけどね。内面まで知ってしまった今じゃあ、早く2年経って離婚したいくらいだよ!」
「まだ新婚のくせにもう離婚?カイン様良い人だよ。ちょっと苦労してるけど」
ばぁーちゃんは目を細く開いて、じっとわたしを見た。
「……騙されんじゃないよ。あいつは笑いながら人を殴れるよ」
「そんなバカな。家族思いの良い人だよ。ちょっと過保護だけどね」
笑いながらわたしは部屋に荷物をまとめに行った。
そんなわたしの後姿を見ながら、ばぁーちゃんが深ーいため息をついていたのは知らないことだ。
結局簡単に荷造りをして家を出た。
粉とか具材とかはフーちゃんにお願いすることにした。夜になったら届けてくれるらしい。
……しかしフーちゃん力持ちだな。
荷物を抱えて大通りを歩くことは止め、やや遠回りしてログウェル伯爵邸についたのは、午後の3時過ぎだった。
やっぱり裏口から入って行くと、思った以上に消毒液の匂いが漂っていることがわかった。朝のわたしは気が張っていたせいで気がつかなかったようだ。
「おや、アリス様」
部屋の1つからひょっこり出てきたのは、今日始めて会うイパスさん。
手に持った洗面器には、取り替えられた包帯が山積みだった。
「あの、お手伝いに来たんですが」
「それはありがとうございます。ですが今、丁度落ち着いたんですよ」
「じゃあ、それ洗います」
わたしが指差した包帯の山を見て、イパスさんは首を振った。
「いえ、これはわたしが。それよりお茶のご準備をお願いしてもよろしいですか?カイン様が執務室に篭っていらっしゃるので、そろそろ休憩だと教えてさし上げて下さい」
「はい、わかりました」
「あぁ、お部屋はいつものお部屋をお使い下さい」
わたしが背負っている荷物に気づいたイパスさんが、にっこり微笑んだ。
「わかりました。荷物置いたらすぐ、お茶をカイン様へ持っていきますね」
こうしてわたしは2階のいつもの部屋に荷物をどさっと置くと、足早に台所へ行きお茶の準備をした。
準備といっても、すでにお湯が準備してあり、台の上には茶器とクッキーの包みが置いてあった。
さすがイパスさん、手際が良いです。
2個用意してある茶器一式をトレイに乗せ、3階にあるカイン様の執務室へと向かった。
3階の東側に執務室はある。
一際重厚な両扉には細かい細工が施されており、隣の部屋との間隔もずいぶん開いている。
知らず知らずのうちに緊張していたわたしは、少し控えめに扉をノックした。
すぐに返事があったので、ホッとして片側の扉を開いた。
「失礼します」
「あぁ、アリスか」
入った部屋は濃紺の絨毯が敷かれた大きな部屋で、窓を背に大きな執務机があり、立派な本棚や振り子の大時計、そして部屋の真ん中には立派な応接テーブルと長椅子が一対置いてあった。横にも扉があり、奥の部屋があるようだ。
「戻ったんだね」
「はい。あの、イパスさんが休憩ですよ、とのことです」
トレイに乗せた茶器を1度小さく上下させると、カイン様は困ったように笑い、手にしていた書類を置いて立ち上がった。
応接テーブルの上でお茶の準備をする。
「アリスも座って」
と、いいながらふと奥の扉に目をとめる。
「カイン様?」
蒸らした紅茶を注いだ茶器を置いて、わたしもその視線を追う。
「初めてアリスが来た夜、俺はあの先の部屋の仮眠室で机に座ったまま寝てしまっていたんだ。今思うとかなり情けないんだけどね」
「あぁ、あの時のお部屋なんですね。いくら窓を叩いても起きないので、本当にあの時は驚きました」
「丁度イパスが様子を見に来てて、それで音に気づいて外をみたらしい。君は驚いて飛び上がって去ってしまったけどね」
「お恥ずかしい限りです」
クスクスと笑うカイン様の後ろで、わたしは穴に篭りたいほどだった。
「あ、お茶冷めますよ!座って下さい」
早く話題を変えたくて、わたしは先に長椅子に座るとパクリとクッキーを口に頬張った。
カイン様が向かいに座り、さっき医師の紹介で明日から通いの女性が昼前から夕方まで2人手伝いにきてくれることになったと話してくれた。どうやら親子のようで、娘さんは13才とのこと。短期間の仕事と決して高いとはいえない賃金なのに、早く見つかってくれてよかったとカイン様はホッとしていた。
まったく、盗賊の被害がなければ商隊の人も護衛の人も怪我することなく、カイン様もわざわざ自腹を切らなくてすんだというのに。
「海賊の件の賞金があって良かったよ」
ははっと笑うカイン様。資金難がしっかり語られてる。
「あ、言うの遅れたけどマオスの精霊達はちゃんと送ったからね。それからやっぱり、もう氷は張らないそうだ。これでマオスの件はしばらく様子見でいいだろう」
「次はビークの森の盗賊、ですね」
「……そっちもなんだが」
言いづらそうに口ごもった後、カイン様は立ち上がって執務机から一枚の紙を手に戻ってきた。
「これは討伐隊派遣の知らせなんだ」
「うわぁ、早かったですね。これで一安心ですね」
仕事が早いな、国!と内心褒めて喜んでいたが、カイン様の顔色は晴れない。
「どうしたんですか?」
「いや、これはビークの森の盗賊討伐隊じゃないんだ。これは魔石の産地、フォールとカサンドの間にある道や森を範囲とする討伐隊なんだ」
「フォールって、あっちにも盗賊が出てるんですか!?」
いや、とカイン様は首を振る。
「あっちはまだ何もない。だがフォールは国内有数の魔石の産地で、あちらからの荷は魔石が大部分だ。魔石は国にとっても財産だから、盗賊に奪われるなんてことはあってはならない。だから国は用心のために討伐隊の派遣を決定してきたようだ」
「決定って、いつですか?」
「これは早馬で来たからな。明後日には着くだろう。それまでフォールからの荷の出荷は差し止め、討伐隊が付き添ってからの出荷となると書いてある」
「でも盗賊が出てるのはビークの森ですよ?」
被害が出ているところを最初に食い止めてくれないと、次の被害がいつでるかわからない。
またあの護衛の人達のように、大怪我をする人が出るかもしれないのに。
わたしの顔色から考えが読めたのか、カイン様はふぅっとため息をついてそっと目線を外した。
「……実はね、国がこう言った先手を打つための討伐隊を送るというのは、その地を治める領主に対する牽制なんだ。本来なら盗賊対策は領主の仕事。私財を投げ打ってでも、自らが率先して食い止めなくてはならないものなんだ。もちろん、あの海賊達が使っていたような出所のわからない強力な武器や、圧倒的な戦力、お尋ね者などが相手の場合は、やむを得ず国に要請をかけることができる。でもそれは最終手段なんだ。俺はそれを2度使い、今回のビークの森討伐は却下された」
ふとカイン様の視線がわたしに戻り、そのまま苦笑した。
「せっかく問題を少しずつ解決してるけど、このままじゃあ領主失格で剥奪される方が早いかもしれない」
「そ、そんなことありません!要するにビークの森の盗賊をやっつければいいんでしょ!?」
ガタッと立ち上がり力説するわたしに、カイン様はうなずいた。
「そうだね。でも人数が10数人はいるみたいだし。かと言って下手に自警団を引っ張って行っても、怪我人が増えるだけかもしれないし。やっぱり私兵を増やすしかないかもしれないけどねぇ」
やはりここでもネックとなる財政難。
あぁ、ばぁーちゃんの金山から金が出るのが待ち遠しい!
。・☆。・☆。・☆。・☆。・☆
今日は討伐隊がやってくる日だ。
昨日から手伝いに来てくれている、アンさん、メイちゃんはとってもいい人達だった。まだ歩けない赤ちゃんをアンさんは背負っていて、長期の仕事には向かないから好都合でした、と喜んでいた。メイちゃんも年の離れた弟の面倒を良く見るお姉ちゃんで、家には漁師の仕事をしているお父さんとお祖父さんがいるそうだ。
「アリスさんのパンおいしいっ!」
昨日のお昼に、メイちゃんに食べさせてたらすっごい喜んでくれた。
今朝は売り物のパンに加えてお昼のパンも焼く。夕方には夕食分とメイちゃん家の分のパンも焼く予定だ。
アレンシアがいないので籠を3つ下げて朝市へ向かった。
数もそうはなかったのであっという間に売り切り、足早に戻ってきた。
丁度朝食をイパスさんが配っているところで、カイン様も手が不自由な人の介助をしていた。
それらを手伝って、ようやく遅めの朝食を食べ終えた時に討伐隊の一行が訪れた。
「いよぉ!カイン坊ちゃん元気してるかぁっ!?」
バーンと開け放たれた玄関には、壮年の騎士が仁王立ちしていた。
……カイン様の表情から笑みが消えた。
毎回ランクインさせていただきありがとうございます!!