38 話
こんにちは!
翌朝、本当に久々にパンを焼いた。
ログウェル伯爵邸の竈は大きい。だから火力を上げると普段の2倍以上のパンが一気に焼ける。
でも半日しかもたないふくらし魔法なので、今朝焼いたパンも10個程。
朝食の仕度はイパスさんがやってくれ、スープの他にマオスから買ってきたチーズ、バターを出す。あとは庭の畑でとれた野菜を洗って切って盛り付けたサラダを、オイルと塩、お酢、少々の砂糖を混ぜたドレッシングを添えて、卵は目玉焼きにして出す。
4人そろったところで朝食が始まるが、ばぁーちゃんはワイン片手にチーズを食べるとさっさとお墓参りに出かけた。
「あの酒飲みババアは本気で血が酒かもしれん」
テーブルに残されたワインの空瓶を見つめ、カイン様はこめかみをグリグリ指先で押していた。
今に始まったことではないので、どうか慣れて下さい。
朝食後、カイン様は数少ない財産である馬を見せてくれた。
邸の裏手にある厩舎に行くと、単馬房という一頭一頭が区切られた形で2頭の馬がいた。1頭は明るい褐色の鹿毛色の馬で、もう1頭はほぼ全体が黒く顔や臀部に少し赤褐色の毛があり、体も大きかった。
「フォルゼ号という、俺の騎士時代からの愛馬でね。こいつだけはどうしても手放せなかったんだ。そっちのオーマ号はイパスの馬だ」
「イパスさんも馬に乗るんですか?」
「乗る、というより乗れる、だな。火急の用事や不測の事態が起こった場合はもちろん、この馬はイパスの退職金なんだ」
ブルルッと鼻を鳴らしてじっとわたし達を見るオーマ号の顔を、カイン様はやさしくゆっくりとなでた。
厩舎はガランとしており、本当なら10頭近くの馬がいてもおかしくないのだろうと思わせる広さだった。
コケコケコッコッコッコ……!
わたしとカイン様の近くを、ほぼ野放しされた鶏が集団で騒いでいる。
そちらに目をやっていると、カイン様が思い出したように言った。
「そうだ。昔は豚もヤギもいたんだ。お祖父様は新しい栽培方法や飼料なんかを、まず自分で試す人だったからね」
「研究熱心な方だったんですね」
「自分の領地で使うんだから、確かなものでないと使わないと言っていたらしいよ」
頑固だよ、と笑いながらフォルゼ号を単馬房から出すと、そのまま馬具を着けていく。
「このままマオスに向かうから、帰りは遅くとも夕方だ。アリスも家まで送っていこうか?」
馬具を付け終わったカイン様が振り向いたが、わたしはぶんぶんと顔を横に振った。
「とんでもないです!目立っちゃいます。歩いて帰ります」
「でも荷物が多いだろう?」
「大丈夫です。夜のうちに、フーちゃんにいくつか運んでもらいましたし」
1番重かったお土産のチーズや乳製品は、昨夜ブラッシングして上機嫌のフーちゃんがあっという間に運んでくれた。
フーちゃんのブラッシング材として、先々代伯爵イグナート様の形見ともいえる剣山を頂いたのだが、カイン様はその存在すら忘れていたらしい。
「それより早く行って、あの精霊達を送ってあげて下さい。あ、手紙は持ちました?」
「しっかり持っているよ」
ポンと懐をたたいてみせた。
一応報告書のようなものを書いてみたのだ。この荷札をどうやって手に入れたかも、カイン様にバレたことも書いた。だって嘘ついて、後で大変なことになったらどうしようもない。
ホウ(報告)・レン(連絡)・ソウ(相談)は大事。
厩舎から玄関の方へ戻ると、イパスさんが手に軽食を持って待っていた。
軽食の中身は朝食の残り。パンにサラダやチーズを挟んだものだ。
「いってらっしゃいませ、カイン様」
「気をつけて、カイン様。いってらっしゃい!」
「あぁ、行ってくるよ」
大げさだな、と笑いながらカイン様はフォルゼ号に乗り、軽やかにマオスへ向かった。
それからすぐ、わたしも荷物を持ち帰路についた。
途中、大通りでいつもパンを買ってくれる人達に出会い、明日は売るのかという話を何度もされた。
これは明日は多めに作らないといけないかも、と数と種類を頭の中で考えながら歩いていると、大通りの中にあるパン屋の前を通りかかった。
カランと鐘の音がして店のドアが開いた。
「おい、あんた!」
壮年の男性の太い声がして、おもわず立ち止まって顔を上げると、鼻の下にヒゲを生やしたおじさんがしっかりわたしを見下ろしていた。
「あ、なんでしょうか」
またなんか言われるのかな、と少しうわずった声で聞くと、おじさんは天気のいい空を見上げた。
「明日はオルドの町から商隊が来るって話だ。いつもより早い時間から朝市が始まるし、店も多い。気をつけな」
「え?」
目線を合わせず空ばかり見ていたおじさんは、マヌケなわたしの声に初めて目線を合わせた。
「聞こえなかったのか?明日の朝市は早く始まるし人でも多い。いつもみたいに後から来たって場所がなくなるぞって言ってるんだ。わかったか!?」
「あ、はいっ!」
「ん?あんた帰ったばっかりか」
どうやら背中に背負っている荷物に気づいたらしい。
気難しい顔に皺がより、口がへの字に曲がる。
一体わたしの何が、おじさんを不機嫌にさせているのだろう。
「ちょっと待ってろ」
そう言うなり、おじさんは店の中に引っ込んだ。
わたしは呆然となりながらも、いっそこのまま逃げようかと思っていた。
でもそうすると、後日顔を合わせるのは辛い。かと言って大通りでのパンの販売を止めるかと言う考えはない。
カラン、ともう1度鐘が鳴りドアが開いた。
でも出てきたのは奥さんのほうだった。
髪をすっぽり布で覆い、白いエプロンをして少しふっくらした顔に笑みを浮かべている。
「今戻ったんだって?これから帰って荷解きじゃ大変だろう。はい、これ」
麻の小さな袋に入った何かをくれた。
「あ、ありがとうございます」
遠慮しながらも手を差し出して受け取ると、ふわっと袋の中から食欲がわく良い匂いがした。
「あの、これって」
戸惑いがちに顔を上げると、おかみさんは豪快に笑い出した。
「パン屋がパン屋に何やってるんだろうね!タレにつけた肉を挟んだもんだよ。朝の残りさね。遠慮なく持ってきな」
ふと笑いを止め、1度店の方を見てからおかみさんは声を潜めた。
「あんたがちゃんとみんなに知らせて休んだだろう?無期限って聞いたから、何を思ったかうちの人毎朝、朝市に通って探してたんだよ。なんだかんだ言っても、あんたの頑張りは見てる人は見てるのさ。頑張りな」
ふふっと笑って、まだポカンとしているわたしの額をつついた。
「ほら、年頃の娘がなんて顔してんだい。ちゃんと食べて頑張るんだよ」
「あ、はい。ありがとうございます」
ハッと我に返って頭を下げた。
が、次のおかみさんの言葉にまたわたしは首を傾げることになる。
「遠距離だって話だけど、相手を信じてやるんだよ」
「え?」
うんうんと1人うなずくおかみさんの後ろのドアから、再びおじさんが仏頂面で出てきた。
「いつまでしゃべってるんだ、お前っ」
「うるさいね。これから頑張ろうとしてる2人を応援しているんじゃないか」
「そんなこたぁせんでいいっ!女1人守れねぇで何が男だっ!」
「なにカッコつけてんだい。誰も彼もあんたみたいに無粋な奴じゃないのさ」
「男ならさらうくらいの勇気を持てってんだっ!」
「アニーの相手かい?」
「アニーはまだ8つだ。それにそんな奴は地の果てまで追って絞め殺してやるっ!」
「矛盾してるよ、あんた」
はぁっと呆れたおかみさんが、まだ何か言いたそうなおじさんを抑えてわたしを振り返った。
「悪いね、足止めして。このうるさいのはすぐ引っ込めるからね」
そう言ってぐいぐいとおじさんを押して、店の中に帰って行った。
(な、なんだったの?)
良く分からないが、おじさんとおかみさんの好意で昼食が手に入った。
ただ、遠距離とか何とかがわからない。
ちなみにアニーと言うのはおじさんとおかみさんの長女で末っ子の娘さん。確か上にお兄さんがいて、年が離れて15だと聞いた。今は王都のパン屋に弟子入りしているという。
それからまた歩き出したのだが、ここから妙なことが次々に起こった。
古着屋の前で呼び止められ、なぜか白い生地を3種類見せられた。気に入ったら採寸してくれるという。
確かに粉がついても汚れがわかりづらいが、それ以外はものすごく目立つので買うことはないだろう。
次に呼び止められたのは家具屋。
なぜか提携している店があるので、オルドの町やフォールの町にだって運ぶという。
しかも勧められたのは寝台。
いや、古いけどまだ使えるし。しかも1人用より大きいし、そんなのいらない。
最後に呼び止められたのは、味に定評のある人気の惣菜店。
必要な時は前もって人数を教えて欲しいと言われた。酒は顔見知りの酒屋に頼むから安くしてくれるらしい。
料理はともかく、お酒の情報はありがたく頂戴した。
なんだかよくわからない道草をしながら、昼を少し過ぎた頃ようやく家にたどり着いた。
簡素な門を潜ろうとしたら「あらっ!」と、ご近所のおばさんの声がした。
立ち止まって横を向くと、なぜか驚いているおばさんの姿があった。
「こんにちは、アナおばさん」
「あんた戻ってきたのかい!?」
「あ、はい。元々数日の予定でしたので、何かありましたか?」
ザッシュさんに何かあったという話はばぁーちゃんからも聞いてないし、そもそもあのザッシュさんが寝込むとかそういうことが、まず想像できない。
「何かって、あんた結婚反対されたから駆け落ちしたんじゃなかったのかい?」
「は……はいぃぃい!?わたしが!?」
違うのかいと目で聞いてくるアナおばさんに、わたしは全力で首を横に振った。
もう、振り過ぎて頭がクラクラしたくらいだ。
「してませんし、結婚なんて予定ないですっ!相手もいませんっ!!」
「えぇ!?だってこの間の男はどうしたのさ」
驚愕するアナおばさんに、わたしは「男?」と首を傾げた。
アナおばさんは、うちの玄関を指差して補足した。
「この間あそこで一緒に住もうとか何とか言われてたじゃないか。違うのかい?」
わたしはアナおばさんの指差す方向を見て、少し考えて思い出した。
あぁ、多分カイン様のことだ。
マオスに行く前にここでなんか目撃されていたな、と思い出して頭を抱えた。
「あの、あの人は……」
領主様ですよ、と答えようとして止めた。
正直に答えたらなぜ領主様が来ていたのかという話になるし、幸い顔を見られていないのか、それともこんなところに領主様がくるわけないという先入観からか、カイン様のことは知られていないようだ。
「あの人は親戚のお兄さんです。疎遠になっていましたが、数年ぶりに偶然会ったので感極まったようです。ここ数日でお兄さんの家族にも会いましたので安心してくれました」
我ながらスラスラでた嘘だ。
親戚、という隠れ蓑は偉大だ。どこまでが親戚なのか検討もつかない。
「あら、そうだったの?」
なぜかアナおばさんは残念そうだ。
「でも親戚ってことは結婚できるじゃないか」
なぜ結婚に話をもっていくんだろう……。
「いえ、あのお兄さん……相手がいるので」
これは嘘じゃない。
するとアナおばさんは、あからさまにがっくりと肩を落とした。
「アナおばさん?」
「はぁ、せっかくのお祝いかと思ったんだけどね。あぁ、ごめんよ」
それじゃあ、とがっかりしたまま、アナおばさんはトボトボと歩いて行ってしまった。
「ただいま!」
誰もいないリビングに、フーちゃんがひょっこり出てきた。
「ザッシュさんはいる?」
「ここだ」
2階からザッシュさんが、ゆっくりと下りてきた。
「お前、妙な噂がたっているぞ」
「やっぱり!」
わたしは荷を下ろしながら、はぁっとため息をついた。
「さっきアナおばさんに言われたんです。それに大通りでも妙な勧誘を受けました」
「文句はあの若造に言え。面倒だから俺は無視している」
「否定して下さいよぉ」
と、泣きついてみたがザッシュさんは相変わらず仏頂面のまま言った。
「人の噂は否定すればするほど、おもしろおかしく広がるものだ」
「駆け落ちって言われたんですよぉ!」
「どうにかしろ。あと、文句はあの若造に言え。俺は少し出る。帰りは遅い」
そう言ってザッシュさんは静かに出て行った。
1人取り残されたわたしは、あぁっ!と頭を振りながら荷物をひきずって部屋に戻った。
(明日パンを売ってたらきっと聞かれるだろうなぁ)
大通りの噂というのは、町全体の噂ということだ。
否定を続けるにはどれほどのパンを用意しなくてはならないだろうか、と幸せがすっからかんになるくらいのため息をつきながら荷解きをしたのだった。
読んでいただきありがとうございます。