34 話
こんにちは。
町役場のカイン様の部屋に戻ると、わたしは籠と朝食で残ったミルクを温めて戻ってきた。
「入りますよー」
「いいよ」
ノックした後確認をとってから入ると、シャツとズボンの姿に着替えたカイン様が髪をタオルで拭いているところだった。
ちなみに濡れた服はすでに絞ってあり、一箇所にまとめられていた。
カイン様に温かいミルクを渡し、濡れた服を籠に入れる。
「ありがとう。温まったよ」
「良かったです」
コトッとほとんど飲み干したカップをテーブルに置くと、カイン様は執務机の上に置いていた針金のボール2つをじっと見た。
「同じものだな。仮に本当に中に精霊が閉じ込められているのなら、水か雪か氷か……」
「多分氷の精霊で間違いないと思います」
ふとカイン様の目線とかち合う。
わたしはそのまま根拠を話した。
「水の精霊も凍らせることはできますが、基本は液体を好みます。それに精霊の気質は気まぐれですから、いっせいに氷を張るなんてしないはずです。雪の精霊はそもそも熱に弱く、春の今は雪山の奥に隠れています。氷の精霊も熱には弱く、雪の精霊と同じように春には雪山に引きこもるのですが、雪の精霊より熱には強いです。それに、いっせいに氷を張るタイミングが朝日が昇ろうとする時間帯なので、おそらく水温の上昇に抵抗して本能的にしているんだと思います」
ふむっとカイン様は小さくうなずくと、そのまま執務机へ歩み寄り、針金のボールを1つ手に取った。
「氷の精霊、か。では今のこの状態はどう思う?」
わたしは少し眉を寄せて話した。
「弱っているんだと思います。おそらくですが、春になり温かくなってきたので、いくら朝氷を張って頑張っていてもすぐに力尽きてしまうんです。だから日中は氷が溶け、精霊も弱って何もしません。でも夜になって寒さが戻れば、どうにか回復して朝また氷を張っているんだと思います」
「それをずっと2年も続けていたのか」
カイン様も痛ましげに眉を寄せ、そっと執務机の上に置いた。
夏は全く回復できずに、でもどうにか頑張っていたのだろう。
マオスの短い秋がくれば冬にはしっかり回復し、そして春も弱りつつ過ごしまた地獄の夏がやってくる。
「マオスの涼しい気候が、かろうじて夏も精霊を生かしてくれていたのだと思います。でも精霊は生き物ではありません。魔力を命として存在しているので、いつ消滅するか……」
「すぐさま出してやりたいのだが、そうもいかない。やはり魔法省に依頼するしかないだろう」
だが祭りの朝に人々が言っていた。
去年より氷が薄い、と。
つまり氷の精霊達の魔力が弱まっているのだ。おそらく冬の間だけでは回復できなくなっているのだろう。
「寒ければいい、か。……そうだっ!」
良いことを思いついたのか、晴れやかにカイン様は言った。
「いいところがある。話をして来るから、アリスはここで待っててくれ」
イスにかけられていた上着を手に取ると、羽織りながらドアに向かう。
「じっとしているんだぞ」
部屋から出て半分ドアが閉まりかけた状態で、まるで「返事は?」とでも言うようにわたしを見た。
「わかりました!」
そんなに子どもじゃありませんっと、顔を赤くして声を荒げたが、カイン様は満足そうに笑ってドアを閉めた。
しばらくして戻ってきたカイン様は、手に大きめのバスケットを持っていた。
バスケットの中は空で、そこにカイン様は針金のボールを2つ入れた。
「さぁ、行くよ」
「どこにですか?」
「氷窟だよ」
「ひょうけつ?」
聞きなれない言葉にわたしが首を傾げると、カイン様は1つ軽くうなずいてから言葉を足した。
「マオスには氷の採掘ができる洞窟があるんだ。それを氷窟と読んでいる。もちろんマオスだけじゃなく、国のあちこちにそういった洞窟があるよ」
「へぇ、あ、じゃあ」
と、いいかけてバスケットを見る。
当たり、とカイン様は目を細め笑みを深めた。
「氷窟の門は施錠して普段は町長が管理しているから、鍵を借りてきたんだ。夏まで氷を取り出す作業はしないそうだから、数日彼らを置いておいても問題ないだろう。あの中ならいくら凍らせても誰も文句は言わないよ」
「グットアイディアです!カイン様」
思わず親指を立てそうになった。
「ぐっとあ?」
今度はカイン様が聞きなれない言葉に首を傾げた。
「あ、いえ、そう!絶対精霊も喜びます!」
「だといいが」
何とか誤魔化した。
この世界は共通する食べ物や、物の名前があったりなかったりするので困る。
バスケットをカイン様から渡され玄関で待っていると、裏に行ったカイン様が1頭の濃い茶色の馬を連れて戻ってきた。
馬、と言っても騎士が乗るようなスラッとした馬じゃない。ずんぐりとした太い胴体と、やはり太い首と足を持つ農家の力強い見方、農耕馬だ。
「少し距離があるからね、借りたんだ。アリスは馬に乗れるかい?」
ふるふると首を横に振る。
馬には厚めの布でできた鞍をぐるりと胴体に巻きつけ、足を置く一対の鐙に手綱などの簡単な馬具がついていた。
「じゃあ、先に乗るよ」
鐙に片足をひっかけ、ひらりと身軽に跨る。
馬が大人しくしているのを確かめ、カイン様は上半身を倒すようにしてわたしに両手をさしだした。
「背中向けて」
言われるがまま背を向けると、すぐに両脇の下に手が入れられ、驚く間もないままひょいっと馬の背に引き上げられた。
気がつくと、バスケットを膝の上に乗せて横座りで馬に乗っていた。
「さぁ、行こう」
カイン様が手綱を握ると、自然とカイン様の胸に体が引き寄せられた。
(近い近い近い!)
歩き始めた馬に合わせて上下する体を、どうにかカイン様の胸を借りずに乗っていられないかともぞもぞ動いていると、反対にずり落ちそうになり、ますます密着されてしまった。
(ムリムリムリムリ!)
顔が真っ赤になっているのがわかる。呼吸も辛い。
ついでに頭のすぐ上にカイン様の顔があるので、わたしってば変な匂いしてませんか!?と妙な心配までしてしまう。
あ、そういえば今朝湖に潜ったなぁ。藻とかついてないだろうか。
今更になって気になるも、手で髪を触ろうとすればカイン様の顔を触ってしまいそうだ。
氷窟は湖の対岸の森の奥にあるそうだ。
数人の人は見かけたものの、作業をしていたようでこちらに気づいている様子はなかった。
良かった。ミラに見られたらどうなることか。いや、その前にカイン様ファンによる嫉妬が恐ろしい。
祭りの日、カイン様目的で集まったファンの大部分は他所者だったが、この町にもしっかりファンはいるのだ。
森に入ってからもそんなことや、時々話しかけられることに(もちろん聞こえてない)あいまいに返事をしていたら、いつの間にか目の前に大きな岩とその下にポッカリと黒い穴が見えた。
近づいていくとちょうど2メートルくらいの高さと、わたしの両手を広げたくらいの穴だった。
暗いその中からひんやりした風が吹いている。
穴の両脇からは少しさび付いた鉄の鎖が、いくつもジグザグを描くようにかけられており、真ん中には大きな南京錠がかけられていた。
「氷は貴重品だからね。頼りないけど扉や門をつけるわけにいかないし、町長が毎日見回ってくれているよ」
先にわたしを下ろし、カイン様も下りると馬を近くの木に留めた。
ちなみにわたしはどうにか踏ん張って立っていたが、本当はお尻が麻痺してて尻餅を付きそうになっていた。
カイン様はさっそく南京錠に鍵を差込み、通れるくらいになるまで鎖を緩ませていた。
その隙にわたしはお尻をさすり、どうにか感覚を取り戻そうとしていた。
「さぁ、行こうか」
パンパンと手についたゴミをはたくように叩きつつ、こちらを振り向いたカイン様に気づいてさっと手をどけた。
「はい!今行きます」
まだお尻の違和感は消えなかったが、ゆっくりだがどうにか歩くことができた。
そんな取り繕えない違和感にすぐに気づいたカイン様は、さりげなくバスケットを持ってくれた。
「お尻痛いかい?大丈夫?」
それは気づいても黙ってて欲しかったです!
「大丈夫です。歩けます」
やや目線を落として小さく言えば、灯りのランプを持ったカイン様はゆっくりした歩調で歩き出した。
「気をつけて。中は段々寒くなるし、迷路のようになっているからね」
ひんやりとした空気に包まれて進むと、ちょろちょろと水が流れる音、ピチョンピチョンとあちこちで水が滴る音が反響して聞こえてきた。
「ここはたまたまできた穴でね。昔氷を求めて人がその穴を広げたんだ」
暗い洞窟を進みながら、時々カイン様が立ち止まり、細い分かれ道やしゃがまないと通れないような穴をいくつか通っていく。
わたし1人では絶対に迷子になるくらいになった頃、一段と寒さが増したことに気づいた。
「あっ」
バスケットの中が光っているのに気づき、わたしは小さな声を上げたのだが、それすら反響してしっかりカイン様の耳に入った。
「どうした?」
「それ、光ってます」
足を止めて振り返ったカイン様の持つバスケットを指差す。
さっきまでランプの明かりで良く分からなかったのだが、わたしの指摘を受けてカイン様がランプを遠ざけるとはっきりと光っているのがわかった。
「喜んでくれているといいのだが」
幾分かホッとしたように見つめたカイン様に、わたしも同意してうなずく。
「もう少しだ。急ごう」
「はい」
すっかりお尻の違和感がなくなり、氷の精霊が喜んでいると思えば足取りも軽くなる。
「さぁ、ついた」
段々と壁も足元も氷がうっすらとついていく。そんな道をひたすら歩いて曲がり、しゃがまないと通れないくらいの小さな穴を潜ると、そにはわずかな足場があるだけで、あとは透明な氷に閉ざされた世界が広がっていた。
「わぁっ!」
感嘆の声も大きく反響して、白い息が煙のように広がる。
「地底湖だ。水源はサンチュレ山脈の雪解け水といわれている」
あまり厚着をしていないので、わたしはあっという間に手先が痺れてきた。
「ここでいいだろう」
すぐそこにバスケットごと置く。
針金のボールは相変わらず光っており、今は点滅をしている。
「大丈夫だろうか」
心配するカイン様に、わたしは自分を両手で抱きしめながらうなずいた。
「もし水や雪の精霊だったとしても問題ないはずです」
「では行こう。ここは寒い」
帰りは自然と足早になった。
行きと違って手を繋ぎ、ぐいぐいカイン様は引っ張ってくれた。
繋いだ手からカイン様の体温が流れてきて、ほんのちょっとだけど温かかった。
多分行きの半分の時間で戻ったと思う。
何十分も氷窟の中にいたわけではないのに、日の光が穴の先に見える頃にはすっかり暑くなってしまっていた。
「暑いぃ」
「どうやら寒さに慣れていたらしい。すぐに感覚が戻るよ」
のんびりと草を食べて過ごしていた馬が、こちらに気づいてブルルッと鼻を鳴らした。
「そうだ。このまま製糸工場に案内しよう。お昼は近くにいい店があるし」
「お邪魔じゃないですか?」
「大丈夫だよ。みんな気さくな人ばかりだしね」
さぁ、行こうかとカイン様はまたわたしを馬に乗せてくれた。
もちろん、ここに来た時と同じ密着して……。
2度目だけど慣れるわけがない。
口数少なく黙ったわたしにカイン様がアレコレ聞いてきたが、こんなところは鈍感なカイン様。黙れば黙るほど顔を寄せて、聞いたり見たりしてきて本当に心臓に悪かった。
結局慣れることなく、森を抜けてすぐの所にある大きな赤い屋根の平屋の建物と、その後ろに広がるフォムの畑が見えて来た。
絹糸の原料となる蚕を育てることから行っており、もちろんフォムからの糸も作っているという。
「糸のまま出荷することが多いが、織って生地としても出荷しているんだ」
製糸工場の敷地内に入ってすぐ、ここで働いている人達が大勢集まってきた。
本当は見られる前に下りたかったが、働いているのだろうと油断していた。まさかこんなに早く人が集まってくるとは思ってもみなかった。
働いている人達は男女の比率はやや女性が多いようだ。下は同じ年頃の少年少女から、上はゆっくりと歩いてくる年配の方まで幅広い。
「突然すまない。あぁ、ちょっと下りる」
すっかり馬の周りを囲まれてしまい、カイン様は馬上からようやく下りた。
軽やかに下りたカイン様は、馬上に残る私にごく自然に手を伸ばして下ろしてくれた。
その時人ごみの中から、
「羨ましい!」
(すみません、恥ずかしいです)
「馬に乗ったカイン様、素敵っ!」
(農耕馬ですが、不思議とかっこよく見えるね、馬!)
などと若い娘さん達の声がした。
しっかりツッコミを入れさせてもらったが、嫉妬だけはしないでと願うばかりだ。
できるなら、嫉妬フラグはへし折りたい。
わたし『孫』なんですぅううう!と叫びたい。
そんな心配をよそに、優しい笑顔の領主モードのカイン様はさっそく製糸工場の上役と思われる人達と会話し、その合間合間に集まってくれた人達を労い、声をかけて笑顔を振りまいていた。
あ、ご年配のおばーちゃんが拝んでる……。
多分、見た目からして年だけならうちのばぁーちゃんと同じくらいだ。
「やはり人は年相応に見えるのが一番だな」
ポツリとつぶやいたカイン様。
それは誰のことを言ったのか良く分かりますよ!!
気になった「あの子誰?」という睨みもなく、カイン様と一緒に製糸工場をじっくり見学して、お昼はフォムの畑の前で、従業員一同集まっての昼食会が行われた。
カイン様の言っていたお店には行けなかったが、そこから買ってきた料理もあり、結構楽しく過ごせた。
あぁ、明日は氷が張らないといいなぁ。
お読みいただきありがとうございます。