33 話
ちょっとした事件が起こりますw
寒いんでさっきまで体がガタガタ震えてたけど、今はそれより本能的な恐怖が勝ったようで、いつのまにか震えが止まっていた。
「怖いですよ、カイン様」
「そうだね。アリスがいない部屋を見た俺は怖かったよ」
あれ?声に出てしまったようだ。
ちなみに怖いといったのはカイン様にですよ。
口は動いたがやはり足も体も動かなかった。
そんなわたしを見て、カイン様は目を瞑って大きくため息をついた。
「風邪をひくよ。今すぐ脱いで着替えて」
数歩で間近まで近づいたカイン様は、床にベチョッと落ちていた濡れた上着を手に取ると、そのまま窓の外に手を突き出して絞った。
「さてアリ……」
振り向きざまにわたしの名を呼びかけたのだが、なぜか中途半端な振り向き加減で固まってしまった。
表情も先程まで厳しい顔だったのに、今はギョッと目を見開いて強張っていた。
「か、カイン様?」
どうしたんですかと近寄ろうとすると、カイン様はすでに後退できないのに後ずさろうとして窓枠に体をぶつけた。ちなみに近寄ろうとしたわたしも体中に服がまとわりつき、うまく一歩が前に出なかった。。
「カイン様?」
「さっさと着替えるんだ!」
焦るように早口で言うが早いか、絞った上着を手に持ったままカイン様は駆け足で部屋を出て行った。
バンッと大きく閉められたドアの音に、わたしの緊張も解け寒さが一気に襲ってきた。
「寒っ!タオル!」
開いていた窓を閉め、そのまま濡れた服を脱ぐ。水を吸って重くなった服はしっかり体にくっついており、かじかんだ指先はボタンをはずすにも苦労した。
ボタボタと水が滴る服と下着を全部脱ぎ捨て、引っ張り出したバスタオルで全身を拭く。
そこへトントンとノックされた。
「アリス、着替えたか?」
「あ、ちょっと待って下さい!まだです!」
バスタオル一枚を頭から被っているだけの姿を見られるわけにはいかない。
あわてて他のタオルがないかと目線を走らせる。
「足を暖めるためのお湯を持ってきた。まずは毛布でも被って」
「は、はい」
ドアの向こうからの指示に、わたしはオタオタしながら寝台から毛布をはがして肩からすっぽり巻きつけた。
「被りました!」
「じゃあ、入るよ」
少し間を置いてからドアが開かれた。
入ってきたカイン様の左手首には籠が引っかかっており、両手で湯気の立つ平たい洗面器のようなものを持っていた。
「濡れた服は……」
と、いいながら部屋を見渡したカイン様は、再び固まった。
ハッとわたしも気がついた。
床に脱ぎ捨てたままだったのだ。年頃の乙女のすることではない。
しかも……。
カイン様はすでに視線をそらしていた。
えぇ、ポイポイ脱いだんですよ。苦労しながらも上から順に脱いだんです。だから結局最後に脱いだものが上に落ちているわけで……。
「いやぁあああ!」
思わず叫んだ。
寒さそっちのけで走り、その色気のない下着を掴み毛布の中に引きずり込んだ。
精神年齢が50近かろうが、なんだろうが下着を見られるのは恥ずかしい。しかもみせパンとかない世界。レースやかわいい色物ならいい、とかそういう問題じゃない。ついでに言えばそんなもの上流階級だけの所有物だ。普通の庶民はほとんどこだわっていない。お尻とお臍までしっかりガードしてくれる、機能性(?)と保温性にすぐれた形のパンツだ。ちなみにゴムはないので、両側を紐で結ぶいわゆる紐パン。
(どうしようどうしよう!見られたぁあああああ!!)
手の中で握り締めたパンツから水分が滴り落ちるが、今のわたしには関係ないことだ。
とにかく頭の中が混乱して、どうもできずにただうつむき固まるしかなかった。
「あの、アリス、その、服を絞ろう」
たどたどしくも、なんとかこの状況を打破しようとカイン様が提案する。
羞恥に顔を伏せたままのわたしは、なぜかそのまま濡れた服から離れた。
(あ、しまった!)
気がついた時には、すでにカイン様が窓辺でジャーッと黙々と服を絞っていた。
「すっすみません!」
あわてて顔を上げ立ち上がるも、カイン様は最後の服を絞り終え籠に入れた。
「あぁ、気にしないで。炊事洗濯掃除は一通りできるからね」
パタンと窓を閉めてにっこり微笑むカイン様。
そのスキルは騎士団の遠征で見に付けたものなんでしょうか、それとも現在の伯爵邸で身に着けたものでしょうか。どちらにしろ現在進行形で役に立っているんですね、伯爵様なのにっ。
毛布の中でパンツを握り締め、わたしは一時だけカイン様に同情した。
「それよりアリス、それも籠に入れておきなさい」
差し出された籠には、いつの間にか麻布がかけられていた。
床に置かれた籠に近づいて、そっとパンツを隠した。
「次はこっちに座って」
後ろで声がしたので振り向くと、イスと床に置かれた洗面器が見えた。
「魔石で温めているから足を入れて」
「は、はい」
毛布に包まったまま座り、お湯の中に足を浸すと一気に熱が駆け上がってきた。
「気持ちいいです」
うっとりしてそう漏らせば、横に立っていたカイン様の目が細く微笑んだ。
「さて、本題に戻ろうか」
それを合図に、わたしの体は強張った。
「何をしに行ったのか、そしてコレは何か。話してくれるね?」
イスに座らせたのは尋問するためだったのだろうか。
床において置いたあの針金のボールを拾い上げ、カイン様は興味深そうに観察していた。
「実は……」
わたしは観念してポツポツと話し出した。
とりあえず魔法省に召喚されて、先々代伯爵と知り合いだというブライント議長に言われ、何か変わったことがあったら教えて欲しいといわれたこと。それで今朝フーちゃんが妙な魔力を感知したので、2人で探索にでて氷の下でこれを見つけたと話した。
おおまかなわたしの話に、カイン様の顔は段々曇っていき、最後には右手で顔を覆ってため息をついていた。
「危ないことをするんじゃない」
「すみません」
しゅんっとして頭を下げたわたしに、それ以上のお小言はつかなかった。ラッキー!
しかしすぐさま笑顔を見せると、やっぱりとお小言がつくかもしれないのでしばらく目を伏せていよう。
「で、これが原因?」
1度足元に置いておいた針金のボールを手に持つと、カイン様はじっくりと再び観察していた。
「なんだかわからないんです。でもどうも魔法具のようなんですが……」
「これを覆っているもの1本1本に施されているのは呪文だ。内容はわからないが、これに良く似たものを前に見たことがある」
窓辺に移動し、昇ってきた朝日に照らしてみたりと観察を続ける。
「湖のそこで見たときは少し中から光が見えたんですが、湖から出すと消えちゃいました」
「今は黒くて中がよくわからないな。だが、これは4年程前に騎士団で取り扱ったとある事件で押収し、魔法省に提出したものに良く似ている。これを勝手に切ろうとした者が弾かれ怪我をした」
「中身は何だったんですか?」
カイン様は針金のボールからわたしに視線を移した。
「精霊だ」
「精霊!?精霊を閉じ込めてたんですか!?」
そんなバカな、とわたしは声を飲み込んだ。
精霊は物質に左右されない、神と自然が作り出したもので生き物でもない。目で見ることも稀で、気まぐれに現れては消える。気に入ったところには定住するが、いつの間にかいなくなることも多い。
「これは違法作成された魔法具だ。魔法省も今も出所がつかめずにいるはずだ。結局4年前の事件は迷宮入りしていて、その時押収されたこれと似たものも今は魔法省のどこにあるのかわからない」
精霊は不可侵とされている。
魔力というものも、実は精霊が何かしらの加護を与えているのではないかという説がある。あくまで諸説あるうちの1つだが、魔法使いと属性持ちのほとんどはそれを信じている人が多い。
「こんなものがうちの領地にあるなんて、はぁっ」
がっくりとうな垂れたカイン様は、そのまま窓の外を睨む。
「アリスの話だと、まだありそうだね」
「多分ですが、あると思います」
すでに充分に温まったので足湯から足を出し、赤くなった足をタオルで拭く。
「わたし午前中に場所を特定しに行きます」
「俺も行こう」
「え、いいですよ」
ひらひらと手を振る。
「でもボート漕げないだろう?フーに乗っていくのかい?目立つぞ」
「あっ」
そうだった、とわたしは目線をさ迷わせたあと、カイン様に「よろしくお願いします」と頭を下げた。
「そういえばカイン様、わたし部屋の鍵をかけてたはずなんですが」
ふと思い出した疑問を口にすると、カイン様はポケットから1本の鍵を出した。
「この町役場の鍵はどれも1つの鍵で開くんだ。1本は町長が持っていて、予備は来客室を使う人に渡すようになっているんだよ」
つまり、それがマスターキーなんですね。
「たまたま飛んでいくアリスが見えたからね、悪いけど入らせてもらった」
「そうだったんですね。すみません」
しゅんとまた頭を下げる。
そこへトントンと玄関のノッカーを鳴らす音がした。
「おや、彼女かな。あぁ、アリスは着替えて。先に下に行ってるよ」
時間的に朝食を持ってきたミラのようだ。
カイン様は針金ボールを持ったまま部屋を出て行こうとした。
「か、カイン様、それ!」
「あぁ、これかい?俺が持っておくよ。アリスに何かあってはいけないからね」
それはわたしが何かしそうだ、ということでしょうか。
毛布を被ったままカイン様を見送り、わたしはすぐに着替えた。
濡れた服の入った籠を手に食堂に行くと、それはそれは幸せそうなミラが朝食の準備をしていた。
朝食を終えると、言いづらいわたしに代わってカイン様が上手にミラを帰した。さすがです。
「まずは最初に反応があったところへ行ってみよう」
念のためフーちゃんを連れてボートに乗り、さっそく方位磁針を出してみる。
あいまいながらあの日の場所につくと、小さな光と僅かながら針が動いた。
「少し左です。あ、ここです!」
小さくゆっくりと点滅する方位磁針を見て、カイン様はオールを置くと湖を覗き込んだ。
「この下だな」
わたしがフーちゃんを握った時だった。
バサッとカイン様が上着を脱いだ。ついでシャツのボタンも外す。
「か、カイン様!?」
顔を赤くしてあわてて止めるわたしを、カイン様は不思議そうに見た。
「下にあるのだろう?取ってくる」
「えぇ!?いいですよ、わたしが行きます」
「そんなことさせるわけないだろう」
半ば腰を浮かせて立ち上がろうとしていたわたしの肩を両手で押さえ、ゆっくりとまた座らされた。
「ここにいなさい。魔石もアリスが補充してくれたからあるし、こう見えても鍛えているからどうってことはない」
とうとう上半身裸になってしまった。
うわっとあわてて下を向くが、それでも目についてしまうのは細身の体にそぐわない筋肉質な腕、見た目より厚い胸、しっかり割れた腹筋だった。良く見ると首もイメージより太い。
「タオルも持ってきたし、フーを借りるよ」
カイン様が手を差し出すと、フーちゃんはヒョコッと立ち上がってその手におさまった。
……あれ?いつの間に仲良くなったんだろう。
少し疑問が残るが、フーちゃんはカイン様と一緒に湖の中へドボンと入っていった。
そして待つこと少し。
ゴボゴボッと空気泡がでてきて、波がボートを揺らしたと思ったらバシャッとフーちゃんとカイン様が水面に現れた。
ぷはっと息を吐き出したカイン様が、ボートを右手で掴んだ。
「あったよ」
そう言って水面から出てきたのは、朝見つけたものと同じ針金のボールだ。
フーちゃんをボートに上げ、カイン様も上がる。
ポタポタと全身から雫を落とすカイン様は、正直色気があった。水も滴るいい男とはこのことか。
その顔を見ないようにタオルを押し付けると、カイン様は上半身と髪の水気を手早く拭き取った。
シャツを羽織り、ボタンを数個止めただけでカイン様は拾ってきた針金ボールの観察を始めた。
「底で見つけたときは光っていたが、今は反応がないな。そっちは?」
「こっちもカイン様が水面に出る前に消えました」
方位磁針は今は北を指す、ただの方位磁針になっている。
その後ゆっくりと湖をボートで巡ってみたが、方位磁針に反応が現れることはなかった。
「一旦戻ろう」
「はい」
回収した2つが全部とは思えないが、反応がなければ探しようもない。
「これで明日どうなるか、だな」
できれば氷が張らず、これで解決となって欲しい。
「また明日も探します」
「1人はダメだ。俺も付き合うから。いいね?」
綺麗な緑の目にじっと見つめられ、わたしは断りきれずに「はい」とうなずいた。
読んでいただきありがとうございました。
パンツ事件wでした。