32 話
こんにちは。すっかり鼻水の季節ですね!!
町役場の入り口は施錠されていた。
だからわたしも入ることはできず、今だポーッとしているミラを引きずってシナさんの酒場へやってきた。
今日は奉納祭りだからか、昼間からお酒を飲んでいる人がちらほらいて、シナさんもわたし達に気がついて手を振ってくれた。
「いらっしゃい、どうしたの?」
「あ、いえ、実はわたしまだしばらくいることになりまして、また同じ予算でお酒を頼まれたのですが何かありますか?」
「そぉねぇ。あれ以上の酒はうちにはないわ。ほかの酒造所に聞いてあげようか?」
「お願いします」
そしてポーッとしているミラを座らせ、わたし達はシナさんから果汁のジュースをご馳走になった。
段々と店内に人が入ってくると、嫌でも会話が聞こえてくる。
「今朝も氷がはったんだってな。やっぱり本物の神官様を呼んだほうが良かったんじゃないか」
「まぁ、去年もそうだしなぁ。でも金がかかるんだろう?」
「領主様も人を集めるから良いんだが、やっぱり効果がないとなぁ」
それは悪意のある会話じゃなかった。率直な町の意見だ。
確かにただの領主が行う神事より、神官様が行う神事のほうがありがたみがあると思う。
でも神官様を呼ぶにもなかなかのお布施が必要なのだ。今のログウェル領にはその余裕はない。
祭りとしてはにぎわっているが、肝心の土地神様や精霊たちに届いているかはわからない。
やっぱり徹底的にあの湖を調べるしかなさそうね。
対面に座るミラが「素敵だったわ」とかなんとか話していたが、全然聞いていなかったので曖昧に答えたら怒られた。でもまた明日の朝食を誘うと言ったらすんなり機嫌が良くなった。
夕方、人の流れが落ち着いてきた頃ミラと別れて町役場へ戻った。
あいかわらず施錠はされていたが、ノッカーを鳴らすと中から昨夜食堂で働いていた初老の女性が出てきて、周りを見ながらゆっくりドアを開いて中に入れてくれた。
「すまないね。領主様目当てのお嬢さんが多いから」
「いいえ。カイン様はお部屋ですか?」
「そうだよ。あぁ、夕食はもう少し待っておくれ」
そう言ってまた食堂のほうへ行ってしまった。
わたしはカイン様の部屋を尋ねた。
トントンとノックをすると、カチャリとドアが開いてカイン様が立っていた。
「アリス、今帰ったのかい。祭りはどうだった?」
「みんな楽しそうでした。わたしとミラもいくつか買って食べました。お土産です」
差し出したのは出店で売られていたお菓子。甘いパン生地を小さく丸め焼いてあり、砂糖をまぶしたものだった。
「ありがとう。ちょうどお茶を貰ってきたところだ。おいで」
さぁ、と促されてわたしは部屋に入った。
カイン様の部屋はわたしの部屋の倍くらいの広さで、寝台、飾り箪笥、コートかけのようなものや職務机、そして中央に丸いテーブルとイスが2つ置いてあった。
窓は開いており、湖の対岸ではまだ人が大勢集まっているのが見えた。
「カイン様ずっとここにいたんですか?」
テーブルの上にお土産を置き、カイン様はわたしの分のお茶を用意してくれていた。
「そうだよ。俺が出て行くと面倒だしね。かと言って無下にした態度を取るわけにもいかないだろう?」
「でも愛想が良すぎるのもどうかと思いますよ」
そう言うと、カイン様は一瞬きょとんとした顔をして笑い出した。
「はははっ、そうだな。押しの強い王都の女性と違って、ここらの女性は控えめで大人しいからな。ついついやり過ぎた。明日から気をつけよう」
「急に尖ったカイン様を見せられたら、ミラなんてショックで寝込みます。……ウィンクとかそういうの気をつけてくれるだけでいい……です」
なんだか嫉妬したような台詞になり、わたしはもごもごと語尾が小さくなった。
「そうだね。気をつけよう。はい」
イスに座ったわたしの前に、カイン様は温かな紅茶とミルクを置いた。
ミルクティーなんてあまり飲む機会がないので、わたしは砂糖とたっぷりのミルクを注いで飲んだ。
「おいしい」
「良かった」
カイン様もイスに座り、お土産に手を伸ばす。
わたしも1つ口に入れミルクティーを飲んで落ち着いた時だった。
ふとカイン様が真剣な顔でわたしを見ていた。
なんだろう、と少し身構えると、カイン様が左肘をテーブルにつけたまま少し前のめりになった。
「ねぇ、アリス。これは憶測なんだが、もし君が何か厄介ごとを抱えてしまったら、どうか隠さずに俺にも教えて欲しい」
えっと、のどまで出てきた言葉を寸前で飲み込み、わたしはカイン様をじっと見つめた。
「俺にはどうにもできないことかもしれないけど、話すことで変わることもある。もちろん、それはアリスの心の問題でもあるんだろうけど、少しだけでいいから頼って欲しい」
それは懇願するような声だった。
頼って欲しい、とカイン様の言葉を頭の中で復唱して、わたしは誤魔化すように笑った。
「はい、もちろんです」
ごめんなんさい、カイン様。
もう少し言えそうにありません。
少し罪悪感を頂いた笑顔は不自然だっただろうか。
しばらくカイン様はわたしを痛ましげに見ていたが、やがていつもの笑顔になった。
「あ、でもお金は本当に今は無理かな」
「わかってますって!」
嫌だなぁ、と笑ってかわしたら、カイン様は「……そうだね」と結構落ち込んだ。
言わなきゃいいのに!!
その夜、また窓辺で方位磁針と湖を交互に見ていた。
やはり反応はない。
「フーちゃんって魔力とか感知できるのかなぁ」
思ったことをつぶやいて見れば、フーちゃんは柄を横に揺らした。
「できない?」
フーちゃんは柄を揺らしたまま。
わたしはちょっと考えた。
「できるもできないも否定ってこと?うーん」
腕組みして頭を傾げる。
ザッシュさんならすぐわかるだろうなぁ、と只者ではない大家の顔が浮かんだ。ザッシュさんとフーちゃんの付き合いは長いらしい。なんでも、わたしがばぁーちゃんから貰う前は、あの家で掃除担当として貸していたらしい。
……ザッシュさん本当に掃除しないからね。
ちょっとわき道にそれたが、フーちゃんにもう1度尋ねてみた。
「わかるけどわからないってことかな?えーっと、ある程度の魔力にならないとわからない、とか?」
こくこく、とフーちゃんがうなずいてくれた。
そっかぁ。それで今朝は氷が張ってからフーちゃんが教えてくれたのか。
「じゃあ、ここに方位磁針置いておくから、もし変化があったら教えて欲しいの」
窓辺に置いた方位磁針を指差すと、フーちゃんは毛先をピッと上げて「了解」と引き受けてくれた。
……ちなみに目はどこだという疑問は愚問。
魔法具はすばらしい!
その一言に限る。
フーちゃんにお願いして冷たい寝台に潜り込んだわたしは、昼間歩き回ったせいかすぐに眠ってしまった。
だから、さっき目を閉じたばかりなのにと思った頃、フーちゃんが毛先でバシバシ叩いて起こしてくれたが、なかなか目を開けられなかった。
だが、これ以上目を開けないとなると、使命感の強いフーちゃんは最終手段にでる。つまり、硬い柄の部分で叩いて起こそうとするのだ。
「お、おはよう、フーちゃん」
なんとか目をこすり起き上がると、ひんやりとした空気があっという間に毛布の中に侵入してきた。
「寒っ!」
一気に目が覚めて上着を羽織りつつ窓辺に近づくと、思ったとおり方位自信の中心が淡く光っており、針も湖の方向を指していた。
隣のカイン様に気づかれないようにそっと窓を開くと、湖の上には白い靄がかかっていた。
小さく波音がするので、まだ凍ってはいないようだ。
わたしは上着のボタンをとめ、髪を大雑把に束ねると方位磁針を手にフーちゃんに乗って湖へと飛んだ。
冷たい空気はピリピリと肌を刺激し、靄の中は数メートル先も見えないくらいだった。
方位磁針は湖の上に来るとグルグルと回りだした。
またこれか、とわたしはため息をつきそうになった。
これじゃあどこに魔力の発信源があるかわからない。点滅はしているので湖の中に何かあるのは間違いないのだろうけど、肝心の位置がわからないと手が出せない。
大きく湖を旋回していると、徐々にあちこちが凍り始めているのがわかった。
ただ、妙なのだ。
一方向から凍ることは自然ではないが、魔力ならその発生源から凍っていく。
大きく旋回してよくよく見てみると、同時に4箇所から凍っているのがわかった。
「1ヵ所じゃない。だからこれがグルグルまわってるの?」
あちこちから同時に発生する魔力を感知し、張りが方向を定められないのでグルグル回り続けているのだろう。
「厄介ね。でもまずは1つ!」
凍った湖面すれすれに飛び、方位磁針を近づけて落ち着かせてみる。
すると、グルグル回っていた針が徐々に一箇所を指すようになった。
低空飛行のままその方向に向かうと、やがて大きな点滅が始まった。
「ここだわ」
わたしは氷の下を睨んだ。
そこはフレビレ湖の西側だった。一昨日反応があった場所ではないが、きっと昼間にきても残った魔力に反応があるだろう。
場所をとくていするにも、旗も立てられなければ靄で場所を特定できるようなものも見えない。
どうしようか、とわたしは考えた。
氷はどんどん湖を覆っていっているようで、時々パキッペキッと小さな音が聞こえる。
(仕方ない、か)
わたしはグッとフーちゃんの柄を握り締めた。
方位磁針を上着のポケットに入れる。
「フーちゃん、わたしどうしてもこの下に何があるか知りたいの。お願いできるかな」
嫌ならきっとこの場を離れるだろう。
そう思っていたがフーちゃんはとどまったままだった。
「ありがとう」
お礼を言うと、毛先がピコッとはねた。
わたしはフーちゃんに腹ばいになるように跨ると、右手で柄を握り左手で冷たい氷に触った。
「いっくよぉ……」
最後にばぁーちゃんに怒鳴られるのを覚悟して、左手に魔力を集中させた。
氷に体温を奪われ冷たく痛くなっていた手から、逆に熱い火の魔力が流れて氷がみるみる溶けていく。
見つからないように最小限の穴さえできれば、それで良かった。だから慎重に魔力を注ぎ込んだ。
昔誰かが魔力を具現化させ火を出現させなければ、きっと学園に張られた魔力探知の結界に引っかからないとこそこそやっていたのを思い出す。結局最初は見つからなかったが、調子に乗って魔力を大きく出力してしまい、結果的に探知されて先生に怒鳴られた。しかも連帯責任だった。
溶けたところが再び凍ろうとするので、わたしはまた少し魔力を強めて自分が入れるくらいの穴を開けた。でも魔力を放出するのをやめると、すぐ凍ってしまうだろう。
だが長く魔力を放出しているのもわたしにとっては厄介なので、仕方ない、とわたしは魔力を放出したまま飛び込むことにした。
「いくよ、フーちゃん!」
肺いっぱいに酸素を吸うと同時に、フーちゃんはドボンッと戸惑うことなく湖に突っ込んだ。
(ひいぃっ!)
氷の下に飛び込んですぐ後悔した。
もう、体が冷たいというか痛い。
だけど今また飛び出して再び飛び込む勇気もなく、わたしはフーちゃんと一緒に底を目指した。
フーちゃんのおかげで底にはすぐにたどり着いた。
太陽の光もまだない底は暗く、わたしは部屋から持ってきていた魔石を取り出して放出させてみた。
ボッと火の玉が現れた。
うっすらとだが周りが見えるようになり、大小の石と砂、藻のようなものが生えた底が見え始めた。
そんな中にわたしは奇妙なものを見つけた。
砂の上に転がっていたのは、黒いもので覆われているものの所々から淡い光が漏れている不思議なもの。手に取ると軽く、そして黒く覆っているのが針金を編み込んだようなものだというのがわかった。
(きっとこれだわ)
わたしはフーちゃんと浮上した。
予想通り入ってきた穴は凍ってしまっていたが、わたしが溶かそうとするより先に、加速したフーちゃんが自分の柄でバーンと割って飛び出した。
その衝撃でジーンと手が痺れた。結構痛い。
「あ、ありがとうフーちゃん」
痺れた右手をかばいつつ、小脇に抱えた不思議な物体を両手で持ってまじまじと観察してみた。
何かを覆うように丸く何重にも太めの針金でぐるぐる巻きにされており、覆われている何かはその針金の隙間からわずかに光って見えたのだが、今は黒くなっている。針金も良く見れば一本一本に何かが掘り込まれており、これがただの針金ではないことがわかった。
「これもしかして魔法具じゃないかな。見たことないけど」
くるりと反転させても針金のようなもの以外は編みこまれていない。
と、突然だった。
パッシャァアアン!
弾けるようにさっきまでもぐっていた辺りの氷が、音を立てて水に戻った。
どうやらこれを湖の底から引き上げたので、その魔力の効果が切れたようだ。
「と、とりあえず戻ろうか」
冷たい水で全身びしょぬれだったのを思い出し、わたしは身を縮めた。
風を感じないようにそっと飛んだフーちゃんだったが、湖の上から見ていると水に戻ったのは全体の1/4程度だった。つまり、これとおなじものがまだ3つくらいある予想だ。
全部回収する前に絶対風邪をひくな。
潜水服なんてこの世界にないよ、とぼやきつつわたしは部屋の窓を潜った。
「あー、もう。タオルタオル!」
水を吸って思い上着をぬぎつつ、ふと顔を上げて固まった。
寒くてタオルを手に取ることしか考えていなかったわたしは、部屋を見渡すほどの余裕がなかったのだ。
「おかえり、アリス。そんなずぶ濡れでどこへ行っていたんだい?」
べしょっと濡れた上着が手から滑り落ちた。
ただ、あの不思議な物体はまだ小脇に抱えたままだったのは褒めて欲しい。
だが今のわたしは先ほどまでと違った寒さを感じていた。
「どうしたの、アリス。顔が真っ青だ」
そう言って近づいてきたカイン様の口はかすかに微笑していたけど、目が全然笑っていなかった。
これがいわゆる死亡フラグってやつでしょうか?
読んでいただきありがとうございます。
誤字報告、大変ご迷惑お掛けしておりますが、しっかり指摘されたところは後日せっせとなおしております!!