30 話
こんにちは三連休ですね。
わたしが湖の底を睨んでいる間、ミラはさっきより近くの距離にいるカイン様を見てうっとりしていた。ちなみにカイン様がこちらに気づいたようで、ミラが「こっち向かれたわ!」と騒ぐまでわたしは湖の底とにらめっこしていた。
はしゃいだミラによってボートが大きく揺れ、わたしは這い蹲るような格好でしがみついた。
それを祭りの準備をしていた人達に見られていたのは、夕方町役場に戻ってきた時だった。
何人かの人に「落ちそうだったね」とか「ボート初めてだったの?」とか言われた。
そしてカイン様は「大丈夫だったか?」と、はっきりと表情に出して心配していた。
大丈夫ですよ、カイン様。たとえ落ちても泳げます。
……前世では泳げたので、多分泳げる……はず。
あいまいな笑顔でカイン様の心配顔をかわしていると、つんつんとは決していえないような勢いでミラがわたしの腕をつついた。
あ、紹介しろですね。
輝いた瞳に負け、わたしはミラを横に引っ張った。
「カイン様、今日わたしに付き合ってくれた、町長さんの娘さんのミラです」
「は、は、ハジメマシテ!」
緊張からか上ずった声が出たミラは、そのままお辞儀とばかりに頭を深々と下げたまま動かなくなった。
カイン様の後ろに立っていたクスファ町長は、あーあ、とばかりに残念そうに目尻を下げている。
一方でカイン様はにっこりしたまま、そっと話しかけた。
「アリスが世話になった。ありがとう、ミラ」
名前を呼ばれて弾かれるように頭を上げたミラは、文字通り耳まで真っ赤になりつつ口をぱくぱくしながらぶんぶんと顔を縦に振った。
「い、あ、そのっ」
何か言いたいようだが声にならない。
周りもおもしろそうにミラを見ている。
実はかなり人に見られているにもかかわらず、ミラは目の前のカイン様でいっぱいいっぱいのようだった。
「そういえば、アリスあてに酒が運ばれたようだが」
「あぁ、ザッシュさんに頼まれてたものです。大荷物になったので運んでもらいました」
「あの酔っ払いめ」
人目もはばからずチッと舌打ちしたが、幸い誰も見ていなかったようだ。
「そうだ。今日の夕食にはミラを招待しても?アリス1人だとつまらないだろうし」
近くにいた町長に振り向き尋ねると、彼は「許可して!」と強い目線で訴えるミラとカイン様を何度か交互に見た後うなずいた。
「お役に立ちますなら」
「と、いうわけで2人ともいいね?」
「はい!」
と、元気に答えたのはミラ。わたしはハメられた!と気づいた。
お堅い人達に囲まれての夕食なんてごめんです、なんて辻馬車の中で断っていたのに、ミラを使うなんてズルいですねカイン様。
祈るように胸の前で指を絡ませ、ぼぉっとカイン様を見つめるミラ。
きっとカイン様もミラは自分にとっても無害な娘だ、と気づいているだろう。
王都で出会ったダンレイさんから、いかにカイン様がモテたかしっかり聞いた。最初は騎士というイメージもあり人当たり良く接していたが、そのうちどんどん目利きがよくなり、自分にとって害のある女性をさりげなく遠ざける技能を身に着けたのだとか。しかも女性側もいつの間にか遠巻きにされているので、時間はかかるが恨まれずに離れられることができるらしい。
すごいですね、カイン様。
モテただろうとは推測できましたが、そこまで大変なモテ方ををしていたとは。
当時は伯爵家嫡男として、未婚女性には優良結婚相手として見られていたのだろう。今のカイン様にはその当時を惜しむような言動は一切ないので、カイン様も実は清々しているのではないだろうか。
夕食会はカイン様の提案で、町役場の食堂で行われた。
気兼ねなく話したい、とこじんまりした食堂で出来立ての料理が運ばれる。
パンは少し硬めだったが、焼きたての香ばしい香りがした。大きな肉の塊を蒸し焼きにし、チーズソースで食べるものやスープ、そして特に印象的だったのは一口大にカットした湯で野菜、パン、脂身の少ない焼いた肉を、特産であるチーズとミルクを混ぜてバターでこくを出したものに潜らせて食べる、チットーゼという郷土料理を振舞われた。
お酒も入り、町長以下の重役数人がカイン様を中心に囲んで明日の祭りの話や、カイン様が王都で話をつけてきた商談の話をあれこれ熱心に語っていた。
もちろんそんな話についていけるわけもなく、わたしとミラはチットーゼを堪能していた。
お腹がいっぱいになり、いい時間になったのでわたしは部屋に戻ることにした。
ミラは手伝いに来ていたお母さんと一緒に家に戻った。食堂は相変わらず語り合いが続いており、とりあえず退室の挨拶だけはできた。
部屋に戻ると、コンッと窓が叩かれた。
「フーちゃん」
窓を開けるとスィーッとフーちゃんが入ってきた。
「わぁ、艶出し塗ってもらったんだね」
柄を触るとスベスベしていた。
あのザッシュさんが艶出しを塗っているのを想像すると、なんだか笑いがこみ上げてくる。
「でも大丈夫かなぁ。結構重いよ」
そうして見せたのは床においてある酒瓶10本。4本組を2つと2本組に分けて、瓶を紐で括っていた。
フーちゃんは酒瓶の上部分の括り紐の間に柄を通し、どうにか10本を持って浮いた。
「これザッシュさんに手紙。お酒のこととか書いてるから渡してね。それからちょっと協力して欲しいの。また戻ってきてくれる?」
神酒のいいのを買ったが、もう在庫がないなどの注意点を書いた手紙を毛先に潜らせ、再び窓から出て行くフーちゃんを見送った。
そしてわたしは方位磁針を手に、開いたままの窓から外を眺めた。
あの場所を離れてからは全く反応がない。かなり微弱な魔力を感知していたのだろう。
この広い湖でたまたま感知で来たのは、本当に運が良かった。
窓際にイスを持ってきて座り、方位磁針に反応が出ないかと思いながらしばらく湖を見ていた。
カイン様が部屋にやってきたのは、それから随分経ってからのことだった。
まだフーちゃんは戻ってきていなかったが、先程外でがやがやと人の話す声がしていたので、おそらくみんなが帰ったのだろう。
方位磁針をポケットにしまい、返事をするとカイン様が入ってきた。
「アリス、何をしてるんだい?」
「外を見てました。湖を見たの初めてなんです」
近づいてきたカイン様は、ふとわたしの頭をなでた。
「冷えてる。窓を閉めよう」
カイン様の服からはお酒の匂いがするが、しっかりした足取りと口調からするに酔ってはいないようだ。
「キレイな町ですね。料理も美味しいし」
「チットーゼを気に入っていたようだね。あれはお酒を入れることもあるんだ」
「そうなんですか。それならばぁーちゃんも食べてくれそう」
「いや、あの魔女なら酒がもったいないと言うだろう」
かもしれない、とわたしはばぁーちゃんの嫌そうな顔が浮かんで笑った。
「明日は朝から儀式がある。黙って立つばかりだがアリスも参加するかい?」
「はい。お願いします」
ふと微笑んだカイン様が、窓の外へ目線を移した。
「妙なことが止まればいいんだが」
「フォムの花も大変ってミラが言ってました。そういえばカイン様の製糸工場ってどこですか?」
そういえばミラにも案内されなかった。
「工場といえば聞こえが良いが、そこまで大きなものでもないよ。工房を少し大きくしたようなものだ。生産数は多くはないが、質の良いものを出荷しているので客の大部分を貴族が占めているだけだよ」
「マデリーン様のお母様が、マオスの最高級の絹で作ったドレスを見せてくれました。すごく滑らかそうでキレイでした」
うっとりと思い出すと、カイン様が笑った。
「そのうちアリスにもプレゼントするよ」
「えぇ!?いいですよ!」
とんでもない、と両手を振るとカイン様は「今は無理だからそのうちね」と続けた。
そのうちでも、そんなドレスをプレゼントされてもどこにも着ていけませんよ。
「あの、カイン様」
「なんだい?」
わたしはいろいろ準備した言い訳を、頭の中で繰り返しながらこわばりそうな口を開いた。
「あの、明後日には戻ると聞いていたのですが、わたし、もう少しマオスにいようと思うんです。せっかくミラとも知り合えたので、もう少し見学して行こうかと……」
だんだんと視線が下を向き、言い終わる頃にはカイン様の足しか見てなかった。
言い終わってもカイン様からは何も返事がない。
だが、視界の隅にあった右手が上に動いた。
「そうだなぁ。せっかくだから視察でもしていくか」
ぽつりとつぶやいた言葉に、わたしはそっと目線を上げた。
顎に右手を当てたカイン様と目が合う。
「イパスには連絡をとるから、まぁ数日くらいならなんとかなる。せっかくだからゆっくりしようか」
「えぇ!カイン様もですか!?」
「なに、俺がいたら不都合があるの?」
なぜか低くなった声のトーンに寒気を感じ、おもわずわたしは首を横に振った。
「全っ然問題ありません!ミラが喜びます!!」
「アリスは?」
「わたしも嬉しいです!」
「そう。良かった」
にーっこり微笑んだ笑顔のカイン様。さっきの黒いオーラは見間違いでしょうか。
「俺が視察で残れば宿の心配もないし、さっきも町長達から見て欲しいものがあると言われていたから問題ないよ。それより酒はどうしたの?」
見当たらないのが気になるようで、カイン様は部屋を見渡していた。
「フーちゃんが取りに来ました」
「あの量を一度に?あの魔法具はすごいな」
「わたしもびっくりしました」
結構力持ちなんだな、と思った。あれなら2人乗りもできそう。
「さて、時間も時間だ。そろそろ寝よう。朝は冷えるから気をつけて」
「はい。おやすみなさい」
「おやすみ」
小さく手を振り、カイン様は出て行った。
1度寝台に潜り込んだが、やっぱり寝付けずに起き上がり、また窓際に座って方位磁針を見ていた。
どれくらい経ったかわからないが、そのうち視界に何かが入り込んだ。
小さく見えていたのが段々大きくなり、それがフーちゃんとわかるまで大した時間はかからなかった。
「おかえり」
静かに窓を開きフーちゃんを入れると、わたしは持って着ていた黒いローブを羽織った。
「今から湖の上を飛んで欲しいの。いいかな」
言えばフーちゃんは黙って方向転換し、少し毛先を下げた。
方位磁針を握りしめ、わたしが乗るとフーちゃんはゆっくりと外へ出た。あ、もちろん窓は閉めた。
スーッと音もなくすべるように湖の上まで来ると、今度はゆっくりと岸の方から中心に向かうように何度も旋回してもらった。
(反応ないな)
右手の方位磁針を見ながら、湖面を見るが風に煽られて波ができているだけで穏やかなままだ。
雲のない夜空には半月の月と星空が輝いており、当然湖の周りには人影はない。
昼間に反応があった辺りも飛ぶが、今は何の反応もない。
何周も旋回し、とうとう中心地へたどり着くとわたしはため息をついた。
「異常なし、ね。戻ろうか」
見回り終了、と部屋に戻り寝台に入るとすぐさま眠ってしまった。
そして迎えた早朝、チクチクとする何かが頬に当たるのでぼんやりと目が覚めた。
「んー……」
ゆっくりと目をこすり開くと、フーちゃんの毛先が見えた。
「なぁに、フーちゃん」
上半身だけ起こすと、ひんやりした空気に思わず身震いした。
「寒っ!」
肩をすくませ、両手で自分を抱くように身を震わせると、昨夜脱いで寝台に投げていたローブを羽織った。
フーちゃんが窓際に行ったので、わたしも気になって窓から外を見た。
そこにはうっすらと靄がかかっていた。
(まさかっ!?)
わたしはフーちゃんに乗ると、急いで湖へ向かった。
そして眼下に広がる氷を見た。
「どうして……」
と、言いかけてローブのポケットに入れっぱなしだった方位自身を取り出した。
方位磁針の中心はしっかり強い光で点滅していた。そして針はぐるぐると回っている。
間違いなく魔力が使われたのだ。
わたしは湖面ギリギリまで降りてもらい、つま先で氷を蹴ってみた。
パキッと意外と簡単に割れてしまう。どうやら薄い氷のようだ。
水の魔法に氷結魔法がある。おそらくそれを使ったのだろうが、これだけの湖を凍らせるのには相当な魔力が必要となるだろう。それなのに魔法省から調査が来ない、というのはおかしい。
ブライント議長の言うとおり内部に関係者がいるのかもしれないが、大きな魔力の乱れを隠すのは無理ではないだろうか。それにこのグルグル回る針の意味も気になる。
「もうすぐみんな起きる頃だね。戻ろうか」
割れた氷が復元することはないのを確かめ、わたしは部屋へ戻った。
読んでいただきありがとうございます。