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ふくらし魔女と苦労性伯爵  作者: 上田 リサ
3.呪われたログウェル領
28/81

26 話

ご無沙汰してました。


 時間を見つけては宿を探した。

 だけど11日から泊まれる宿はまだない。

 カイン様が軍本部のある王城へ行く10日の朝、これまでで1番仕立ての良い服を着た。

 黒い布地はマオス特産の上質の絹で作られており、銀のカフスだけの装飾ながら、カイン様の銀髪が黒地に良く映えており地味感は一切ない。

 カイン様名義で騎士団所属時代から所有している製糸工場が、伯爵位を継いだ時にお祝いと従業員一同から贈られたものだそうだ。

 こうして見ると、ログウェル領は呪われているどころか本当は恵まれていると思う。

 中心地カサンドは王都への大街道が通っているし、ローウェスは数年前まで大型船まで来航する港だった。マオスは養蚕と養蜂の名産地で、湖と森に囲まれた自然豊かな町として観光客も多いという。残りの2つの町も魔石の産地として有名なフォール。火の属性持ちがなぜか落ち着くと集まり、自然と陶器、硝子職人が多くなったオルトの町。

 だが、この2つの町も今はかつての賑わいが消え、それぞれに悩みを抱えているという。

 何度も振り向きながら歩いていくカイン様を、さすがに恥ずかしいです、と小さく手を振ったまま見送った。

 ……その綺麗な銀髪が精神的苦労から白髪に変わらないよう祈って……。


 すっかりカイン様が見えなくなると、わたしは目下の問題である宿探しに出かけた。

 1度魔法省まで道順を確かめようかと思ったが、カイン様いわく明日もおそらく出向くから一緒に行こうと言われた。

 実は魔法省は王城のすぐ近くにあり、螺旋状の塔を2つ並べたような建物だ。2つの塔の間には何本も渡り廊下のようなものがあり、行き来できるようになっている。

 わたしは中には入ったことがないが、入り口まではばぁーちゃんのお使いで数回行ったことがあった。

 魔石をふんだんに使い、夜も灯りが消えることがないという別名『眠らずの塔』と呼ばれる魔法省は、地味な外観からは想像できないくらいに垢抜けているそうだ。

 明日はそこへ行かねばならないというのに、宿がなくては荷物を全部持って移動しなくてはならない。

 なんとしてもそれは避けるべく、わたしはおととい断られた宿に状況が変わってないか確認しに行った。

 すっかり宿めぐりの常連となったわたしに、受付の女性は首を振ってごめんね、と言った。

 どこも似たようなもので、わたしのようにやってくる人もいるんだとか。早い者勝ちなので仕方ないが、これも運か。

 3件目の宿で状況が変わらないとため息をつきながら歩いていると、いつの間にか見知ったところにいることに気がついた。

 最初に気づいたのは赤い屋根の白い壁の小さなパン屋。軒先にオレンジの旗が3つぶら下がっていて、看板には大きく『ペキニのパン屋』と書かれていた。

 香ばしい美味しそうな匂いにつられ、ふらふらと店の前に立った。

 ここはかつて毎朝パンを届けてくれていたパン屋だ。

 ほとんど1人分しか頼まず、大した金額にもならないだろうに、このパン屋は引き受けてくれた。そして毎朝パン職人を目指す、3才年下の少年が笑顔で届けてくれたのだ。

 カラン、と鐘がなった。

 気がついたら数回しか来たことがない店に入っていた。

 こじんまりした店内は10人も人が入れば身動き取れないんじゃないか、というくらいだったが、壁一面には3段の棚があり、おいしそうなパンがズラリと並んでいた。

 ドライフルーツ入り、果実を丸ごと形を残すよう作ったジャム入り、野菜を練りこんだパン、砂糖と牛乳を多めに配合したパン、そしてバターたっぷりの大きめのクロワッサンはこの店の名物だ。

 わたしの副魔法を使ったパンは、ここのパンのふくらみを真似している。

 この世界で前世と同じくらいふんわりしたパンに出会った時の衝撃は、今思い出しても笑える。あの日、新作だという耳まで柔らかいここのパンを食べ「なんじゃこりゃぁああ!」と叫んで、ばぁーちゃんが口に含んでいた酒を顔面に勢い良く浴びた。


 ……白い学生制服のブラウスがシミになりましたよ。

 

 「いらっしゃい!」

 奥から山形パンを沢山乗せた板のようなものを持って現れたのは、わたしより背が高くなったかつて毎朝のように会っていた少年だった。

 まだ幼さが抜け切れない小さな鼻とそばかすを少し散らした顔には、白い粉が少しついていた。

 「あ、え?」

 わたしと目が合った少年は、つっかえたような声を出しつつ立ち止まった。

 「あ、アリスさん?」

 「久しぶり、ロイ君」

 彼がとまどった隙に思い出した名前を呼べば、ロイ君は歯を見せて笑った。

 「お久しぶりです!戻って来たんですか?」

 「ううん、ちょっと用事で来ただけ」

 「そうですかぁ」

 笑いながら歩みを再開し、ちょうど入り口前の1番目立つ場所に山形パンを並べ始めた。

 「俺、今見習いやってるんですよ」

 パンを並べながら、振り向く。

 「残ったパンを使って俺が作ったものもあるんですよ」

 「残ったパン?」

 「これです」

 並び終えたロイ君が立ち上がり、棚の1番上にあった籠を手に取った。

 「ビュイって名づけたんです。数少ない残り物を切って、砂糖とハチミツを混ぜてぬって焼いてます。クッキーみたいにはなりませんが、お菓子みたいで美味しいって言われてるんです」

 「おいしそうね」

 「結構人気なんです」

 自分の作ったものだからか、ロイ君は照れていた。

 「日持ちしそうね。2つもらうわ。あと、せっかくだからクロワッサンも5つ」

 トレイとトングを持ったわたしに、ロイ君はビュイを2つ差し出した。

 「あの、結婚したんですか?」

 「え!?」

 突拍子もない言葉に、わたしは驚いてロイ君を見上げた。

 「してないわよ」

 「でも、5つって」

 「一緒に来てる人がいるの。あー、そうだ。ロイ君穴場な宿ないかな。部屋2つ確保できなくて困ってるの」

 「2つ、ですか」

 ロイ君はなにごとかぶつぶつ言っていたが、やはり思い当たる宿がなかったのか首を振った。

 「今どこも多いですよ。ちょっと聞いてきます」

 おかみさーん、と呼びながらロイ君は奥へ行ってしまった。

 待っている間に、果実が丸ごと入ったジャムパンを2種類追加した。

 戻ってきたロイ君の後ろから、人当たりの良さそうな女性が出てきた。おかみさんだ。

 「あらあら、本当にお久しぶりだこと。お元気?」

 「はい、ありがとうございます」

 「宿を探してるって聞いたけど、この辺りは催ししてる会場に近いから難しいわよ。何日?」

 「できたら3、4日くらいかと」

 「そぉねぇ」

 うーんと腕を組んで考え出したおかみさんだったが、少しするといくつかの宿の名前を挙げた。しかしそこは全部わたしがダメだったところだった。

 「お役にたてなかったわね」

 「いえ、ありがとうございました」

 おかみさんがパンの代金をオマケしてくれ、わたしはにっこりして袋を受け取った。

 「そうそう、前のお邸だけど、実は後から引っ越し来た方にもご贔屓にしてもらってるのよ」

 「あ、俺が今でも配達に行ってるんですよ。今いるご家族は旦那さんが騎士団の方みたいです」

 前のお邸。

 言われてそれがあの邸のことだと理解するのに、ほんの少し時間がかかった。

 すでに他の家族が住んでいるという言葉に、わたしは数年ながら住んだあの家が本当に人手に渡ったのだと今更ながらショックを受けていた。

 「アリスさん?」

 急に黙り込んだわたしを気遣うように、ロイ君が腰を落として目線を合わせる。

 「どうしたの?」

 「あ、いえ…」

 そこへカランとドアベルが鳴った。

 「いらっしゃい!」

 ロイ君がお客さんの姿を見て声をかけた。

 「あの、ありがとうございました!」

 その隙にわたしはおかみさんに挨拶をして、ロイ君には目線だけ合わせてさっと店を出た。

 

 とぼとぼという足取りで向かった先は、かつての我が家だった。

 酒と肉以外にはほとんど無頓着だったばぁーちゃんは、お邸を囲む柵が色あせていようが壊れていようが修理するということはしなかった。木でできていた、元は白い柵だったものが数段のレンガ積みの上に鉄柵がしてあるものへと変わっていた。

 ここからは見えないが、庭も荒れておらず綺麗にしてあるのだろう。

 白く塗りなおされたお邸の2階の壁が見えており、本当に人手に渡ったのだと痛感していた。

 しばらくぼんやりと見ていたが、やがてまた歩き出した。

 今日は何もする気が起きず、結局早いうちから宿に戻り、出て行くための荷造りだけをのろのろとしていた。

 「ただいま、アリス」

 カイン様がもどって来たのは夕方だった。

 その時ようやく夕方になっていたのに気づき、カイン様がテーブルの上においてある袋に気がついた。

 「アリス具合が悪いのかい?お昼は食べた?」

 「あ……、いえ」

 訝しげに眉をひそめたカイン様がつかつかと歩み寄ってきて、そっと寝台に腰掛けるわたしの前に片膝をついた。

 そしてそのまま右手をわたしの額に当てる。

 「熱、はないね」

 「すみません、ちょっとぼぉっとしてて」

 「何かあった?」

 じっと見つめるカイン様の目は、話さないと話すまで質問するぞ、と言わんばかりだった。

 わたしは仕方なく、元のお邸が様変わりして驚いたのだという話をした。

 「そうか。アリスとは違うが、俺もあの邸の装飾品や家具を売り払った後、あまりの殺風景さに驚いたもんだ」

 「自分の家ではなくなったのだと痛感して、なんだかおかしいですよね」

 「そんなことはない。少なくともそうなった理由はうちのせいなのだから」

 あっとようやくそのことに気づいて、わたしは顔を上げた。

 「か、カイン様のせいじゃないですよ!?」

 「いや、うちの為にリリシャムが売ったのだからうちのせいだ」

 「あの、そういう意味で言ったんじゃないんです!」

 「うん、わかった」

 と、微笑んだカイン様の顔にわたしは納得が行かず、かといってどういえば言いかと言いよどんだ。

 「あ、そうそう。宿なんだけど」

 突然思い出したかのようにカイン様が話し出した。

 「今日軍本部でばったり昔の同僚に出くわしてね。彼が家の空き部屋を貸してくれるって話がでたんだ」

 「本当ですか!?」

 「で、1日早いけどアリスは明日魔法省に行かなくてはならないから、今から移動しようかと思うんだけどいいかな?」

 「はい、わたし準備できてます」

 「そう。じゃあすぐ俺も荷物詰めるから」

 カイン様が準備している間に、わたしは受付へと向かった。

 今から退室することを告げると、時間が時間なだけに払い戻しはありませんがいいですか、と言われたのでうなずいて終わった。

 そんな短いやりとりの間にカイン様の準備も整い、早々に宿を出た。

 カイン様について歩くこと30分。

 「ここだ」

 ついた先を見て、わたしはあやうく荷物を落としそうになった。

 そこは昼間見た、かつての我が家だった。

 鍵がかかっていない簡単な木の板でできた門を開き、カイン様は中へ入った。

 殺風景だった白いドアの玄関前には、たくさんの花の鉢植えや飾りが置いてあり、小さなスコップや玩具があることから子どもが庭で遊んでいるのだとわかった。

 そんな庭もきれいに芝が整っており、わずかに数本の木が植えてあるだけのシンプルだが、子ども達にとってははしゃぎまわれる庭となっていた。

 雑草か薬草かわからない草が、ぼうぼうと生い茂っていたかわいそうな庭の面影はない。

 ちょっと雨が降ればなぜか決壊して庭を水浸しにしていた小さな池も、今は子どもの安全面からか埋め立てられており、かわりにその場所には綺麗な花が咲き誇る花壇となっていた。

 「よぉ、待ってたぞ」

 玄関から出てきたのは茶色い髪をしたカイン様くらいの男性。しっかりした体格で、無精ひげがうっすら生えている。好奇心旺盛そうな目が、カイン様の後ろにいたわたしをしっかりとらえた。

 「やぁ、その子がお前の『孫』か」

 「その言い方はよせ」

 「だって『孫』だろ、おじーちゃん」

 ひひっと笑って、睨むカイン様の横をスルリとすり抜けてわたしの前に立った。

 「ダンレイ・グレーバーだ。カインとは騎士団の同期だったんだ。一応こいつの親友を自負しているんだが」

 ちらりとカイン様に視線を送ったダンレイさんだったが、短くため息をつかれただけで終わった。

 「すっかり変わっちまったけど、まぁ家の中はそう変わってないぜ」

 さぁ、とばかりに背中を押され、わたしは躊躇しながら足を動かした。

 「ダン、俺に言ってないことがあるな?」

 どうやらここが元わたしのお邸だと知らないカイン様が、じろりとダンレイさんを睨んだ。

 「あぁあぁ、悪いね、うっかりしてた。ここは元リリシャムが所有していた邸なんだよ」

 ぎょっとしてカイン様はわたしを見た。

 「すっかり綺麗にしてもらって、お邸も喜んでると思いますよ」

 「買った時はずいぶんあちこち壊れてたからな!」

 わははっと笑ってイタイところをついてきたダンレイさんに、わたしもそうですね、と笑い返した。

 「こいつうちに来いって言ったのに最初断りやがってよ。話を聞いてあんたが一緒とあっては、どうしても誘わなきゃなって拝み倒したんだ」

 「……お前が買った家が元リリシャムの邸だと知っていれば断らなかったよ。隠していたお前が悪い」

 「隠してねぇし。さぁ、まずは家族を紹介する。おーい!」

 ダンレイさんが大声で呼びかけながら中に入る。それに続いてカイン様とわたしも中へ入り玄関を閉める。

 吹き抜けの玄関、前には2階に上がる階段。玄関は左端にあるので、台所や食堂、寝室なんかはすべて右側に集中している。

 バタバタと軽い足音がして小さな男の子が1人走ってきた。

 ダンレイさんと同じ茶色の髪に、いたずらっ子のような顔つきのかわいらしい子だ。

 「ようこそ、おいで下さいました」

 静かに現れたのは栗色の髪を結上げた茶色い目の女性だった。年はわたしより少し上、くらいだろう。細身なのにややお腹がふっくらしているのは、多分そういうことだと思う。

 「妻のカティーレと息子のディレイだ」

 「4さいです!」

 びしっと突き出された指は3本だった。

 「最近誕生日を迎えたんだ」

 ダンレイさんが苦笑しながら、片膝をついてディレイ君の指を1本伸ばしていた。

 「カイン、は会ったことがあったな。あと、彼の『家族』のアリスだ」

 「アリス・マーレイです。お世話になります」

 「遠慮なさらずゆっくりしていって下さいね」

 にっこり微笑んでくれたカティーレさん、そして人見知りもせずカイン様の足元をちょろちょろし出したディレイ君、そしてカイン様の親友というダンレイさん。彼らを見て、わたしは人手に渡ってしまったこのお邸が大事にされているのを実感して、ぽっかり空いていた穴が急速に嬉しさで埋まるのを感じた。

 「さぁ、食事にしよう。っと、その前に部屋はこっちだ」

 案内された部屋は前と同じ、寝台が2つある大きめの部屋だった。

 「……ダン」

 ものすごく低い声でカイン様が部屋を睨んだまま呼んだが、それより早くダンレイさんは逃げていた。

 「あ、ここわたしの部屋だったところです!」

 懐かしい、とわたしはすぐさま寝台に横になった。

 「ここ2階の1番奥で静かでいいんですよ!」

 上機嫌なわたしに、カイン様は「そうか」とだけ言ってゆっくり部屋に入り、そして宿と同じように寝台に腰掛けてうな垂れていた。


 ……わたしの部屋お気に召しませんか?

 夜になったら天井の一部をはがして、硝子を張った仕掛けを見せてあげよう。

 きっとダンレイさん達も知らないだろう。

 あ、カイン様が何か言いだした。時々「ダンめ」とか聞こえるけど、まぁ聞けるような雰囲気じゃないからさっさと下へ降りよう。

 ぶつぶつ言うカイン様を残し、わたしはビュイを手に食堂へと向かった。

 なぜかにやにやしているダンレイさんに気づいたが、ディレイ君にビュイを上げると彼も好きだったらしく、さっそく食べようとして「ご飯前よ!」とカティーレさんに父子で怒られていた。

 


読んでいただきありがとうございます。

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