20 話
こんにちは
「今夜はこちらの仮眠室でお休み下さい」
テキパキと寝台からシーツを剥ぎ取り、新しいものと交換し、毛布も取り替えている。
「あの、そのままでもいいですよ?」
「いえいえ、ここは普段カイン様が寝泊りされていますので、さすがに使用済みのままでは失礼ですので」
「えぇ!?じゃ、その、カイン様は今夜はどこで!?」
使用済みという毛布を畳むと、イパスさんは窓の外を見た。
「おそらくお帰りは早朝でしょう。いざとなりましたらカイン様はどこででもお休みになりますので、アリス様がお気になさることはありませんよ」
「でも……」
ふっとイパスさんが目を細める。
「カイン様は騎士団にお勤めでしたので、あぁ見えましても随分野外での寝泊りに慣れていらっしゃるのです。最初にお邸に戻られた時も落ち着かないと、とよく言われてましたよ」
「騎士団も大変なんですね。お城にお勤めのイメージでした」
「お城に勤めるのは、近衛や一部の上流階級出身の騎士がほとんどです。騎士団も陛下直属の部下というだけで、軍部の兵士と変わらず野宿もすれば徹夜の強行など結構厳しい任務をこなします。その任務も責任の重いものがほとんどだと聞き及んでいますが」
「……カイン様、厳しいところにいたんですね」
騎士団っていうと軍部所属の一般兵士と違って、華やかなイメージがあったが、なかなか陛下直属と言うこともあって責任重大なもののようだ。
「カイン様は騎士団でも、かなりの実力者として知られていたのですよ。いずれ家督を継ぎ領主となることが決まっておりましたが、家督はともかく領主の仕事は代理で縁者に回せないのかとまで言われていたのですが、どこからか先代旦那様の借金の話が漏れたので、騎士団長からは領主の返上をして留まれというお話にまでなったそうです」
「それを断ってわざわざ苦労しに帰ってきたんですか」
言ってはいけない、とは思っていたが気がついたら口に出てた。
でも、イパスさんはむっとした顔一つしないでうなずいた。
「それが領主として続いている、ログウェル伯爵家の義務ですので」
そうなんだ、とわたしはなんともいえない顔で外を見た。
「大丈夫ですよ。カイン様は騎士団でも出世頭、といえば聞こえは良いですが、実際は上からも下からも変に期待されて重圧で苦労した、とおっしゃっていました」
「え……それ、どういうことですか?」
「つまり、今も昔も苦労するのは変わりないとのことです」
苦笑しているイパスさんを、わたしはぽかんと口を半開きにして見ていた。
え、カイン様、あなた苦労するのが好きなんですか?
なんとなくわたしの言いたいことがわかったのか、イパスさんは最後にちょっと首をかしげて目をそらした。
でもね、イパスさんも結構な苦労人だと思う。長年仕えていますから、の一言で沈没寸前の伯爵家に帰ってきたばかりの領主に付き従うなんて、わたしじゃ考えられないなぁ。たとえそこは人情でしょ、と言われてもやっぱり自分が大丈夫だから他人の心配ができるんじゃないかって思うんだよ。
……あ、なんかわたし、今自分にひどい罪悪感感じる……。
少し憂鬱になったわたしをよそに、イパスさんが「そうそう」と窓を開けて両手を外に突き出すと、何かを掴んで部屋に入れた。
「こちらはお預かりしますね」
その手にはフーちゃんが握られていた。
「フーちゃん!?」
「先程からチラチラと様子を伺っていたようなので。こちらもジェシカ様が元々所有しておられたということで、並みの魔法具ではありますまい。おそらくアリス様の気配をたどってやってきたかと」
すごいよ、フーちゃん!犬みたいだね。
「万が一にはお返ししますから」
「万が一!?」
「はい。あってはならないことですが、アリス様を逃がす際にはお返しします。このままここにおいておけば、アリス様は海へ行ってしまわれるかもしれませんからね」
うっと言葉に詰まって目線をそらす。
はぁっとイパスさんの「やっぱり」といわんばかりのため息が吐かれ、わたしはははっと笑って誤魔化した。
……ドォオン……
びくっと体が上下した。
キッと鋭い目つきでイパスさんが窓の外を見る。
「始まったようですね」
言われてわたしも暗い窓の外を見た。
何も見えないけど、この方向には海がある。ぽつぽつと見える明かりのどれが民家のもので、どれが探す砦の明かりなのかはわからない。
……ドォオン……
離れているせいか花火の後追いのような音だけが小さく響いてくる。
わたしは今から起こそうとしている自分の行動を考え、やけに耳につくドキドキという心臓の音を聞きながらそっとフーちゃんを見た。
まだしっかりとイパスさんに握られているが、わたしが見たことに気づいたのか、ちょっとだけ毛先が上がった。
「フーちゃん!」
手を握り締めたまま呼べば、フーちゃんはするりとイパスさんの手から抜け出し、あわてて掴もうとしたイパスさんの頭をぱこーんと叩いてわたしのところへ来た。
「ごめんなさい、イパスさん!」
ろくにイパスさんの顔を見なかったけど、とりあえず謝って窓を全開に開く。
ほとんどしがみついただけの格好だったけど、フーちゃんと外に飛び出した。
「行かせませんっ!」
ぎょっとして目だけで後ろを見ると、フーちゃんが飛び出して上昇しようとしたその瞬間、すでにイパスさんが窓際を蹴っていた。
(えぇっ!?)
本気で目が丸くなった。
落ちればまず骨折。死んでしまうかもしれないのに、イパスさんに躊躇はなかった。
がしっと掴んだのはフーちゃんの毛。
その瞬間、ガクンと下降したものの、なんとかフーちゃんはゆっくり上昇を始めた。
わたしは棒の先の方に掴まり、毛先でぶら下がるイパスさんに言った。
「下ろしますから、降りて下さい!」
「絶対降りませんよっ!」
頑固ジジイと化したイパスさんは、歯を食いしばってどうにか毛の部分をわきの下に入れて掴まった。
2人とも足はぶらぶらしたままだったが、フーちゃんも大した速さを出していなかったのでどうにか落ちずに港へと着いた。
地面に足がついたとたん、イパスさんはガクンと膝と両手をつき肩で息をしていた。
わたしはフーちゃんを片手に、きょろきょろと辺りを見渡した。
ドォオン!
さっきよりずっと近くで砲撃の音がした。
よく見れば遠い海の上に灯りが見える。
(あそこだ!)
再びフーちゃんに乗ろうとしたが、そこは復活したイパスさんに阻止された。そして今度こそフーちゃんを取り上げられた。
「なりませんよっ、アリス様っ!」
「でもっ」
「行って何ができますかっ!?あなたが怪我をすれば、カイン様もジェシカ様も悲しまれます。知ろうとあなたが無茶をする前に、ザッシュさんはあえて情報を与えたのでしょう。もう充分ではないですかっ!」
確かに、わたしが飛んでいったとしても何もできない。
大勢の前で魔法を使えば、遅かれ早かれ処罰の対象となる。
ぐっと唇をかみ締め俯いたわたしに、イパスさんはそっと近寄り肩に手を添えた。
「……砦に参りましょう。いくらかわたしめも顔が利きます。今の状況を聞いたら帰りますよ」
悔しかったが、こくっとうなずいてとぼとぼとイパスさん付いて行くことにした。
向かったのは西の砦だった。
円柱の建物で、小さな窓がいくつかあるだけの外観だ。
出迎えてくれたのはドイルさんだった。
「こちらにいるのはログウェル家の私兵だけです。ドイル、状況は何か伝わっていますか?」
ドイルさんはわたしに気づいて怪訝な顔をしたが、すぐイパスさんを見て首を振った。
「さっき接触したという連絡がきただけだ。魔砲台はまだ使われていない。海賊どもも船が2隻しかでていないという話だ」
「つまり、待ち構えているということですね」
「かもしれないし、単に理由があって出ていないのか」
「魔砲台を打っていないというのは、やはり魔石の補充がなされていないのですかねぇ」
「さぁ。でもそんな時に仕掛けるかね。俺ならしねぇがな」
確かに、とイパスさんはうなずいた。
ドイルさんに案内されたのは最上階で、その階自体が部屋だった。窓の部分がぐるりと一周が分厚い硝子窓で覆われており、周囲がくまなく見渡せるようになっていた。ただ、あちこちにはしごのような突起があり、天上部にいくつかある丸い開口と繋がっていた。あそこから外に出れるようだ。
「あっ!」
誰かが叫んだ。
「どうした!?」
「ドイル、奴ら使ったぞ!」
私兵の一人が指差した方向を見れば、そこには赤々と燃え上がる火の塊が見えた。
それがすぐに消える。
そしてまた火の塊が現れた。
「前と打ち方が違うな」
ドイルさんのつぶやきに、イパスさんは苦々しく口を開いた。
「……これはいけませんね」
全開は魔石の魔力切れで幕を閉じたが、海賊が正しい魔砲台の使い方できたのなら戦力の差はあきらかだ。
わたしはじっと暗い海を見ていた。
目につくのはここからでもわかる赤い火の塊。そして討伐隊の打つ砲台の音。
(何もできない……)
呆然として見ていることしかできない。
魔砲台は破壊力がある兵器だ。
ザッシュさんが行っていたことが本当なら、あの魔砲台にはさほど大きくない魔石が使われているだろう。そして馬鹿でない限りその数を前よりずっと多く用意して来たに違いない。それに1隻現れていない船もあるという。
その時、ふとザッシュさんの面倒そうな顔を思い出した。
あれは昨夜一方的に話を打ち切られたので、わたしが朝からバシンバシン音を立ててパン生地を打っていた時だ。普段の倍以上の数で空気抜きをしていたので、さすがのザッシュさんもわたしの不機嫌さに気づいたらしい。
『なんだ。何が言いたい』
『別に!』
『そうか。……じゃあ、これは独り言だが、俺なら大きな盾でも作って気が済むまで打たせるがな』
『は?』
顔を上げた時、ザッシュさんは裏口から出て行くところだった。
(盾……)
魔砲台を正しい使い方で打ったからといって、それがずっと続くわけじゃない。全開無理な使い方をしているから、本体のどこに負荷がかかって故障してもおかしくないはず。まさか新品なんてこんな短期間にはそろえられないだろうし。
でも、あれを防ぐ盾なんてないだろう。
あるとしたらかなりの大きさで作らないと意味がない。
そう、それこそ大きな船のような……。
(船……)
その言葉にひっかかりを覚え、わたしはハッとひらめいた。
(やれる……かも)
ドキドキと胸が高鳴る。
だが、それを自分一人では実行に移せない。
でも、できることがあるならやるしかない。
わたしはぐっと手を握り締め、大きく息を吸い込んで姿勢を正した。
「……イパスさん、お願いがあります」
すっと目が細められた。
「なんでしょう、アリス様」
「船を、できれば壊れても問題ないけど自走できる船を1つ欲しいんです」
「……それをどうなさるのですか?」
「盾にします」
成り行きを見守っていたドイルさんも、おもわず「は?」と言ってポカンとしている。
わたしは机の上に散らばっていたペンを持ち、力を込めた。
一目でわかるように、自分の手首くらいの大きさに膨らませた。
目を見開いたドイルさんと、膨らんだペンをじっと見るイパスさんにわたしは言った。
「ギリギリまで近づいて船を大きくします。それを討伐隊と海賊の間にねじ込んで盾にします。魔砲台を消耗させます」
「危険です。せめてこの港で船を大きくして下さい」
「それじゃあ海賊に気づかれますし、この港で大きくできるくらいの船では盾になりません。それに、いざとなったらフーちゃんと逃げますから」
こくっとフーちゃんがうなずいた。
動くホウキに少し驚いたドイルさんだったが、すぐ真剣な眼差しでわたしを見た。
「船はある」
キッとイパスさんがドイルさんを睨むが、彼は見事に無視した。
「だがなお嬢さん、船は操れるのかい?」
そう。それがネックなのだ。
「いえ、わたしは乗ったこともありません」
前世ではフェリーに乗ったことがあったが、船酔いはしなかった。ただ、この世界での船の経験はない。前世でいいのでボートにでも乗っておけばよかった。
正直にわたしが言うと、ドイルさんは1つ力強くうなずいた。
「よし、俺が一緒に行ってやる」
「えっ、いいんですか?」
「こう見えてもここの仕事は長い。船の扱いくらい覚えるさ」
違ぇねぇ、と腕や頭に包帯を巻いた私兵の2人も笑い出す。
「なんだか知らねぇが、あの海賊どもに一泡吹かせてやれるんだったらしばらく海釣りは我慢するぜ!」
「そうだな、小船で我慢だ」
わははっと私兵が笑い出す。
「お願いします!いざとなったら飛んで逃げますからっ!」
両手を握り締め、ぐっとドイルさんに詰め寄ったわたしの間にイパスさんが立った。
「アリス様」
「お願い、イパスさん。カイン様のためです」
こうなったら何でも出して拝み倒すしかない。
ちょっと恥ずかしいがカイン様の名前と、上目遣いの目で必死に訴えてみる。
…………。
……すっとイパスさんの目尻が緩んだ。
「絶対無理はしないとお約束下さい」
「はいっ!」
わたしは笑顔でうなずいた。
「船の操縦ですが……」
「お?ジーさんできんのか?」
ドイルさんがおもしろそうに聞く。
「教えていただけるなら。なんせわたしの祖父の従兄弟の娘が漁師と結婚したそうです」
「何のつながりもねぇな。却下だ。ジーさんここにいろ」
こうして最後までついてくるというイパスさんを、私兵の2人がなんとか取り押さえている間にわたしとドイルさん、そしてフーちゃんは砦の裏にとめてあった小さな帆船に乗って出発した。
読んでいただきありがとうございます。