16 話
明日まで連続投稿できそうです。
段々日が傾いていく頃、わたしは今夜の夕食用にとパンを焼いてカイン様に届けることにした。
家族だ、一緒に住もうと言ってくれるカイン様に、わたしができることと言えばパンを届けることくらいだ。もちろん御代はいらない。なんてったって「家族」だから。
昨日の夕食の時、カイン様もイパスさんも喜んで食べてくれていたので、今日も多目の8個。余ったら、サラダやチーズをはさんで夜食にでもしてもらおう。
カイン様が今日までお店に休みの連絡をしていると言っていたので、とりあえず今夜は行ってもシフトに入れないだろうなと諦めていた。
のんびり歩いてログウェル伯爵邸までやってくると、辺りは薄暗くなって来ていた。
初めて歩いて来たけど、思ったより時間がかかった。帰りは暗くなるだろうからと、フーちゃんにお迎えをお願いしておいてよかった。
わたしの背の3倍はあろうかという、白いが汚れと細い草のツルがあちこちにのびている大きな門の前に立つ。そして辺りを見渡してから、その門の右手にある小さな通用口のドアを開けた。
門は錆付いて開けにくいのでほとんど開かないそうだ。普通は通用口から出入りしており、鍵も壊れているそうだ。無用心すぎるので直すよう、午前中送ってもらう道中でお願いしておいた。
『そうだね、鍵のかからない入り口があると無用心だな。今までは俺とイパスだけだったから放っておいたが、アリスを迎えるには直してからでないとダメだな』
なにやら他にも壊れているところがあるらしく、それらをぶつぶつ小声で呟いていた。
でもね、カイン様。何度も言いますが、わたしは同居しませんからね。
路上で熱く語られても困るので、その時は何も言わず黙っていた。
草で隠されそうな石畳の上を歩いて、ようやく玄関にたどり着きベルを鳴らした。
やがて開かれた玄関にはイパスさんが立っていた。
「これは、アリス様。ようこそおいで下さいました」
「こんにちは、イパスさん。パンを届けに来たのですが……」
そっと差し出したバスケットを見て、イパスさんはにっこり微笑んだ。
「お気遣いありがとうございます。あいにくとカイン様はお留守ですが、お茶でもいかがですか?」
「ありがとうございます。あの、それよりばぁーちゃん知りませんか?」
「はて、ジェシカ様は昼過ぎにこちらに戻られ、またお墓へ参られたっきりです。もうお帰りになったのかと思っていました」
どんだけお墓が好きなの、ばぁーちゃん。
いくら想い人の眠るお墓だからって、朝から晩まで入り浸るとかキツイよ。今日から伯爵夫人なんだし、毎日行けるっていうのに。
「さぁ、立ち話もなんですからどうぞお入り下さい」
「……じゃあ、少しだけ」
玄関をくぐりイパスさんにバスケットを渡すと、わたしは食堂へと案内された。
出されたのは紅茶だった。
「ジェシカ様とアリス様がおいでになる機会もありますので、ご用意させていただきました」
紅茶は贅沢な飲物、嗜好品という意識が平民にはある。普通の平民は薬草やらを煮たものをお湯で薄めて飲むか、そのままお湯や水のまま飲む。
「あの、カイン様はどちらに?」
イパスさんは少し厳しい顔をした。
「ローウェスです」
「あ、海賊が出たって本当だったんですか!?」
こくっとうなずく、イパスさん。
「数年前から海賊が度々出没するのですが、今年も出始めたようです。カイン様は現地で詳しく状況を確認されるために向かわれました」
ローウェスの町の港はそのままローウェス港と言われ、王都に1番近い港として賑わっていた。でも、先代伯爵が事業に失敗し借金をした頃から、段々とその賑わいはなくなっていった。
1番の原因が海賊だ。今までは国に派遣された兵の他に、ログウェル伯爵家の私兵が警備として守っていた。だが財政難とともにその私兵の数は減り、その結果海賊の略奪行為を防げなくなっていった。そうなるといくら王都に近いとはいえ、遠回りしても他の港の方が安全なら自然と商人達は遠ざかっていく。
そして寂れた港にはそれなりの兵しか派遣されなくなり、今では退役間近の兵の駐屯地と化している。
「アリス様。差し出がましいようですが、ローウェスの店はお辞めになったほうがいいかと思います」
「大丈夫ですよ。みんな良い人ばかりですし」
「海賊とはいえ、陸に上がらないというわけではないのです」
あ、なんだ客層のことかと思ってたら、海賊が客として、いや略奪にくるかもって心配だった。
「でも警備の兵士さんもいますし」
「彼らは退役間近や言い方は悪いですが、あまり腕の立たない者が多いのです。わたくしどもの雇う私兵にしても、優秀な者はそれなりの金額がしますので、今は数を優先させている状況です」
「……わたしがカイン様の孫になったのがバレたら、海賊はわたしを狙うってことですか?」
先読みして言えば、イパスさんは厳しい顔のまま「はい」とうなずいた。
紅茶を1口飲み、皿に戻す。
「まだバレてませんよ。それに海賊だって、ログウェル家が立ち直れば私兵を増やして追い払ってくれるんでしょう?」
「もちろんです。ですがそれはまだ先の話です。カイン様の身内というだけでなく、海賊がでたということはローウェス自体少なからず危険だということです」
「心配しすぎですよ」
去年も海賊は出たけどみんなケロッとしてた。話はしてたけど、それだけだった。
もう数年前から出ているせいか、最初は夜に営業を自粛したりと対策をしていたそうだが、慣れてしまえば季節のネタとして話題になり、皆他人事のように話して生活している。そんな町の様子を知っているわたしからすれば、カイン様やイパスさんは随分心配性のように見えた。
「今日カイン様は戻られるんですか?」
「いえ、明後日くらいかと」
「じゃあ、持ってきたパンは多いですが、イパスさん食べて下さい」
せっかくなので、残りの紅茶をくいっと飲み干して立ち上がる。
「フーちゃんがそろそろ来るかと思うので」
と、話していたらイパスさんがわたしの背後の窓に目線を移した。
つられて見ると、そこにはフーちゃんが立っていた。
「迎えが来ました」
「そのようですね」
イパスさんが中庭へ出られるその窓を静かに開くと、わたしもそのまま外へ出た。
「フーちゃん、お迎えありがとう。ちょっと玄関で待っててね」
そう言うとフーちゃんはこくっと少し前に倒れた。
普通の民家ならともかく、貴族の家の窓から帰るわけにはいかないだろうと踵を返したときだった。
「どうぞ、こちらからお帰りでもよろしいですよ」
「いいですか?」
「はい。いらっしゃる時も玄関でなくとも構いません。ここをご自分のお家と思って下さいと、とカイン様もおっしゃっていました」
「はぁ、すみません……」
急にそんなこと言われても無理だってば。何度も言いたいけど、心配性に加えてどうも構いたがりのタイプのようだ。
「じゃあ、失礼します」
ひょいっとフーちゃんに横座りして乗ると、ふんわり数十センチ浮いた。
「お気をつけて。くれぐれも、まっすぐお帰り下さい」
きらりと光った目に、わたしは「はぁい」と小さな声で返事してその場を離れた。
ぐんっと上に上がり、一応家の方向へと飛ぶ。
そして伯爵邸が小さくなると、わたしはフーちゃんにローウェスの店へとお願いした。
フーちゃんはくるりと方向を変えると、伯爵邸を遠巻きにしてローウェスへと飛んでくれた。
ローウェスに着く頃には、すっかり夜になっていた。
だが、勤め先酒場の周りは飲食店が多く、ちょうど夕食時とあってある程度賑わっていたので、いつもより遠くの路地裏に下りた。
フーちゃんにはいつものように店の裏で待機して、と伝えてすぐ人通りの多い道へ出て、足早に店に向かった。
「いらっしゃいませぇって、あら、アリス」
店の中に入ると、三つ網の青い髪の同僚がお盆片手に出迎えてくれた。
「こんばんわ」
「体調いいの?」
「うん、もう大丈夫。それを伝えに来たんだけど、店主は忙しいよね」
「ちょっと待ってて」
お尻をふりふりして、同僚は店主のいる厨房へカウンター越しに話をしに行った。
わたしは入り口近くの隅にそっと身を潜めるように立って、改めて見せの様子を観察した。
見たところ海賊が出たといってお客が少ないわけでもないようだ。
「アリス、こっち」
戻ってきた同僚に呼ばれ、わたしはいつものようにカウンターごしで店主と話すことになった。
毛むくじゃらな口元を撫でながら、店主はわたしをじろじろ見た。
「……お前、なんか今日は雰囲気が違うな」
「え?あっ!」
そうだった!今日は胸とお尻に副魔法をかけていなかった。
夜風対策にとコートは着ていたが、いつもより盛り上がりが少ないだろう。
「まぁ、いい。明日から出るのか?」
「あ、はい。ご迷惑おかけしました」
「妙なじーさんが来たんで驚いたぜ」
「あ、その、そうですか……。あ、それより海賊が出たって聞いたんですが」
イパスさんのことは誤魔化す理由を考えていなかったので、とりあえず曖昧にして本題を切り出した。
「おうよ。また海のシケが治まったからな。だが、あいつら派手にやってくれたぜ」
「え?」
店主は少し声をひそめた。
「みんな知ってるが、今朝狙われたのは国の御用船さ。まぁ、本船は無事だったが3隻の小船のうち1隻がやられ、2隻も自走はできるが被害がでたらしい」
わたしはぎょっと目を見開いた。
かつてこのローウェスにも国の御用船は来ていた。だが今は警備と安全性から他の港へと移っており、沖合いを通ったりしていたが、海賊は一度もそれを襲ったことがなかった。なぜなら御用船ともなれば護衛の数、質ともに敵わないからだ。
だから今まで海賊は比較的小さな商船を標的にしてきたのだ。
「海賊も力を持ったってことかもな。今まで散々うちの海域でやってくれたからなぁ」
「でも、御用船なんて狙ったら、自分達が危なくなるのだって知ってますよね」
「ったりめぇだよ。御用船なんざ狙ったら国から目を付けられるぜ。討伐隊か、もしかすると魔法省辺りから魔法使い様が派遣されるんじゃねぇか。なんたって領主様も視察に来てるようだしな」
そこで注文が入り、店主は「じゃ、明日な」と厨房に戻っていった。
わたしはとりあえず店を出ようと、目が合った同僚達に軽く頭を下げながら外に出た。
……なんだか大事になりそう。
でも討伐隊が派遣されたら海賊も一掃されるだろうし、やっぱりカイン様達が心配することはない気がする。
そう楽観的に結論付けると、わたしは店の裏手からフーちゃんに乗って家に帰った。
翌日の夕方、お墓参りから帰ってきたばぁーちゃんが言った。
「今朝また海賊が出たそうだよ。どうにか船や積荷は守ったようだが、応戦した兵達に怪我人がでたそうだ。もちろん、先陣を切った若造も」
「えぇっ!大丈夫なの!?」
「まぁ、動けるらしいよ」
平然としているばぁーちゃんに、わたしはちょっとだけイラッとした。
「なにのんきな顔して言ってるの!?旦那さんでしょ!?」
「書類上はね」
「心配してよ!」
「したって、あの若造が治るわけじゃないし、海賊相手に一線交えれば怪我もするさ。動けないわけじゃないから安心しなよ」
いつもどおりのばぁーちゃんを睨みつつ、わたしは小さく言った。
「……魔法を使えば海賊なんて逃げ出すだろうに」
それを聞きつけたばぁーちゃんは、今度は厳しい目線でわたしを見た。
「間違っても使うんじゃないよ。魔法使いの魔法は国が管理しているんだ。国の命令以外で使えば、どんな理由でも処罰される。学校で嫌というほど叩き込まれたと思っていたがね」
「覚えてるっ!それだから魔法使いは不便なのよ!」
「魔法使いの魔法を国が管理することで、その魔法の責任は国がとる。そういう掟なのさ。昔は副魔法すら登録義務があったんだ。使用制限もね。今は副魔法自体が害のないものばかりで、発現することも少ないから自由にはなっているけど」
「副魔法じゃ戦えないわ」
そう。どうやっても膨らませるだけの力じゃ戦力になりそうもない。
腕や足を膨らませても、べつに力が倍になるとかそういう作用は全くない。ただ本当に見た目が大きくなるだけなのだ。
害がなさ過ぎて使えない力とまで言われる副魔法。幸運にもわたしは使い道を見出したが、人を守ったり身を守ったりするようなものではない。
「でもね、あたしも死なれたら困るから、ちゃんとしといたよ」
「何を?」
見上げたわたしに、ばぁーちゃんは少しだけ微笑んだ。
「魔法省と軍部にちょっと手紙をね」
それを聞いて少しだけわたしのイライラがなくなった。
果たして、リリシャムの脅しを受け、魔法省と軍部がどう動くのか。
できるなら早く来て欲しいと、わたしは願った。
読んでいただきありがとうございます。
誤字などお知らせお待ちしてます!