15 話
どうにか今日まで連続投稿できました。
寝具が変わると寝れないわ、なんて人がいるけど、わたしはどうもそうじゃないらしい。っていうか、こんなに上等の寝具に包まれれば、誰だって寝てしまうと思う。
……寝坊しました。
だって鳥の声が聞こえるもの。
ぼんやりと目を開けると、そこに見えたのは太い木組みの天井と、そこから垂れる厚みのある布地。
はっと目を見開いて飛び起きた。
柔らかな厚みのある毛布を握り締め、カーテンの下ろされた寝台の中で、わたしはそぉっと膝をついてカーテンを少し開いてみた。
部屋の窓のカーテンは閉めてあるが、朝日を浴びてほんのり光りを通している。
そういえば、わたしカーテンなんておろしたっけ?
むしろ毛布にすら包まっていなかったような気がする。もしかして寝ぼけたまま寒くてカーテン閉めて、毛布かぶって寝たとか。なかなか器用だな、わたし。
のろのろと這い蹲って寝台から下りる。カーテンをくぐると、部屋の空気はひんやりと冷たく、わたしはすっかりしわの入ったスカートを、気休め程度に引っ張ってしわを伸ばしてから部屋を出た。
知っているのは食堂への道だけで、物音のしない廊下は朝の光りがあるのに少し不気味だった。
食堂のドアを開けてみるが、中には誰もいなかった。
それならば、とわたしは台所にも行ってみた。
火を使ったからか、台所にはほんのり温かな空気が漂っていた。だが人はいない。
台所を良く見ると、中央の作業台に盆が置いてあった。その上にカップとポット、それに昨夜の残りのパンが1つ乗った皿が乗っていた。すでに朝食を取ったのだろう、とわたしは再び食堂へ戻り、窓から外を眺めた。
草木が生い茂る自然に返ろうとしているかのような庭。今日もいい天気のようだ。
そんなふうに庭を眺めていると、がちゃりとドアが開く音がした。
「あぁ、ここにいたんだね」
入ってきたのはカイン様だった。
「おはようございます、カイン様」
頭を下げて挨拶をすれば、カイン様は「おはよう」と笑ってくれた。
朝からその綺麗な笑顔を見れて幸せ、と思う若い女の子はたくさんいるんだろうな、と今は独り占めしているその笑顔を見ていた。
「朝食は食べたかい?」
「い、いえ」
「じゃあ、用意するよ。と、いっても昨日君が作ってくれたものだけどね」
そう言ってドアを開け出て行こうとしたので、わたしはあわてて止めに入った。
「じ、自分でします!」
「いいよ、随分疲れていたようだし。ぐっすり眠れたかい?」
「はい。おかげで寝坊しました」
語尾が小さくなったわたしに、カイン様はまたにっこりと微笑んだ。
「君は働きすぎだからね。たまにはこうして休まないと倒れてしまうよ」
「そんな、倒れるほど働いてませんよ。倒れてるのはカイン様じゃないですか」
調子に乗って言い返せば、カイン様は「うっ」と図星をつかれたような顔で固まってしまった。
あ、言いすぎだ。
「す、すみません!カイン様はわたし達のために一生懸命過ぎて倒れたんであって、わたしが倒れる理由とは全然わけが違うといいますか、そのっ……」
必死で弁解するわたしに、カイン様は苦笑した。
「君が頑張って倒れる理由も俺の理由も一生懸命働いたから、なら一緒だよ。でも、昨夜も言ったけどアリスはどうして将来有望で安泰な魔法使いになりたくないんだい?激務といっても、徐々に仕事は任されていくだろうし、リリシャムがいれば無理も言われないだろう?そんなにパン屋がしたいのかい?副業ではダメなのかい?」
「……カイン様、国家登録された魔法使いに副業は厳禁なんです」
それに、とわたしは言いかけて口をつぐんだ。
そんな様子に、カイン様は「言ってごらん」と優しく促してくれた。
「……わたし、最初はお金を稼いで生活することだけを考えてました。本当言うとパン売りは利益も少ないし、早起きに仕込みと手間もかかるし、何より同業者から嫌われますからあまり良いことはないんです。それより副魔法を使った貴族相手の副業のほうがずっと稼げますし、それだけで暮らせます。でも、ある時やめられなくなったんです」
1度言葉を切り、ちらりとカイン様の顔を伺う。
あいかわらず穏やかな顔で、まっすぐわたしを見て聞いてくれていたので、わたしは少しほっとして先を続けることにした。
「朝市の隅で隠れるようにパンを売っていたとき、小さな女の子と男の子がやってきて、目を輝かせてパンを買ってくれました。そして言ったんです。『明日はお母さんのお誕生日なの。だから買えて良かった』て。思わず詳しく聞いたら、そのお金もその兄妹が一生懸命働いて稼いだお金でした。たった1つのレーズンのパンを宝物のように抱いてました。それまでわたしは、パン売りを気が向いたときしかしてませんでした。決まった曜日に売りにくるわけでもないわたしを、その兄弟は毎日朝市に来て待っていてくれたんです。
わたしは気づきました。気まぐれなわたしは生活するには困らない副業があります。でも、パン屋さんはパン売りで生活をしていかなくてはなりません。お客様にもわたしは失礼でした。誠実ではない、どこか高慢なパン売りとして見られていたのかもしれません。わたしはすでに半年以上、そんな態度だったことに気づかずに過ごしていました。それを気づかせてくれたその兄妹に、わたしはそのパンを売ることができませんでした。そのかわり、明日また来て欲しいと言いました。
翌日わたしは大きなドライフルーツ入りのパンを作って渡しました。そして、お金は昨日の分だけいただきました。喜んだあの子達の顔を見て、わたしは人の笑顔が今まで以上に好きになりました。そして、中途半端な態度を改めて、一生懸命パンを作ることにしたんです。
魔法使いになって多くの人達からの依頼をこなし、尊敬や羨望の眼差しで見られることを夢見ていたときもありました。でも、パンを売って得られる笑顔はまた別なんです。なんというか、こう、柔らかいというか温かいというか、とても気持ちの良いものなんです。パン屋として店を持っても大きくする気はありませんし、今まで通り少ない数で、周りのパン屋さんの邪魔にならない程度でやっていくのがわたしの夢なんです」
ぽつぽつと話し出したはずなのに、終いには熱弁している自分にようやく気づいてあわてて口を閉じた。
「……すみません、長々と」
「そんなことないよ。聞いたのは俺だし」
ふむっと短く息を吐き、カイン様は腕を組んだ。
「俺も前からうちの借金は知っていたし、父が死んだときすぐに国に爵位と領地を返上し、騎士を続けていたほうが楽だっただろうな。だが、俺もそうはしなかった。祖父の約束、というのはあとで知ったことだったが、俺にも少なからず責任があったからだ。父は商才があまりなく、良くないところから資金を得ていたということも知っていて止めなかった。死んだ人を悪く言いたくないが、父は没落していく伯爵家が怖くて必死にもがいていたのだろうな」
そしてぐるりと部屋を見渡した。
「……父が生きている間は邸の中はそのままだった。何一つ手放すことが出来ず、給金も満足に払えないのに使用人がいて、中には邸の物を持って逃げた者もいた。だから父が死んだと同時にこの邸を空っぽにした。イパスだけは『家がありません』という理由で残っているんだ。ありがたいよ」
「あの、カイン様は一生懸命だってみんな言ってました!」
ちょっと暗くなりそうだったので、わたしは咄嗟に大きな声で言った。
「きっと大丈夫だって、みんな言ってました。カイン様、これからは金山もあるんです。今からしっかり再興していけばいいですよっ!」
再興、なんて簡単じゃないのはわかっているけど、今はとにかくそう言うしかなかった。
「……そうだな。家族もできたし……」
そう言ってゆっくり数歩近づいてくると、右手でそっとわたしの少し寝癖のついた髪をなでた。
「……カイン様?」
どうしたのですか、と尋ねようとすると、ばぁーん!と食堂のドアが壊れんばかりの勢いで開いた。
「おはようっ!新妻のお目覚めだよ!!」
いつもとは違って黒いシンプルなワンピースを着て、黒いレース付きの帽子を被ったばぁーちゃんが入ってきた。
その瞬間「チッ」と低い舌打ちが聞こえた気がしたが、きっと気のせいだ、うん。
すっと背筋を正すと、カイン様はわたしの前でくるり反転しばぁーちゃんに向かい合った。
「おはよう、若造旦那。ジジ馬鹿も度が過ぎると嫌われちまうよ」
「御忠告ありがとう、人外魔女。それより祖母の好きだったエイムの花が咲いたので用意しておいた」
「奥様は黄色の小さな花が大好きだったからね。ありがたくもらっていくよ」
ふふんっと勝ち誇った笑みを浮かべ、ばぁーちゃんはさっさと出て行った。あ、ドア開いたままだ。
「嫉妬もしないか。まぁ、墓に一緒に入れてくれというだけのことはある」
低い声でぶつぶつ言っているカイン様だったが、そうだ、と顔を上げてわたしを振り向いた。
「すまない。朝食だったな」
「あ、あのばぁーちゃんは?」
「墓参りだ。イパスは朝一で婚姻届を出しに行った」
「王都までですか!?」
貴族の結婚は基本王都の大神殿に提出されると聞いた。王都まで数日かかる。
「いや、とりあえず町の神殿で仮提出しておくんだ。それから大神殿に提出すれば問題ない」
つまり、今日から本当にばぁーちゃんは伯爵夫人となったのだ。
……速攻で浮気(?)してますがね。
朝食はわたし一人だけだった。パンは副魔法で膨らませて食べ、スープだけ頂いた。あとは昼食や夕食に利用してもらおう。
朝食を食べたので、わたしは家に帰ることにした。
送る、というカイン様。
いえいえ、結構です、と遠回しに断るわたし。
でも結局あの笑顔に押し負けて、わたしはできるだけ人の少ない路地を選びながら歩いた。だって隣にはツバの大きな帽子を被っているとはいえ、領主の顔を知らない人がいたとしても目を引くような美形が並んでるのだ。注目を浴びないわけがない。
「やはりついてきてよかった。日が高いとはいえ、こんな人通りの少ない道を一人で歩くなんて」
すっかり孫を守る祖父の気分、なのか。カイン様は半歩前を歩きながら渋い顔をしていた。
まさかあなたがいるから大通り歩けません、なんて言えない。
会話は弾みもせず、ただ当たり障りのない天気だとかそういう話だけをして、どうにか家にたどり着いた頃には、わたしは相当疲れていた。
葡萄の蔦の門をくぐると、見計らったように玄関のドアが開いた。
半分体を覗かせたザッシュさんが、わたしとカイン様を見て小さくため息をついた。
「あの、ただいま、ザッシュさん」
「あぁ」
「あの、こちらばぁーちゃんと結婚したカイン様です。送っていただきました」
「そうか」
ザッシュさんはカイン様を見ると、ゆっくりと外に出てきた。
「海賊がでたと聞いた」
その一言に、カイン様から人の良い雰囲気が消えた。
まっすぐ射抜くようにザッシュさんを見るカイン様。
「……いつ」
「今朝、日の出前だ」
「そんな報告はまだない」
「ならそのうちくるだろう」
話は終わり、とザッシュさんは玄関のドアを開けた。
「伝えたぞ」
振り向きもせずそう言うと、パタンとドアを閉めてしまった。
そのドアをしばらく無言で見ていたが、わたしはそっとカイン様に頭を下げた。
「すみません、カイン様。ザッシュさん、いつも誰にでもあぁなんです」
「……彼は本当にただの大家?」
険しい顔のカイン様に、わたしはこくっとうなずいた。
「胡散臭くって何してるかさっぱりで謎が多いんですけど、ばぁーちゃんの知り合いの大家だというので大家だと思います」
「……アリス、君は騙されていると思う」
なんとも可愛そうな子を見るような目で見られる。
「……でも良い人なんですよ」
「良い人が胡散くさくて謎ばかりなのか?」
カイン様は片手で顔の半分を覆うと、はぁっとため息をついてわたしの両肩を掴んだ。
「アリス、やはりうちに来なさい。部屋だけなら沢山あるし、パン作りもうちですればいい。ただ、夜の仕事については後から話そう」
「え!?いいです、遠慮しますっ!」
「遠慮することはない、家族だろう?」
「いえ、そういうことではなくて、その、なんというか……」
あんな広いところに住めるような度胸ありません。
再びガチャッと音がして玄関のドアが開いた。
「何をしている」
眉間にしわを寄せたザッシュさんが現れ、カイン様も肩から両手を離して姿勢を正した。
「書類上とはいえリリシャムと籍を入れたので、アリスを引き取るべきだと思っている」
「家主の前で引抜きか」
ちらっとわたしを見て、ザッシュさんは言った。
「そんなことよりさっきの話だ。嘘か本当か自分で確かめろ。今頃使いが来ているかもな」
ぐっとカイン様は押し黙り、まっすぐザッシュさんを見た後肩の力を抜いた。
「……あ、イパスさんが今いないんでしたね」
「確かにローウェスから使者が来るなら今頃だろうな。しかたない、今日は帰ろう」
それじゃあ、とカイン様はわたしに微笑んで足早に去っていった。
「帰ったか」
ザッシュさんは懐から小さな壷を出すと、その中身を鷲掴みにして盛大に撒いた。
あれ?この世界でも塩まくの?
っていうか、領主様に塩まいちゃダメだよ、ザッシュさん!
誤字などありましたらお知らせください。
読んでいただきありがとうございます。