12 話
やっとここまできた…。
あのね、この場にその目にイタいピンクのローブは無しだったと思うよ。しかもいつもより光沢があるね、それ。新品?
ほら、ここに案内してくれたあの素敵な老紳士、執事のイパスさんも最初玄関で目を丸くしてたし、目の前のふっかふかの長椅子に座るカイン様なんてまだ驚いているよ。
でもばぁーちゃんは全然気にしてない。
さっきからずっとにっこりと艶やかな笑みを浮かべ、お風呂で入念に手入れした肌はつやつやで、頬は薄化粧だけだがほんのりと自然な赤みをさしている。
対してとなりに身を小さくして座るわたしは、温かなパンがいっぱい詰まったバスケットを膝にのせ、ずっと俯いていた。ちなみに青いあのドレスを着ろと迫られたが、どうかご勘弁をと拝み倒して髪飾りのみつけることになった。これでも外出着だよ。
「あの、あなたが”緋炎の魔女”リリシャム?」
まだショックを受けているようなカイン様の声に、ばぁーちゃんはにっこり微笑んだ。
「はい。第31代リリシャムのジェシカと申します」
「わたしはカイン・ヴェネス・ログウェルだ。あなたをずっと探していた」
「あら、なんの御用でしょう?」
余所行き、いや、外交モードのばぁーちゃんは、ちょこんと首を傾げて見せた。
……だからね、それがかわいいといわれるのはせいぜい20代前半までで、70近い無駄に若くて艶やかな美貌のばぁーちゃんがすると、まるで悪女のようだから。早い話、ぎゃふんと言わされそうでちょっと怖いよ。
カイン様はすっと頭を下げた。
「数年に渡り、我がログウェル家を援助し続けてくれたことに感謝致します。特にわたしが父から爵位とその全てを引き継いだ時は、そのあまりの負債に卒倒したものです。ですが、どうにかあなたのおかげで最小限の損失ですみました。本当にあの時から今まで感謝しても仕切れないほどの恩を受けました」
それを聞いたとき、わたしはようやく顔を上げた。
これからあのことが告げられるのだとわかったからだ。
カイン様は頭を下げたまま、その言葉を口にした。
「しかし、わたしの経験も知識も何もかもが及びませんでした。祖父の遺言は知っていますが、唯一利益を出していた製糸工場が担保の期限を迎えました。それにより、あと5日でログウェル家は領地と爵位を返上し、平民になります。墓はどうにかわたしが働き、それで移築させようと思いますが、それまで新しい領主がまってくれるかわかりません。あなたには恩を仇で返すようなことになり、本当に申しわけない」
平民の墓は共同墓地だ。ある程度古いお墓には、また新しい人が葬られたりする。
カイン様はしばらく頭を上げなかった。
ばぁーちゃんが激怒して、激しく罵るとでも思っていたのだろう。
でも、ごめんなさい、カイン様。
この人もっと酷いこと言うつもりなんですっ!
かちゃんっとカップが受け皿に戻された。
その音を合図にカイン様は顔を上げ、ばぁーちゃんはローブの中から伝家の宝刀を取り出した。
「お話はわかりました。まずはこれをご覧下さいな」
そっとテーブルに置かれた額縁に、カイン様とイパスさんは視線を注ぐ。
そして大きく目を見開いた。
弾かれたようにばぁーちゃんを見て、かすれた声で「これは……」と言った。
「見ての通り金山の権利書ですわ。先日行われた宝クジに当選しましたの。もちろん不正はありません。ちゃんと時間をかけて調べてもらい、こうして陛下のサインをもらって参りましたの」
「あの宝クジの……」
「そうですわ。で、ここからが本題です」
ばぁーちゃんの目が細められ、それを見てカイン様も顔を引き締めた。
「こちらはわたしの所有ですが、おいそれと譲渡や売買ができないようになっております。そこで、この金山をログウェル家の所有とするために、わたしはカイン様との結婚を望みます」
言ったぁあああああああ!!
と、わたしは心の中で叫んだ。
そしてどきどきしながらカイン様を見た。
イパスさんは一瞬呆けていたが、やや厳しい顔で権利書とカイン様を見比べていた。
カイン様は無表情なその秀麗な顔を崩さないまま、じっとばぁーちゃんを見ていた。
そんなカイン様の顔を見て、ばぁーちゃんはくすっと笑った。
「金山を持参金として、書類上の結婚をしましょうという提案ですわ。さすがのわたしも孫のようなカイン様には手を出しませんし、何よりもっと魅力のあるものがありますもの」
「……何が望みだ」
「お墓参りです。貴族の墓は私有地でおいそれと近づけません。身内ならどんな時でも参りに行けますでしょう?」
そしてばぁーちゃんはポンッと手を叩いた。
「そうそう、言い忘れてましたが結婚と言っても一生ではないですよ?2年です。2年結婚していれば、妻の持参金は夫のものとなる。これは法で定まっております。その後離婚し、あなた様は本当の花嫁を迎えればいいのです」
「あなたはその後どうするのだ」
「ふふっ、わたしも年です。2年後生きている保証は若いあなた方よりうんと少ないものです。お気遣いなく」
それでもカイン様の表情は変わらない。
ちらっとあの綺麗な緑色の目と目が合った気がしたが、どきっとしたわたしはそのまま下に目線を下げていた。
「大々的に式をするようなことはしませんわ。お互いの立場もありますから、あくまで内密に書類上の結婚をするだけです。それに今ならこの子もついてきますわよ」
そう言ってぽんっとわたしの背中を押した。
え?えぇええええええええ!?
驚いて顔を上げると、ばっちりカイン様と目が合った。
「家事も出来るし、美味しいパンを作ることができます。美少女ではないですけど、顔はまぁかわいいですし、でも愛人にしたらぶっ飛ばしますので手を出してはいけませんよ。わたしと結婚するならこの子はあなた孫になるんですからね」
「……孫」
ぽつりと呟いたカイン様は、両手で顔を覆って考え込んだ。
「ばっ、ジェシカさん!なんてこと言うんですかっ!」
「事実じゃないか。この邸にはイパス以外に家人はいないんだ。みんな最初の危機のときに別の仕事を紹介して辞めてもらったんだから。おかげで幽霊屋敷のようなありさまだ」
「ユーレイって、言いすぎよ!」
横から怒鳴るわたしに、うるさいとばかりに耳に指を突っ込んで体をそらす。
「あ。これもついでに渡すよ」
さらにローブの中から取り出したのは、数枚の紙だった。
顔から両手を外したカイン様がそれを手に取る。
「製糸工場の権利書と、取り上げようとしていた奴が持っていた債権書だよ。こいついろいろ悪どいことしててね、ちょっと前に捕まったのさ。そして出てきた証拠の品に偽造されたこれがあった。早い話とっくに借金は返している。だけど何度も偽造され利息が膨らみ、元金すらあやふやになっていたんだねぇ」
すっかり元の口調に戻ったばぁーちゃんが、勝ち誇ったような笑みでカイン様を見た。
書類から顔を上げたカイン様の目は、射抜くような鋭いものだった。
ぱさっとテーブルに書類を置くと、ゆっくりうなずいた。
「いいだろう。第31代リリシャム、わたしと結婚しよう」
やや高圧的なその口調に、ばぁーちゃんはにたりと笑った。
「契約成立だね」
「ああ」
「あたしは仕事でいなくなることが多い。用事が出来たらこの子に言っとくれ」
「えっ、わたし!?」
急に話を振られてうろたえると、ばぁーちゃんは「フーに言えばあたしのとこに連れてきてくれるよ」と、重要なことなのに初めて伝えられた。
それって最初に言うべきことじゃないかな!?
「しかし、今から領地と爵位の返上の申し出を取り消せるかが問題だ」
「すでに受理の返事が届いてもおかしくない頃です。とにかく早馬を出しましょう」
イパスさんが一礼して部屋を出ようとした時だ。
「あぁ、それならあたしが王城にいるときに取り消してきたよ。だから大丈夫」
ひらひらっと手に持って見せているのは、おそらくその返上申し出の紙。一体どこまで準備がいいんだ、このばぁーちゃん。
「とりあえずこれからはあたしも口出すからね。でも基本はあんたがやるんだよ、旦那様」
「……そっちが本性か、なかなか強かだな」
「そういうあんたも、あの方には叶わないけど大した面持ってるね」
ふふふっ、はははっとなんともいえない笑いが起こった。
軽く寒気すらする居心地の悪い空間に、わたしはまだほんのり温かなパンが入ったバスケットを抱きしめることでしのいだのだった。
外面を持つ魔女と伯爵でしたw。
今日も読んでいただきありがとうございました。