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第2話①

 春というよりは初夏と言った方が相応しい季節になってきた。

 世間ではゴールデンウィークとかいう大きなイベントが過ぎ去り、夏の盛りまでの間のなんとも言いようのない気だるい時期になった。

 季節が移ろうからといって柳瀬川古書店が繁盛し出すわけではない。今日は土曜日、いつもなら休みの日だが、北海道などという遠方からはるばるお客さんが来たいという連絡があったので、仕方なく開けていた。その用事も午前中には済んでしまい、長閑な昼下がり、惰性で店を開けっぱなしにしていた。

「そろそろ閉めるかな」

 硝子戸を開けて、店先に出る。五月半ばの日差しはなかなか強かった。

 ふと、脇の看板に目を遣る。先月以来片面は柳瀬川古書店、もう片面は元魔法使いのお悩み相談所のものとなっている看板の上に、黒猫が器用に丸まって寝ていた。

「おーい」

 声をかけてもピクリともしない。

「看板しまうぞー」

 尻尾もだらりと垂れ下がっている。完全に熟睡モード。

 よし。

「起きないなら……」

 こちょこちょこちょこちょ!

『うわっ! 何すんの!』

 文字通り跳び起きる黒猫。しかしがっちり俺に確保されて前足後ろ足をじたばたさせるだけだ。

『やめて! 離してよ!』

「ふはははは、使い魔のくせにご主人様が仕事している横でぐーすか寝ているからお仕置きだ!」

『昼から誰も来てないじゃん!』

 そう、この黒猫はみやびだ。この姿が本来の姿。たまにこうして猫に戻してやらないと、あまり長い時間本来の姿とは別な姿で居続けると戻り方が分からなくなってしまうのだ。

「関係ない。こんな長閑な昼下がりに、猫の姿で昼寝など、羨ましすぎて言語道断だ」

『逆恨みにも程がある!』

 ちなみに傍から見ればみやびはにゃーにゃー喚いているだけ。俺は猫と会話する頭のおかしい怪しげな古書店店主に見えるはずだ。まぁ、どうせ誰も来ないからいいのだけれど、と高を括っていたら、大変なことが起きた。

「あのー、すいません」

 突然の背後からの声に、固まる俺。そして、ゆっくり振り返る。

「い、いらっしゃいませ」

 我ながらぎこちない笑顔を作り、何事もなかったかのように対応する。

「柳瀬川古書店にご用ですか?」

「あ、はい、その……」

 目の前にいたのは若い女の子。長い髪をいわゆるポニーテール状態に結んでいる。恰好は長袖のワンピースに、七分丈のジーンズ、足元はスニーカー。なかなか活動的な感じがする。やや釣り上がり気味な瞳が特徴的だが、眉が下がっていてどうもなんとなく申し訳なさそうな顔をしているように見える。なぜだろう。

「猫、ですか?」

 一瞬何を言われたのか分からなかったが、視線を追うと俺に腋を持たれだらりと垂れ下がったみやびに行きついた。なるほど、そういうことか。

「猫、ですね」

「話をしていた相手ですか?」

 やはりばれいたか。しょうがない。

「そう、だね。こいつ賢いから、もしかしたら通じてるかなー、とか思ってね」

 あまり誤魔化すのも逆に怪しいので、適当に話を合わせることにする。

「そうか、あなた賢い子なんだ」

 みやびを見る目は優しい。猫を飼っているか、相当猫好きな子なのだろう。

「あの」

 突然女の子が上目遣いになった。なんだなんだ。

「この子、触ってもいいですか?」

 なんだ、そんなことか。

「本人がどう思うか分からないけれど、いいよ。俺が許可する」

「わぁ、ありがとうございます!」

 目を輝かせて喜ぶ女の子。そして、優しくみやびの頭を撫でる。

 そういえば、当の本人は先程から一言も発さないがどうしたのだろうか。と思っていたら。

「あの」

 再び女の子が上目遣いで訊ねてくる。無意識か、それとも心得ているのか。

「ところで、みやびちゃんは、今日はいないんですか?」

 突然のことに、目の前にいるじゃないか、と喉元まで出かかったが、さすがに猫状態のみやびじゃないだろう。人間のみやびの方の知り合いだったのか。

「みやびの友達だったのか?」

「あっ、すみません。自己紹介もしないで。私、みやびちゃんと同じクラスの小林さやかです。突然お邪魔してすみません」

 みやびが固まっていたのはいきなりやって来たのが高校の友達だったからか。そりゃあ、猫状態の時に友達に姿を見られたら動揺してしまうだろう。

「いやいや、こちらこそ。俺はみやびの兄の柳瀬川真人。でも残念。生憎みやびは外出中だ。申し訳ない」

「そうですか……」

 一瞬逡巡したが、みやびがいないことは特に問題ないようで、爽は言葉を繋いだ。

「あの、失礼ですけど、みやびちゃんのお兄さんですよね?」

「そうだけど」

 そういう設定なだけだけれども。

「それじゃあ、みやびちゃんが言ってた、元魔法使いのお悩み相談所っていうのも、お兄さんがされてるんですか?」

「そうだけど」

 あき子の一件以来全く依頼人は来ていなかったので、すっかり気を抜いていた。

「よかった」

 まさか。

「あの、お話があるんですが、大丈夫ですか?」

 まさかの依頼人だったとは。

 今すぐみやびを人間にして間に入ってもらいたいが、あいにく俺の手に持たれだらりと体を伸ばしている。頭の中で会話している暇もない。すなわち、俺一人でこの爽の対応をしなければならないわけだ。

「もちろん大丈夫だよ。さぁ、どうぞ中へ」

 追い返したり何かへまをしたりしてしまったらみやびの友人関係にも亀裂が入りかねないので、ご主人様としてしっかり爽をもてなさねばならない。

「あの」

「ん?」

 開けたままの硝子戸から店内へ入ろうとした俺に、爽が声をかけた。

「あの、依頼人、っていうんですか、その、悩みを持っているの、私じゃないんですけど……」

「どういうことかな?」

 言っている意味が良く分からない。他人の悩みを爽が代わりに持ってきたということか?

「あの、話があるのは、私の妹なんです。ほら、かなで

 そう紹介されて、初めて気が付いた。爽の後ろからひょっこり顔を出したのは、四、五歳くらいの女の子だった。爽と同じように髪の毛をポニーテールにして、どことなく爽に似た目をした小さな少女。

「こ、こんにちは、奏ちゃん」

 怖がらせないようにしゃがんだ上で出来る限りの笑みを顔に張り付け、出来る限りの優しい声を出す。

「俺は柳瀬川真人。魔法使いの、お兄さんだよ」

 何が、お兄さんだよ、だ。自分でも笑いが出てきそうだったが、そんな俺の努力を奏は全く無視してある一点を見つめていた。

 その視線に気づいた俺は、そいつをそっと差し出す。

「猫、好きなの?」

「クロ」

「ん?」

 奏が何か言った。

「うそ、クロだ」

 もう一度。そして目にも留まらぬスピードで爽の後ろから飛び出してきたかと思えば、一瞬で俺の手からみやびを奪い取った。そして、抱きしめる。

「クロ……。会いたかったよ……」

 茫然とその様子を眺めていたら、絞め殺す勢いで抱きしめ続けている。

『ぐ、ぐるじい……』

 そして、頭の中に響く久しぶりのみやびの声。というか、悲鳴。

『だずげで……』

「こらっ、奏、そんなに強く抱いちゃダメでしょ!」

 爽が奏の手からみやびを救い出してくれたおかげで何とかみやびの苦しみは収まったが、ただ見ているしかできなかった俺は、直観的になんとなく嫌な予感がして、眉間に皺を寄せつつこめかみを押さえていたのだった。


 結局みやびは奏の手の中に落ち着いた。というか、奏が放そうとしなかったのだ。当の奏は今はパイプ椅子に座って足をぷらぷらさせながら、笑顔で膝の上に乗せたみやびを撫でている。

「というわけで、お悩みの方を説明よろしく」

 みやびが猫状態で軟禁されているので、自分で人数分のお茶を淹れて二人に提供した。そして、カウンター内の椅子に腰を下ろし、ようやく本題に入る。

「はい」

 隣に座る奏をちらちら見ながら、爽は申し訳なさそうな顔をしている。

「あの、すみません、真人さんの猫ちゃんなのに」

 奏の膝の上のみやびに視線を遣り、言った。

「気にしないで。奏ちゃんもえらく気に入っているみたいだし。そいつには後で俺から謝っとくよ」

 誤った上でケーキでも買ってやらないといけないかもしれない。みやびは孤高の猫だから、というか、ずっと俺とコンビを組んできたせいで、他人に触られるのを非常に嫌がる奴なのだ。

「いつもこんな感じなの?」

「?」

 首を傾げる爽。

「あぁ、えっと、奏ちゃんは、猫を前にするといつもこんな感じなのかな、って思って」

「そう、ですね。奏も猫好きなので、道で見かけたら撫でたりするんですけど、今日はちょっと、なんて言うか、異常、ですね」

「異常」

「本当にすみません。ところで」

 猫好きの本能なのか、爽は俺の顔を見て話しているのに手はみやびの頭を撫でている。……、友達に撫でられるのはどんな気分なのだろうか。後でみやびに訊いてみよう。

「ところで?」

「この子、名前はなんて言うんですか?」

「あぁ、みや」

 と、ついうっかり真実を告げてしまいそうになった。

「みや?」

 赤の他人ならまだしも、爽はみやびの友達だ。猫と友達が同じ名前だったら、いらぬ誤解を招いてしまう。というか、それ以前に明らかにおかしすぎる。

「みや、じゃなくて、みゃあって言うんだ。猫だから、みゃあ。単純だろ?」

 咄嗟に適当な出まかせを言う。なんとまあレベルの低い出まかせか。

「みゃあ、ちゃん」

 そう呟きながら、みやびの頭を撫で続ける爽。

「かわいい名前ですね」

 そう言って笑う爽は、どこからどう見ても真正の猫好きだった。犬にワンと名付けるようなものなのに、納得してくれたのだろうか。

「で、お悩みの件なんだけど」

 なんとかみやびから無理やり話題を戻そうと頑張る俺。

「あ、そうでした。すみません。みゃあちゃんの毛があまりにも綺麗でふわふわで。つい無意識のうちに手がいってしまっていました」

 やはり無意識だったか。爽はみやびから手を離し、自分の太腿の上で軽く握る。

「話せばちょっと長くなってしまうんですけど、大丈夫ですか?」

「もちろん」

 そして、相変わらず申し訳なさそうに話し始めた。

「あの、お悩みというかなんというか、たぶんお悩みではないと思うんですけど」

 爽の話は、確かにお悩み相談ではなかった。

「実は、私たちも家で猫を飼っているんです。いや、正確には飼っていた、と言わなければいけません」

 そこで、爽はちらりと奏を見た。相変わらず熱心にみやびを撫でている。

「三ヶ月くらい前、クロ……、うちで飼っていた猫は、いなくなりました。家の出入りは自由にさせていたので、翌日には帰ってくると思っていたんですが、結局翌日も、翌々日も帰ってきませんでした。私も奏も必死で探したんですが、見つかりませんでした。父も母も私も、迷子になって誰か親切な人に拾われたんだと無理やり納得することにしました。でも、奏は……」

 申し訳なさそうな顔が、辛そうな顔に変わった。

「いつまで経ってもクロが帰ってくると信じて、餌も水も毎日取り替えています。まだ四歳なので、受け入れられないというのは分かるんですが……」

 なるほど。

「ちなみに、そのクロって猫はうちのみや……、みゃあにそっくりなの?」

「はい。みゃあちゃんの方が毛艶も毛質もいいとは思いますが、瓜二つです」

 そして、また無意識になのか、爽はみやびの頭を撫でた。小さい妹の手前気丈に振る舞ってはいるが、内心はまだ辛くて仕方がないことだろう。

「それで、なぜ俺のところに?」

 ここからが本題だ。

「はい、それなんですけど、先月みやびちゃんがこんなのを配っていて」

 持っていたバッグから、爽はあのチラシを取りだした。元イケメン魔法使い云々が書かれたチラシ。

「私は特に悩みもないので気にしていなかったんですが、この間の夕食の時に、母と奏の前で話をしたんです。そしたら、奏がものすごく興味を持って」

 四歳と言えば、サンタクロースの存在も本気で信じている年頃だろう。そんな子供に魔法使いの話をしたとすると……。

「それ以来、魔法使いさんに魔法でクロを探してもらうんだ、って言って聞かなくて。だから、ちょうど今日明日と部活も休みだったので、連れてきたんです。すみません、ご迷惑をおかけして」

 再び申し訳なさそうな顔になる爽。そして、顔を近づけて奏に聞こえないように小さな声で囁いた。

「突然ですみませんが、クロがいなくなったことを納得させられるよう、奏と上手いこと話をしてもらえませんか?」

 上手いこと、と言われても。

 俺はまだみやびを撫でている奏を見た。ちなみにみやびは始めのうちは嫌がってもぞもぞしていたが、いつの間にか諦めて大人しく奏の細い太腿の上で丸まっていた。

「そうだなぁ」

 お悩み相談所、という観点から見たら、爽のこれはお悩みだろう。妹がいなくなった猫のことを引きずり続けているので、どうにかしてほしい、という悩み。一方本来の依頼人のはずの奏はというと。

「クロー、こっちむいてー」

 相変わらず笑顔でクロ、じゃなくてみやびと遊んでいる。

 俺は適当な言葉でこの子を納得させられるだろうか?

 小さな子どもは、大人よりもよっぽど強情だ。理論で攻めても感情で攻めても、予想斜め上の返しをしたり理不尽な反応を見せたりする。権謀術数蠢くヨーロッパ世界を渡り歩きはしたが、子供相手の交渉は初めてだ。子育てなんてしたことないし。

『真人』

 と、そこで、みやびが鳴いた。とはいえ、泣き声に聞こえるのは爽と奏。俺の頭には、いつも通りのみやびの声に変換されて聞こえる。

『なんだ?』

『上手いこと、爽を丸めこんで今日のところは帰ってもらって』

 あまりみやびがにゃんにゃん言って、そして俺が黙りこんでもおかしいので、みやびはそれっきり何も言わなかった。奏は「クロー、どうしたのー?」と言いながら相変わらずみやびを撫でている。

 みやびの真意は測りかねるが、何か考えがあるのだろう、大人しく従うことにする。

「なぁ、爽ちゃん」

「はい」

「俺に、ちょっと考えがあるんだ」

「考え、ですか」

 実際全く何も思いついていなかったが、とりあえずみやびを信じる。

「だから、今日のところは結論を急がないでもいいかな?」

「どういうことですか?」

「つまり、奏ちゃんに、クロのことを忘れさせるのは何も今日じゃなくてよくないか、ってこと」

「どうしてですか?」

「今、目の前にみや……、みゃあがいるだろ? そんなところで話をしても、恐らく効果は薄いと思うんだ。だから、日を改めて、ってことでどうかな?」

 うーん、としばし考えた爽だったが、納得してくれたようだ。はい、と言って頷いた。

「むしろ、何度もお邪魔したらかえって迷惑になりませんか?」

「いや、大丈夫。暇な店だし、みやびも喜ぶよ」

 そういえば、みやびが誰かと遊んだりしているところを見たことがない気がする。平日は学校が終わったらすぐ帰ってくるし、休日はなんだかんだでうちにいる。

「そういえば、みやびちゃん、まだ帰ってきませんね」

「そうだな。どこいったんだろ、あいつ」

 棒読みにならないように気をつけながら、適当に答える。

「さて、奏ちゃん」

 俺は体をみやびを撫で続ける奏に向け、そして出来るだけ優しげな声を出した。なんだか普段使わない筋肉を使っている気がする。

「なに?」

 あどけない顔をこちらに向ける奏。

「久しぶりにクロに会えてどうだった?」

 そう訊ねると、奏はなぜか爽の顔を一度見てから、満面の笑み浮かべて答えた。

「うれしい、すっごいうれしい!」

 そして、興奮した様子でこう続けた。

「おにいちゃん、ほんとにまほうつかいなんだね! かなでがさがしてもみつかんなかったのに、おにいちゃんはすぐにみつけちゃった!」

 心が痛む。しかし、ここで折れてはいけない。

「そうだよ、お兄ちゃんは凄いだろう。本物の魔法使いんなんだぞ」

「すごーい!」

 手を叩いて興奮する奏。子供は無邪気でかわいいな。

「そんな魔法使いのお兄ちゃんからお願いがあるんだ。今日は、クロをお家に連れて帰らないでもらえるかな?」

「え、なんで?」

 急に曇る奏の顔。子供は素直だ。

「クロはね、ちょっと体の調子が悪いんだ。だから、お兄ちゃんが治してあげなきゃいけないんだ」

「そうなの……?」

 心配そうにみやびを見つめる奏。そこで、みやびが弱弱しくにゃーんとひと鳴きした。ナイスだ、みやび。

「そっか、それじゃあしかたないね……」

 奏が物分かりのいい子供で助かった。

「じゃあ、いつむかえにくればいいの?」

「そうだなぁ」

 ちらりと爽に目配せする。

「クロが元気になったら爽お姉ちゃんに連絡するから、その時に来てくれるかな?」

「うん、わかった!」

 店を出た奏は、その姿が見えなくなるまで何度も振り返り、そして手を振り続けていた。余程クロのことが好きだったのだろう。家族の一員、なんて陳腐な言葉では語りつくせないような絆で結ばれた仲だったのだろう。

 帰り際、爽が心配そうな顔をして「大丈夫なんですか?」と訊いてきたが、「うん、まぁ」というあいまいな返事しかできなかったのは申し訳なかった。

「なぁ、みやび」

 俺の足元で一緒に二人を見送っていたみやびに声をかける。

『何?』

「大丈夫なのか?」

 爽と同じ疑問を、みやびにぶつける。

『うーん、どうだろ』

 まさかの返事に、呆れる俺。

「おいおい、自分で言っておいてそれはないだろう」

『うん、とりあえず、人間にしてもらっていい?』

 話はそれからだ、と言わんばかりに俺を見上げるみやび。主人の俺が言うのもなんだが、本当にきりっとした賢そうな顔立ちしている。

 まぁ、何か考えがあってのことだろう。そう思いながら、俺は周りに人がいないのを確認してから呪文を唱えた。


「みゃあって何さ、みゃあって」

 人間化したみやびの第一声がそれだった。ちなみに今、俺とみやびは店内のカウンターを挟んでお茶を飲んでいる。

「前々から思ってたけど、真人ってアドリブ力ないよね」

「まだ言うか」

 午前中の客が持ってきた煎餅を齧りながら、みやびを睨む。

「そんなことよりさ」

 使い魔からの口撃はご主人である俺にとっては「そんなこと」ではないのだが、みやびにとってはその程度のことらしい。全然気にした様子もなく、話を変えた。というか、本題に入った。

「爽のお悩み、どうしようか」

「どうしようも何も、お前が止めたんじゃないか」

 奏を説得しようとしたところで、無理やりみやびが止めに入った。てっきり何か案があるものと思ったが、そういうわけではないのだろうか。

「うん、まぁそうなんだけどね」

 なんとなく煮え切らないみやび。いつも言いたいことをズバズバ言う奴なのに、珍しい。

「どうした?」

「あのね、爽は、たぶん一番仲のいい友達なんだ」

 みやびは俺の求めていたものからは少しずれた話を始めた。

「爽とは去年からクラスが一緒だったんだけど、ハキハキ喋るし性格もさっぱりしてて、凄く気が合って、すぐに仲良くなったんだ」

 確かに、みやびの性格からして、ぐだぐだ喋ってばかりいたりすぐに徒党を組んだりするいわゆるステレオタイプな女の子よりも、さばさばした子の方が気が合うだろう。

「でもすっごく気遣いができる子で。逆にこっちが心配になるくらい。剣道部に入ってるんだけど、先輩が頼りないらしくて色々仕切ってるの爽だし。それに、両親共働きで小さい妹の面倒見るのも自分だって言ってたし」

 小さい妹とは奏のことか。ところで、あのやや釣り上がり気味の目とポニーテールはさぞかし剣道着が似合うことだろう。

「だから気になったんだよね」

「何が?」

「今日の爽、すごく我慢してる感じがした」

「我慢してる感じ?」

 どういうことか。確かにずっと心配そうな顔はしていたけれど。

「うん。いつもの爽と比べたら全然元気がなかったし、何より」

 いつになく真剣な顔つきで、みやびは言った。

「私の頭を撫でる手が、少し震えてたんだよね」

 なるほど、それはみやびにしか分からないことだ。

「それで、みやびはどうして先延ばしにしたんだ?」

「爽はああ言ってたけど、爽こそクロがいなくなったことを引きずってんじゃないのかな、って思うんだ」

「なるほどな」

「うん。もちろん奏ちゃんの気持ちも分かるよ。大好きなクロが突然いなくなって、それが受け入れられないでいる。だけど、それと同じくらい爽だって辛いはず……」

 そして、厳しい顔つきになるみやび。

「たぶん一番仲のいい私にも何も話してないから、全部自分の中で抱え込んじゃってるんじゃないかな」

 みやびの話を聞くに、爽はかなり責任感の強い子なのだろう。クロがいなくなったことで感じる寂しさを伝える相手もいないのかもしれないし、奏相手には自分の気持ちとは裏腹のことを言わなければならないのかもしれない。それはきっと、ものすごく心が痛むことだ。

「私に言ってくれればいいのに……」

 みやびは今度はとても辛そうな顔になった。大抵のことにドライでそれほど喜怒哀楽を表に出す奴ではないが、友達が絡むと色々な表情をする。新しい発見だった。

「それで、みやびはどうしたいんだ?」

 もう結果は分かっていたが、言いやすいように訊いてやる。なんと使い魔に甘いご主人様であろうか。

「うん、爽の悩みを解決してあげたい」

「そう言うと思ったよ。ま、俺も少しだけ気になることがあったしな。それで、策は考えているのか?」

「一応。爽には悪いかなと思うんだけど」

「何をする気だ?」

「爽の家に、クロとして潜り込んでみようかな、と思ってる」

 そう来るだろうとは思っていたが、あまり賛成できない。

「確かにそれが一番手っ取り早いとは思うが、お前自身それでいいのか? 友達を騙して、プライバシーを覗くことになるんだぞ?」

「うん、それは分かってる。でも、でもさ」

 そして今にも泣き出しそうな、弱弱しい表情になるみやび。こいつはこんな顔もするのか。

「友達が辛い気持でいるってのを知っちゃったのに。このまま放っておけないよ」

 誰にも知られたくないことなのかもしれないぞ、とは、人間歴一年ちょっとのみやびには言えなかった。生まれてからずっと俺の下で仕事ばかりして生きてきたから、仲の良い友達ができたのも人生初のはずだ。そのあたり、主人として申し訳なく思うと同時に、こういうことを乗り越えて欲しいとも思う。

「分かった」

 ここは、爽には申し訳ないが、みやびの気持ちを尊重しよう。

「俺も、依頼人の状況が分からないことにはどうしようもないからな。爽だけでなく、奏のこともよろしく頼むぞ」

 みやびの気持ちが少しでも楽になればと、思い切り背中を押してやる。

「爽には俺が適当に理由をつけてみやび……、じゃなくて、みゃあを送り込むことを納得させる」

「うん、ありがと」

「そのかわり、ちゃんと報告しろよ。さすがにお前の頭と同期して爽の部屋を覗くようなことはしたくないからな」

「もちろん。そんなこと、私が絶対させない」

 みやびの顔に、いつもの快活さが戻ってきた。

「みゃあと呼ばれたら、ちゃんと返事するんだぞ」

「真人のセンスの無さを思い出して吹いちゃうかも」

「よし、それでこそ俺の使い魔だ」

「よく分かんないけど、お褒めいただき光栄です、ご主人様」

 ニヤリと笑みを浮かべるみやびは、もうすっかりいつもの小生意気で賢い俺の大事な相棒だった。


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