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第1話①

 柳瀬川古書店は今日も暇だった。

 並んだ本にはたきをかけながら、俺は入口の硝子戸から外を眺めた。相変わらず春の長閑な天気が続いている。春は天気が変わりやすいと言うが、今日で確か一週間晴れ続きだ。春の晴れはいい。気分が良くなる。

 せっかくなので外に出て伸びをしていたら、みやびが帰ってきた。

「たっだいまー。またサボり?」

「見ろ、これを」

 俺ははたきを突き付ける。

「掃除中だ」

「はたきは店内で使うものでしょ」

「それもそうだな」

「あっさり折れないでよ」

 そして、みやびは俺の横に並んで一緒に伸びをし始めた。

「うーん、やっぱり、学校って疲れる」

「お前が行きたいって言ったんだろ」

「そうだけど、なんか私、椅子に座ってるの苦手なんだよね」

「そりゃそうだ。だってお前……」

「あ、そうだ。これ」

 俺の言葉を遮り、みやびがスクールバッグの中から何やら取り出した。

「何?」

「チラシ。今日コンピュータールームで授業の時間に作ってみたの」

「何の」

「いいから読んで」

 ざっと目を通す。そして、眉間に皺を寄せる。

「おい、みやび、何お前勝手に」

「だって真人、いつも暇そうなんだもん。お客さんも来ないし」

「たまに来るお客さんで稼がないでいつ稼ぐんだ」

「大丈夫。だって、店番しながらでも出来るでしょ?」

「出来る出来ないの問題じゃない。第一、なんだこのイケメンって」

「え、意味知らないの?」

「知っとるわ。意味じゃない」

「えー、だって真人、イケメンじゃん」

「こうやって煽られるのは嫌いなんだよ」

「否定しないあたりが真人らしいねー」

「まぁ俺の全盛期の頃の姿だからな……、じゃなくて」

 話が脱線しかけた。戻そう。

「なんなんだ、この、「あなたのお悩み魔法でズバッと解決! 元イケメン魔法使いのお悩み相談室」って」

 チラシを突き付け、みやびに詰め寄る。そんな俺の気迫もどこ吹く風で、みやびは飄々と言ってのけた。

「世界に名を馳せた魔法使いが、隠居後は女子高生のお悩み相談って、なんか面白くない?」

 面白くない。断じて。


 少し昔話をしよう。

 その昔、ヨーロッパ大陸を中心に世界中に名を馳せる黒髪の魔法使いがいた。その名は、マサヒト・ヤナセガワ。極東の地からやってきたその男は、類稀なる魔力と圧倒的な知識により、当時硬直化が顕著だったヨーロッパ魔法使いのヒエラルキーをめちゃくちゃに破壊した。その名声というか悪評は国家の中枢にも届き、異端の魔法使いヤナセガワは各国上層部で重用されることになった。

 およそ一世紀に渡って激動の時代のヨーロッパ魔法使い界で影響力を持ち続けたヤナセガワは、ある日突然「うどんが食いたい」という理由で日本に帰国してしまった。それ以来、日本政府の熱心な要請にも屈することなく、関東地方の片田舎で、自らの足で集め歩いた魔術書を取り扱う古本屋を営んでいるという――。

 そう、俺のことだ。

 話に尾ひれもはひれもついて今や魔法使い界では伝説となっている、魔法使いマサヒト・ヤナセガワ。そんな生ける伝説と化した俺は、なんだか色々なことに飽きてしまって、余生を生まれ故郷のこの地で過ごすことに決めた。魔力もほとんど封じてしまって、今では自由に使える高位魔法は自分にかけているこの不老魔法くらいだ。のんびりと集めに集めた魔術書を後に続く若手に格安で提供しながら、自分は死を待つのみ。いい人生じゃないか。

「たっだいまー」

 そんなご隠居魔法使いの俺は、今はこのみやびと一緒に住んでいる。一階が古本屋、二階が居住スペースのボロ家。

 制服にエプロンという微妙な恰好をしたみやびが、買い物袋を提げて帰ってきた。ネギがはみ出している。

「おかえり」

「今日の晩ご飯、すき焼きね」

「お、豪華だな」

「だって、明日からは真人にしっかり頑張ってもらわなきゃいけないからね」

 ニシシ、と笑う彼女は、俺の元使い魔だ。本来の姿は、美しい毛並みの黒猫。俺と一緒に激動の時代を生きた大切な相棒、のはずだったんだけど。

「あーっ! 炊飯器のスイッチ入れるの忘れてた!」

 二階から、悲痛な叫び声が届いた。

「どうしてこうなったのか……」

 この地で古本屋を始めた時は、猫だった。それが気付けば我が家の家事全般を引き受ける今風の女子高生である。

 これには話せば長い理由がある。昔からちょくちょく人間化させて家事をしてもらったりしていたのだが、ある日突然「学校に通ってみたい」と言い出したのだ。なんでも、店から近所にある緑山女子高校の登下校風景を眺めていたら、制服が着てみたくなったらしい。……、平和っていいな。

 というわけで、今ではすっかり近所の女子高の二年生である。ご近所では家事もしっかりこなすかわいいお嬢さんで通っている。ちなみに入学については俺が魔法でちょちょっとやった。そのくらいならまだ出来る。

 以上、そんなに長くはならなかったが、みやびの紹介。なお、俺とは兄妹ということにしてある。色々と面倒なので。

「さて」

 いつの間にか外は薄暗くなり、節約のために暖房の効いていない店内は少し肌寒くなってきた。

「そろそろ店じまいするか」

 外に出て、看板をしまい、シャッターを下ろす。

 今日の来店者、ゼロ。

 しょうがない。日本に魔法使いは少ないんだ。


 二階に上がると、台所でみやびが忙しく動き回っていた。

「あ、真人、店閉めたの?」

「あぁ」

「ご飯まだできないから、先お風呂入っちゃって」

「あぁ」

 みやびは一応有能な使い魔だ。なんたって、元世界一の魔法使いである俺の使い魔なんだから。……、今はその力を家事でしか発揮できていないのが残念だが。

 お言葉に甘えてお先にお風呂を頂いて、さっぱりしてから台所に戻ると、夕食の準備は完了していた。

「ナイスタイミング。じゃあ食べようか。ビール飲む?」

「よろしく」

「はいはーい」

 なんと有能な使い魔だろうか。

「お待たせー。はい、それじゃあいただきまーす」

 ぐつぐつ煮えるすき焼き鍋に手を伸ばす。肉を取り、卵につけて、食べる。うん、うまい。

「野菜も食べてよね」

「分かってるって」

 そんな感じでいつもより豪華な夕食を楽しんでいたら、みやびのほうから切り出してきた。

「ねぇ、アレ、やってみない?」

「アレって?」

 とぼけてみる。

「アレだよアレ。さっきの」

「アレ、ねぇ」

 正直、あまり乗り気はしない。なんで俺が女子高生のお悩み相談に乗らなければならないのか。確かに暇は暇だが、それは今までが忙しすぎたせいでもう働きたくないから意図的に暇してるわけであって、積極的に仕事がしたいわけではない。

「私はおもしろそうだと思うんだけどなぁ」

 花の形に切られたニンジンを齧りながら、みやびが上目遣いで言ってくる。

「うーん」

「若い女の子の喜ぶ顔が見たくない?」

「うーん」

 それは、少し見たい。いくつになっても若い子は好きだ。

「ただ暇してるよりは、少しでも何かすることがあった方がいいって」

「うーん」

 まぁ確かに、一日中欠伸を噛み殺しているよりは、いいかもしれない。

「分かった。みやびがそこまで言うのも珍しいからな」

 そうなのだ。みやびはだいたい忠実な使い魔なので、わがままもほとんど言わない。そんなみやびがこれだけ言ってくるのだ。たまにはお願いを聞いてやろう。

「ほんと? やったぁ!」

 嬉しそうに箸を持ったまま手を叩くみやび。

「おい、はしゃぎすぎて味噌汁こぼすなよ」

 みやびの喜ぶ顔で満足するなんて、俺も老いたなぁ、とか考えていた俺は、大したことなんて来ないだろうと高を括っており、今後降りかかる面倒事なんて微塵も予想していなかった。


 我が使い魔ながら、みやびの行動力は大したもんだ。

 翌朝、大量にプリントアウトしたチラシを抱えて登校していったので、気になってこっそりあとをつけてみた。

 学校に着くなり、正門脇にバッグを下ろし、みやびは声を張ってチラシを配り始めた。

「元魔法使いのお悩み相談でーす!」

 女子高生というものは占いとかそういうのに弱いのだろうか。訝しみながらもチラシを受け取る生徒は多い。

 というかみやび、元魔法使いってばらすなよ。まぁ、真に受ける人はいないだろうが。

「駅までの途中にある、古本屋でーす! 学校帰りにでも、ちらりと寄ってみてくださーい!」

 愛想良く笑顔を振りまきながらチラシを配るみやび。声をかける生徒も多い。まぁ、ああいう奴だから人気者なのだろう。共学に入っていたらさぞかしもてたことだろう。猫時代の毛艶の良さやしなやかな体躯、理知的な顔つきを思い出す。人間になってもそのころの名残はなんとなく残っている。

「元イケメンの魔法使いに魔法をかけてもらえますよー!」

 おい、今気付いたが元の位置がおかしいぞ。

 そんなことは置いておいて、みやびの意図がいまいちよく分からない。本当に俺が暇そうにしているのが不憫に思えているのか、それとも単に面白そうだからやっているのか。

 そこらへんのことは気になるが、楽しそうに学校生活を送っている我が使い魔の顔を見ると、そんなことどうでもよくなってくる程度には、俺は使い魔バカな魔法使いだった。

「通報される前に帰って開店準備でもするか」

 踵を返して元来た道を帰る。

 学校へ向かう女子高生たちの流れに逆行しながら、ちょっとだけ春の長閑な朝のまったりお散歩タイムと洒落込むことにした。


 今日は一人客が来た。名古屋の新米女魔法使いらしい。使いやすい入門レベルの本を選んでやったら、大事そうに抱えて嬉しそうに帰っていった。ああいう真面目そうな若い魔法使いが増えることは良いことである、と、お茶を飲みながらおっさん臭いことを考えていたら、みやびが帰ってきた。

「たっだいまー」

「おかえり」

「さぁ、準備準備」

「なんの?」

「開店準備だよ」

「もうとっくにしてるじゃないか。今日はちゃんと接客もしたぞ」

「古本屋のじゃなくて、お悩み相談所のだよ」

「何をする気だ?」

「別に。ポスター貼って、看板改造して、それからそれから……」

 呆れて物も言えずにいたら、みやびは本当にてきぱきと準備を始めた。自作らしきポスターを硝子戸に貼り付け、柳瀬川古書店の看板の片面にもポスターが貼られた。

「見て見て。学校で、友達と作ったんだー」

 どれどれ。

 硝子戸に貼られたポスターを見る。元魔法使いのお悩み相談室と書かれている。捻りのないネーミング。それに、ポップなイラストも。

「この露骨にステレオタイプな魔法使いの恰好をしている若い男は、俺か?」

「うん、そう。こっちの黒猫は私。かわいいでしょ。美術部の友達に書いてもらったの」

 最近の子は絵も上手いなぁ、と感心した。

「ちゃんとお礼はしたか?」

「今度駅前のミスド奢ることになった」

 ドーナッツでこの仕事。割に合わない気がする。女子高生の価値判断基準はよく分からん。

「さて、あとは店内の掃除かなー」

「汚れてはいないぞ」

「これじゃあ相談スペースがないじゃん」

 みやびに言われ、店内に視線を戻す。壁じゅう本が詰まり、溢れた本は床に平積みに。確かに、人一人通るスペースくらいしかない。

「居間に上がってもらうか?」

「この本に囲まれてるからいいんだよ」

「そういうものなのか」

「そういうもの。最近の女子高生はマンネリ化した日常から逃避できる非日常体験ってやつを求めてるんだよ」

 そうですか。まぁ、現役女子高生猫が言うのだからそうなのだろう。

 というわけで、みやびと一緒に人一人座れるくらいのスペースを作る作業。なんだかんだで俺も乗ってきた。これが非日常体験というやつか。

 十五分ほどでどうにかスペースができた。パイプ椅子を置いて、一応完成。

「よし。あとは真人だな」

「俺?」

 いきなり矛先が向いた。なんだなんだ。

「顔と恰好はまぁいいとして、中身だね」

「俺の人生を否定する気か」

「違う違う。ちゃーんと、女子高生の望む答えを言ってあげてね、ってこと」

「どういうことだ?」

「とにかくしっかり頑張れってこと」

 意味が分からず首を傾げていたら。

「すすす、すいませーん……」

 開けっぱなしにしていた硝子戸の方から控え目な声がした。

 振り返る俺とみやび。そこには、みやびと同じ制服を着た女の子が立っていた。

「ここ、ですよね?」

 主語がないが、まぁ、ここ、だろう。

「いらっしゃーい! どうぞどうぞこちらへ!」

 お客様第一号の登場に、俺の疑問は宙に浮きっぱなしになった。とりあえずは接客が先だ。

 恐る恐る入店してきた女の子は、言っちゃ悪いが一見どこにでもいそうな子だった。肩にかかるくらいの髪に、短めのスカート。顔のパーツはそんなに悪くなく、すこしそばかすが浮いている。

「いらっしゃいませ」

 営業スマイルで微笑みかける俺。目があった女の子は、「ドキッ!」という擬態語が聞こえそうなくらいに顔色が変わった。胸の前で手を合わせてもじもじしている。

「どうぞ、こちらへ。座り心地は悪いかもしれないけど」

 一応スルーして、椅子をすすめる。女の子は激しくコクコク頷いて、言われるがままにパイプ椅子に腰を下ろした。

 さて、どうしたもんか。みやびはお茶を淹れに行ったのか、奥に引っ込んでしまった。とりあえずこの場は俺が繋がなければならないのか。

「いらっしゃい。とりあえず、名前とか訊いていいかな?」

「ひゃ、ひゃいっ!」

 俺に話しかけられて、女の子はまた跳ねた。その拍子に、太腿に乗せられたスクールバッグの開いた口から中身が零れる。

「はわわわわ」

 慌てて拾い上げる女の子。

 うん、ここまででなんとなく分かったぞ。この子、いわゆる天然、って子じゃないか?

 落ちたハンカチやら文庫本やらを拾い上げてバッグの口をしっかり締めて、女の子はふぅと小さく息をついた。

 そして、はっと顔をあげて、俺を見る。

「ななな、名前ですよね! 失礼しましたっ!」

 あ、俺、この子好きかも。

「わわわ、私は、佐藤あき子ですっ! すいません、平凡な名前でっ!」

 名前が平凡という理由で謝られたのは生まれて初めてだった。

「そこのみど女の三年でしゅっ!」

 噛んだ。ちなみにみど女とはみやびも通う緑山女子高校の略称。

「えっと、今朝、正門のところでこんなチラシを貰って……」

 恐る恐る、ブレザーの胸ポケットに几帳面に折り畳んでいたチラシを取り出す。

「ここで、いいんですよね? 魔法使いの、お悩み相談室って……?」

 自信なさげに上目遣いで訊いてくるあき子。普通とか言ってすまん。十分かわいらしいじゃないか。

「いかにも」

 みやびの求める像はいまいちわからないので、とりあえず我流で行く。

「恋のお悩みから環境問題まで、どんな悩みでもなんでもどうぞな元魔法使い、柳瀬川真人だ。よろしく」

 右手を差し出すと、小動物よろしくおっかなびっくりあき子はその手を握り返した。

「元、なんですね」

 少し緊張がほぐれてきたのか、あき子は笑顔を見せて言った。

「そう。元だよ。むかーしむかしは世界中に名を馳せた有名魔法使いだったんだけど」

「すごいですね」

 くすくす笑いながらそう言うあき子。信じてないな。まぁ、信じられても困るのだが。

「お待たせしましたー」

 来客用のちょっと高級なお茶を淹れて、みやびが戻ってきた。

「そうぞどうぞー」

「ありがとうございます……。あ、あなたは……?」

 チラシを貰ったのに覚えていないのだろうか。

「私はね、この元魔法使い、柳瀬川真人の妹兼助手のみやびです。みど女の二年。よろしくね」

 先輩相手でも臆することのないみやび。さすが優秀な我が使い魔。まぁ、あき子から先輩オーラが全く漂ってこないというのも要因だとは思うが。

 みやびが出したお茶を一口飲んで一息ついたあき子は、ようやく周りを見る余裕が出てきたようだ。

「ここ、どんな本があるんですか? 見てもいいですか?」

「どうぞ」

 俺がそう言うと、手近な本を一冊取って、ぱらぱら捲る。そしてすぐに、なんとも言いようのない複雑な表情になった。

「すみません、これ、何語ですか?」

 そう、読めるはずがない。魔力のない者には。

「こういう本を欲しがる人もいるんだよ。インテリアとかでね。こういうのを専門でやってる古本屋ってなかなかないから、けっこう儲かるんだ」

 間違って柳瀬川古書店に入ってきてしまった一般人向けの説明をする。

「そうなんですか。へー」

 すぐにあき子は興味をなくして、もとの位置に本を差し込んだ。そして、ぐるりと店内を一周見回した後、俺の顔で視線が止まった。一瞬で赤くなって、俯くあき子。いくらなんでも耐性がなさすぎるだろう。

 ちょっとカマをかけてみよう。

「あき子ちゃん、もしかして、ずっと女子校育ち?」

「ひあっ!」

 素っ頓狂な声をあげて、俺の顔をまじまじと見つめるあき子。

「ななな、なんで何も言ってないのに分かるんですかっ!? たしかに小学校と中学校は都内の女子校で、高校からはみど女ですけど……。あっ、まさか、ほんとに魔法!?」

 この子、面白いな。隣に立つみやびも必死で笑いを堪えている。

 あまり弄りすぎると可哀そうなので、とりあえず本題に入ってみることにした。

「さて、あき子ちゃん」

「はわわわわ」

 出鼻を挫かれる。

「何?」

「そ、その、あき子、ちゃん、っての、どうにかなりませんか……? は、恥ずかしい」

 ちゃん付けが恥ずかしいということか。

「じゃあ、あき子」

「わーっ!」

 もう、どうして欲しいんだよ。

「面倒臭いのであき子ちゃんで行きます。で、あき子ちゃん」

「ははは、はい」

 あき子は相変わらず照れたままだが、漸くまともな会話が始まった。

「お悩み相談、ということでいいんだよね?」

「は、はい」

 改めて考えると、こうもあっさりお客が来たのには驚きだ。女子高生の好奇心は凄い。いやむしろ、このあき子の好奇心というか警戒心の無さが凄いのか。

 組んだ指をもじもじさせながら、あき子は次の言葉を待っている。

「えーっと」

 ちらりとみやびを見る。頑張れ、と声に出さずに言った。俺任せということか。

「じゃあ、話してもらっていいかな、お悩みを」

 前口上が長くても退屈だろう。さっさと本題に入ってもらうのが一番楽で一番効率的なはずだ。人の悩みなんて、某国国王の政治的な悩みとかしか聞いたことがないから、女子高生の悩みにどう対処するのがベストかなんて分からない。

「は、はい」

 俯き気味のままで、あき子は話し始めた。

「あの、ほんとになんでも相談していいんですか?」

 と思ったら、まだ始まらない。

「大丈夫大丈夫、気にせずなんでも話して」

 俺ではなくみやびが答える。

「なんてったって、真人は元大魔法使いだから。あっという間にお悩みを大解決してくれるよ」

 みやびよ、大風呂敷を広げすぎだ。いくらなんでもそれは無理だ。第一魔法というのはばれないように使うのが一番難しくてだな云々かんぬん。

 みやびの言葉に勇気を貰ったのか、あき子はようやく意を決してお悩みとやらを話し始めた。

「私、こんな感じなんですけど、吹奏楽部の部長をやってるんです」

 意外だ。

「意外かと思うかもしれませんが、小学校のことろから続けてるクラリネットだけは、一応、特技なんです」

 心を読まれたかと一瞬驚いたが、あき子は話を続ける。さすがにそんなわけないか。

「みど女の吹奏楽部はそんなに強豪でもないので、部員もそんなに多くないんです。だから、私みたいなのに部長が回ってきて。あっ、でも、部長になったからにはしっかり頑張ってますよ? 嘘じゃないですよ?」

 ぶんぶん手を振ってなぜか必死に弁解するあき子。面白い。

「それで、えっと、なんだっけ……、あっ、その、吹奏楽部なんですけど」

 慎重に言葉を選びながらゆっくり話すあき子。

「部員の間で、ちょっとしたいざこざが起きてるんです」

「いざこざ?」

 訊ね返す。自然と顔が近づく。みやびも腰を屈めてその空間に加わる。

「はい、いざこざです。あの、なんて言ったらいいかよく分かんないんですけど……」

 やはり慎重に言葉を探した上で、あき子は衝撃的なことを口にした。

「あの、女の子同士の恋愛ってどう思いますか?」

 あまりに斜め上からの質問に、俺もみやびも一瞬何を言われているのか理解できていなかった。恐らく数秒、真面目な顔で固まった後、ようやく出た言葉がこれ。

「は?」

 被お悩み相談者としてあるまじき返答。固まったまま動かないみやびの方がましかもしれない。

「いや、あの、は、じゃなくて、どど、どう思いますか、魔法使いさん?」

 その呼び名にも突っ込みを入れたいところだが、一応お客様であるあき子の質問には答えなければならないだろう。

「えーっと……」

 かつて、世界大戦勃発前に某国国家元首から世界情勢の趨勢を訊ねられたことがある。そっちのほうがずっと答えるの簡単だったぞ。

 悩みに悩んでやっと答えを絞り出す。

「こ、個人の自由じゃないかな?」

 女子校にはそういったものもよくあると聞いたことがあったような気がする。別に、女の子同士だって、好き同士なら問題ないんじゃないか? 出来るだけ思春期の女の子を傷つけないように言葉を選んだつもりだったのだが。

「私は、そんな陳腐な答えを聞くためにわざわざ部活を休んでここに来たんじゃありません!」

 突然、あき子が声を上げた。ち、陳腐とは。

「私、ほんとに困ってるんです!」

 と思ったら、急にまた俯いた。忙しい子だ。

「すみません、取り乱しちゃいました……」

 心底申し訳なさそうに呟くあき子。

「でも、ほんとに、心の底から困ってるんです。そのせいで、部内の人間関係がごちゃごちゃになっちゃうんじゃないかって……。もうすぐ演奏会もあるのに、このままじゃ、このままじゃ……」

 どうやら、女の子同士の恋愛絡みで相当まずい状況になっているらしい。さすがに、適当な言葉を見繕ってこの場をしのぐわけにもいかない。

「あき子ちゃん、顔を上げて」

 俺の言葉に、素直に従うあき子。瞳には涙が浮いている。

「あき子ちゃんの辛さはよく分かった。だからこそ、俺はこの場で魔法をかけるのはよそうと思う」

「どういうことですか?」

 首を傾げる泣きそうなあき子。

「二日待ってもらえないかな。それまでに、俺が、君にぴったりの魔法を考える。そして、明後日の放課後、もう一度ここに来てくれ。その時に魔法をかけてあげよう。とっておきの、万事うまくいく魔法をね」

 ポカンとしていたあき子だったが、みるみるうちに笑顔になって、元気よく

「はいっ!」

 と言って頷いた。

「うん、いい返事だ。それじゃあ、今日はここまで。また明後日」

「はい、ありがとうございます。魔法使いさんに話せただけでも少しすっきりしました。あの、お代は……」

「あー、いいよいいよ。無料無料」

「えっ、そ、そうなんですか……」

 もとよりお金を取るつもりなど毛頭なかったのだが、申し訳なさそうにするあき子。さすがに百円でも二百円でも取った方が相手に罪悪感が残らないのだろうか。

「えーっと、そうだな、じゃあ、万事うまく行ったら、その吹奏楽部の演奏会ってのに招待してくれ。それでいいかな?」

「は、はいっ、分かりました!」

 去り際、律儀に振り返ってお辞儀までして去っていったあき子。あんな性格だ、部長ともなれば気苦労も絶えないのだろう。

 さて。

「おーい、みやび、戻ってこーい」

 固まりっぱなしだったみやびをガタガタ揺する。

 もういい時間だ。今日は一緒に夕飯の買い出しにでも行くか。


 昨日のすき焼きとは打って変わって、焼き鮭にほうれんそうのおひたしというメニューの今日の夕食。テレビのニュースを見ながら無言で咀嚼していたら、みやびが訊ねてきた。

「で、どうするの?」

「何を?」

「何をって、さっきの相談、その場しのぎで後回しにしちゃったんでしょ?」

 みやびが固まっていた間の話は、買い物の間にしておいた。

「それにしても、一発目からヘビーな話題だったな」

「話を逸らさないでよ」

「うまいな、このおひたし」

「もっと逸らさないでよ」

「自分から計画しといて、お茶を出しただけで最後は固まってなんの役に立たなかったのはどこの誰かなー」

「うっ」

 さすがに役に立たなかった自覚はあるらしい。目を眇めて俺を睨みながら、焼き鮭を齧る。うん、やはり猫には魚が似合う。

「さすがに何も考えていないわけじゃない」

 ご飯粒の最後の一粒を食べ終わってから、俺はみやびに言った。

「みやび、明日は潜入捜査だ」

 キョトンとするみやび。

 あき子には失礼かもしれないが、ちょっと楽しくなってきた。なんだかんだで、俺もみやびの言う非日常体験に飢えてたのかもな。


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