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第3話:依存と堕落

儂は再び目を覚ます。


感じたのは吐き気が出るほどに臭い匂いだった。


儂は一体何処に居るのだ?


狭くなった視界に飛び込んだのは儂がいつも染みの数を数えていた馴染み深い天井だ。


ここは儂の病室に間違いない。


それなのに何だ、この臭すぎる匂いは。


一体何が起こったのだ?


儂に何が…。


「あああああああああああっ!あああああああああっ!」


「どうしたのですか!?富田さん!」


叫び声を上げる儂の顔を覗き込んだのはセラピストの狩屋さんだ。


どうしたのかと言われても応えようとして声が出せないことに気付く。


そう言えば儂は口がきけない。


それに手も足も何もかもが満足に動かせない。


「ああああああああああああああっ!」


何故、今更こんな思いをしてしまうのだ?


「どうしたの!?狩屋さん!」


「済みません!富竹さんが興奮していて…」


「主治医は誰なの?」


「雨宮先生です!」


儂の回りで何やらか言っているようだが、何が何だか分からない。


何故、ここにいる?


まるで肉の棺の中に閉じこめられたみたいだ。


「ああああああああああああああああああああっ!」


苦しい。


辛い。


臭い。


これが儂が今まで生きてきた世界なのか!


「雨宮先生!」


「鎮静剤をうとう。今は富竹さんを落ち着かせることが先だ」


急激に眠気が襲ってきた。


これで儂はこの臭い世界から解放される。


「ああっ…」


これで…。














「申し訳ありません。富竹さん、これは私のミスです」


目が覚めたら見覚えのない天井と見覚えがある男の顔が視界に入る。


この男の名は確か草壁一馬さんだったか。


「エーテルシステムに繋がれた人は身体能力が回復したと錯覚し、現実世界に戻ったときの心理面を充分に考慮すべきことでした。どうですか?今動くことが出来ると思いますが…」


「草壁さん…」


儂はベッドから起き上がり、申し訳なさそうな顔をしている草壁さんを見る。


「貴方はあれから12時間以上眠っていました。勝手ながらエーテルシステムに繋げてしまったことをお許し下さい」


草壁が頭を下げる姿を見て、儂は慌ててしまう。


ここはエーテルシステムの世界だというのか。


儂は自分のベッドを見る。


それは確かに現実世界で横たわっていた儂のベッドと同じもの。


「いいえ、礼を言うのはこちらの方です。儂のせいで皆様には随分迷惑をかけてしまったことですから…」


「富竹さんは何一つ詫びる必要はありません。これは私のミスなのですから。私が予め説明をしていればこの事態は避けられていたかも知れません」


儂は長年病室で過ごしていたからこそ身体が麻痺している状況や病室の空気に慣れていた。


だが、一度エーテルシステムを体感した者は現実世界に戻ることで感じ得なかった感覚が蘇ったことを草壁さんは説明してくれた。


「富竹さんはエーテルシステムを体験することで失われたボディイメージを取り戻してしまったわけです。だからこそ現実世界での自分の今の身体を受け入れがたくなったのでしょう」


ボディイメージ、日本語で言うと身体像。


身体像とは簡単に言えば脳に記憶されている身体のイメージ。


儂は長年麻痺となった身体と共に過ごすことで健常者であった頃のボディイメージを忘れてしまっていたのだ。


それがエーテルシステムで体感することで自分のボディイメージを思い出してしまったらしい。


「寝たきりになり、人生を諦めた人がエーテルシステムに繋がれたことで希望を見出す。しかし、現実世界に戻ったときに自分の身体を再認識して発狂してしまう。先ほどの富竹さんのようにね…」


草壁さんは薄く笑っていた。


儂は草壁さんの笑顔を見て悟る。


彼は態と儂に説明をせずに現実世界へと帰したのだと。


「草壁さん、あんたは…」


「言ったでしょう。貴方は詫びる必要が無いと。悪く思わないでくださいね。これも契約の内なのですから…」


草壁さんはヤクザも顔負けするような悪党面で儂に笑いかけてくる。


儂は不思議と悔しくも腹立たしくも思わなかった。


ベッドから立ちあがり、周囲を見る。


儂が過ごした病室と酷似している。


匂いも手触りも同じシーツ。


天井に付いてる染みや汚れも同じ。


現実世界と何ら変わりのない精巧に作られた仮想世界。


確かに現実では有り得ないような空虚感がある。


だが、それでも…。


「儂は今でも草壁さんには感謝しています。それに今こうして儂は再びこの世界に立っている。例え、偽物の世界だろうと儂は自分の足でこの大地を踏みしめているのです。この感動を与えてくれた草壁さんを悪く思うなんてありえません」


儂にとって此処こそが生きていることが実感出来る第二の現実世界。


いいや、この世界こそが儂にとっての唯一無二の現実だ。


もし、ここで草壁さんと契約を破棄しても待っているのは延々とした無為なる生のみ。


世界に何ら影響も与えることも無い、生ける屍が病院に管理されていくだけのことだ。


草壁さんは儂に生きる意味を与えてくれた。


「儂は元々排泄物を垂れ流すだけの生きた屍。そんな儂を役立ててくれるのなら本望じゃ」


儂は草壁さんに頭を下げる。


「どうか頭を上げてください。私はそこまで感謝されるものではありません。説明をしなかったのも気現実世界を知ることで貴方がエーテルシステムに如何に依存するかを観察したかったからです。だから、避難されることはあっても感謝されるものではないのです」


「そんなことは儂も分かっています。じゃが、それでも儂はこの世界に降りたって今までにない感動を覚えたのです。思惑はどうあれ草壁さんは確かに儂に生きる意味を与えてくれたのですよ」


儂はもうこの世界無しではいられない。


確かに草壁さんの思惑通り、儂はこの世界に依存してしまった。


たった一度の体験だったのにも関わらず儂はこの楽園に魅入られてしまったのだ。


エーテルシステムが構築する至上の楽園に。


ふと草壁さんが儂に頭を下げていた。


「草壁さん?」


「許してください。私は貴方を見くびっていました。私はアルフォンス社でもやり手と言われ、周囲から持て囃されていましたが、それでも貴方と出逢って私なんかは所詮は若造だということを自覚させられました」


草壁さんは深々とお辞儀をしている。


今まで胡散臭く思えたが、確かに誠意は感じられた。


「せっかくですから少しお散歩でもしませんか?」


儂は病室から出て、草壁さんと肩を並べて歩いていく。









今までストレッチャーで移動することでしか見たことがなかった病院の廊下。


同じ空間でも自分の足で歩くだけでこれ程までに違って見えるものだろうか。


それは同然だろう。


儂は廊下の天井しか見たことが無かったのだから。


「アストラル法は未だに賛否両論の坩堝にあります。このエーテルシステムは人類に怠惰を助長させる悪しきものだと。人としての可能性を閉ざしてしまう法であると…」


靴音を立てながら淡々と話す草壁さん。


「このエーテルシステムは元々子供達の間で流行った体感型ゲーム『ファンタジア』をベースに作られたものです。いわばゲームを医療体制に取り入れたといっていい。ですから風当たりが強いのですがね…」


儂はただ草壁さんの独白とも言える話をただ黙って聞いている。


体感型仮想空間ゲーム『ファンタジア』、現実では有り得ない魔法や剣が出てくる幻想世界を体感出来るという新感覚の体感型RPGだ。


さらに子供を現実から目を背けさせ、引きこもりを助長させたことにより、悪名高いことで知られている。


海外からはファンタジアの技術を軍事転用しようとまで数多の取引が持ちかけられたと噂もあり、曰く付きのゲームとしても名高かった。


そんな中で当然世間からはファンタジアを廃棄する呼び声が高まり、生産停止にまで追い遣られてしまう。


しかし、一度生み出された技術は蓋をすることは不可能であり、他のゲーム会社から『フェアリーワールド』や『アヴァロン』等と『ファンタジア』に酷似したゲームが販売されることになってしまう。


社会現象を起こし、日本経済に影響を及ぼしたファンタジアを制作した会社こそが『エルファス社』というゲーム会社であり、アルフォンス社の前身となったものである。


エルファス社はゲーム業界から足を洗い、アルフォンス社と名を変え、ファンタジア制作で培ったノウハウをメディアで活かし急成長を遂げていく。


ついには『エーテルシステム』を手土産に医療、さらには政治の方面へと勢力を拡大させ、『アストラル法』という法律を成立させるまでに至ったのだ。


「富竹さん、貴方はどう思いますか?このエーテルシステムを…」


草壁さんの問いかけに儂は言葉が詰まる。


いったい草壁さんは儂に何を言わせたいのだろうか。


「質問の仕方が悪かったですね。申し訳ありません。では、言い直します。貴方はこのエーテルシステムを患者に依存心を助長させるだけのものだとお考えですか?別に答えによっては契約を打ち切ろうだなんてことはありませんから正直に答えて頂けると嬉しいです」


儂がエーテルシステムについて良いものだと考えているか、悪いものだと考えているかを知りたいわけか。


儂と草壁さんはエレベーターに乗り、ボタンを押してそのまま佇む。


四階から三階、二階と表示が変わってくる。


そこで儂は初めて病院の四階で過ごしていたことを知った。


エーテルシステムを体験してからは目に映るもの全てが新鮮だ。


一階に下りて受け付けらしき場所を通り過ぎる。


先ほどのエレベーターと言い、自動ドアといい、現実世界と区別が付かないほどに精巧に再現されている。


そして、玄関のドアに近づくと自動で開く。


「おおっ!」


思わず唸り声を上げてしまう。


桜吹雪が舞っていた。


「これもエーテルシステムの力です。現実世界にある季節の移り変わりすらも精巧に再現しているのです。その代わり、ファンタジアのような剣や魔法等という非現実的なものは全て排除しています。第二の現実世界というのがエーテルシステムのキャッチフレーズですからね」


最近の若者は現実は詰まらないと言う者がいるが、そんなことを言う奴にこの景色を見せてやりたい。


これも現実世界と何ら変わりが無いというのなら…。


「世界とは斯くも美しいものだったのじゃな…」


もう二度と桜を見ることは無いと思っていた。


儂は思い出す。


まだ身体が動ける頃に家族と共に花見をしたことを。






『おじいちゃん、見て!桜の花びらが一杯だよ!』




『こらこら、余所見して走っていると転んでしまうぞ』




『平気だよ!ほら、おじいちゃん早く!』






儂の手を引っ張ってくれた孫のことを思い出す。


あの頃は確かに家族と笑い合えていた。


儂の身体が動かなくなるまでは。


目から熱い物がこぼれ落ちてくる。


「富竹さん…」


「済みません、昔のことを思い出していました。草壁さん、儂はエーテルシステムは悪いものだとは思っていません。確かに儂はこのシステムに依存してしまったが、それが堕落を助長させるなんてどうして思えましょうか?儂は生きていることを実感出来たのですから…」


依存心が出てくるから堕落するなんて言葉は身体が健康でいる者だからこそ言える戯れ言に過ぎない。


誰しも身体が動かなくなり、一筋の光明があれば縋り付くのが人というもの。


ADLやQOLの言葉も当事者の心情を前にしては辞書に載っている単なる文字でしかない。


依存心であるか、堕落することになるのかは結局は当事者の問題だ。


「儂はこのエーテルシステムの被験者となれたことに満足しています。だから草壁さんも儂に気にすることなく仕事をしてくだされ。もしかすると儂のように待ち望んでいる人がいると思いますから…」


「有り難うございます、富竹さん」


草壁さんは深々と頭を下げてくる。


「もう暫くこのまま桜を眺めてもいいですか?」


草壁さんは無言で頷き、目を細めて桜を眺める。


儂は桜を仰ぎ見ながら未だ見ぬ同じエーテルシステムの被験者達に思いを馳せていく。


誰しもが必ずしもエーテルシステムに良い感情を抱くとは限らない。


もしかしたらそれでも現実世界の方が良いと思う者もいるかもしれない。


逆に儂のように依存してしまう者もまたいるだろう。


果たしてエーテルシステムは彼らに何をもたらすことになるのか。

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