第15話「王都の政庁、影を巡る取引」
観測陣での戦いから一夜。
俺たちは王都の政庁に呼び出された。
城壁の内側、石畳の大通りを進むと、白大理石の柱が林立する巨大な建物が見える。
政庁――王国の政治と商務を司る場所であり、神殿とも並び立つ権力の拠点だ。
広場に群がる人々の視線は昨日以上に熱い。
「影兵を倒した逸脱者」――その噂は既に王都中に広がっていた。
好奇、畏怖、期待、打算。
あらゆる感情が俺に注がれる。
「……落ち着かねぇな」
リクが低く呟く。
「街ごと敵に回してる気分だ」
「敵になるか味方になるかは、ここで決まる」
俺は痣の疼きを押さえながら言った。
影獣は今も胸の奥で眠っているが、呼べば応じる気配がある。
だが、ここで戦いになれば――王都は本当に俺を「災厄」と呼ぶだろう。
政庁の大広間。
長机を挟み、左右に王国の要人が並ぶ。
神殿の司祭、軍の将校、そして豪奢な衣をまとった商人貴族たち。
中央の高座に腰かけるのは、王国宰相。
白髪混じりの口髭を撫で、冷ややかな目で俺を見ている。
「昨日の件、既に王都全域に広まっている」
宰相の声は低く、しかしよく通った。
「影を従える者。逸脱者。器。呼び方は諸々あれど、事実は一つ――お前は、神殿にも王国にも属さぬ存在だ」
「だから呼び出したのか」
「そうだ。取引をしよう」
ざわめきが広間を走る。
取引――その言葉に最も反応したのは商人たちだ。
彼らは目を輝かせ、影を金と見ている。
一人が口を開いた。
「影を自在に操れるとなれば、物流も戦も一変する。合わせ箱のような古遺物を人の意志で再現できるなら――王国の商業は十倍に膨れ上がる」
別の商人が笑みを浮かべる。
「もちろん、それは危険でもある。だからこそ管理すべきだ。政庁の庇護の下でな」
「庇護、ね……」
俺は吐息を漏らした。
庇護という名の束縛。
神殿が言う「救済」と何が違う?
軍の将校が口を挟んだ。
「影兵を倒した実力は認めよう。ならば戦場で使え。国境の北では魔物の群れが動いている。影獣を前に立たせれば、千の兵を削らずに済む」
「使う、だと」
俺の声に苛立ちが滲んだ。
兵器と同じ扱い。
俺が選ぶ道は、誰かの命令のためにあるわけではない。
エリシアが隣で一歩進み出た。
「お待ちください」
彼女の声は震えていたが、はっきりと響いた。
「彼を“使う”など間違いです。彼は人であり、影と共に歩む存在です」
商人たちがざわめき、宰相が目を細める。
「面白い娘だな。名は?」
「……エリシア・ヴァルデ。ヴァルデ商会の娘です」
その名が響いた瞬間、広間がざわついた。
ヴァルデは王都でも有数の商人貴族。
その娘が影潜りに味方する――それは商人社会に大きな衝撃を与える。
「娘よ、軽率だぞ」
神殿の司祭が声を張った。
「影は神の秩序を逸脱する。災厄を擁護するなど……」
「秩序とは誰のためのものですか?」
エリシアの瞳がまっすぐに司祭を射抜く。
「人を守るためでしょう? ならば、彼は秩序の味方です。昨日の襲撃で、どれだけの命を救ったかを見ていないのですか!」
広間に一瞬の沈黙。
だが司祭は笑みを浮かべた。
「感情は判断を曇らせる。秩序は冷徹でなければならん」
宰相が机を叩いた。
「よい、議論は後にせよ。要はこうだ。お前は今後、王都に留まるか、出るかだ」
「留まれば?」
「政庁の庇護を受けられる。衣食住を与え、活動を記録し、必要に応じて力を使わせてもらう」
「出れば?」
「災厄として追われることになる」
冷たい選択肢。
だが、その間にあるはずの「第三の道」を、俺は模索していた。
ルナが袖を引いた。
「おじさん……どうするの?」
小さな声。
その問いに、俺の胸の奥で影獣が目を開いた気がした。
俺は宰相を見据え、静かに言った。
「俺は従わない。だが敵にもならない。影は俺の選択だ。誰かの縄に繋がれるつもりはない」
広間に緊張が走る。
将校の手が剣に伸び、司祭の杖が光を帯びる。
だが、その時。
「待たれよ!」
別の声が大広間に響いた。
重い扉が開き、黒衣の人物が歩み入る。
顔は布で覆われ、胸には金糸の紋章――王族の象徴。
「影潜り。王が会いたいと仰せだ」
広間がざわめき、宰相が眉をひそめる。
神殿も商人も、王の言葉には逆らえない。
俺は影の痣を隠し、ゆっくりと頷いた。
政庁での取引はここで終わる。
次は――王そのものと向き合う。
第15話ここまで